若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

愛・地球博に行ってきました

2005年07月22日 | 近ごろの十四代目
昨日の高知から名古屋へ移動。小牧空港から長久手の万博会場へ。逢いに来たよ、キッコロ~☆

とは言うものの、別に事前準備も下調べもしてない。なんくるないさぁ、ケンチャナヨー、と思ってたけど甘かった。企業パビリオンは軒並み100分以上の待ち時間。加えて気温はオーバー35℃。しかも日陰がない。倒れそうになった。

万博に行ってあらためて思った。日本ってなんて美しい国なんだろう。会場の至る所に日本を感じさせる演出がある。パビリオンで流れる映像に美しい日本がある。それらを眼にして、ちょっと涙が出そうになった。


今回の万博の目玉は「マンモス」なんで、行きました。マンモスラボ。まずは「オレンジホール」で「地球・光あふれる惑星」という映像をスーパーハイビジョン(これ凄い!)にて鑑賞。それから人類と環境の歴史を展示しているコーナー(これもナカナカ面白い)を抜ける。すると「こちらからマンモスラボです♪前へお進みください♪」とお姉さんの案内がある。

そこで進んでみれば…、いきなり動く歩道に乗せられてガラス越しにいる例のマンモスの脇を抜ける…。えっ?これだけ?えーと、このマンモスの何がどうスゴイのか、どこにも何にも説明がないのはナゼ?見落としたワケじゃないよね、だって動く歩道しか無かったもの…。

高知同友会で報告しました

2005年07月21日 | 同友会の十四代目
高知県中小企業家同友会の7月例会(経営オープンセミナー)で報告をしました。

昨年の「青年経営者全国交流会in高知」でお世話になった梼原君が、今回もコーディネートして下さいました。今回、福岡から高知龍馬空港に向かうYS11が大幅に遅延し、またもや昨年と同じ大失態をしてしまうのではないかと不安が(笑)。

まあ、遅れはしたものの例会には問題ない時間。迎えに来てくれた梼原君の車で桂浜へ行きました。ここは学生時代、友人たちと夏休みに全国からバイクで集まって騒いだ想い出の場所。久しぶりに龍馬さんとも会えて、大事な話も出来ました。

高知城ホールでの例会では、またもや我を忘れて構成打合せを無視した話になってしまい座長の梼原君を困らせてしまいました。梼原君、ホントにごめん。来場の皆さんにとっても分かりづらい内容だったのでは、と自己嫌悪デス。

それでも土佐の男はさすがにキップがいい!懇親会では気持ちよく話しかけてくださいました。2次会までお世話になって酔い加減でホテルへ。翌朝眼が覚めたら・・・げっ、名古屋行きの飛行機に間に合わないかも!やっぱり段取りの悪い僕なのでした。

お世話になった高知の皆様、本当にありがとうございました。西岡事務局長、土井先輩、梼原君には特に重ねて感謝申し上げます。今度はプライベートで高知に行きたいものです♪

お酒の学校 4期スタート!

2005年07月20日 | お酒の学校の十四代目
今日は福岡県酒造組合が主催し、アバンティがお世話する「お酒の学校」4期の入校式でした。

今期も素敵な「福酒なでしこ」をめざす女性が高い倍率をくぐり抜けて集まりました。今期は僕は講義をしませんが、縁の下の力持ち、で頑張りたいと思います。

それにしても、福岡の独身女性がこれだけのネットワークになったのはスゴイなぁ。そろそろ浮羽の若者の嫁探し事業を企画をしないとイカンな~。

第307期経営指針発表会!

2005年07月15日 | 近ごろの十四代目
今日は若竹屋酒造場の経営指針発表会を行いました。横断幕に「307期」と書かれているのはやっぱりスゴイな~(笑)。

午前中は各部門で集中環境整備(お掃除)や部門研修などを行い、午後からみんなで「グループワークトレーニング」をしました。この全体研修は例年、さまざまな事をします。過去においてはインプロ・シンキング(即興思考訓練)をしたり、コンセンサスゲームをしたりしました。僕にとっては、この研修内容を考えたり、トレーニング出来るように勉強するのは大変だけど、とても楽しい作業です。
今回は「スーパーの女」という映画をみんなで観て討議をしよう!ということをやってみました。かなり盛り上がって大成功!最後の懇親会でもアチコチで話題になっていましたね。

発表会では僕からの今年度方針発表と、部門長たちからの力強い年間活動計画発表がありました。例年、盛り上がるのは「表彰式」です。今年の「環境整備賞」は製品部の古賀福美さん。丁寧なホウキさばきが評価されての初受賞!壇上で震えながら表彰状を受け取る福美さんに、拍手喝さいでした♪
また今年は永年勤続表彰で山川さんの表彰、全国清酒鑑評会での金賞受賞の表彰も嬉しいことでした。

この発表会には例年、金融機関の方をお招きします。そこで「ぜひ激励の言葉をいただけませんか?」とお願いをしています。一度でいいから「こんな会社なら金利を下げましょう!」って言って頂けないものかなぁ…。

うきは市青少年弁論大会で審査員をしました

2005年07月14日 | 近ごろの十四代目
うきは市内の中高生による弁論大会に、審査員として出席しました。

採点は、論旨30点・感銘度30点・態度20点・音調20点の合計100点からの減点をしていきます。クラブ活動の指導をしてくれた地域の方への感謝の気持ち、日常生活で感じる幸せ、友人との付き合いで感じた自分自身のこと、様々な演題で弁論が繰り広げられました。

僕の初恋は中学一年の時。田主丸中学校の弁論大会で堂々と論ずる彼女でした。う~ん、今日はあの日を想い出しました…。あの日の僕のように、素敵な弁士姿に惚れる子っているだろうなぁ。ちなみに僕の初恋は成就しましたよ♪

ドリームズFMの取材を受けました

2005年07月09日 | 載ってる十四代目
久留米のコミュニティFM「ドリームズFM」、土曜日の番組「Smile Saturday」の生中継取材を受けました。

レポーターの松村ひとみさんは美しい方で、僕がニコニコしながら取材を受けていると、社員が「社長、鼻の下のびてますよ~」と余計な一言。

松村さんが担当する「DoCoMoサタデーネットワーク」のi-modeサイトでも若竹屋情報を掲載して頂きました↓
http://www.dreamsfm.co.jp/i

「あまざけ」と「ホイリゲ」の取材 (読売新聞・KBC生放送)

2005年07月08日 | 載ってる十四代目
今日は読売新聞の取材がありました。21日(木)に掲載予定で「あまざけ」の紹介をしてもらうことに。

「あまざけ」は若竹屋の人気商品ですが、夏のこの時期に取材があるのは珍しいです。実は古来、甘酒は夏の飲み物なんです。俳句でも「甘酒」は夏の季語。麹がつくる様々なアミノ酸と糖分が暑気払いとして最適であることを昔の人は分かっていたんですね。取材の方もその事をご存知で記事にしようとお考えになったそうです。

夕方にはRKB毎日放送(TBS系列)の今日感テレビのコーナー、「イッセーの週末情報」にて、新しく開設したレストラン、「ホイリゲ」の取材を受けました。巨峰ワインの看板社員?焼山君は、川上アナから「焼山ちゃん、今日感テレビの準レギュラーだよね♪」と言われるくらいの対応ぶり♪お疲れ様でした。

田主丸駅の掃除をみんなでしました (社外環境整備大会)

2005年07月07日 | 近ごろの十四代目
今日は年に一度の「社外環境整備大会」でした。

例年、「若竹屋酒造場・経営指針発表会」の前後に、全社員でJR田主丸駅を掃除させていただきます。300年以上も田主丸の方にお世話になっているんですもの、なんかお返し出来ることをさせて頂きたい。ということで田主丸駅に掃除をさせて下さいとお願いしてやっています。今日も蒸し暑い一日だったけど、キレイになった駅舎に大満足!掃除を終えたみんなの笑顔はサイコーです♪

実行委員長の白石君が今回よく頑張ってくれました。駅舎周りリーダーの太田君、草刈リーダーの麻生さん、トイレ担当の高木君、みんなよく頑張ってくれました。ありがとう!

ぼくは悪党になりたい  笹生陽子

2005年07月04日 | 読んでる十四代目
ぼくは悪党になりたい

角川書店

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恩田陸の「夜のピクニック」がまた最近売れているらしい。以前、その本のことを書いたことがあったので、自分のブログを読み返してみた。すると、『(高校生青春小説で)昨年は当たり年とでも言いますか、楽しく読めた作品が2編もありました』と書いてあるではないか。もう一作を紹介してなかったな、と思ったので改めて書きます。

タイトルに惹かれて手にした本だったけど、今にして思えば山田詠美の「ぼくは勉強が出来ない」と語感がカブってる。そういえば設定も何となくカブってる。

自立とか自律とか人生とかを考える。時間だけはたっぷりあるから、もう子供じゃないから、けっこう深く考えてる。けど普通に自分を取り巻く環境が狭いから、ジレンマというか、もどかしさというか、壁にぶち当たる。もっと小さい時は、大人って完璧だと思ってたけど、もうそんなに単純じゃない。だから本を読んだり、音楽を聴いたり、友達やガールフレンドの相談に乗ったり、乗られたり。そんなことして「自分探し」をする。そんな高校時代…、過ごしてませんでした?

「自分探し」って青春のキーワード、なんか恥ずかしくって懐かしい。この作品は、そんな気恥ずかしさに包まれながら一気読みをするのがいい、と思う。

ウィンブルドンの想い出

2005年07月04日 | 近ごろの十四代目
昨日はウィンブルドン2005男子決勝だった。無敵のオールラウンダー・フェデラーと世界最速サーブ・ロディックの対戦。249キロのロディックのサーブも王者フェデラーの前では空しく、前評判どおりフェデラーの3連覇!となった。

マッケンローが解説席に居た。僕らの時代はボルグとマッケンローがヒーローだった。冷静沈着なベースラインプレーヤーのボルグ。マッケンローはコートで感情をむき出しにする暴れん坊だった。さて、話は'92年のこと。僕はウィンブルドンを観に行った。

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沢松奈生子がベスト8を賭けての試合を今まさにしているという。僕は西武百貨店を辞めて2ヶ月ほど欧州をバックパッカーとしてぶらついていた。ロンドンのB&Bでふと点けたTVから流れてきた沢松の横顔。こりゃエライこっちゃ、応援に行かねば!僕はこれでも高校時代までテニス小僧だったのだ。

ウインブルドン駅はロンドンの中心地より地下鉄で約20分の距離にある。駅を降り立ち、センターコートはどっちだろう?と首をめぐらす。人の流れにそって歩いていけば何とかなるだろう。強い陽射しが濃い影をつくる。この暑さのなか沢松は頑張っているんだ。僕が応援に行くまで待ってろよ、沢松。

歩き始めてしばらくすると沿道に長い行列が出来ている。何だろうと横目に見ながら先を急ぐ、が、その列はセンターコートまで続いていた。まさか?列の先頭はウィンブルドンの入場券売り場…。ここに並んでチケット買わないと入れないと言う。わかりましたよ。来た途を引き返す。途中で何人ものダフ屋に声をかけられる。「チケットある?売るよ」。聞けばスンゲー値段。日本人だからって皆な金持ちじゃねっての。

列の最後尾に並びなおす。ほとんど駅まで戻ってきたところ。これ、今日中にたどり着けるのか?でも皆な悠然と並んでる。ジリジリと照りつける太陽の中、じっと立つ。じっと…じぃ~っと…、おいおいもう3時間並んでるけど、ピクリとも動かねえよ?背に黒板を背負った男が列を行き来している。黒板には「センターコートまで○○分」みたいな事が書いてある。

彼を呼び止めた。「ねぇ、これホントにチケット買えるの?全然動かないんだけど?」と聞くと、そっけなく「分からん」と言う。もういい。沢松の試合も終わってるはずだ。俺、何しに来たんだろ…。「あ~あ、もう帰るよ」と言った僕を彼が呼び止めた。「じゃあコレあげる」。貰ったのはウィンブルドンの、あのマークの丸い形をしたシール。ふん、こんなシール貰ってもねぇ。

疲れはてロンドンに戻り夕食を摂る。夜、結局敗れた沢松の試合VTRを見ながら、あのシールを思い出して取り出した。よく見るとシールに何か書いてある。 “I’ve cued!(俺は並んだ!)”
シールを渡しながらニヤリと笑った彼の顔が浮かんだ…。

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ウィンブルドンは久しぶりに見ました。ちなみに実況アナウンサーをしていたのは僕の義弟でした。

ヨーロッパ退屈日記 (伊丹十三にはまる)

2005年07月02日 | 読んでる十四代目
ヨーロッパ退屈日記

新潮社

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最近、ハマってるのが「伊丹十三」。

きっかけは伊丹監督作品「スーパーの女」を最近、観てから。それ以来、伊丹十三ってどんな人だっけ?と気になってた(伊丹映画「お葬式」と「マルサの女」は観たことがあるケド…)。すると書店の文庫新刊コーナーにエッセイがあるのを発見。「ヨーロッパ退屈日記」と「女たちよ!」の2冊を早速購入。おどろいた!おもしろかった!

伊丹十三は僕の親父と同じ生まれ年。上記のエッセイは彼が30代に書かれたものだそうで、親父の青春時代の世相ってこんなんだったのか~、という面白さ。例えば、スパゲッティ(パスタとは言わないんだな)の正しい食べ方について。『スパゲッティとソースを混ぜあわせたらフォークでスパゲッティの一部分を押しのけて、皿の一隅に、タバコの箱くらいの小さなスペースを作り、これをスパゲッティを巻く専用の場所に指定する』。そうして右手に持ったフォークで、くるくると巻いて食べるのが正しいのだ、と。

万事この調子で面白い。湯で加減はアルデンテが本物で、『スパゲティー・ナポリタンなんてものは、いためうどんで、あんなものをイタリアンと言う人は、スーヴェニア・ショップで絹のキモノ・ドレスを買ってハイヒールで街を歩くようなもの』と書く。今でこそ普通に使われるアルデンテという言葉でも、当時の人は、それ何だ?と思ったろうねえ…と笑いがこみ上げる。

一方で僕の同年代の人間による文章なんだと思って読んでみても、際立つ表現力。単に「スタイル」として物事を断じるのではなく、「生き方」として本気で書いてる(ハズ)…なのに洒脱な文章。参りました。いきなり僕の中で、エッセイスト首位!です。俳優、デザイナー、エッセイスト、雑誌編集に映画監督と、才人と呼ぶにふさわしい人だけど'97年12月に自殺した。

伊丹の妻、宮本信子さんはドラマの撮影で巨峰ワインに来たことがあって、お会いしたときの感じがもの凄く素敵な方でした。我々を始め、スタッフの方にも優しい気遣いを見せる様子に、真に実力のある人間の謙虚さを見たように思います。

峠 司馬遼太郎 (指を痛めて思い出した)

2005年07月01日 | 読んでる十四代目
峠 (上巻)

新潮社

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←3日前ドアに右手中指を挟んだ。みるみるうちに腫れて爪の内側が黒ずんでいく。余りの痛さと間抜け具合に笑い泣きをしました。そんな痛みの中、ふと思い出したのが、司馬遼太郎「峠」の一節。

越後長岡藩士・河井継之助が備中松山藩・山田方谷を訪ねる途中、京に立ち寄る。そこで出逢った不思議な女性・織部と一夜を共に。房事の後に織部が継之助の小指をきゅっと折る。痛みに耐えながら継之助が思うこと…。

(人間など、他愛もない)
と継之助が思わざるのをえないのは、そのわずか一本の小指の痛みで、いかに深刻な、あるいは深遠な、そういう思案も煙のように消え、全身の関心が小指にあつまってしまう。となれば、つまり小指一本でその思念が雲散霧消するとなれば人間ははたして継之助が考えるほどに高いいきものなのであるか、どうか。

「峠」は司馬遼太郎作品の中で「世に棲む日日」についで僕の好きな本です先日、萩へ行ったので、また改めて「世に棲む日日」を読み返そうと思っていたのですが、書棚から手に取ったのは「峠」になってしまいました。先月、久留米JCのOB・柳田さんと飲んでる時も河井継之助の話になったのもきっかけか。「今読み返すと『峠』はやっぱり面白いよね、初めて読んだ時の感動とともに、別の気付きがたくさんあったよ」と柳田さんがいいます。

同席していた高知同友会の梼原君が、「僕はホンダの藤沢武夫が書いた『経営に終わりはない』が座右の書です」なんて言うものだから、また盛り上がって。どちらも僕の大好きな本。気の会う仲間は同じものを読んでるんだなぁ、なんて大笑い。

さて、河井継之助は幕末の人物なのですが、坂本竜馬や西郷隆盛のように知られた人物ではありません。吉田松陰や高杉晋作のように「陽明学」に学んだ人物。尊皇攘夷という世の流れを「流行」と断じながらも、封建制度の崩壊を予見している。長岡藩の財政建て直しに辣腕を振るい見事に再建を果たすが、それは同時に士制の存在意義を失くすことでもあった。様々な矛盾に悩み苦しみながらも長岡藩士としての生き方を貫こうともがく。無骨で豪放磊落、奇人だがなんだか美しい。司馬遼太郎の描く継之助はなんとも魅力的な漢なのです。