若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

酒の功罪

1999年01月10日 | ものおもう十四代目
僕は造り酒屋に生まれ、それを生業としています。だから酒のもつ素晴らしさを知っています。
酒は喜びを増し、哀しみを癒し、怒りを発散させ、明日への英気を養うもの。傍らにあって人生を豊かにするもの。
しかし、酒によって苦しみ悩む人々がいることも事実ですよね。僕たち業界に携わる人間はそのことを忘れてはなりません。

以前こんなことがありました。
どんな思いで蔵の男たちは酒を仕込んでいるのか、酒造りの面白い話など、ごくまれに人前で話をすることがあります。そんな事があった後日、山口からという女性が若竹屋を尋ねて来られました。僕の話を聴いて蔵に興味を持ったので来てみたというのです。
年のころは40代半ばといったところでしょうか。とても落ち着きのある上品な方でした。打ち解けながら話しているうちに、ふいに彼女の瞳が潤んでいます。

「私の父はひどく酒に溺れた人で、小さいころから家庭が大変でした。母や私に暴力は振るうし、家庭にお金を入れない人だったので貧乏もしました…、そんな父が大嫌いでした。だから私は結婚するときも、お酒を飲まない人、というのが絶対条件でした。
ですから主人とは家庭でお酒を飲むことなどありません。お酒は大嫌いです。
しかし、この間あなたの話を聞いて、(ああ、お酒を造る人はこんな思いと情熱があるんだ)とはじめて知りました。
…そしてその日、結婚して初めて主人と二人でお酒を飲みました。おいしかったし、ホロ酔いしました。今は少しだけ父を許せるような気がします…」

涙を見せながらそう語っておられました。
僕は造り手として酒は素晴らしいものだと誇りを持っていますが、一方では不幸を生むこともあるんだと初めて実感しましたし、若竹屋の酒を飲む方に不幸になって欲しくない、私達には社会的責任があるんだ、と強く意識した事を覚えています。

新年会などで何かと飲んでしまう季節です。ぜひ適量で楽しく飲んでくださいね。お酒は会話や出会いを愉しむ人生の脇役に過ぎないのですから、ゆめゆめ主役にすることのなきよう、造り手からのささやかなお願いです。


1999.1.10