若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

ブームになるということ(ある芋焼酎蔵の話)

2006年06月23日 | 業界人進入不可
一時期の加熱気味の焼酎ブームは落ち着いたようです。市場で求められている商品は、希少性の高い焼酎と、とにかく芋なら安いほどいい、という二極化が進んでいます。そんな現在より少し前、芋焼酎ブームが最高潮の頃の話です。。。

ある芋焼酎メーカーがメディアに乗ってマボロシ化した。関東地方を中心に出荷量が急増し品薄状態になる。そこでこの会社は既存取引先への出荷調整を始めた。

僕らの親しくしているT酒店は、焼酎ブームのはるか昔より、日本酒とともに「国酒」として焼酎の市場開拓に力を入れてきた。焼酎は清酒の格下酒じゃない。素晴らしい焼酎はたくさんあるんだ。その酒販店のT社長の姿勢と努力はもとよりお人柄も素晴らしく、僕はこの業界の師のひとりと仰いでいる。

さて、そのT酒店で前述のメーカーに注文した商品が、発注どおりに入ってこない。中でも季節企画商品は発注数量に対して、入荷がゼロだった。たまらずメーカーに連絡入れた。

 どうして発注通りに入荷されないんですか?
「申し訳ありません。在庫がないのです」
 それにしてもゼロはないでしょう!
「その商品については、お宅は前年の発注実績がありませんので」
 バカな!前年は案内がなかったじゃないですか!
「案内をしなくても問合せのあった所には出荷をしました」
 案内もなく、連絡もなかったから発注しないままだったのは認めるが、
 それを前年実績がないから出荷できないとは…わかりました、もう結構です。

そのメーカーはT酒店にとって既に売上上位の人気商品となっていたが、社長は決断を下しました。うちの主力商品とはしない、と。

一方、別の芋焼酎蔵元がある日このT酒店を訪れた。この蔵の銘柄もすでに希少銘柄として市場で人気を博していた。その蔵元はこう言った。

「T社長、お店にはいつもご愛顧いただきありがとうございます。社長たちのこれまでの地道なご努力のおかげで、我社の酒もようやく売れるようになりました。お蔭様でお取引のご要望が引きも切らない状況です。こうなれたのも社長のおかげです。これからもご発注の通りに納品しますので、どうぞ儲けて下さい」

T社長はこう言います。

林田君、僕らは蔵元さんたちと信頼関係を取引の拠り所にしているんだ。こんな小さな店(とT社長は謙遜するが、そんな事はない)が出来る事、しなければならない事は、商品を通してこの国の素晴らしい文化を伝える事なんだ。だから想いのある蔵元としか「商い」は出来ないんだよ。僕らがしているのは「ビジネス」じゃないから…。

ブームになること。人気が出ること。ブランド化すること。最大利益を生み出すこと。それらは経営者が望んでいることだけれど、そうなる事によって、大切な事を見失ってしまう企業のなんと多い事か。

若竹屋は「一流企業」や「大企業」になろうとは思っていない。
僕は「超一流の家業」となることを目指したいと思うのです。

酒は大人の飲み物

2000年04月05日 | 業界人進入不可
酒はオトナの飲みものである。

まず言っておくが、酒を「清酒」とか「日本酒」とか呼んではいけない。まず、酒は当然「国酒」なのだから、「日本の」なんて前ふりをつける必要はないのである。さらに税法上の呼び名である「清酒」なんて、もってのほか。酒のことを知らぬ素人と思われてもしょうがない呼び方である。

さて、酒はオトナの飲みもの、ということだった。

あ、その前に言っておくが、ほかの酒類をサケと呼ぶのはどうなんだ、と言う方もおられよう。当然、ほかのアルコール飲料はビールはビール、ワインはワインと呼べばよい。大切なのは午後5時を過ぎて、サケと言ったら「酒」のことだという事である。

えー、酒はオトナの飲みものということだが…

ナニ?南九州でサケと頼めば焼酎が出てくる?それは地域の文化性なのでそこまでうるさくは言わない。続けていい?

まず、酒は喉の渇きを癒すために呑むものではなく、味わうことを大切に飲む。この点においてわが国の最も消費量の多いアルコール飲料(もはや清涼飲料といえる)とは一線を画す。

次に、飲むことで季節を感じるものも酒だけである。春には春の新酒、夏には冷酒、秋には冷やおろし、冬は燗酒、と同じ酒でこれだけの飲み方が楽しめるのは酒だけである。この点において昨今のポリフェなんとか、と薬代わりと勘違いされている舶来モノとは一線を画す。

さらに、二人以上で飲む場合の作法があるのも酒だけである。他人の杯に注ぐという行為自体が他の酒類にはみられないのだが、その注ぎ方にも厳格な作法がある。

目上の人に注ぐ場合、まず「杯を暖めさせていただきます」とか「お流れを頂だいします」といって酒盃を掲げ一杯(先に)いただく。そして返杯させて頂くのである。まあ、この辺はローカルルールもあるだろうが、田主丸周辺はそうする。

二人きりで、しかも異性と飲む場合は作法をより問われることになる。女性が男性に酒を注ぐ場合、まず向かい合っていてはいけない。必ず横に並び、寄り添った側の手に徳利を持ち、もう一方の手を軽く添えながら、首から肩にかけて男性側にやや傾けつつ注ぐ。

もちろん、嫌いな男性にそんな事はしなくてもよいが、女が男に愛を伝える行為としては最も洗練されたものではなかろうか。

これらの高度なコミュニケーションスキルを必要とする点でも、その他の酒類とはまったく異なるものであり、なおかつ大人としての知力・気力・財力・政治力がなければ楽しむ事のできないものであることがわかる。

最近、そんな風に酒を楽しむオトナが少ないようで、売上が下がっているのはまことに残念な事である。


2000.4.5

頭の悪い蔵が好き

1999年10月16日 | 業界人進入不可
味醂(みりん)という調味料はご存知の事と思う。この味醂はお酒でしょうか、それとも調味料、それとも・・・?

酒税法によれば味醂は他のアルコール飲料と違って「調味料」の使用用途を重んじた扱いをされている。まあ、簡単に言えば酔うための「お酒」ではないから酒税はあまりかけませんよ、ということだ。

「清酒」や他の多くの酒類はそのアルコール度数によって細かく酒税がかけられている。同じ造り方であれば、アルコール度数が高いほうが酒税は高いのが一般的だ。ところが味醂はそうじゃない。アルコール度数はあまり関係ない酒税のかけ方になっているのである。

そこに目をつけた頭の良い方がいらっしゃった。

味醂には「本直し」という製造技法がある。これは出来た味醂の味を整えるという意味で、醸造用アルコールや糖類などの調味料を加えたりすることなんだけど、その量などに規定がない。

さて、くだんの頭のよい方は何を考えたか。
味醂を造り、度数の高い醸造用アルコールと調味料を大量に混和し度数25%のアルコール飲料である「本直し」を造ったのである(見方を変えれば、醸造用アルコールに糖類と味醂を少しだけ混ぜたとも解釈できる)。味醂だから酒税が格段に低い。低コストで高アルコール度数の酒類を製造したというわけだ。

おまけに4リッターのポリ容器に詰めたそれを酒屋の甲類焼酎の棚のそばに置いてもらうようにお願いした。もちろん、ラベルには(よく見れば)ちゃんと「本直し」と書いてある。店頭販売価格は1200円から1400円といったところで売っている。消費者に安価に提供しようとする素晴らしい企業努力が生んだ「味醂」(味醂と知らず焼酎と思って買っている人もいるかも知れない)なのだ。

味醂とは日本が世界に誇るべき素晴らしいリキュールだなと思わせる、味わうために飲むものすごく美味いやつが僕の酒棚にはある。それは量産していないので頭の良いメーカー(僕は蔵元とは呼ばない)の経営者や技術者の口には入ったことがないに違いない。

僕の酒棚にあるこの凄い味醂を造っている蔵元(僕はメーカーとは呼ばない)の人たちは、きっとすごく、すご~く、頭が悪い人たちなんだろうな、と僕は微笑みつつロックグラスに注いだ琥珀の液体を口に運び味わうのだ。

1999.10.16

たべもの屋さんというお仕事

1999年07月09日 | 業界人進入不可
つい、最近の話。小学校に上がる前の子供たちに「大人になったらなりたいもの」を尋ねたアンケートの結果、男の子の第3位・女の子の第1位が「たべもの屋さん」だったそうだ。

時代は大きく着実に変化しつつある。「食」の世界は魅力的で、憧れがある世界なのだ。そりゃそうだ。世の中がハイテクノロジー化して行けば行くほど、それに比例してハイタッチ(ふれあいの世界)が求められてゆく。アルビントフラーが20年以上前に指摘した通りだ。

我々が日に3度行う聖なる儀式はこれからも永遠に続き、その行為そのものはどんなにハイテク化した世界であれ変わる事はない、ふれあいが支配する行為だ。そのことを未来そのものである子供たちは感じ取っているにすぎない。

だから僕は「たべもの屋さん」を心から尊敬している。
彼らは、聖なる儀式を執り行う崇高なる司祭なのだ。

僕が多くの自戒を込めていつも言っているのは、(この「一献一会」のインデックスページに述べている通り)酒の味を決定付ける最大の要素は、そう、誰と飲むか、なのである。

何処で、いつ、どんな風に・・・それらを望む通り、最高の演出をする「たべもの屋さん」はそう多くあるわけではないが、我々にはそんな癒しの場が必要なのだ。

だから、妻と仲直りするには、素敵な「たべもの屋さん」に連れてゆくのが最良の方法なのである。もちろん、そこに若竹屋の酒が置いてあれば言う事は何もない。

1999.7.9

抜くに抜けない伝家の宝刀

1999年07月08日 | 業界人進入不可
悪気があって言っているわけじゃあない、というのは分かってるんです。みんなお酒が好きで、いろいろ薀蓄を語り合うのが楽しみなんですよね。

でもね、スペックで酒の味がわかるというわけではない、そのことは分かって欲しいなあ・・・とそう思うときはあるんですよ。

僕も人間ですから、お客様と思っていても堪えかねるときがあります。言っちゃぁいけない、そう思っていても喉元まで上がってくるんです。

「そこまで言うんなら、自分で造ったらどげんや!」

やっぱ、言っちゃいかんよなあ…

1999.7.8

必要とされる仕事

1999年07月04日 | 業界人進入不可
酒類を販売するには免許が必要だというのはご存知でしょう。この免許制度がもうすぐ無くなります。

簡単に言うと、酒販免許は人口の割合と隣合うの店との距離でその交付が決められていたのだが、それをほぼ撤廃しましょう、ということです。平成12年9月にはかなり緩和された状態になります。

業界内の反発は大きく、新聞などでも報道されていることなので、ここでこれまでの経緯やその是非を論じるのは止めておきます。(…というより怖くて出来ません…)

これから先、コンビニやスーパーでは必ずお酒が売られるし、本屋で料理レシピと一緒にワインが売っている、とか物流業界(宅配便)の参入なども考えられる、というわけです。

町角にある、少し頑固そうな親父がいた、あの「お酒屋さん」はどこへ行っちゃうんでしょうか?

「スーパーでビール買って帰るときに、近所の酒屋の前を通りにくいからさ、回り道して帰るんだよね。」…とある人が言いました。なんて事でしょう…存在自体が迷惑がられているなんて…

「お酒屋さん」、立ちあがろうよ!その町に、住民に、子供達に、大人に、お年寄りに必要とされる仕事・必要とされる店をもう一度取り戻そう!

弱肉強食なんてウソで、自然界は「棲み分け」でそのバランスをとっています。お店の強みと個性を絞りこんでゆけば、より豊かで楽しい市場になり、お客様もよろこぶし、地域に必要なお店になるはずなんです。

こんどの冬が、戦略を立て、決断し、実行に移せる最後のチャンスと思っています。我々、蔵元にとっても。(あ、ここは業界人進入不可なのに、業界向けに書いてしまった・・・)

1999.7.4

日本酒ムック本のつくりかた

1999年05月30日 | 業界人進入不可
お酒のムック本、日本酒名鑑とか日本酒事典とかありますけど、どのくらい読まれているものなのでしょう。そこに掲載されている情報はどのくらい信用されているのでしょうか。

問題は一部の本を除いては、記載されている内容は蔵元がお金を払っている「広告」なのだということです。

多くのムック本のレイアウトは「地域別」か「酒別」になっていて、そこに商品の写真と内容、蔵元の紹介や購入先などが記載されていますよね。場合によってはその記載「枠」の大きさが蔵によって違うこともあります。

あの写真も、商品説明も、蔵の雰囲気を伝える文面も、蔵元が自ら書いたものを「一枠○○万円」を支払って出稿しているものだと知っていますか?

だから、誤解しないで下さいね。
発行者が自ら蔵元を取材をしているわけではないのです。
発行者が味利きをした商品コメントではないのです。
扱い枠の大きさと、酒質やブランド力は関係ないのです。
掲載の有無と、蔵元の姿勢や情熱は関係ないのです。

きちんとした取材をしたり、出稿自体が無料の本ももちろん有ります。信頼できる本はキチンと「自分が取材しました」と書いています。ただ、そうじゃない本も多数有るということです。

(なんだあ、本にも載らないような蔵なのね) とは思わないで下さい。
「名鑑」に載っているものが銘酒とは限りませんし、「事典」に載らない銘酒はたくさんあるのですから。


1999.5.30

米どころは酒どころ?

1999年05月09日 | 業界人進入不可
もう4、5年前だと思うけど、JASで福岡→新潟航路ができたとかでキャンペーンをしていたのだけれど、その文言が「米どころ酒どころ!新潟へゆこう!」みたいな内容だった。
福岡の酒は、福岡県民の多くに知られていないのだなあ、と嘆息したのを覚えている。

「米どころは酒どころ」っていうでしょ?だから東北・北陸の酒は美味いんだって。でも、これって大いなる誤解なのだよ。(ああ、また新潟の業界の方から怒られるかも…)

酒は酒米(酒造好適米)と呼ばれるものを使うのはご存知でしょう。では、この酒米の最大の生産地はどこか?それは福岡県なんですよ。
知らなかったでしょう?知られてないんですよ…だから、福岡空港でJASがああ書くわけだ。

じゃあ、米どころ福岡は酒どころなのか?
製造量で考えてみると・・・福岡県の酒の製造量はある時期、兵庫県についで全国第2位だったことがあるんですね。

今、手元に正確な資料がないけれど、昭和20年代後半にそうだったらしい。(酒造組合でちゃんと調べますね)。それで、福岡は今も「日本三大酒どころ」と自らを称しているのだ(笑)。

それにしても「日本三大~」ってどれを取っても胡散臭くておかしい。しかもたいてい三番目の所が一生懸命それを謳ってないかい?ちなみに「酒どころ」は1番が灘、2番が伏見ということらしい。

多分、炭鉱が盛んだったことから消費量が伸びていたのではなないかと思うが、炭鉱の衰退と共に製造量も減少を余儀なくされている。だから、福岡の酒類業界はちょっと変わっている(?)。

平成7年度の県内の製造免許(蔵元)数は93場ある(数でいえば全国第7位)。
これを多いと言うか少ないと言うかは切り口で見方はちがうだろうけど、特徴的なのは「大きな蔵元」が少ないことだと僕は思う。
製造量が年間三万石(一升瓶にして年産300万本)を超える蔵元は2社しかない。

それに面白いのは、県民別一人あたりの酒類消費量は全国第19位なのだけれど小売業者数は全国第8位、卸業者数にいたっては第4位もの数が存在しているのですよ。

福岡の業界はサバイバルが激しいのだ。ふう。


1999.5.9

手造りの価値

1999年02月14日 | 業界人進入不可
山形の全工程フルオートメーションの四季醸造蔵を見学したとき、ビン詰めされていた酒のラベルに『手造り純米酒』と書いてあったのを見てかなりショックを受けた事がある。

箱麹タイプの自動製麹機を導入した島根の蔵元で、老練の杜氏が僕に言った。「この機械は私より上手に麹を造りますねえ」

新潟の吟醸タイプを主力商品としている蔵の社長が言っていた。「55%精米までの仕込なら手造りも機械仕込みも変わりませんよ」

やはり新潟の、限定流通でブランドを伸ばしたメーカーの蔵人さんが僕に言った。「今勤めている所は蔵ではなくて工場ですから」

手造りと機械造りの違いは何なのだろう?そもそも手造りは機械造りより価値があるんだろうか。

最近の僕の考えはこうだ。
「価値」というのはお客様が決めることで、善し悪しを決めるものではない。全工程フルオートメーションを例にとれば、味の安定化は図れるし、製造コストの削減もできる。だけど、大きな資本が必要だ
多くの蔵元は小資本だから、そんな設備投資はできない。若竹屋ではする気も無い。なぜなら、自分たちが思う造りが出来なくなるから。

人間の創造力は無限であり、酒造りは常に、「これでいいのか?」と自らに問いかけながらしているものなのだ。そして、「これでよい」と言うことはない。機械化は「ここを変えよう」と思った時には、さらに多大な設備投資を強いられるのである。

だから私たちのような小資本の蔵元は、手造りである強みを活かし常に酒質の向上を図るべきだし、また遊び心のある酒を造ることにチャレンジしないといけない、と思う。

そして、杜氏の人格と蔵人たちの酒に対する愛情が高まるほどに素晴らしい酒が生まれるのだと思う。機械ではなく人が造る酒だからこそ、そこにある「物語」がまた僕たちを酔わせるのではないだろうか。

1999.2.14

ラベルと味の表現

1998年12月27日 | 業界人進入不可
酒(日本酒)の多くのラベルには味を表現する、または連想される言葉が書いてある。これに強い疑問を感じているのは僕だけだろうか?
問題なのは、「造り手」が味を言うことだ。それは、「売り手」の仕事を奪い、「飲み手」の楽しみを奪っていないか?

「造り手」の味の表現はだいたい似通っている上に、押し付けがましい。例えば、ラベルに「辛口」と表現している酒は数知れず。そもそも「辛口」とはどんな味をいうのだろう?
僕は基本的に酒はすべからく「甘い」ものであって「辛味」はないと思っているんだけど。甘味の少ない酒の味をして辛いと言っているのだろう。

味の定義が出来ない「造り手」というのは、はなはだ心もとないものだ。以前「辛口」と書いてあった酒を飲んだら少しもそうは思えなかったので製造元へ直接電話して聞いてみた事がある(ひねくれものなのだ)。曰く『当社比です』。なんだそれは?ユーザーを馬鹿にしとんのか!?

吟醸といえばカタログなどに書いてある表現はどこでも一緒じゃないか。『○×山から涌き出る清冽な水と、○×盆地清涼な気候、そして熟練した○×杜氏の匠の技が醸し出す、フルーティな香り豊かで軽快な喉越しの逸品』って誰も読んでないって。
裏ラベルが凄いところもある。『このお酒は冷やしてお飲み下さい』、『このお酒にはヒラメのムニエルが合います』って余計なお世話だっつうの。

酒の味をうんぬん出来るのは「飲み手」の特権なのだ。大人の愉しみなのである。「飲み手」同士であれこれ話すのがいいんじゃないか。それをメーカーがごちゃごちゃ言うのは興醒めというものである。わかってないのだ。

世界中の嗜好品のなかで「造り手」が味の説明をしているものなどほとんど無い(と思う)。日本で造られる、酒とワインぐらいのものだろう。

では「売り手」はどうだろう? 僕はこの「売り手」のこれまでにも問題があったと思う。
「売り手」はもっと表現すべきなのである、自分が扱っている酒について。基本的には自ら旨いと思う酒を仕入れ、お客様のご要望を満たす商品を提供するのが大きな仕事の一つであろう。
だから、お客様の好みの味を聞き出すことと、提供する酒の味を表現するのは重要な職務なのである。

「売り手」はその職務を軽視していないか?多くの「売り手」が、苦しいとか厳しいとか言っているのを聞くと、そう思う。表現することを大事にしてきた「売り手」は繁盛しているのだ。

メーカーが書くから店が表現しないのか、売り手が出来ないと思って蔵元が書くのか…たまごと鶏とどっちが先かは知らないが、「造り手」はラベルに味の表現を書くのをやめたらいいと思う。

1998.12.27

酒のよし悪し

1998年12月25日 | 業界人進入不可
 『あの酒はよい』とか『あの酒は悪い』という言い方はよくすることだろうけど、僕はどうも気に入らない。(このページは僕の気に入らないことばかりがを書いてあるのでイチイチうるさい奴なのである)

 それを言うなら『好き嫌い』で言ってほしいと思うのだ。何を以って『よし悪し』と言っているんだろう?『よい』と言われた時は素直に『ありがとうございます』と言えるんだけれど、『悪い』と言われた時はナカナカ素直になれないんである。黙って聴けるほど、まだ人間ができていないのだ。

 『嫌い』と言われれば、ああ、嗜好に合っていないんだなあ…と思えるんだけど。嫌いな人が多ければ売れないということでもある。しかし、例えば売れなくても造る酒というものも有るわけで…

 そもそも『よい酒』とはどんな酒だろう?売れる酒はよい酒か?というと事はそう単純じゃない。また売れる理由も様々で、味、見かけ、ブランド、価格など多岐にわたる。

私たちは蔵元として「ほんもの」を造りたい、と口にします。
食品メーカーはこう言ういいかたをするところは多いですよね。
私たちは「ほんもの」を造り続けています!って。

では、口にするからには何をもってして「ほんもの」と言うのか、自分たちの考えをきちんとエンドユーザーに伝えているかと言うとそうじゃない。
単なるセールストークにすぎない生産者が多いんじゃないか!と感じるわけです。

「手作り」とかもそうですよね。
僕が以前たずねた東北の酒蔵で、近代化したフルオートメーションの設備で出来たお酒に「てづくり純米酒」とラベルされていたのを見てひどくショックを受けたことがあります。

 あるネット上でこの事を問い掛けてみたらいろんな意見が出て興味深かった。(いくつかの意見を抜粋してみたので読んでみたい人はこちらへどうぞ)

 僕らは『いい酒』を造ろうといつも努力はしている。だから『いい酒』とは何なのか、という事をきちっと表現できなければならないんじゃないか。
 全国の蔵元が『いい酒』というものをどう考えているか聞いてみたいところではある。


98.12.25