若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

若竹屋の使命と価値

2005年06月12日 | ものおもう十四代目
12日に田植えをしたメンバーに「子狸の会」のみなさんがいます。その会にまつわる話を書かせてください。

平成12年2月の事です。「子狸の会」の会長を務めていただいているN様と奥様は、もう何年も北九州の仲間たちとご一緒に若竹屋へ酒造り体験に来られていました。ご夫妻そろって田植えをし、夏には草取り、秋になって稲の刈り取りに来られるのです。平成11年の夏のある日、草取りを終えて「和くら野」へ食事にお越しになったN様ご夫妻からこんな事を言われました。

「林田さん、ありがとう。僕たちは若竹屋さんと出会えてとても幸せです。素敵な仲間たちと出会い、若竹屋さんのお酒を知り、ご好意で田植えから酒造りまで体験させていただいている。自分の手で植え、刈り取った米で、酒を造り味わう。こんな贅沢は他にありませんよ。皆さんの顔を思い浮かべ飲む酒の美味いこと。妻と一緒に、小さな列車に乗って田主丸を訪れるたびに、なんて幸せなのだろうと思わずにいられません。」夫婦そろって日焼けした顔で笑いながら、そう語りかけられました。

年が明けて1月7日に仕込みに来られ、翌2月11日に待望の酒搾りに来られましたが、N会長ご夫妻は用事のため一日の作業を途中で止め、仲間達より一足先にお帰りになりました。そしてその日の夕方に、突然、N会長の奥様はお亡くなりになったのです。

「林田さん、本当にありがとう、本当にありがとう。若竹屋と出会えて妻は幸せでした。僕ら二人の人生に豊かさというものを若竹屋は与えてくれました。だからこそ、もっと若竹屋の酒を妻と一緒に飲みたかったです」
お悔やみの席でN会長が言ったその言葉を私は忘れる事ができません。

初代若竹屋伝兵衛は何としても酒を造りたかった。美味い酒を造り、お客さまに飲んでもらいたかった。そしてお客さまと共に、職員さんたちと共に、喜びを分かち合いたかった。その創業の理念と志は、これからも変わることなく受け継いでいかねばなりません。そしてそんな思いを込めて醸す酒を通して、私たちは人々に活力を与え、喜びと楽しさを提供し、地域社会に貢献するという使命があります。

300余年にわたり若竹屋が存続して来れたのは、そんな志と使命を燃やしつづけてきたからであり、それを実現してきたのはまぎれもなく若竹屋に勤めてきた職員の皆さんの活動であり、全員のチームワークが産み出した力なのです。N会長ご夫妻はそこに若竹屋の価値を感じていただいていた、と思うのです。

みんなで田植え!

2005年06月12日 | 近ごろの十四代目
今日は若竹屋で使っている酒米「山田錦」の田植えをお客様たちと一緒にしました。

若竹屋では山田錦を5軒の生産農家と共に作っています。そのうちの一軒、横溝さんの田圃で田植えをしました。日頃から親しくしている酒販店とそのお客様たち、あわせて40名ほどが集まりました。田植えは初めて!という方がほとんどで、みんな泥だらけになりながらワイワイ大騒ぎデス!

田圃に足を踏み入れたら「お~、いぼる!」と叫ぶ人(笑)。「足の指にニュルニュル土が入る~」と笑う子供たち。天気もよく、耳納の空気を存分に吸って、じつに清々しい一日でした。