若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

「酒のひらどご屋」(長崎市平戸小屋町)

2004年09月28日 | ものおもう十四代目
 
長崎での会議に出席する前に「酒のひらどご屋」の吉田真一郎君を訪ねて行きました。

いま、町のお酒屋さんがどんどん消えて無くなっています。これまで酒販免許制度に守られてきていた中で、量販店(DS)やコンビニ(CVS)などの新業態ができ、売上が激減したこと。そうした買い手主導の市場環境の変化について行けなかったこと。後継者の育成ができていなかったこと。複合的な要因があるけれど、今も町のお酒屋さんは毎年、廃業が増えています。

吉田酒店も先行きを悩んでいた、若竹屋とは25年来の付き合いのあるお酒屋さんでした。お母さんの真理子さんが切り盛りしていたお店に、息子の真一郎君が帰ってきました。彼が勤めを辞めて戻ってきたワケは「母に楽をさせたい」という気持ちだったに違いありません。

創業者であった夫を亡くし、けして良いとは言えない立地で、わずか10坪のお酒屋さんで、懸命に働いてきた母親。その母が守ってきた店もこのままでは立ち行かないかもしれない。真一郎君には危機感がありました。僕たちと一緒に福岡市内の素晴らしい酒販店を何軒も廻って将来の模索を続ける真一郎君の姿に、僕たちも心打たれました。

がっしりした身体に人懐っこい笑顔の真一郎君。若竹屋のスタッフも、紹介した酒販店も、彼の力になりたいと思いました。それだけの誠実さと情熱が彼にはあったのです。これまでの長崎にない日本酒専門店にしよう。彼の胸中にあった方針を巡っては真理子さんとのやりとりもあったようです。しかし、彼の父・五郎さんが創業した時と同じく、再びの創業を目指した彼の信念は揺らぎませんでした。

彼の情熱と行動力は、関東の有力な日本酒専門卸の社長をも惹き寄せました。そしてこれまで長崎に無い品揃えができたのです。既存の商品と顧客をすべて失うことになっても、これから自ら生きる道を求める。保障も自信もあったわけではないけれど「母を楽にする」そして「大好きな長崎で酒を通して感動を届ける」その想いだけを胸に真一郎君は決断をしたのではないでしょうか。

第2の創業から1年と5ヶ月。久し振りに訪ねた彼の貌(かお)には、専門店としての自信と気概がしっかりと現れていました。「自慢の息子です」と言った真理子さんの言葉に僕も目頭が熱くなりました。「真一郎君、君はまだまだ親孝行は出来とらんよ!次は早よう結婚ばせんとね(笑)」そう言った僕の目を困ったようにみつめて笑う真一郎君なのでした。

酒のひらどご屋

一年ののち  フランソワーズ・サガン

2004年09月25日 | 読んでる十四代目
 
今日のニュースでサガンが死去したことを知りました。享年69歳。ニュースで観た映像では、とても可愛らしい感じの人ですね。大好きな映画「ジョゼと虎と魚たち」で主人公ジョゼ(池脇千鶴)が大好きだった本がサガンの『一年ののち』です。サガンの3作目にあたる作品で、またジョゼを主人公とする三部作をサガンは著しています。

映画「ジョゼ虎」のシーン。
足の不自由な主人公ジョゼが愛読している『一年ののち』には続編がある。オバアがゴミ捨て場から拾ってくる本しか読んだことの無いジョゼは、続編がゴミ捨て場に捨てられるのを心待ちにしている。それを知った恒夫(妻夫木聡)が古本屋で続編である『すばらしい雲』を見つけてきてジョゼに渡す。切望していた本を一心不乱に読むジョゼがフト微笑みをこぼした。それを見た恒夫が「笑ったよ…」と嬉しげにつぶやく。

美味い朝飯を食いにかジョゼに対する好奇心か、しょっちゅう家に出入りしていた恒夫がジョゼに渡したプレゼント。恒夫はこの本、読んだのかな。ジョゼはこの本にも続編があるってわかったろうか。恒夫と別れてからもジョゼはこの本を読み続けたのかな。ひとりで外に出ること出来る様になったジョゼが、『失われた横顔』も読めていたらいいな。そんなことを想った。

F・サガンさん死去 仏ベストセラー作家 (共同通信) - goo ニュース

轟木酒店 福岡市博多区三筑

2004年09月23日 | ものおもう十四代目
 
とどろき酒店」の社長が還暦を迎えた。ということで若竹屋スタッフとお祝いをすることに。

いま福岡で一番落ち着けるお店「うわのそら」に奥様とご一緒に来ていただいた。轟木さんは僕たち若竹屋が最も信頼する酒販店だ。60歳には見えない若々しい社長は、いつも僕らを励まし、また真剣に怒ってもくれる。

今から12年前に帰郷したとき、今後の若竹屋の方針について悩んでいた僕を導いてくれたのは轟木さん。轟木さんに出逢って、酒の売り方が「生き方」であることを教えて頂いた。轟木酒店の創業から、福岡で最もお客様から支持される専門酒販店になるまでの歴史は、深い想いに満ち溢れた感動の物語だ。

「僕こそ若竹屋と出逢って本当によかった。ありがとう」そう轟木さんが言ったとき、お客さま部の山川さんは泣いていた。「お客さま・取引先様・地域の皆さんと愛と尊敬を分かち合える蔵になること」が僕の目指す若竹屋なんだけど、轟木さんとは本当にそんな関係になっていると思う。

轟木社長!これからもお元気でいて下さい。

同友会青年支部例会

2004年09月22日 | 同友会の十四代目
 
同友会の青年支部に呼んでいただきました。支部例会の報告者として講演をして欲しいとの事です。例のごとく、同友会のお話は断らない、という決まりごとなのでお引き受けしました。

現在僕は久留米支部に在籍していますが、98年の入会から01年まで青年支部に所属していました。だから思い入れもたっぷりです。懐かしい顔ぶれに挨拶を交わすなか、「林田君も偉くなったなぁ(笑)」、なんてからかわれて赤面です。

内容は「後継者から経営者となるには自ら経営計画を立てることだ」ということでお話させて頂きました。後継者の悩みで共通していることが幾つかありますが、その多くは「自ら経営に参画する」ことで解決に近づくと思います。たった一人ででも「経営計画」を立案すればいいのです。

人生経験の浅く、また創業者でない僕らには、「経営理念」、と呼べる想いを醸成できていない事の方が多いのではないでしょうか。しかし「経営計画(ここでは収益計画を中心に)」を立案すれば、固定費という数字の後ろに「我社の社員の顔」が浮かびます。変動費の後ろに「長年の仕入先様の顔」が浮かびます。売上高の後ろに「お客さまの顔」が浮かんでくるのです。その人々の顔を思い浮かべ(ああ自分は経営者として未熟だ)、と反省し(よし、これから皆なと共に幸せになろう!)と決意したときに初めて「理念」の一端に辿り着くように思います。

「経営理念」、「経営方針」、「経営計画」、この3つをもって「経営指針」と呼んでいますが、我々青年経営者はまず「経営計画」の立案からするべきだ、と思うのです。

お酒の学校(2期・第5講)

2004年09月18日 | お酒の学校の十四代目
 
福岡県酒造組合が主催する「お酒の学校(2期)」の第5講が行われました。

6回講座の最終講義の前、第5講は「蔵見学」をします。2期生は八女にある「喜多屋」さんを訪ねました(1期生は若竹屋でした)。今の時期は当然、酒造りは行われていませんが、この日のためにわざわざ麹とモロミを立てて頂きました。喜多屋さんには大変だったと思います。木下社長、ありがとうございました。

画像はモロミを見学する生徒の皆さん。盛んに醗酵するタンクを見てびっくりしていましたね。また冬になったら是非、蔵元を訪ねてみてください。もっともっとお酒が好きになりますよ♪

創風工房・桝屋

2004年09月12日 | 近ごろの十四代目
 
「創風工房・桝屋」というショップを一昨年に立ち上げました。ここでは「みのう山麓」で醸される酒(若竹屋の日本酒・巨峰ワイン・胡麻祥酎紅乙女)と地場産品を販売しています。「みのう山麓」の素晴らしさや楽しさを多くの人に知ってもらいたい、とその地域の逸品と共に「つくり手」の顔や地域情報をご紹介しています。その「創風工房・桝屋」創業時からのスタッフである野村さん(通称のっち)が出産のため退職することになりました。

創業とは「こうなりたい」「こうしたい」という強い想いから始まります。しかし、想いだけで上手くいくものもありません。天の利・地の利・人の利、の3つが揃ってこそ出来るものではないかと思います。そして言うまでもなく最も大切なのは「人財」です。

私には資産は何もありませんでしたが、これまでお世話になった多くの方々のご支援や、若竹屋が頂いてきた眼に見えない無形の資産がありました。1500万円の無担保融資を受け、創業することが出来たのは本当に幸運だったと思います。

「一緒にやりがいのある仕事をしましょう!」と他社に勤めていた吉田店長をお誘いしたとき、これまでよりも収入が少ないスタートになる事も含め、随分と悩んだと思います。「あなたの個性が企画になって創風工房の顔になるんだ」と口説いた小夜さんも随分と不安だったと思います。そして森下さんと野村さんが加わり、この「創風工房・桝屋」は始まりました。

創業時からのこれまで試行錯誤の連続で苦労しながらも何とかやってこれているのは、こうしたスタッフの皆さんのお陰です。そんななか野村さんが退職するのは本当に残念なことですが、出産というおめでたい事でもあります、明るく送り出しをしたいと思います。

若竹屋で取り組んでいる事の一つに「子育て応援宣言」というものがあります。福岡県庁が推進しているものですが、出産や育児を応援する職場環境を創る、というものです。若竹屋では出産後にに職場復帰をしたいと願うスタッフに、若竹屋の現状などを伝えブランクをなくそうとする取り組みなどを行おうとしています。野村さんにも、無事の出産を記念すると共に、時期がきたらまた「創風工房・桝屋」に戻ってきて是非、一緒に仕事をしたいと願っています。

野村さんの後任には加藤さんという素敵な女性が加わりました。夏にアルバイトを工房でして、ココで働きたいと思っていたところに募集があっていたので面接に来ました、と言ってくれました。英語が得意な加藤さん、期待の新人です。これから一緒に楽しく仕事をしましょうね♪

青年経営者全国交流会~珍道中 in 高知(其の六)~

2004年09月11日 | 同友会の十四代目
 
「青全交」2日目のキーノートスピーチは、トヨタの販社「ネッツ南国」の横田社長による『人間尊重の組織づくり』。日本経営品質賞の受賞企業でもあるこの会社、商品は他のネッツと変わらないが、顧客満足度も社員満足度も、もちろん業績もダントツに違う。その秘密を聴いてきました。僕は横田社長の講演は3度目なのだが、やはり素晴らしい!業種は違えど、目指すところは若竹屋とまったく同じ。大きな勇気を頂きました。

さて、いよいよ帰り道。時間には縛られないし、今度こそ本当に、ゆっくり・のんびり・旅気分。往路と違って高知側の一般道を使おうと意見が一致。経営談義にとどまらず、互いの人生を語らいながら、男三人のドライブと洒落こみます。

「このままで終わらんやったりして。何かオチを付けんと面白くなかろう(笑)」と柳田さんに車内爆笑。梼原町という町を通り抜けながら、室長としてだけでなく、高知の夜までお世話になった梼原さんに御礼の電話をする。

「想い出に残る旅やったね。楽しかったけん、今度もまた男3人でどっかに行こうや」、と栗木さんが言う。いやあ、やっぱり男だけは汗臭くてたまりませんよ、と言えば、「いや、男同士がいい!そして宿も決めずに出逢った人の庭先に泊めてもらうんだよ。御礼に林田君の酒とウチのラーメンと、柳田さんの…そうだなぁ、メモ帳でも渡せばいいんだ!」。一同大爆笑。

そんなバカ話に花を咲かせていたら、「あれ、この調子で行くと丁度いい時間のフェリーに乗れそうだな」、とハンドルを握る柳田さんが言う。出発時間に八幡浜に着きそうなペースだ。もうちょっと急いで10分前に着けばベスト。どうします?

「せっかくだから、乗りますか。ぎりぎりで乗り遅れたら、それがオチ、ということでいいんじゃない(笑)」、と柳田さん。では、と思ったところで登坂車線になった。柳田さんがアクセルを踏み込む。よし、数台の前走車をパスした。…と思った瞬間、目の前に警官が旗を振って現れた!

???事態が飲み込めない僕の横で柳田さんのため息が…「あっちゃぁ!やってしも~たぁ」。29キロオーバーで切符を切られる柳田さん。。。ごめん、いけないってわかってるんだけど、堪えられません。。。わっはっはっは~(爆)。当然、フェリーにも間に合わず、本当に自分で言ったオチを付けてくれました(笑)。

画像は、30キロ一発免停じゃなかったとわかりニコニコしている柳田さん。僕は腹をよじって笑いながら、栗木さんは「あんな所で取り締まりするやら許せん(怒)」と義憤にかられていた(笑)。柳田さんの罰金はみんなでワリカンしようね。本当に楽しかった。また3人でどっか行きましょ♪
これにて珍道中記はおしまい~。

青年経営者全国交流会~珍道中 in 高知(其の五)~

2004年09月11日 | 同友会の十四代目
 
分科会も終わり、ホテルへのチェックインを済ませた後、懇親会場へと向かう。会場入り口では高知同友会のメンバーが拍手万来でゲストを迎え入れていた。すごく気合が入っている。これが高知の気風なんだろうか。

今回の「青全交」のテーマに『自由は土佐の山間より』とある。司馬遼太郎を始め幕末から明治の物語を読むのが好きな僕は、高知という場所に特別な思い入れがある。学生の頃、夏休みで全国にバイクで帰省する友人たちに「8/31に桂浜へ集合しよう。竜馬と一緒に酒を飲み交わそう」と呼びかけたことがある。まだ携帯も無い頃、何人かやって来るかなと竜馬像の前で海を眺めて待っていた。

一台、また一台とバイクが集まってきて、電車組までいたりして最終的に20人くらい集まった。桂浜の浜辺で持ち寄った酒を呑み、騒いだ。あの日は間違いなく僕の青春だった。高知が輩出した自由民権期の輝かしい理論家の一人で、板垣退助のブレーンとして活躍した植木枝盛が言っている。『未来が其の胸中に在る者、之を青年という』。懇親会で全国の同友会メンバーと交流を深めながら、僕は今も間違いなく青年だし、これからも青年で在り続けよう、そう胸に誓った高知の夜でした。

画像は、これまた万年青年の柳田さんと、万年少女・アヴァンティ編集長の村山さんが、カクテルを一緒に飲んでいるところ(笑)。村山さんは前日も「お酒の学校」で僕と一緒に飲んでました。「林田さん、明日大丈夫と?」って言われてました。スミマセン、遅刻しちゃって…。

青年経営者全国交流会~珍道中 in 高知(其の四)~

2004年09月11日 | 同友会の十四代目
 
「みなさん、遅れてきまして本当に申し訳ありませんでした。何を言っても言い訳になるので弁解はできません。本当に済みませんでした」 栗木さんが口火を切って挨拶をし、ようやく30分遅れで第3分科会は始まった。

『労使見解の精神で作る十四代目の経営指針』、という表題で60分の報告をする。30分の質疑応答と110分のバズセッション(グループ討論)、座長によるまとめ、と非常に密度の濃い時間が流れた。

栗木さんがマイクを取って謝辞を述べた。「本当に今日は申し訳ありませんでした。長時間に渡ったこの分科会もあっという間に終わったように感じています。高速道路のカーブを180キロで林田君と走り抜けた、そのスピード感のまま時間がたったようです」。会場から笑いが起きた。

全国からこの第3分科会に集まって下さった皆さん、本当に失礼をしました。私の話がどれだけお役に立ったかは分りませんが、暖かくご清聴いただいたお陰で精一杯の話は出来ました。これからも精進して我が社の経営に邁進します。本当に、本当に、ありがとうございました。

画像は左から、梼原さん、栗木さん、私、柳田さん。

青年経営者全国交流会~珍道中 in 高知(其の三)~

2004年09月11日 | 同友会の十四代目
 
八幡浜に向かうフェリーの中でトラック運転手さんから道路情報を収集。高知側へ一般道を行けば200キロ、愛媛・松山を経由する高速道路なら250キロ、どちらも3時間はかかるとのこと。高速のほうが時間が読みやすい。ぶっとばせば2時間で行けるんじゃないか。

八幡浜下船で11:30、分科会の開始時間は13:00、まともには間に合わない…。高知同友会で僕らの分科会を担当する室長(梼原さん)にやっと電話が繋がった。「あの、実はまだフェリーでして、それで間に合いそうにないんです…」栗木さんと梼原さんとの会話に耳を傾ける。

フェリーが接岸してから飛び出した。大洲ICまでの一般道がもどかしい。さあ、高速に乗れたぞ、ここから飛ばすぜ!…ととっ、高速なんだけど対面通行2車線だ、前の車がのんびりと走っているからスピードが出せない…。ときおりある追い越し車線で前走車を抜き去り、カーブも180kmで抜け、アクセルを踏み続ける。

「あ、梼原さん、いま第2○×トンネルを抜けました」栗木さんが逐一、どこを走っているかを梼原さんに電話している。でも愛媛の高速のトンネル名なんてわからないんじゃないの?「いや、これが誠意なんだよ。頑張って向かってますってアピールしなきゃ」その返事に車内で笑いが起こる。うわ~、ハンドル切りそこねそう(笑)。

「でもさ、この梼原さんて凄いよ。遅れてますって言ったら普通、『何時に着くんですか?! 急いでください!』って言いそうでしょ。でも『あ、気をつけて来てくださいね』ってゆるい感じで言うんだよね」いや、ホントは気が気じゃないでしょう。とにかく急ぎましょう。

ようやく辿り着いた高知。到着時間は13:30、あわてて会場のホテルに駆け込んだ。「あ~、お疲れ様でした。大丈夫でしたかぁ。こっちは心配しなくていいですからね、いま皆さん自己紹介してもらってますからぁ」迎えてくれた梼原さんは、にっこりと満面の笑みを湛えていたのでした。うわ、本当に大物だ、このひと。

青年経営者全国交流会~珍道中 in 高知(其の二)~

2004年09月11日 | 同友会の十四代目
 
高知の分科会はスタートが13:00、八幡浜に11:00に着いて急げば開始時間には間に合うかも。打合せは出来ないけどそれで行くしかないよ。よし、臼杵に戻ろう!

そう決定して再び臼杵へUターン。すでに別府ICは通り過ぎているので次のICまで行かなくては戻れない。またまたアクセル全開。「臼杵は間に合うよね~。もしかして乗り遅れたりして」。柳田さん、そういう冗談やめましょうよ。また的中したらどうするんですか…。

臼杵FTに到着。時間は…まだ余裕がある。上船手続きのため宇和島フェリーの窓口へ向かう。「あれ?あっちにもカウンターがあるよ?」なになに、オレンジフェリー?え、どゆこと?臼杵発「7:30」、八幡浜着「9:40」…。6:30には臼杵に着いていた僕らは一体…。

臼杵・八幡浜航路には2社のフェリーがあるのでした。それに気づかず右往左往していた野郎3人組。「日頃社員に、段取り8割!仕上げが2割!、なんて言ってるのに、俺たち何にもしてないもんね~。これは社員には話せんよな~」乾いた笑いがターミナルに響いたのでした。

画像は海の上、フェリー内でくつろぐ栗木さんと柳田さん。「船の中で走っても早く着くわけじゃなし、落ち着けば?」柳田さん(右)は大物です。。。

青年経営者全国交流会~珍道中 in 高知(其の一)~

2004年09月11日 | 同友会の十四代目
 
中小企業家同友会が主催する「第32回青年経営者全国交流会 in 高知」に出席してきました。同友会は中小企業経営者が自社の経営を高めようと学んでいる団体で、福岡県内には16支部あります。50年前に組織された活動で全国各県で素晴らしい経営者が「一流の中小企業」になろうと活発な活動をしています。

私は久留米支部に在籍していますが、福岡県の「経営指針推進プロジェクト」のリーダーという役割をしている事もあるのでしょう、今回の全国大会に事例報告者としてお話をするように依頼を受けました。全国から同友会員が集まる中での講演などおこがましいのですが、これも勉強とお引き受けしました。

私が報告をする第3分科会の座長(進行とまとめ役)を務めるのは栗木商店社長の栗木さん。私のよき兄貴分として相談に乗ってもらっているので今回の座長をお願いしました。青年会議所活動も一緒にし、仕事でも「風の散歩道」というフリーペーパーの発刊に携わっていたことから大の仲良しである柳田印刷社長の柳田さんを含めた3人で高知へ向かうことにしました。

3人だし、旅気分で車で行こうか?ということで大分・臼杵より愛媛・八幡浜へフェリーで渡り高知へ向かう計画に。午前5時に吉井町の栗木商店に集合。私の愛車(スバル・フォレスター)を使うので、まずは臼杵まで林田が運転しましょう。実は前日「お酒の学校」の第4講の後の補講(居酒屋での酒談義)で深夜まで呑んでました…。でもまあ八幡浜からは運転を代わってもらえばいいか。

な~んて、のんびりやってきました臼杵フェリーターミナル。まだ6時30分。高知での打合せは11時半だから楽勝だよね。運転中も経営談義で盛り上がり、眠気もなんのその。さあ、上船手続きをしましょう、と宇和島フェリーのカウンターへ行きました。あれ?次のフェリーの時間が「8:50」となっている。八幡浜着「11:00」!ヤバイ、間に合わないよ!

栗木さんが会社に電話。「別府から四国に渡るフェリーがない?調べて!」。あと35分後に別府から三崎行きの便があるらしい。よし、それに乗ろう!臼杵から高速を引き戻って別府に向かう一行。柳田さんがにこやかに「まあ、こんな事があるから楽しいんだよね(笑)」。でも別府まで60キロ、間に合わないかもな~。

別府IC出口手前で時間を確認する。ダメだ、やっぱり間に合わなかった…。「もうしょうがないよ、福岡空港から高知行きの飛行機に乗ろう。10:30だから充分間に合うしさ」栗木さんの提案に一同うなずく。別府ICはスルーして、次のPAで給油しよう。腹も減ったし、トイレも行きたい。今は8:00だから空港には9:30には着くだろう。「一応、空席の確認しようか」と栗木さん。「空いてなかったりして(笑)」と柳田さん。

トイレから戻ってきたら栗木さんが青い顔をしている。「林田君、空席ひとつしかないんだって…。どうする?君一人でも行ったほうがいいんじゃない?僕は空席待ちをするとかさ」。隣で笑う柳田さん。「いや~、ほんとに悪い予測が当たってばかりだよね~(笑)」。あの、柳田さん、今向かっている会は僕が報告者で栗木さんが座長なんですよ。それで全国から来ている会員さんを待たせることになるのはマズイんですよね…。「えっ?そうなの?それ大変じゃない!」。そうなんです。。。

骨髄バンク支援について

2004年09月05日 | 骨髄バンク支援
6月に(社)浮羽青年会議所の事業として「骨髄バンク支援事業」を行いました。その事業がきっかけで僕自身ドナー登録をしたり、若竹屋の就業規則に「骨髄ドナー特別休暇制度」を導入したりしました。その制度導入時のやりとりが「九州骨髄バンク推進連絡会議」の「バンク便り」という冊子に掲載されました(8月1日発行124号、5頁・6頁)。

ということで多少のお問い合わせも頂きましたので、これまでの経緯などをカテゴリー(骨髄バンク支援)にまとめてみました。これからも、若竹屋としても個人としても支援活動を続けてゆきたいと思います。

骨髄バンクに関する主なサイト↓
九州骨髄バンク推進連絡会議
日本骨髄バンク(骨髄移植推進財団)
ドナーズネット

今日は「長崎若の寿会」

2004年09月05日 | 近ごろの十四代目
 
若竹屋と長崎は50年近いお付き合いをしています。長崎には若竹屋のレギュラー銘柄を冠した「長崎若の寿会」という酒販店さんの組織があり、今日はその皆さん80名が田主丸へ巨峰狩りに遊びに来られました。

画像は葡萄狩りの後に巨峰ワインの敷地でBBQしている様子です。皆さんが楽しんでお帰りなって下さって良かったです。若竹屋のスタッフも、そうめん流しやカキ氷、巨峰搾り体験など、皆さんのために工夫を凝らして頑張ってくれました。ありがとう!


おいしい晩酌 vol.4 インデクス・マガジンズ社刊

2004年09月03日 | 載ってる十四代目
 
“酒を楽しむ、つまみMAGAZINE”「おいしい晩酌」(インデックスMOOK)という雑誌に若竹屋が大きく!載ってます。全国書店・コンビニで売ってますよ(田主丸のセブンイレブンにもあった)。

取材されたきっかけが偶然みたいなもので、若竹屋の副社長が渋谷の東急百貨店で試飲販売をしているときに雑誌社の人が試飲に来ていて、たまたま同姓だったことで話が盛り上がり「何かあったらご連絡しますね」ということになった事からなのです。

掲載されているのは「日本全国津々裏々・美酒処時報」という特集ページで第1回が「福岡・鹿児島編」。まるまる1ページの扱いで、僕の顔写真もけっこう大きく載ってたりして(しかも笑顔!)。嬉しい限りです。

福岡の名店というページでは「うわのそら」が紹介されてます。ここ、まぢでお奨めデス。