若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

行徳哲男先生の講演

2005年06月19日 | 青年会議所の十四代目
今日は青年会議所、福岡ブロック事業である「福岡から始まる誇りある日本の創造フォーラム」が開催されました。

浮羽JCより担当ブロック委員長として出向している林田幸司君をはじめとする委員会メンバーが苦しい大変な思いをしながらこの事業にまでたどり着いたことを見てきました。行徳哲男先生の基調講演とそ第2部のパネルディスカッションともに、素晴らしい内容で、これまでの林田委員長の苦労が報われたな、と思っています。後は行政に提出する意見書の内容を充実するために、様々な角度での意見集約をしていくことでしょう。

行徳先生の基調講演のダイジェストは以下。。。。。

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ご紹介に預かった行徳です。じつは私は自分の名前が好きではありません。「徳を行って」いない人間だからです。しかし広隆寺の弥勒菩薩を見たとき救われた気持ちになった。くだらない人間である自分を恥じる気持ちが救われた気がしました。なぜ、ただの木彫りの像に心安らぐのか…。

ドイツの哲学者カール・ヤスパースは弥勒菩薩を「人類が作り上げた最高の美」と称しました。「私は世界中を回ってあれほどまでの完成された笑顔の顔を見た事がない」と。そしてこうも言ったのです。「あの笑顔になる為には相当の過ちを犯さなければならない」と。そのヤスパースの言葉に私は、自分が弥勒菩薩を見てなぜ心救われるのかを理解したのです。

私は「野鴨の行徳」というあだ名があります。それはいつも野鴨の話をするからです。それはこんな話です。デンマークにあるジーランドと言う土地にある湖がありました。この湖には毎年、野生の鴨たちが翔んできます。その湖のそばに、ある善良な老人が住んでいて、毎年大変な距離を渡って来る野鴨たちに餌を与えるようになりました。野鴨たちはおいしい餌があるし、景色がいいから、この湖ですごす季節は毎日が豊かで、楽しくて、健康的で、大変恵まれていました。

野生の鴨たちは渡り鳥なのでひとつの湖に住み着くことはなく、ある季節を過ごしたあとは餌を求めて次の湖に翔び立つ習性をもっています。ところがある年から野鴨たちは、こんなに景色がいい、こんなにおいしい餌がたくさんあるのだから、何も大変な苦労をして餌を求めて次の湖に翔びたつことはないじゃないか、とその湖に住み着いてしまいます。

なるほど、毎日が楽しくて、健康的で、恵まれて豊かでしたが、ある日野鴨たちに不幸が訪れます。毎日おいしい餌をたくさん用意してくれていた老人が死んでしまい、明日から食べる餌がなくなってしまったのです。そこでしかたなく鴨たちは餌を求めて次の湖へ翔びたとうとすると、どうしたことかかつて何千キロも翔べる力をもっていたのに、まったく力がなくなっていて翔ぶこともできなければ、駆けることもできないのです。

そのとき鴨たちに更なる不幸が訪れます。近くにあった高い山から雪解け水が激流となって湖に流れ込んできたのでした。ほかの鳥は丘に駆け上がったり、翔びたったりしてその激流を避けますが、醜く太ってしまったかつての野鴨たちはなすすべもなく激流に押し流されてしまったのでした。

今の日本は湖の鴨に似ていると思いませんか!世界で最も恵まれた国。水と平和がただだと思う国民。今の日本は平和と豊かさをむさぼっています!野生の鴨の話は平和と豊かさに酔いしれた我々への警告なのです。現代日本人は何を失ったのか?それは「気」です。

「気」とは感性です。現代人は「ときめく力」、「感じる心」を失っている。それは「頭」ばかりを磨いてきたからだ。大事な力は「頭」じゃない!「感動」という言葉は論語から来ていますが、これは「感即動」です。感じることは即ち動くことですよ。感じることは即ち動かすことです。ほんとうの指導者になろうと思うのならば、皆さん、「感じる力」を磨きなさい。

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知覧から飛び立った少年特攻兵、水戸学の藤田東湖の言葉、淀川長治のエピソード、伏見工業の「泣き虫先生」山口良治、玄洋社の頭山満、日本を訪れたアインシュタインが残した言葉、元寇を迎えうった北条時宗などなど様々なエピソードから日本人の本質、人間の本来の力を語る行徳先生。その独特の語り口調と感動的な講演に場内全員が魅き込まれました。