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すぎなみ民営化反対通信

東京・杉並発。「一人が万人のために、万人がひとりのために」をモットーに本当のことを伝え、共に歩んでいきたいと思います

福島の子どもたちの避難を 【資料】低レベル内部被曝のもたらす危険に関する重要証言

2012年10月08日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

  以下は、全文、2012年2月13日のlivedoorブログ YUМI「思いがめぐる」に掲載されたスターングラス博士インタビューからの再転載・貼り付けです。福島原発事故が放出した放射能とそのもたらす健康被害についての直接の言及はありませんが、放射線医学名誉教授・スターングラス博士がインタビューで語っている内容は、低線量内部被曝のもたらす危険についての一つの貴重かつ重大な証言となっています。参考資料として紹介させていただきます。

以下、すべて転載 

◆スターングラス博士インタビュー

 ブログ:思いがめぐる    

yumi
2012年02月13日

http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/67311416.html

【アーネスト・J・スターングラス博士(Dr. Ernest J. Sternglass)】

 プロフィール

1923年、ベルリン産まれ。 14才の時に家族とアメリカへ移住。若き頃に、既に世界的権威だったアインシュタインと議論を交わし、科学の志を新たにする。1960年から1967年は、ウェスティングハウス社の研究室でアポロ月面科学ステーションプログラムの局長を務める傍ら、アメリカの大気圏核実験に反対するようになる。彼が国会で発表した研究の成果は、ケネディ大統領が’63年にまとめた部分的核実験条約(PTBT)の締結に大きく貢献した。(ケネディはその僅か三ヶ月後に暗殺されてしまう)70年代に入って、今度はそれまで安全だと信じていた原子力発電所の危険も公に問うようになる。’81年に出版した「Secret Fallout: Low-level Radiation from Hiroshima to Three Mile Island」 (邦題:赤ん坊を襲う放射能)は、低レベル放射線研究の代表的な本となった。1983年よりピッツバーグ医大、放射線医学名誉教授を務める。過去にスタンフォード大学、インディアナ大学、フランスのアンリ・ポアンカレ大学、ジョージ・ワシントン大学、コーネル大学で放射線医学と物理学の教壇に立つ。1995年より、Radiation and Public Health Project (放射能と公共健康プロジェクト)局長。

【インタビュー】

ここで、スターングラス博士にお話をお聞きしたいと思います。

彼は、原子力の本場アメリカで、60年代から、核実験や原子力発電による低レベル放射能の影響を訴えて続けて来た、数少ない科学者の一人です。2006年の二月には念願だった来日を果たし、青森県の六ヶ所村も訪ねています。
こんにちは、今日はよろしくお願いします。
S博士「まずはじめに、日本には55基もの原子炉が運転しているのを知ってるよね。」
、、、はい。
S博士「それに、ほとんどが海岸沿いの国土の2割程度の面積に人口が集中していて、原発も割と近くに配置されている。だから、日本政府が2003年度に発行した、過去100年の日本人の死因の推移を見たとき、あまり驚かなかった。」
と言いますと。
S博士「日本では、戦後の50年で、がんの死亡がずっと増え続けている。1900年台の前半は、がんはそこまで存在しなかった。日本に原爆が落とされて、アメリカ製の原子力発電所が導入されてから、一気に増え始めたのだ。今でも日本にある原発の八割がアメリカ製だ。」
はい。
S博士「そして、本場のアメリカで分かって来たことが、原子力発電所というのは、公に発表されているよりも、ずっと大量の放射性物質を放出しているということだ。大半は、細かい分子になった、核の分裂によって産まれる物質で、大気や海に放出されている。核分裂生成物というやつだ。」
はい。これが、自然放射線と混同されると、訳分からなくなりますね。
S博士「その通りだ、そもそも自然放射線というのは、海抜0メートル付近では、0.8 から1mSV(ミリシーベルト)が普通であって、それ以上はラドンなどごく特定の地域しか関係のないものや、0.15mSVほどのカリウムなどを大げさに数えている場合が多い。しかも、ほとんどの自然放射線が外部被ばくを起こすガンマ線で、体の中の特定な器官に蓄積して内部被ばくを起こすものじゃない。ストロンチウム90やヨウ素131などの放射性物質は、体の中に入り込むのと、それと同じ量を地面にばらまいたのでは、威力が全然違うのだ。」
分かります。
S博士「ヨウ素131は、ほとんどが一週間の半減期だが、これは首にある甲状腺に集中する。甲状腺というのは、体全体の新陳代謝をコントロールしていて、多くの器官が甲状腺のホルモンによって動いている。だから甲状腺が壊れると、大人だと、甲状腺に異常が生じたり、がんになることがある。また、ストロンチウム90は骨に集中する。これはカルシウムと似ているためで、カルシウムは、骨をつくったり、神経の伝達にも欠かせない。要するに、脳みその働き、考える力に貢献している。よって、ストロンチウム90が引き起こす問題というのは、あまり知られていないのが、カルシウムと同じように骨だけじゃなく、脳にも入り込んで、神経にダメージを与えるため、特に脳の発達に支障をきたすようになる。」
赤ちゃんですね。
S博士「赤ちゃんもそうだし、お母さんのお腹の中いる胎児のときからだ。それに、脳みそは10代まで発達し続ける。だからそこに問題が生じると、普通の読み書き、理解する力、計算する力、全体的に影響を受けてしまう訳だ。健康な脳みそをつくる過程でだよ。」
母親は知っておくべき情報ですね。
S博士「これは、本当に伝えなければいけないことだ。繰り返すが、ストロンチウム90やヨウ素131は自然には存在しないもので、ウランやプルトニウムが核分裂を起こしたときのみ、産まれるのだ。原子炉の中で起きていることは、原爆の核分裂が起こす環境破壊と同じなのだ。つまり、核実験などが広めた汚染を、原子力発電所がそのまま引き継いだに過ぎないのだ。」
なるほど。
S博士「これは数年前にJournal of American Medical Associationで発表されたばかりなんだが、妊婦が歯科医でX線を数回受けただけでも、散ったX線が、ヨウ素131のように甲状腺に影響を与えて、それが早産につながる確率が数割高くなることが分かった。こうした未熟児は、現在の医学ではほとんどを救うことができるのだが、X線のせいですでに脳の発達に影響が出てしまっている。それが思考力や、集中力の欠如に表れる。脳の発達に支障をもった未熟児は、自閉症になる可能性も出てくるのだ。」
このように器官に集中する放射性物質は、どのようにダメージを与えているんですか?
S博士「ヨウ素131の場合、ガンマ線というのは、X線と一緒で、とても強いエネルギーを持った光を出す。そして、ベータ線は電子なんだが、数ミリしか飛ばなくても、臓器に埋め込まれると周りの細胞を破壊する訳だ。変異を起こしたり、遺伝子を傷つけてしまう。そして、フリーラジカルが産まれる。フリーラジカルとは、マイナスの力を帯びた酸素分子で、寿命も一瞬なんだが、これがプラスを帯びた細胞の粘膜に引き寄せられて、穴を空けてしまうので、大変なことだ。これらのことは、60年代の後半から70年代にかけて分かったことで、原子力発電を始めたずっと後の話だよ。」
はい。
S博士「初めての原発が1942年のシカゴだったから、そのおよそ30年後に分かったことだよ。もう一つ興味深い発見だったのは、X線などの強くて短い刺激がつくる多くのフリーラジカルは、実はお互いとぶつかり合って、そこまでダメージを引き起こせないんだ。これを、私は『混んだナイトクラブ効果』と呼んでいる。分かるだろう、狭い空間に人が入りすぎて、身動きが取れないのだ。これで分かったことが、X線などが与える、自然放射線の一年分に値する1mSVほどの一度の衝撃は、思ったほど効果がなく同じ量を一週間、一ヶ月の間に分けて微量を受けた方が、細胞あたりのフリーラジカルが少ないために、ずっと大きなダメージを与えるのだ。」
そうなんですか。
S博士「このことは、衝撃だった。つまり、X線や原子爆弾のように、集中された強い放射線よりも、永続的な低レベルの放射線の方が、ダメージは100倍から1000倍も大きいことが分かったのだよ。」
なるほど。
S博士「我々はヒロシマやナガサキで集めたデータを信じきってしまったのだ。原爆は、主にガンマ線と中性子線を一瞬で放出したから、本当に強くて大量のエネルギーを放出した。ましてや、その頃はフォールアウト(『死の灰』と訳される)のことも良く分かっていなかった。要するに、長期的な低レベル放射能の影響を、今日でも、完全に間違って計算しているのだ。2003年にイギリスのクリス・バズビー (Chris Busby) 氏らが、ヨーロッパのECRR機構(European Commission on Radiation Risk) に頼まれて、原子力発電所のリスクについて過去50年の様々な論文やケースを完全に洗い直したところ、同じ結論にたどり着いたのだ。我々は、低レベルの内部被ばくによる影響を、少なくとも100倍から1000倍、過小評価して見積もっているのだ。」
はい。
S博士「もう一つ言いたいのが、ストロンチウム90は骨に入って、強い電子を放出する。骨髄では赤血球と白血球もつくられているから、ここで異常が起きると、白血病を起こす。また、白血球というのは、体のありとあらゆる病源と戦っているから、白血球がちゃんとつくられないと、これは大都市で警察のストを起こすと犯罪率が一気に高くなるようなものだ。分かるね。ストロンチウム90が白血球を壊せば、体中にがんが起きても止めることができない。ストロンチウム89の半減期は50日で、ストロンチウム90の半減期は28年だから、体に蓄積されていくものだ。」
そうですか。
S博士「さきほどの低レベルの放射能の話に戻るが、人々が間違いを犯した原因のひとつに、放射線によるがんの治療による。これは動物実験で、一週間おきに集中した放射線をあてれば、健全な細胞は元に戻るということから、放射量を細かく分ければ、体には影響が少ないと信じられていたのだ。ところが、内部被ばくの場合は、少ない量でも常に体の中にある訳だから、慢性被ばくと言っても良い。これが何十年間と蓄積されると、ストロンチウム90のように白血球が壊されていけば、肺炎やさまざまな感染が起き易く、免疫力が激しく低下することに繋がるのだよ。」
では、質問を変えます。 原子力発電所は、すべての排出物をモニタして、環境もモニタして、すべては安全だと言います。何がいけないのでしょうか?
S博士「何回も言うが、0.1~0.2mSVほどのX線の影響と、核分裂生成物を比べて、影響を少なく見積もりすぎているから、誤った安全の基準を適用しているところが間違っている。2005年に発行されたUS Academyの論文には、『どんな微量の放射能でも、必ず何らかのダメージを与えている。無害ということなどない』と書かれているくらいだ。一時期、『微量なら健康に良い』と信じられていたのもまったくの間違いで、『一定値以下なら安全』と信じられていたことも、間違いだった。これはようやく最近、世界中で発表されている論文で認められてきたことだ。更に、1000倍もダメージを少なく見積もってものだから、0.1mSVだったものが、実質的には100mSVと同じダメージを加えているのだ。」
これらの核分裂生成物は、化学的にフィルタすることってできるんですか?
S博士「完全には無理だ。中空糸フィルタやイオン交換樹脂など、どんなにテクノロジーが進化しようと、完璧なフィルタなど存在しない。例えば、アルゴン、クリプトン、キセノン、ラドンなどの希ガスは、化学的にフィルタすることはできない。トリチウムなども水分と同じような性質なので、なかなかフィルタできない。モニタリングは、結局、役割を果たしていないのだ。自然界はストロンチウム90やヨウ素131をつくらないから、自然放射能と比べるのはおかしい。更に、X線などは刺激が短か過ぎる。だから、安全だと思っていた放出量が、実はそうではなかったということだ。」
それでも、核実験からの残量放射能が減って来ていて、今では食物に含まれている値も示していますが。
S博士「良いかい。基本的に原子力発電所が自ら検出して発表しているデータはそこまで信用しない方が良い。電力の生産があがるほど、放射性物質の排出はぜったいに免れられないのだ。それに、原子力発電所がどのくらい排出しているかを心配したり論議するよりも、人間にどのくらい入って来ているのかを検出する方がずっと早いのだ。私たちの90年代の研究で分かったことは、アメリカで原子力発電所の近くに住んでいる子供たちの乳歯から検出されたストロンチウム90は、かつての核実験の時代と同じくらい高くなってきているということだ。これは原子力発電所が放射性物質を出し続けている確固たる証拠だ。このプロジェクトもアメリカの政府がデータを公表しなくなったために、独自で始めたのだ。ストロンチウム90の値は、すでに胎内で蓄積されていることが分かることと、ストロンチウム以外の放射性物質も入って来ていることを裏付けるから大事な訳だ。これらはすべて、いわゆる通常の運転で起きていることだよ。」
それは日本にも言えることですか。
S博士「繰り返すが、日本の八割はアメリカ製の原子力発電所であるからして、まず間違いないだろう。原子力発電所の放射性ガスや放射性物質の粒子は、日本の美しい山脈に降り注ぎ、それがきれいな湧き水に混入して、田んぼや畑、飲み水に入って行ってしまうのだよ。風がどっちに吹いていようが関係なく、これがいちばん起こりうる被ばくの方法で、私はこれが日本でがんが急増している要因のひとつだと考えている。ちなみに、ロレン・モレーが日本で集めた乳歯のサンプルからもストロンチウム90が充分なレベル検出されている。これはどこで産まれたか、どこで育ったかによって大きく異なるし、もっと大規模な研究が必要だが、アメリカと同じような状況であると予想される。小児がんを主に、健康な発育が妨げられる確率が数割は高くなるということだ。もちろん、放射性物質による害は成人にもあてはまることだ。」
そうなんですか。
S博士「ついでに、もう一つ重大な話をしよう。ストロンチウム90から出来るのが、イットリウム90だ。これは骨じゃなくて、すい臓に集中する。すい臓というのは、糖尿をおさえるホルモン、インスリンを分泌しているから、ここに異常が出ると糖尿病になる。世界中で、糖尿病が急増しているのは知ってるね。日本は、すでに人口の割合から言えば、アメリカの二倍もいる。そのアメリカだって、イギリスより率が高いのだ。日本では、戦後から現在にかけて、すい臓がんが12倍にもふくれあがっている。50年代の終わりにドイツの動物実験で発見されたのが、ストロンチウム90が電子を放出してイットリウム90になると、骨から肺、心臓、生殖器などに移動するのだが、すい臓に最も高い集中見られたのだ。インスリンがうまく生産されないようになって、血糖値が上がってしまうのだ。今までは放射能が糖尿病と繋がっているなんてまったく認知されていないのだ。これで分かっただろう、国際放射線防護委員会(ICRP)は、当初、放射能の影響として、特定のがんと奇形児くらいしか認めなかったのだ。未熟児、乳児の死亡や、肺、心臓、すい臓、これらの部位への影響はすべて無視されてきたのだ。」
はい。
S博士「民間エネルギーの最初の原子力発電所は、ピッツバーグに57年に、私が15年間勤めたWestinghouse社によって建てられた。私たちは、汚い石炭の発電所よりも、安くて、きれいなエネルギーだと思っていた。微量の放射性物質が逃げても、大したことないと思っていたのだが、それは大間違いだった。これと同じ原子炉が、今でも日本でたくさん稼働している。70年代にカナダのエイブラム・ペトカウ (Abram Petkau) 博士が発見した、低レベル放射能によるフリーラジカルの影響を、未だに反映できていないのだ。フリーラジカルの性質を分かっていなかったのと、放射線量と人体への影響が比例的な関係だと勘違いしていたのだ。低レベルで起きる様々なことは、ヒロシマとナガサキの生存者を調べただけでは、まったく予期できなかったのは当然のことだ。」
はい。
S博士「だから、原爆の生存者や、X線のデータによって計算された国際的な許容量はまったく間違っている。これは、原子力発電所が大規模に建てられるようになって、何十年も後に分かったことだが、誰もその過ちを認めることが出来ずに、今日まで来てしまった。その理由の一つとして、すでにウラン鉱山に巨額の投資がされてしまっていたことがあるだろう。だから、ウランの利益を受けている人たちは、過ちを認めないどころか、それを絶対に隠したいのだ。ウランは核分裂以外には役割がないから、それがただの粉末のゴミになることを本気で危惧しているのだ。世界中の政府や企業、イギリスの皇室などが所有しているウランは、原子力発電所が他の燃料で動くようになったら困るのだ。」
日本企業もかなり先行投資していますよね。他の燃料と言いますと?
S博士「天然ガスだ。天然ガス発電に切り替えれば、なんと、設備投資の7~8割は無駄にならない。天然ガスはあと数十年は持つと言われているから、その間に自然エネルギーを開発すれば良いのだ。コロラド州のフォート・セイント・ブレイン (Fort St. Vrain) は、すでにこの成功例だ。原子炉だけを閉じて、天然ガス用のボイラーを横につくって、タービンの建物など、ほかのものはそっくりそのまま使えたのだ。そう、原子力はお湯を沸かしているだけだからね。原子炉の中の水も放射能を持っているために、配管が錆びて出てくる鉄、マンガン、コバルトなどにも中性子がぶつかって、普通の元素まで放射性になって大気に飛び出てしまうのだよ。これが体内にも必要な物質の場合、放射性の鉄分だって血液に入ってしまう訳だ。」
原子炉を解体しただけで、その付近は大丈夫なんですか?
S博士「そうだ。その証拠にコロラド州は、あらゆるがん、小児がんの率が全米でいちばん低いのだ。解体すれば、新しい核分裂や放射性ガスを止めれば、燃料自体は、まだ残っているが隔離することはできる。それが素晴らしい点だ。もちろん、完全に廃棄するにはたいへんなコストがかかるよ。これはもっと大変な問題だ。だから、原子力産業は、古くなった発電所を解体する巨額のコストを考えていなくて、将来のコストを少なく見積もりすぎているのが、大問題だ。でも、運転を止めることさえすれば、せめて新しい放射性ガスが発生することは抑えられるのだからね。」
環境的には、それがいちばん良い訳ですね。
S博士「とりあえずは、だ。その代わり、何万年、何億年と放射能を持つ核廃棄物をどうするのかを、まだ誰も解決できていない。何故かというと、長い時間が経つと、地下に埋めようが、山に埋めようが、放射線が缶から漏れ始めることが分かっているからだ。缶が空気中のバクテリアに侵されて行くからだ。そうすれば、今度は地下水が汚染される。」
はい。
S博士「環境的な問題はそれにとどまらない。日本のロッカショで起きようとしていることは、全国の55基分の廃棄物を集めるから、どうがんばっても大量の放射性物質を大気と海に捨てることになるだろう。そうすれば魚も死ぬし、近辺の入江に生息する貝や生物が放射性物質を吸い込んで、人間と同じように免疫力が低下して行って、死んでしまうのだ。60年代に核実験が盛んに行われていた時期も、北大西洋では、魚が激減して、核実験が終わったあと、一気に元に戻った。決して乱獲のせいなどではなかったのだ。このことは、今でも世界中の原子力発電所の近くで起きている。クジラやイルカも、川に流した放射性物質によって、みんな影響されているのだ。」
何度も言いますが、それでも原子力発電所は、海への放出をフィルタして、ちゃんとモニタしていると言いますが。
S博士「だから、そんなフィルタがあれば、固形の廃棄物の心配だけで済むから嬉しいよ。でも現実的には、一部の放射性物質しか取り除けないことは、実績で分かっているのだ。しかも、事故や人為的ミスの可能性も計算にいれてなくても、この状況だ。過去には放出しなくて済んだ放射性物質も、大量にあった訳だ。スリーマイル、チェルノブイリ、これらは、世界中に多大なるインパクトを与えたのだ。我々はチェルノブイリが起きた翌年のアメリカでも、統計データとEPAによるストロンチウム、ヨウ素、セシウムの測定量から、数万人規模で過剰な死者が出たと考えている。」
そうなんですか。
S博士「特に日本の場合は、地震国だということを忘れては行けない。日本の面積にあれだけの原子炉が集中していることと、ロッカショの再処理工場の最大の問題点は、さきほど言ったように全国の燃料棒を集めてプールにいれていることだ。これらは、本当に強い、本当に高レベルの廃棄物で、なんかの拍子に、このプールの冷却水にもしものことがあったら、大惨事では済まないことになるだろう。」

、、、質問を変えます。 なぜ、人間はそのような強い放射性物質を扱うことになったのでしょうか?
S博士「まず、自然の中で人間が経験してきた放射性物質は、カリウム40だけだ。これは体内に入っても、骨など、どこにも集中しないし、放射線量はストロンチウム90より多くても、体に蓄積もされないから、割とかんたんに体から抜けて行くのだ。地球ができたときに、ウランやたくさんの放射性物質ができたが、どれもストロンチウム90のようにカルシウムに化けて、核分裂生成物が体内に蓄積されるようなことはなかった。一部のアフリカの地下の鉱山の例外をのぞいて、核分裂の連鎖反応は自然ではぜったい起きないのだ。」 (註:20億年前に西アフリカにあるガボンのウラン鉱山で自然核分裂があったとされる)
はい。
S博士「例えば、普通の水の中にある水素は、宇宙線の影響でトリチウムになることがある。トリチウムも、特定の部位で濃縮されない。人間は、自然放射線の中で進化してきたが、これらも体に蓄積はされなかったし、フリーラジカルを長い期間にわたって体内に取り込むこともなかったのだ。海の中に微量に存在するウランも同じことだ。1938年に人間が核分裂を発見してから、すべてが変わってしまったのだ。」
分かりました。 では、日本は島国ですから、海の汚染についてもう少し詳しく教えてください。
S博士「海を守ることは、とても大事なトピックだ。我々が予測できなかったエピソードをもう一つ、教えてあげよう。昔、科学肥料が海に流れ込んで、藻が異常発生すると、魚貝類の酸素を奪ってしまうと疑われていた。その結果、酸欠になった魚や貝が死んでしまう訳だ。ミシシッピ川が流れ込むメキシコ湾で藻が大量発生したときは、窒素、つまり酸化窒素を含む化学肥料が原因だと思われていた。でも最近、新たに分かったことは、キセノンやクリプトンなどの放射性ガスのエネルギーが、大気の酸素と窒素を反応させて、酸化窒素をつくることが分かったのだ。雨が海に運んでくる土砂が化学肥料と同じ役割を果たして、間接的に魚の酸素を奪ってしまうのだよ。この容量で、原子力発電所は、酸化窒素だけでなく、酸素原子が三つくっついたオゾンもつくっている。つまり、原子力発電所が藻の激増に繋がっていることも、誰も予想できなかったことの一例だ。」
そうですね。
S博士「だから、発電所が出す液体廃棄物は、始めは誰もが海は広いし、とても深いので、人間社会にはまったく影響がないと計算していた。しかし、先ほどから言っているように、微量だから大丈夫ということは決して有り得ない。また、Busby氏らの発見が論文で細かく発表されたように、海に放出した放射性物質は、必ず波に乗って浜に返ってくる。イギリス、ウェールズ、スコットランドの原子力発電所付近の砂浜でも、このことが確認されたのだ。日本でもきっと同じことが起きているだろう。海水で薄まると期待していた放射性物質が、波に運ばれて返って来て、それが雨にも混ざって、また土の中にも入ってくるのだ。」
それでも、魚からは放射性物質が検出されてないと言われますが。
S博士「だから、まずそれは安全値がニ、三桁ずれたままだからだよ。もちろん遠洋の魚の方が、放射線を受ける量が少ないし、日本は遠洋漁業が多いから、まだ安全な方かもしれない。それでも、50年前の安全基準が残っていることが問題だ。たいていのガイガー・カウンターは分かり易いガンマ線を計っているだけで、アルファ線やベータ線のことは計れないので、これにはもっと複雑な機械が必要なのだ。」
そうなんですか。
S博士「ガイガー・カウンターは、砂浜にたまったガンマ線を読むことはできるが、魚のアルファ線やベータ線などの正確に計るには、魚の肉や骨をとって、化学的に調べる必要がある。これには大変な技術と計算力が必要になるのだよ。化学的に分離させた液体を、放射線検出用のシンチレーション計数管に通すのだから。つまり、骨にたまるストロンチウム90のように、いちばん強力で、いちばん厄介な放射性物質ほど、かんたんな計器では探知できないのだ。」
はあ。
S博士「分かったかい?原子力発電所ができてから30年後に、ペトカウ氏が発表して初めて分かったことがあったように、知らなかったことが多過ぎたのだ。ひとつの細胞が放射線を受けると、周りの細胞が影響を受ける『隣人効果 (Neighboring Effect) 』のことも知らなかったし、いろいろなことだよ。我々は、世界を壊してしまうような原子爆弾をつくってしまった償いとして、原子力発電を急ぎすぎたのだ。」
どういうことですか?
S博士「核分裂が発見されたとき、多くの物理学者は大学の研究室を出て、マンハッタン・プロジェクトに参加した。当時はヒットラーが世界的な脅威だったからだ。ドイツに原爆を渡してはいけない、と。同じことがイギリス、フランス、ロシアでも起きた。そのうちに、スターリンが出て来て、今度は冷戦が始まって、多くの物理学者は核戦争を避けるためにと、核爆弾の開発に一生を捧げたのだよ。と同時に、そんな軍事目的に利用されただけで死ぬのは良心が耐えられなかったのだろう、アイゼンハワー大統領が提唱した『平和な核利用』のアイディアに皆が飛びついたんだ。アイゼンハワーは、『クリーンな原子力』をつくる原子力発電所を世界中に売り込もうと躍起になって、物理学者はそれを喜んでその手助けをした。ヒロシマとナガサキで起きたことや、人類を滅亡させる核兵器をつくってしまったことへの罪悪感のためにね。」
とても興味深いです。 でも彼らは、放射能の影響を予知できなかったのですか?
S博士「そのときは、本当に経験とデータが少なかった。いろいろな不幸が重なって、今の状況をつくってしまったのだよ。多くの人は、核爆弾がないと不安でしょうがなかった。私の孫みたいに、お気に入りの布団がないと眠れないのと一緒でね。共産主義が世界を食い尽くしてまうのを止めるには、核爆弾が必要だと本気で思ってたのだ。これが核の軍拡の原因であり、それに乗っかって、アイゼンハワーがきれいなエネルギー政策と称して原子力を勧めたものだから、誰もが信じきってしまった。日本の場合は、国民がたいへん丁寧できれい好きだから、モクモクと汚い煙が出る発電所と違って原子力は魅力的だったに違いない。」
では、これだけの知識が今あって、それを知っている専門家も世界中にいると思うんですけど、根本的なところで変えて行けると思いますか?
S博士「これが実は難しいのだ。何故かと言うと、大学の研究室などのリサーチのほとんどは、政府の補助金で成り立っているからだ。その政府が、原子力発電はクリーンだと信じ切っていたものだから、今になって過ちを認めたくないのだ。例えば最近でも、コネチカット州の原子力発電所で問題があったのが分かっているにも関わらず、微量だから問題ない、と繰り返すだけだ。EPA(米環境庁)も、原子力産業を守ろうと、必死になっているのだ。石炭による発電が産むスモッグや水銀と違って、クリーンなエネルギーだと言う、昔の謳い文句そのままだ。でも水銀では、爆弾はつくれない。分かるかい。」
それは、今だと強く言われてますよね。二酸化炭素を排出しないから良いんだと。
S博士「それはいつの時代も言われてることだが、でも、本当は、ウラン鉱山の採掘、ウランの運搬、ウランの濃縮、多くのエネルギーを使って、石炭を使ってウランも濃縮すれば、世界のCO2排出量は、原子力発電所を増やすことで解決できないことは、誰の目にも明らかだ。その上に、今知られているウランの埋蔵量もたった数十年でなくなってしまうことを、誰も気にとめていないようだ。現在では、石炭が排出するガスを地中に送り返して岩に変えることによって、CO2の排出を防ぐ方法も出て来ているのだ。」
石炭が見直されてるのは聞いたことあります。
S博士「その他にも海洋エネルギーや、地熱エネルギー、風力、太陽、沢山方法はあるし、水素だけでもさまざまな活用法がある。これを原子力産業がひた隠しにしているのだ。ウランに莫大な投資している人たちが、新しい発電方法の浸透を防いでいるばかりか、健康への害も隠している。私が何十年も経験して来たことだが、体質的にモラルを忘れた産業だと言わざるを得ない。」
一般の人へのメッセージとして、自分の健康を守るには何をおすすめしますか?
S博士「アメリカでは記録を公表することも止めてしまったので忘れられてしまっているのだが、原子力発電所付近の農場がつくった牛乳は、まず飲まない方が良いだろう。また飲み水は、逆浸透装置を使えば、ほとんどの重い放射性物質はフィルタすることができる。本当は行政がやれば良いことなのだが、コストが高過ぎるのだ。」
それでは、今日はここまでにします。ありがとうございました!
S博士「ありがとう。ほかに質問があれば、何でもきいてくれ。」
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福島県民健康管理調査検討委員会の台本の存在が明るみに!

2012年10月05日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

           Hirosima1b52ed410b585c115e3bf1adb37
写真は田中龍作ジャーナルから転載:10月5日広島  
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【今日10月5日のニュース】

福島県民健康管理調査検討委員会の「台本」の存在明るみに!福島抹殺・子殺しのための秘密謀議、会議の台本は山下俊一検討委座長(福島県立医大副学長)らが準備!抗議・断罪しよう!

★10月5日毎日新聞配信記事の転載

福島健康調査:「結論ありき」県民憤り…検討委「進行表」
毎日新聞 2012年10月05日 02時33分

 東京電力福島第1原発事故を受けて福島県が設置した県民健康管理調査の検討委員会で、県が委員らと事前に調整していたことを示す「議事進行表」の存在が明らかになった。内部被ばく調査の結果については「結語」として「相当に低い」との発言予定を記し、問題となりそうな話題については「そらして下さい」と要望。A4判2枚の文書には県による「振り付け」とも受け取れる記載が列記され、県民らは不信感を募らせている。【日野行介、武本光政】

 ◇議論の場、意見出ず

 「不気味なほど意見が出ない。おかしい」。福島市内の市民団体「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」はメンバーが検討委を傍聴しているが、代表の佐藤幸子さん(54)は検討委の議論にそんな疑問を抱いていたという。

 検討委の前日に委員らに送られた進行表には、浪江町と飯舘村、川俣町山木屋の3地域で120人を対象にした内部被ばく調査についての記載がある。調査結果への見解は翌日の検討委で議論されるはずなのに、議事進行における「結語」として「内部被ばくは合計しても1ミリシーベルト未満で、相当に低いと評価」などと記されていた。

 また、内部被ばくの検査手法を巡り「WBC(ホールボディーカウンター)の今後の普及とGe半導体(ゲルマニウム半導体検出器)の逼迫(ひっぱく)状況(牛肉等)を考えると、尿検査でWBCを代替えするのは困難ではないか」との記載もあった。尿検査はホールボディーカウンターと呼ばれる大型機器を使った検査より放射性物質の量を正確に調べられる一方、かなりの量の試料が必要とされ、手間がかかるとされる。また、尿検査に使用されるゲルマニウム半導体検出器は、牛肉などの検査にも使われている。

 同ネットワークは事故直後から尿検査の導入を訴えているのに対し、県は県議会などで慎重な姿勢を示し続けている。佐藤さんは「やっぱり、結論ありきの議論だったのか」と憤りを隠さない。

 また、進行表のうち調査の進捗(しんちょく)状況を巡る項目では、問題視された「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」の話題をできるだけ避けるよう要望。仮に話題になった場合には、別の委員会で検討するとして話題をそらすよう求めていた。
 詳細調査の項目には「予算の有効配分と実効性を踏まえて、あれもこれも追加は不可です」「下記の範囲での議論をお願いします」などとの記載もあり、一定程度議論を誘導したい県の意向がうかがえる。

 内部被ばくに詳しい矢ケ崎克馬・琉球大名誉教授(物性物理学)は「特に下線を引いたりした部分は、影響を過小評価したい思惑を感じる」と、県の姿勢に疑問を呈した。
http://mainichi.jp/select/news/20121005k0000m040113000c.html
福島健康調査:委員発言、県振り付け…検討委進行表を作成
毎日新聞 2012年10月05日 02時33分(最終更新 10月05日 02時36分)

 東京電力福島第1原発事故を受けて福島県が実施中の県民健康管理調査について専門家が議論する検討委員会を巡り、委員が発言すべき内容などを記した議事進行表を県が事前に作成していたことが分かった。調査結果への見解における「結語」(結びの言葉)が記され、「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)再現データの質疑に終始しない」と求める記載もあった。県の担当者は毎日新聞の取材に「そうしたものを作ったかもしれない」としつつ、内容に対する明確な回答はなかった。

 検討委を巡っては、本会合の前に秘密裏に「準備会」(秘密会)を開き、調査結果に対する見解をすり合わせた上で、本会合でのやりとりを事前に打ち合わせていたことが判明している。この問題が取り上げられた3日の県議会で村田文雄副知事は「意見などをあらかじめ調整した事実はない」と答弁したが、進行表には「○○先生と要調整」(○○は委員の実名)との記載もあった。

 毎日新聞が取材で確認したのは「第3回『県民健康管理調査』検討委員会 進行」と題された文書。関係者によると、県保健福祉部の担当者が作成し、昨年7月24日に開かれた第3回検討委の前日の同23日に委員らに送られた。それ以前の同17日には秘密会を開いたことが分かっている。

 文書はA4判2ページ。「取扱注意」と記され、議事内容や進行を記載している。このうち「ホールボディカウンターと尿(内部被ばく)検査結果について」と題した項目では「結語」として「セシウム134及び137による内部被ばくについては、合計しても1ミリシーベルト未満であり、相当に低いと評価。他の地域の住民では、さらに低いと思われる」との発言予定が記されていた。

 調査の進捗(しんちょく)状況を巡る項目では国や県が有効活用しなかったとして問題視された「SPEEDI」に言及。「SPEEDI再現データ(3月15日の課題)の質疑に終始しない。(SPEEDIの話題のみが着目される可能性あり、そうならないよう願います。また、そうなった場合は、『線量評価委員会』で検討とそらして下さい。)[○○先生と要調整]」などと記載されていた。

 

                         

 

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福島健康調査検討委員会。「秘密会」で報告の内容と会議の持ち方すり合わせ

2012年10月04日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

 「子どもの命、健康と未来より、放射能安全デマ維持が大事」と健康調査結果のデーター隠しと被ばく医療禁圧はかる山下俊一を追放しよう!

福島原発事故対応と原発安全性基準等をめぐってたくさんの委員会や機関でおびただしい数の会議がこれまで行われ、その都度たくさんの報告や答申や意見が」発表されてきた。それらを通じて暴露された核心問題の一つとして、電力会社・政府経産省・専門委員会・学界専門家等の根絡みの癒着・一体構造があった。公式に存在する機関や委員会の会議のほかに、その内容をあらかじめ決定する裏会議が「表会議」に先立って事前に秘密裏に持たれていた。「公然の秘密」として当然のように持たれていた。

  最近(この夏)公に明るみに出た裏会議は原子力委員会の事前会議だった。そこには電力会社が群がって参加し、表会議たる原子力委員会での審議と結論のシナリオができていた。このニュースはご記憶の方も多い

 そして表会議と裏会議でやっているのは、国の委員会や機関だけではなかった。実に許しがたい、絶対に許せないことだが、福島県民健康管理調査の検討委員会に先立って、秘密裏にすり合わせる裏会議が、検討委員会座長である山下俊一福島県立医大副学長らによって行われていたことが発覚した。

 

 何のためにこんなことをやるのか。健康管理調査結果をデーターそのままに検討委員会にさらすことは、まずい、してはならないという判断、都合が悪いという判断からだ。山下俊一は、各所で「健康異常に被曝医療として対応していては経済にマイナス」「事故の影響、放射能のせいだと対応していたら、いくらカネがあっても足りない」とふれ回っている。健康異常で医療機関を訪れても「原発事故のせい」「放射能の影響」とは医師も口にできなければ、訪れた人々も言葉にできない、定められたタブーとされている。これは医療放棄、医療切り捨て、フクシマ殺し、子殺しではないか。そのために、山下らは、官製の福島健康管理調査検討委員会にまで裏会議をつくり、徹底調査阻止、被曝医療禁圧、全データー隠蔽・密室管理・統制を行おうとしているのだ。

【今日のニュース】

10月3日毎日新聞配信記事

福島健康調査:「秘密会」で見解すり合わせ

福島健康調査:「秘密会」で見解すり合わせ
http://<wbr></wbr>mainich<wbr></wbr>i.jp/se<wbr></wbr>lect/ne<wbr></wbr>ws/2012<wbr></wbr>1003k00<wbr></wbr>00m0401<wbr></wbr>49000c.<wbr></wbr>html
毎日新聞 2012年10月03日 02時31分(最終更新 10月03日 05時12分)

 東京電力福島第1原発事故を受けて福島県が実施中の県民健康管理調査について専門家が議論する検討委員会を巡り、県が委員らを事前に集め秘密裏に「準備会」を開いていたことが分かった。準備会では調査結果に対する見解をすり合わせ「がん発生と原発事故に因果関係はない」ことなどを共通認識とした上で、本会合の検討委でのやりとりを事前に打ち合わせていた。出席者には準備会の存在を外部に漏らさぬよう口止めもしていた。

 県は、検討委での混乱を避け県民に不安を与えないためだったとしているが、毎日新聞の取材に不適切さを認め、今後開催しない方針を示した。

 検討委は昨年5月に設置。山下俊一・福島県立医大副学長を座長に、広島大などの放射線医学の専門家や県立医大の教授、国の担当者らオブザーバーも含め、現在は計19人で構成されている。県からの委託で県立医大が実施している健康管理調査について、専門的見地から助言する。これまで計8回あり、当初を除いて公開し、議事録も開示されている。

しかし、関係者によると、事務局を務める県保健福祉部の担当者の呼びかけで、検討委の約1週間前か当日の直前に委員が集まり非公開の準備会を開催。会場は検討委とは別で配布した資料を回収し議事録も残さず、存在自体を隠していた。

 9月11日に福島市内の公共施設で開いた第8回検討委の直前にも県庁内で準備会を開いていた。同日は健康管理調査の一環である子供の甲状腺検査で甲状腺がん患者が初めて確認されたことを受け、委員らは「原発事故とがん発生の因果関係があるとは思われない」などの見解を確認。その上で、検討委で委員が事故との関係をあえて質問し、調査を担当した県立医大がそれに答えるという「シナリオ」も話し合った。

 実際、検討委では委員の一人が因果関係を質問。県立医大教授が旧ソ連チェルノブイリ原発事故で甲状腺がんの患者が増加したのは事故から4年後以降だったことを踏まえ因果関係を否定、委員からも異論は出なかった。

 また、昨年7月の第3回検討委に伴って開かれた準備会では、県側が委員らに「他言なさらないように」と口止めもしていた。

毎日新聞の取材に、県保健福祉部の担当者は準備会の存在を認めた上で「あらかじめ意見を聞き本会合をスムーズに進めたかった。秘密会合と言われても否定できず、反省している。(今後は)開催しない」と述べた。

 福島県の県民健康管理調査は全県民を対象に原発事故後の健康状態を調べる。30年にわたり継続する方針で、費用は国と東電が出資した基金で賄う。【日野行介、武本光政】

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福島の子どもたちの命と未来を守れ!【資料】 ウクライナ政府報告書

2012年10月02日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

【10月2日毎日新聞配信記事】

東日本大震災:福島第1原発事故 集団疎開裁判で原告、改めて低線量地での教育を訴え /福島

毎日新聞 2012年10月02日 地方版

福島第1原発事故を受け、郡山市立小中学校に通う子ども14人と保護者らが同市に、子どもたちの「集団疎開」などを求めた仮処分申請の審尋が1日、仙台市の仙台高裁であった。原告側は改めて、郡山市は子どもたちを線量の低い地域で教育すべきだと訴えた。
 原告側は県の放射性物質による被害を解明するため、県立医大の山下俊一副学長らの招致を求めた。郡山市側からは、具体的な要求はなかったという。
 次回の審尋は11月26日午後2時半。高裁からは、原告側の求めについて回答があるとみられる。【三村泰揮】

    ///////// 参考資料 ///////////

『ウクライナ政府(緊急事態省)報告書』

  『ウクライナ政府(緊急事態省)報告書』の抜粋翻訳資料では、後段にピックアップしたごく僅かの記述をごらんになるだけでも、みなさんには、福島の子どもたち、福島の人々に襲いかかっている福島原発事故の影響、放射能の危険、脅威がどれほど戦慄すべき問題かをご理解いただけると思います。

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(写真は再録:チェルノブイリ管理基準での福島県郡山市一帯の「強制移住地域」(
●)・・・・・10月1日刊・ブックレット『いま 子どもがあぶない 福島原発事故から子どもを守る「集団疎開裁判」』裏表紙の「福島県郡山市の放射能汚染状況」

 

   「ウクライナ政府(緊急事態省)報告書」が提出されたのは2011年4月20日~22日のチェルノブイリ原発事故25周年国際科学会議の場でした。福島第一原発事故が起きたのはそのひと月あまり前です。確かに、原発事故と被曝と子どもたちのその後の健康被害さまざまの発症に科学的に定義される厳密な因果関係を完全に認めることは学界では統計的病理学的根拠がまだまだ不十分としばしば言われています。しかし、小児甲状腺がんや白血病や白内障ではほぼ確証されています。しかし、このウクライナ政府報告書は戦慄すべきほとんどすべての重要な事実を示して余りあるものです。このウクライナ政府の国としての報告書を見て、いま福島の子どもたちの健康調査や甲状腺被曝調査結果について「健康への影響はない」「福島原発事故の影響ではない」等々と説明し、福島原発事故のもたらしているおそるべき影響について「福島とチェルノブイリは違う」「チェルノブイリの場合のような深刻な影響はない」という人がいるなら、そうした人々が専門家や科学者であるかに関わりなく、そうした人々は、ただただ原発を維持し推進するためにのみ、科学や学問の魂を政府や財界に売り渡した人々と断じて差し支えないでしょう。「子どもの命、人の命より原発が大事」と言っているに等しいからです。

 いま一番必要なことは、「子どもたちの命を守れ」、そのために全力をあげようということです。それも一刻を争うということです。 】

《以下は、今回記事・末尾のpdfで転載する2011年4月『ウクライナ政府報告』の中からのピックアップです》

★多くの子どもは甲状腺、免疫、呼吸器、消化器の疾患が進行するリスクにあることがわかり、これは1989 年―1990 年に具体的となった。

 

★30km ゾーンから避難した子どもと汚染地域にすむ子どもの両方で、健康な子どもの数が減少し、慢性的な病気の子どもの数が増加した。健康のレベルの最も低い子どもは、甲状腺の被曝量が2.0Gy(グレイ)を超えていた

 

★チェルノブイリ原発30km ゾーンから避難した子どもと汚染地域にすむ子どもの両方で、健康な子どもの減少というはっきりした傾向が観察された。

 

★次のような身体的病気の特異性が見出された:発症の若年齢化、多系統・複数の器官にわたる病変、治療に対して比較的抵抗性があり、経過が長引き再発する。これらの集団は小児期全体を通して、低い健康レベルが続いている。17-18 歳の時、チェルノブイリ30km ゾーンからの避難者の76.6%、汚染地住民の66.7%に慢性的な身体疾患が現れ、病理学的な変化の指数は5.7 に達した。
このように、放射性ヨウ素とチェルノブイリ惨事による放射線以外の好ましくないファクターを受けた子どもたちは、多くの慢性的疾患という負荷を負いながら生殖年齢に達し、それが彼らの子孫の健康に影響を与えざるをえない。

 

★プリピャチ市とチェルノブイリ原発30kmゾーンから子ども時代に避難した人を親として生まれた子どもたち(Ⅰグループ)、および放射能汚染第2ゾーン、第3ゾーンの住民で子ども時代に事故に遭った人々から生まれて汚染地域に住んでいた、あるいは現在も汚染地域に住んでいる子ども(Ⅱグループ)の健康に関する評価によれば、実際、彼らの中に健康な子どもの数は10%を超えず、病理学的変化の指数は5.39に達した。

 

★母親の甲状腺被曝線量、母親と/あるいは父親の全身被曝線量と、彼らの子どもの免疫不足状態の進展は、相関の可能性がある。

 

★被曝した親から生まれた子ども(基本登録の第4 グループ)には、病気の発症率と有病率が有意に高い

 

★被曝した人の子どもは1992 年と比べ2009 年には特定の分類の病気の登録が急速に増加していることが注目される。すなわち、内分泌系疾患‐11.61 倍、筋骨系疾患‐5.34 倍、消化器系‐5.00 倍、精神および行動の異常‐3.83 倍、循環器系疾患‐3.75 倍、泌尿器系‐3.60 倍である。

 

★事故後の期間の変動では、健康な子どもの比重は1992 年の24.1%から2008 年には5.8%に減少し、慢性疾患のある子どもの数は1992 年の21.1%から2008 年の78.2%に増加した。

 

★このように、放射線の影響を受けている小児期年齢集団の健康状態の動的な変化は、以下のような、持続する負の傾向という特徴を示している。

★子どもたちは、さまざまな病気の発症率が増加しているだけでなく、実際に健康な子どもが量的に減少しており、その傾向は変わっていない。健康状態が最低レベルの子どもは、事故時に甲状腺に高線量の被曝をした子どもたちである。
★慢性的な病気の発症とその経過に次のような特異性がある。すなわち、発症の若年齢化、病変が多系統・多器官にわたる、治療法に対して比較的抵抗性があり再発の経過をとる、といったことである。
★事故時に胎児発達期であった子どもたちの場合、胎児期の被曝線量と、出生後の健康状態、身体発達、多数の小さな異常を有する表現型の形成、体細胞の染色体異常の数の増加との間に、信頼性のある相関が存在する。
★ 被曝した親から生まれた子どもでは、多因子型疾患の疾病素質、発達上の多数の小さな異常を有する形態発生上の変動の形成、体細胞の染色体異常の頻度上昇、マイクロサテライト関連のDNA部分の突然変異頻度の上昇などによって特徴づけられる、ゲノム不安定性の現象が形成されている。

/////////////////////////////////////////////////////////

詳しくは、以下の翻訳された全文のpdfをごらんください。                                                                       

ウクライナ政府(緊急事態省)報告書
『チェルノブイリ事故から25年 “Safety for the Future”』より
 
(2011年4月20-22日、チェルノブイリ25周年国際科学会議資料)http://<wbr></wbr>archive<wbr></wbr>s.shimi<wbr></wbr>nkagaku<wbr></wbr>.org/ar<wbr></wbr>chives/<wbr></wbr>csijnew<wbr></wbr>sletter<wbr></wbr>_010_uk<wbr></wbr>uraine_<wbr></wbr>01.pdf

★上記翻訳資料は、

▲『市民研通信』 第 9 号 通巻 137 号 2011 年 10+11+12 月

▲「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク
273-0041東京都杉並区松の木1‐12‐4 Fax:03-3312-7791
代 表:綿貫礼子 (サイエンス・ライター)
事務局長:吉田由布子 E-mail: yosida-y@tkd.att.ne.jp

に発表されています。

★この『ウクライナ政府(緊急事態省)報告』の骨子の一部は、昨年12月11日福島市でのウクライナ小児科医(エフゲーニャ・ステパノワ医学博士)の講演で『警告』としてレポートされています。この翻訳資料で一層全体像がわかります。

http://blog.goo.ne.jp/suginami-no-2/d/20120323

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資料:福島診療所建設の訴えの転載

2012年05月18日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

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福島の子どもたちの命を守るために診療所の建設を!

・・・・・ 東日本救援対策本部 ニュース293号( 2012.5.18)の記事全文転載
 
「復帰」40年5・12沖縄集会での福島診療所建設の訴え 
「終わった福島」を希望に変えたいというのが診療所建設です。
               福島診療所建設委員会・渡辺馨事務局長
 
 
 福島診療所建設委員会の事務局長をやっています。フクシマNAZEN(すべての原発いますぐなくそう全国会議)の事務局長もやっています。先ほど(福島県教組の)国分さんが福島の現状について非常に的確な数字で語られたと思います。いま福島は本当に「終わった」というところがあるんですが、その「終わった福島」を希望に変えたいというのが診療所建設です。
 
  今福島で起こっている事態は、こんな事が世の中にあっていいのか、こんな事が起こっていいのか、それは実は沖縄でもずっとそうだったんだと、きょう沖縄に来てあらためて思いました。
 
  3月11日の集会で高校生の鈴木美穂さんが「人の命も守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではないはずです」と言いました。これは大変深い言葉です。どういうことかというと、鈴木さんは第二原発の近くの高校にいました。その時、原発が爆発しました。当時、津波で家族や地域の大変多くの人が流されていきました。目の前で助けてくれと言う声が聞こえたにもかかわらず、原発で避難しなければならないと言うことで、肉親を振りきって逃げなければならなかった。こういう経験をしたことから出てきた言葉なんです。
 
  ですから今福島で起こっていることというのは、今の話に象徴されるように、ほんとに目の前で人が殺されても文句を言うな、避難しろ、逃げろというあり方、これとの闘いだと思っています。
 
 私はフクシマNAZENを中心に福島のこの現状と闘っています。先ほど国分さんからも言われましたように、今避難している人が16万人、津波で亡くなった被災者は約2万人と言われています。さらにその後、1年間過ぎて1700人の人が自殺しているんです。これは大変な数字です。特に福島県で700人、宮城県で600人、そういうことが政府から発表されました。目の前で起こった事実に本当に希望を失って自ら命を絶った人がそれだけの数に上ったという事実です。本当にこの事態を何とかしたい、そう思います。
 
  思い起こせば広島において、原爆が落とされた直後から7年間、アメリカの占領下でABCC(原爆障害調査委員会)のもとに被爆者がまったく治療をされないで放置されて、データだけ集められたという経験をもっています。その後、放影研のもとでさらに10年間、被爆者は本当に差別と苦しみながら闘って来たという話を聞きました。そういう中で自分たちの存在は、生きていていいのか、こういう声が広島の中で起こった。そして自分たちが生きるための闘いとして1972年、広島で高陽病院をつくった。自分たち被爆者の手でつくったと言う話を聞きました。私は福島もこれだなと思ったんです。
 
 
福島の子どもたちの命を守るために診療所の建設を!
 
 福島の人たちが、子どもたちが、今から3年後、5年後、10年後、どうなるのか。今さまざまな病気がもう出始めています。体の不調を訴え、免疫が落ちていくという状況の中で病院に駆け込んでいくんですが、「放射能の影響はありません。放射能ということをこの病院で言っちゃだめですよ」と言われるんですよ。
 
 超有名な、ミスター100㍉シーベルト、長崎大学から来た山下俊一、広島大学から来た神谷研二、この2人が中心となって福島医大の副学長に就任して、今なお、福島の子どもたちの甲状腺調査というものを18歳以下0歳児の36万人を対象に行っています。そういう中で3万6000人のデータを集めたその結果、186人の甲状腺に5㍉以上のしこりが見つかった。しかし「まったく問題はない、良性だ」。何を根拠に良性だと言えるんですか。そんなことが新聞で堂々と出されている。それが今の福島の現状です。
 
 
 こういう見えない原子力村というんですか。こういう医療、学者、さらにはマスコミを含めた力によって、今福島の原発事故はなかったかのようにしようという動きが出ているんです。それが除染と復興です。「除染して村に帰りましょう」「除染して学校にもどりましょう」という運動が始まっています。
 
 先週は開成山球場の隣の公園でラーメン祭をやっていました。これは開成山球場は放射能が高いからそこで集会をやってはならないと言っていたような人たちがやっているんです。さらには鼓笛パレード、ちびっ子パレード、キッズパレード、子どもたちをどんどん街頭に出して、福島は何でもない、郡山は何でもないという動きが始まっています。
 
 
  しかし、現実は大変な被曝と闘いながら、そういう現実をどう変えていくのか、毎日悩んで、頼るところがないんです。病院に行ったって相手にされない、相談相手がいない。そうした母親の気持ちとか、子どもたちの現状に向き合う、福島に診療所を、高陽病院のような診療所を福島につくって、そこから福島の現実、さらには原発は危険だ、安全な原発なんかひとつもないんだと、はっきり世界中に発信する診療所。そうして今現実に起こっている問題についてどういうふうに対応するのか、医者がそういう人たちと向き合う、そういう診療所をつくっていきたいと思っています。
 
  ですから今、私たちは全国に、全世界に訴えています。非常に反応はいいです。なんとか福島の子どもたちの未来を守りたいという声が圧倒的に寄せられています。そうした運動をぜひとも成功させたいと思っていますので、皆さんのご支援とご協力を本当にお願いしたいと思っています。
 
 
 
 さらに沖縄について一言いいたいと思います。福島で起こっている事態は、私も沖縄に何回か来て思ったんですが、福島や全国の原発は権力の暴力によってつくられてきました。そして、沖縄の基地も銃剣とブルドーザーでつくられてきた。しかも福島の農民も労働者もすべてのものを奪われている。と、同じように沖縄の農民も67年間、基地に奪われて、それとの闘いを必死になって闘いぬいてきた歴史があるわけです。そうした闘いを福島と沖縄と、そして全国の労働者の力で、こうした人の命を省みないような社会をひっくり返す闘いとしてやっていきたいと思います。頑張りましょう!
 
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資料;ふくしま診療所建設の運動をめぐる議論の深化を呼びかける意見の転載・紹介

2012年04月17日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

以下全文転載です。

福島診療所建設基金についての議論を深めるために。読んでいただけるとありがたいです【NAZEN事務局より心ある皆様へ】

 「ふくしまの子どもたちに診療所を」。この基金運動に多くの方が注目してくださり、「高線量の福島県内になぜつくるのか」「避難の権利のための闘いとはどういう関係にあるべきか」等々、意見や批判も含めて多くの方が議論をしてくださっています。これは、一方では私たちの運動の内容が未熟で、かつ情報拡散のあり方も不十分であることの反映でありながら、他方でこの運動が大きく広がっていく素地が存在していることをも反映していると受け止めています。とにかくみなさんの議論に向かう真剣さ、原発と放射能に立ち向かおうとする勇敢な姿勢こそ希望です。今後ますますたくさんの意見を忌憚なく出していただき、一人ひとりが主体になれるようなあり方でもって運動を進めていきたいです。議論を深める方向でいくつかの視点を提起させていただきたいと思います。
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 前提的なことを一つ確認しておくなら、今回の診療所建設基金運動は、福島現地と医師からなる「福島診療所建設委員会」http://www.clinic-fukushima.jp/によって提案されたものを、NAZENとして議論し取り組みを決定したという関係です。

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今行われている議論は、決定の過程で呼びかけ人会議において何度も議論したものであり、当然の議論だという実感です。この議論の中で感じたことなどをベースに、いくつか提起させていただきます。<o:p></o:p>

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36万人の福島の子どもたち全員が避難すべきであるという基本的認識

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 もとより呼びかけ人会議において、診療所建設にあたって、「原発事故の責任をあいまいにし、心身への異常という結果のみに対処するというものであってはならない」と議論し確認しています。それでは政府が行っているような「安全キャンペーン」と「帰村」「復興」政策と何も変わらないですし、山下俊一・県立医大副学長の進める「健康管理センター」構想なる県民のモルモット化と被ばく者の商品化に荷担することになることは明らかです。

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正しいことを「いかに」実現するのかという議論を

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 「危険だから避難」。この命題はあまりにも正しいと思います。しかし、正しいことが現実のものとして実現していないこともまた事実であり、まことに多くの困難を抱えていると言わざるを得ないと思います。求められているのは、正しい命題を抽象的に確認していることではなく、これを実現するための困難を見据え、突破するために、いかなる実践が必要かという議論に進むことです。私たちの前にある困難とは、一つは、山下俊一・県立医大副学長兼県放射能リスク管理アドバイザーが先頭にたって行っている「放射能神話」の重圧に風穴を開け、いかに福島県民が集まり、議論し、とりわけ内部被曝の脅威とその対策を学習し、手を取り合って立ちあがるかということ、そしてこれを通して政府の政策をくつがえしていくことです。この中には原発で働く労働者の拠り所をつくるということも含まれてきます。もう一つは、福島との分断を乗り越え、信頼関係を回復し、私たちがともに闘うには何をすべきかということです。そうした議論の中で、診療所という結論に行き着いたということです。<o:p></o:p>

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福島の人たちという当該を抜きに「科学」は成り立たない

<o:p></o:p>

 そもそも、「二度とフクシマを繰り返さない」とはどういうことでしょうか。御用学者にだまされてきた私たちが「科学」というものにいかなる根本的反省を促すべきでしょうか。例えば、「“おいしい”と味覚が感じる物質は何か」という研究の根本には、現実の生きた人間が“おいしい”と感じるという人間的な喜びや感情が存在しています。同じように、避難の問題についても、現実の生身の福島の人たちの思いや生活の現実があることを無視することはできません。仕事のこと、子どもや家族のこと、「安全キャンペーン」の中で声を上げにくい空気の前に部屋にこもってしまうお母さんたちの現実、こうした現実を見据え、福島の人たちが集まることができ、話し合い、学習し、何ができるかを模索し、創造し、立ちあがっていくことができる拠り所が必要ではないか。そういう議論です。

<o:p></o:p>

 私たち運動の側の中にも、今の政府と同じように、福島の人たちの気持ちや生活の現実を無視して「正しい」ことを主張するあり方がありはしないでしょうか。もしあるとするなら、それは本当に「正しい」ことだと言えるでしょうか。<o:p></o:p>

 ある福島県内のデモに参加したとき、若いお父さんが「避難生活はもういやだと子どもに泣かれ、結局帰ってきた。近所の人ほどこの問題を話しあい、一緒に運動しようと言うことは大変。放射能が見えるものだったらと思う」と話されていたことが今も印象に残っています。別の方は、「愛する家族と離れて暮らすのは苦しいこと。避難出来ない現実がたくさんあります。そういう人がいるかぎり、自分も福島に残って一緒に闘おうと思う」と語っていました。私たちはこの現実に向き合わなければならないと思います。<o:p></o:p>

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外から通うだけでは信頼関係を作るに限界がある

<o:p></o:p>

 そして、いかに福島との分断を乗り越えて信頼関係を回復し、ともに闘うかという点です。

<o:p></o:p>

 ある東京の若者たちは、支援物資を運んでいった際に「原発をおしつけて生活してきたくせに、いまさら何しに来た」と言われ、それでも何度も足を運んで信頼関係を作ってきています。また、昨秋の南相馬のデモに参加した際、当時もてはやされていた児玉教授について「彼は一緒に住んでがんばるという立場ではない。いつもさっさと帰っちゃう」という話を聞いて、現実を突きつけられた思いでした。

<o:p></o:p>

信頼関係を回復し、ともに声を上げていくために、本当に多く人が今行動していると思います。私たちは運動を続けてきて、もう外から足を運ぶだけでは限界があると感じています。とりわけ山下俊一のやり方に抗していくには、ともに暮らし、考え行動していく場所が必要だと思います。<o:p></o:p>

トラック等移動型の診察器具で外から行けばいいという意見も聞きました。そういう活動も必要です。ぜひやっていただきたいと思います。同時に、私たちは必要と実感したことをやり抜きたいと思います。<o:p></o:p>

<o:p></o:p>

 

「セクト」「過激派」という言葉から始まる思考停止

<o:p></o:p>

 目に見えない放射能との闘いは、想像力と感受性が本当に大切になっています。しかし、3・11までマスコミ等々にだまされ続けてきた私たちは、「セクト」「過激派」なる言葉が出たとたんに、再びの思考停止におちいってしまうことがあります。

<o:p></o:p>

 4月5日付産経新聞の「過激派 福島大で暗躍」なる記事を読まれた方は、この記事の背景をどう“想像”されたでしょうか。<o:p></o:p>

 現在福島大学の清水修二前副学長が、脱原発の立場からも後退して、金儲けのための「復興」へと舵を切り、学生たちの反原発の行動を敵視し、学生を呼び出し、親を使ってはつぶすということをやってのけています。彼は「年1ミリシーベルトが急に年20ミリシーベルトに緩和されるのはいかにも不合理」と言う同じ口で、「被災者がそこで暮らしていくためには甘受する以外なかろう」と言う。そして「原子力村を袋だたきにして片づく問題ではない」と、責任を追及する立場もありません(本年4月7~8日「原発と人権」全国研究交流集会にて)。そもそも、こうした彼の立場が批判され、「3・11福島県民大集会」が「原発いらない!」のスローガンのもとに開催されたことを、彼は何も反省していません。<o:p></o:p>

 こうした学内における攻防の文脈で、福島大学当局・警視庁公安部・産経新聞が結託して記事が書かれました。運動の側が、「過激派」などと聞けば再びの思考停止、マスコミの策略にだまされるお人好しな人間であってはならないと思います。<o:p></o:p>

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3・11以前の発想では行動出来ない

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 3・11以降の大衆行動の活発化によって、多くの可能性が生まれてきました。原発の全機停止という事態にまで政府が追いつめられるなど、誰が予想していたでしょうか。問いたいのは、3・11以前の発想で、始まってもいない実践の可能性を否定することは運動の前進になりうるでしょうか、という問題です。

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 「都民投票」のような運動も、始まるときは少なくない方が「敵の土俵で何ができるか」と批判されていたと思います。しかし、今、橋下徹大阪市長の「脱原発」の虚偽性について語るとき、多くの方がこの投票を彼が蹴ったことをあげます。これは多くの方が動いてこその成果であり、これはやりきってみてはじめてわかったのではないでしょうか。<o:p></o:p>

 私たちが行動し前進していく必然性はそこに存在しており、問題は私たちの発想の貧困さによって、こうした必然性を行動する前から否定してはならないということです。<o:p></o:p>

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分断を乗り越え力を合わせましょう

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 診療所の議論の中で感じたことは、「避難かとどまるか」という福島現地での分断の構図に運動が巻き込まれ、同じように分断されることを許してはならないということです。政府の再稼働政策をめぐって情勢は緊迫しています。あらゆる分断を乗り越え、力をあわせて闘うときだと思います。

<o:p></o:p>

 福島第一原発の廃炉作業は、実際にそこで働く労働者から、被差別出身の労働者や在日朝鮮人の労働者、非正規の労働者がほとんどだと聞きました。廃炉作業という、原発をなくすために必要な作業すら利用し、再び分断と差別の構造を作り、労働者を使い捨てるあり方をますます強めようとする。こうした政府と東電のやり方に対して、真正面から立ち向かう必要があります。「絆」「痛みの分かち合い」「がんばろう日本」等々、事故の責任をあいまいにし、虚偽の「共同性」を国家主義的に吹聴するあり方に対して、民衆の側は闘いの中から、本当に人間らしい共同性を対置し原発をなくしていかなければならないのです。団結することこそが一番大事な方向性であり、診療所建設はその手段としてあります。<o:p></o:p>

 最後まで読んでいただきありがとうございました。率直な批判や意見をいただけると幸いです。もっと議論を広く、深く、前に進めることが大事だと思っています。

(以上、転載)

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子どもたちの命と健康守る診療所を福島に :資料・・訴えの転載

2012年04月17日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

 当通信のモットーでもある「一人が万人のために、万人が一人のために」のテーマに関わることとして、訴えを転載で紹介します。避難・保養・医療(すべての問題の相談)は今後の福島における闘い、反原発、放射能から子どもたちと私たちの健康と命を守る運動の根幹をなす取り組みだと思います。

?????? ?????? 転載 ??????

東日本大震災救援対策本部 ニュース275号(2012.4.17)

子どもたちの命と健康を守るため、

             福島に診療所の建設を

2751417mg_291382_8357197_0           


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救援本部ニュース275 2012.4.17

福島県伊達市立松陽中学校の卒業式でのあいさつ

PTA会長 渡辺馨さん(福島診療所建設委員会事務局長)

原発事故の証人となって「原発や核と人間は共存できない」と世界に訴える大きな使命

 福島県労組交流センター代表、福島診療所建設委員会事務局長の渡辺馨さんからメール報告が寄せられたので掲載します。

*  *  *

 3月13日、中学校の卒業式でPTA会長として行った卒業生へのあいさつがけっこう好評でしたので、そのときの文章を送ります。

 卒業生の皆さん、保護者の皆様、ご卒業おめでとうございます。
 子ども達が無事、中学3年間の学業を修め、この松陽中学校を巣立ち力強く羽ばたいて行く、今日の良き日を迎えられましたのも、熱心にご指導くださった校長先生を始め、先生方のおかげと心より深く感謝しています。
 さて、卒業生の皆さんはこの松陽中学校で過ごした3年間を振り返って、今、どんな思い出が胸に浮かんでいますか?
 絆をテーマに開催した松陽祭、修学旅行、体育大会、そしてクラスやクラブ活動で仲間たちと共に笑いあったことでしょうか、時に気持ちがすれ違い悩んだことでしょうか? 今はその一つ一つが、みなさんの成長を育む大切なかけがえのない思い出だと思います。
 昨年3・11東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故は、すべてを変えました。家を奪われ、仕事も生活の糧も奪われ、育んできた農地や家畜を奪われ、そして子どもたちの未来までも奪われようとしています。福島県に住む私たちは、目に見えない放射能の恐怖とたたかっていかざるえません。本当にくやしいです。安全だと言って原発を推進してきた人たちに責任をとってもらわなければ、一歩も前に進めないのです。
 3・11東日本大震災を経験した私たちは、「人が生きることってどういうこと?」
「これまで当たり前と思っていたことがまったくそうではないんじゃないか」「毎日友達といろんな話をできることが実はとっても貴重なことなんだ」と、気付かされたのではないでしょうか。
 私もこの1年、今までだったら出会うことのない多くの人たちと出会いました。そして私たちが生きているこの社会や、未来についてこれほど考えさせられた時はありません。
 福島のこの地に住む私たちは、大きな使命を与えられました。原発事故の証人となって「放射能なんかに私たちの生活や未来を奪われてはならない」ということ、「原発や核と人間は共存できない。」ということを世界に訴える大きな使命を与えられました。
 そして福島から伊達市から発信した声が日本中を、そして世界中を変えます。みんながつながれば大きな希望ができると思います。

 皆さんはまた春からの新しい環境の中で、様々な経験を重ねていくことでしょう。人とぶつかって悩むこともありますが、それらを癒してくれるのも、やはり友人です。相手の気持ちを大切に思いやり、人の苦しみ、痛みを感じ、分かち合い、お互いを助け合えるような、いい友人を、どうぞたくさんつくってください。

 新しい世界への扉を開き、勇気を持って羽ばたいていく皆さんの未来に幸多かれと願い、私のあいさつとさせていただきます。ご卒業、心からおめでとう。

 

2012年3月13

                  伊達市立松陽中学校

                   PTA会長 渡辺 馨

 

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「福島 フクシマ FUKUSHIMA」から転載 3・11郡山集会・福島県民6人の訴え(続き)

2012年03月17日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

※以下は、2012年3月17日付記事で、3・11郡山大集会報告③として、webサイト「福島 フクシマ FUKUSHIMA」から転載で紹介した《福島県民6人の訴え》の続きです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「新しい避難村」を要求する

        飯舘村から福島市に避難中の農業者
                      菅野(かんの)宏さん



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◇すべてを失って

 5月から福島に避難して、お世話になっています。
 飯舘村では、高原野菜を作っていました。しかし、今回の原発事故で、すべてを失ってしまいました。野菜を国民の皆さんに届けることができません。飯舘村の農家は、ほとんどが農地も牛も、すべてを失って、涙を流して、廃業しました。もう、飯舘村で農業を行うことができないのです。
 避難をしていても、何もすることがないのです。農家は、農業をやることが仕事です。どうやって生きろというのですか。誰も教えてくれません。

◇放射能は火山灰じゃない

 事故から1年が過ぎます。
 飯舘村は、去年の3月15日の時点で、44・7マイクロシーベルト/毎時です。この高い放射線量の中に、飯舘の村民は放って置かれたんです。長期間、被ばくをさせられたんです。
 誰の責任ですか。
 さらには、放射能まみれの水道水まで飲まされていたのです。加えて、学者も、国も、行政も、「安全だ」といっていました。
 どこに安全があるんでしょうか。その物差しがないでしょう。これをどうしてくれるんですか。答えがほしい。
 国民に、国も学者も、政治家すべてが、正しく教えるべきであり、正しく道を引くべきであります。死の灰をまき散らしておいて、「放射能は無主物」〔※〕だと言います。
何事ですか。火山灰ではないのです。原発事故は天災ではないのです。明らかに人災なのです。
 東京電力と国は、きちんと責任を取って下さい。
 
〔※ 誰の所有にも属さないの意。二本松市のゴルフ場が、放射性物質による汚染の除去を求めて、仮処分の申し立てたことにたいする、東京地裁の決定文にある言葉。東電には責任はないという意味〕

◇何が除染だ

 いま、大手ゼネコンが、相馬・双葉地域に入っています。
 「除染、除染・・・」。歌の文句のようです。何を言葉を並べているのでしょうか。
 路頭に迷う住民の、私たちの今後の暮らしのことについては、住民の意向をなにひとつ汲んでいません。今後の暮らしの希望の持てる施策がないのですよ。こんなことで、許せますか。よいのですか。それはないでしょう。
 被害を受けて私たちは、悲惨な思いで生活をさせられています。まだまだ長生きできたはずの村の高齢者が、次から次へと他界していきます。家に帰れないで、避難先で悲しくも、旅立ちます。

◇新しい避難村を

 放射能の心配がなくて、元のように、美しい村になって、安心して、安全に暮らすことができる、そういう生活の場所と、いままでのようなコミュニティーの形を作った「新しい避難村」を、早く、早く、私たちに建設して下さい。
 美しかった飯舘村は、放射能で、そこには暮らせません。新しいところを、求めなければならないのであります。国にも、行政にも、子どもの健康と、若者が未来に希望を持って、暮らすことができる、そういう生活できる、そのためには、住民の意向を、十分に反映した新しい施策を要求します。
 皆さん、この悲惨な原発事故を、この事故を、二度と起こしてはなりませんし、この起きた実態を、風化させてはなりません。国民が忘れてはならないのです。
 福島県の皆さん、全国の皆さん、とくに福島県の皆さん、県民が一丸となって、もっともっと声を大きくして、全国に、世界に訴えていきましょう。

 


原発について何も知らなったが、いまここに立っている

         富岡高校から避難してきた女子高生
                          鈴木美穂さん
 


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◇ヨウ素剤が配られて

 私の地元は郡山ですが、サッカーがしたくて、(サッカーの名門)富岡高校に進学しました。寮生活をしながら、サッカーに明け暮れ、仲間と切磋琢磨の充実した日々を送っていました。
 地震が起きたのは、体育の授業中でした。ものすごい揺れで、あのとき必死で守ってくれた先生がいなければ、私は、落下してきたライトの下敷きになっていたと思います。
 校庭に避難しているとき、まさに津波がきているということ、そして、原発が爆発するということは、想像もできませんでした。
 この震災が起きるまで、私は、原発のことを何も理解してしませんでした。
 翌日には、カップ麺と携帯を持って、川内村に避難しました。乗り込んだバスの中には、小さな子どもを抱えた女性や、お年寄りの方がいました。自衛隊や消防車が次々とすれ違っていく光景は、現実とは思えませんでした。避難所に着くと、小さな黒い薬を配る人たちがいました。それは、恐らく、安定ヨウ素剤だと思います。配る様子は、とてもあわただしく焦っているようで、私は、やっと事態の深刻さが飲み込めました。

◇原発作業員の方を思うと

 1号機が爆発し、川内村も危なくなり、郡山に避難することになりました。
 私のことを郡山まで送ってくれた先生は泣いていました。先生には、原発で働く知人がいたのです。
 原発事故を終わらせることができるのは、作業員の方だけだと思います。でも作業員の方は、私の友人の両親であったり、誰かの大切な人であったりします。こうしている今も、危険な事故現場で働いている人がいます。
 そのことを考えると、私は胸が痛みます。

◇「頑張れ」という言葉は嫌い

 爆発から2か月後、私は転校しました。たくさんの方々がやさしく接してくれ、サッカー部にも入部し、すぐに学校にも馴染むことができました。
 でも、私は、被災者になっていました。被災者ということで、様々なイベントに招待されたりもしましたが、正直、こういう配慮や優しさは、かえって自分が被災者であることを突きつけられるようで、それが一番、つらいものでした。
 「頑張れ」という言葉も、嫌いでした。
 時がたつにつれ、原発事故の人災ともいえる側面が、明らかになってきています。原発がなければ、津波や倒壊の被害にあっていた方々を、助けに行くことができました。それを思うと、怒り、そして悲しみでいっぱいです。
 人の命を守れないのに、電力とか、経済とか、言っている場合ではないはずです。
3月11日の朝、私は、寝坊をして、急いで学校に行ったのを、覚えています。天気も晴れていて、また、いつものような一日が始まろうとしていました。
 しかし、その日常に戻ることはできません。線量が高い郡山で、生活し続けることに、不安を持っていますが、おじいちゃん・おばあちゃんを置いて移住することはできません。私は、原発について何も知りませんでしたが、いまここに立っています。
 私たちの未来を考えていきましょう。




国策によって二度も棄民された

警戒区域の浪江町民で本宮市の仮設住宅で暮らす
                           立花竜子さん



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◇着の身着のまま

 浪江町は、原発のない町。しかし、原発が隣接する町です。
 私は、先の大戦から引き揚げてきて以来、浪江町に在住していました。現在は、本宮市の仮設住宅に入居中です。それまで9か所の避難所を転々としました。
 あの原発事故のときの避難の様子は、100人いれば100人の、千人いれば千人の苦しみと悲しみの物語があります。語りたくとも語れない、泣きたくとも涙が流れない、つらい思いをみんな抱えています。
 津波で多くの人が亡くなった浪江町請戸(うけど)というところは、原発から直線で6~7キロの距離です。でも、事故の避難のために、その捜索もできずに消防団を初め、救助の人たちは、町を去らなければならなかったのです。
 3月11日は、津波による高台への避難指示、3月12日が、「避難して下さい」というのみの町内放送でした。「なぜ(避難なのか)」がなかったのです。したがって、ほとんどの町民は、2~3日したらと思って、着の身着のまま避難しました。そこから、そのまま長い避難生活になるとは、どれほどの人が考えていたでしょうか。
 もっとも、浪江町長へも、国からも、東電からも、避難指示の連絡はなかったとのことです。町長はテレビで避難指示を知ったといっています。テレビに映ったので初めて知りましたとのことでした。
なぜ浪江にだけ、連絡がなかったのでしょう。原発を作らせなかったからでしょうか。〔※〕疑問です。
 そんな中で、避難はまた悲劇的です。114号線という道路を避難したのですが、そこを放射線の高いところばかりでした。朝日新聞の「プロメテウスの罠」の通りです。
 津島の避難場所には、3日間いました。テレビはずっと見ることができました。15日に、再度、東和の避難場所に変更。この日の夜まで、携帯電話は、一切通じませんでしたから、誰とも連絡の取りようもなく、町の指示で動くしかありませんでした。
 12日と14日の太陽の光がチクチクと肌を差すようだったのが、いまでも忘れられません。

 〔※ 東北電力の小高浪江原発建設計画にたいして、住民は、農地・土地を武器にした抵抗で、今日まで阻止をしてきた。〕

◇戦争の記憶

 12日の避難は、私にとっては、戦争を連想しました。戦争終結後、中国大陸を徒歩で集結地に向かった記憶が蘇りました。
 原発事故の避難は、徒歩が車になっただけで、えんえんと続く車の列と、その数日間の生活は、あの苦しかった戦争そのものでした。
 そして、私は、怯えました。国策によって二度も棄民にされる恐怖です。いつのときも、国策で苦しみ悲しむのは、罪のない弱い民衆なのです。
 3・11からこの1年間、双葉郡の人びとのみならず、福島県民を苦しめ続けている原発を、深く問い続けなければいけないと思います。脱原発・反原発の運動をした人も、しなかった人も、関心があった人も、なかった人も、原発があった地域も、なかった地域も、福島第一原発事故の被害を隈なく被りました。

◇差別と分断

 そして、復興と再生の中で、差別と分断を感じるときがあります。これを見逃すことなく、注視していくことが、今後の課題ではないでしょうか。
「福島は、東北は、もっと早く声を出すべきだ」との意見があります。でも、すべてに打ちひしがれ、喪失感のみが心を覆っているのです。声もでないのです。展望が見えない中で、夢や希望の追求は困難です。しかし、未来に生きる子どもたちのことを考え、脱原発反原発の追求と実現を課題に、生きていくことが、唯一の希望かも知れません。

◇子どもが大人に問うだろう

 先の戦争のとき、子どもたちが大人に、「お父さん、お母さんは戦争に反対しなかったの?」と問うたように、「お父さん、お母さんは原発に反対していなかったの」というでしょう。とくに54基もの原発をつくってしまった日本。そして、事故により日々、放射能と向き合わざるを得ない子どもたちの当然の質問だと思います。
 その子たちの未来の保障のために、「人類とは共存できない核を使う原発はもうたくさん、もういらない」との思いを示すこと。一旦、事故が起これば、原子炉は暴走をし続け、その放射能の被害の甚大さは、福島原発事故で確認できたはずです。この苦しみと悲しみを日本に限って言えば、他の県の人たちには、とくに子どもたちには、体験させる必要はない。膨大な金と労力を原発のためでなく、再生可能なエネルギーの開発に向けていくべきです。
 なぜいま原発稼働?このように大変なことに遭遇していても、まだ、「原発が必要だ」という考えは、どこから来るんでしょう。他の発想をすることができないほど、原発との関わりが長く深かったということなのでしょうか。
 でも立ち止まって考えましょう。
 地震は止められないけど、原発は人の意志で、行動で止められるはずです。

◇傷はあまりに深い

 私たちは、ただ静かに故郷で過ごしたかっただけです。
 あの事故以来、われわれは、何もないのです。長い間、慈しんできた地域の歴史も、文化も、それまでの祖先からの財産も、われわれを守っていた優しい自然も。
 少し不便でもいい、少し堪えた豊かさでいい、どこに根を張っていけるかなんて考えられません。
 子どもやわれわれが、放射能を気にせず生きることのできる自然を大事にした社会こそが望まれます。
 どうぞ全国のみなさん。脱原発・反原発に関心を持ち、お心を寄せて下さい。
 ささやかでいい、確かな一歩をみんなで踏み出すために力を寄せて下さい。
 そして、もう少しの間、寄り添って下さい。傷は、あまりにも深いのです。
 3・11福島県集会の私からの訴えと、いたします。ありがとうございました。

 
以上

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(3・11報告)③ 「福島 フクシマ FUKUSHIMA」から転載 福島県民6人の訴え

2012年03月17日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

 既に何回か3・11原発いらない!福島県民大集会とデモについては報告していますが、今日は集会で行われた福島県民7名の方の発言を一部始終伝えるサイト福島 フクシマ FUKUSHIMAの報道から転載でお伝えします。この訴えに応え、▲政府東電に責任を取らせること、▲原発再稼働阻止・原発全廃へさらに全力で立ち上がることを誓い、▲当面する3月24日のさようなら原発1000万人アクション日比谷野音大集会に大結集しよう。

 

以下の全文が転載です。

福島 フクシマ FUKUSHIMA

 

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

 

被災1周年 福島県民が全国に訴える    3・11県民大集会

 

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(3月11日 2時46分、全員で黙とうを行う。 郡山市・開成山球場)

 




 地震・津波・原発。3・11から1年。福島の人びとは、言い知れぬ喪失感と、時を経ても癒されない気持ちを抱えて、この日を迎えた。

 3月11日、各地で、追悼と新たな出発を模索する行事が行われた。そのひとつ、郡山市内で開催された、東日本大震災・福島原発事故1周年「原発いらない!3・11福島県民大集会」に参加した。



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(球場の椅子席が埋まり、会場の外に人が溢れた。1万6千人が参加)


 集会は、加藤登紀子さんのオープニング・コンサートのあと、実行委員会委員長として、福島県教祖委員長の竹中柳一さん、呼びかけ人を代表して、福島大学副学長の清水修二さん、連帯のあいさつとして、作家の大江健三郎さんが、それぞれ発言した。
 さらに、県民の訴えとして、自主避難者、強制避難者、農業者、漁業者、高校生など、6人(注・・・・webmagazine記事では「7人」となっていましたが6人と訂正させていただきました。以下も「7人」は「6人」と書き変えて転載をお伝えしています
)が登壇した。

 この6
人の県民の訴えが、何より心を揺さぶった。6人はどの人も特別の人ではないが、被災の現実に、否応なく向き合って生きているがゆえの、真実の言葉と深い思想が、聞く者の胸に鋭くせまってきた。
 実行委員会委員長の竹中さんが、「福島の思いを全国に発信したい」といい、「この集会が終わりではなく、大きな変革の始まりとしたい」と訴えたが、いみじくも、県民の訴えは、日本の変革を訴えるメッセージとなっている。

 以下に、6
人の県民の訴えを全文掲載した。できるだけ多くの人に読んでいただきたい。 



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(集会後、3つのコースにわかれて市内を行進した)



自主避難しても福島を思う


 福島市から米沢市に自主避難している3児の母親
                    菅野(かんの)朋子さん


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◇逃げる・逃げない、食べる・食べない

 3人の子どもを持つ母親です。
 3・11原発事故を境に、目には見えない放射能が降り注ぎ、放射線量から高い地域から遠ざかっても、自身やわが子がすでに被ばくし、いずれ影響が体に現れるのではないかという不安は、付きまとっていました。
 毎日、毎日、否応なくせまられる決断。逃げる・逃げない、食べる・食べない、洗濯物を外に干す・干さない、子どもにマスクをさせる・させない。様々な不自由な選択をしなければなりませんでした。
子どもたちは、前のように自由に外遊びができません。学校の校庭で運動もできない。運動会もプールも中止。子どものことを、日に日に考えるようになってきました。

◇子の健康を思い自主避難へ

 そこで私たち家族は、10年後、後悔したくないという思いから、子どもの夏休みを機に、福島市から山形県米沢市に、同居していたお姑さんと子ども2人と私の4人で、自主避難しました。
 現在は、借り上げ住宅に住んでいますが、避難生活は経済的負担がかかり、二重生活や住宅ローンが重くのしかかります。
 仕事の都合で家計を支える父親は、地元・福島市を離れられず、週末だけ子どもに会いに来ています。
 そして、私は、精神障がい者の施設で、いろいろな支援に携わっている仕事をしていますので、米沢市から毎日、福島市内に通勤しています。
 子どもたちは、区域外通学ということで、2月から米沢市の小学校に転校しました。
 福島からきた子と運動着の色が違うことで、いじめに合うのではないかと心配しましたが、1学期からすでに福島からの転校生がいたり、いじめの事実もなく、2学期からの転校生は十数名おりました。
 学校の先生やお友だちにあたたかく迎え入れられ、お友だちもあっという間にできて、遊びに行ったり来たりしています。
 外で思いっきり遊ぶこともできます。米沢は、雪が多く、スキーも生まれて初めての経験でしたが、「楽しい。滑れるようになった」と、うれしそうに話してくれます。
 中には、学校や環境になじめず、福島に戻られた方もおります。

◇子どもの心の叫びは

 子どもたちは、不満をいわず、元気に過ごしていますが、子どもの心の叫びは――

 原発がなければ、福島から米沢にくることも、転校することもなかったし、福島の友だちと遊ぶこともできた。
 米沢はマスクもいらない。放射能を気にすることなく、外で遊べる。
 でも、福島の方が楽しかった。

――と、時折、寂しそうな顔をします。
 私たちは、福島第一原発の事故がなければ、福島を離れることはありませんでした。子どもを守りたいと、米沢にきました。それでも福島が好きだという気持ちは変わりません。
ありがとうございました。



「頑張ろう。日本」でなく「変えよう。日本」を


               二本松市で有機農業を営む
                      菅野(すげの)誠二さん


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◇農業者への打撃

 原発から約50キロの二本松市東和町で、コメ、トマトなどの専業農家をしています。
 原発事故から1年。とりわけ、自然の循環と生態系を守り、健康な作物、健康な家畜を育み、何よりも子どもたちの命と健康のために取り組んできた、有機農業者への打撃は深刻です。
 「落ち葉は使えるのか、たい肥は使えるのか、米ぬかは、油粕は・・・」。これから様々な資材を検証しなければなりません。
 改めて、福島の地域支援の大切さを感じています。
 津波で家も農地も流された農家。自分の畑にすら行くことができず、避難を余儀なくされている苦渋。そして自ら命を絶った農民。
 私たちは、耕したくても耕せない農民の分まで、この苦しみと向き合い、耕して、種をまき、農の営みを続けてきました。

◇再生の努力とそれを潰すもの

 その結果、放射性物質は、予想以上に、農産物への移行を低く抑えることができました。新潟大学の野中教授をはじめ、日本有機農業学会の検証により、粘土質の有機的な土壌ほど、セシウムが土中に固定化され、作物への移行が低減されることが分かってきました。
 つまり、有機農業による土づくりが、再生の光であることが見えてきました。
 幸い、福島県は、農業総合センターに有機農業推進室がある、全国に誇れる有機農業県です。見えない放射能を測定して、「見える化」することにより、「ああ、これなら孫に食べさせられる」と、どれだけ農民が安心したことか。夏の野菜も、秋の野菜も、ほとんどゼロから30ベクレル以下でした。
 ただ、残念なことに、福島の特産である、梅・柿・柚子・ベリー類は、50~100ベクレル以上。きのこ類も菌糸がセシウムを取り込みやすく、山の原木があと何年、使えないのか。椎茸農家や果樹農家の中には、経営転換を迫られる農家、離農する農家が出てきています。
 1月に農水省で発表した福島県の玄米調査では、98・4%が50ベクレル以下です。500ベクレル以上出たわずか0・3%の玄米が、センセーショナルに報道されることにより、とれだけ農民を苦しめているか。
 私たちは、夏の花火大会の中止、福島応援セールの中止、ガレキの問題など、まるで福島県民が加害者であるような自治体の対応、マスコミの報道に怒りをもっています。マスコミが追及すべきは、電力会社であり、原発を国策として推し進めてきた国ではないか。

◇人間と原発は共存できない

 私たち人間は、自然の中の一部です。太陽と土の恵みで、作物が育つように、この自然の摂理に、真っ向から対立するのが原発です。
 農業と原発、人間と原発は共存できません。
 戦前、東北の農民は、農民兵士として、戦地で命を落とし、戦後、高度経済成長のもと、高速道路に、新幹線に、ビルの工事に、私たちのおやじたちは、出稼ぎをして、労働力を奪われ、過密化した都市に電気を送り、食糧も供給してきました。
 その東京は、持続可能な社会といえるでしょうか。
 福島の豊かな里山も、きれいな海も、約3500年も続いてきた黄金色の稲作文化も、まさに、林業家、漁業家、農民の血のにじむような営農の結果なのです。つまり、第一次産業を守ることが、原発のない、持続可能な社会をつくることではないでしょうか。

◇生産者と消費者を分断するのではなく

 私たちのおやじたちは、そのまたおやじたちは、30年後、50年後のために、山に木を植えてきたように、田畑を耕してきたように、私たちもまた、次代のために、子どもたちのために、この福島で、耕し続けていきたいと思うのです。
 そして、子どもたちの学校給食に私たちの野菜を届けたい。孫たちに食べさせたい。そのためにしっかり測定をして、放射能ゼロ目指して、耕していくことが、福島の私たち農民の復興であると思っています。
 生産者と消費者を分断するのではなく、都市も農村も、ともに力を合わせて、農業を守り、再生可能なエネルギーをつくり出して、雇用と地場産業を住民主体でつくり出して行こうではありませんか。
 原発を推進してきた、アメリカ言いなり、大企業中心の日本のあり方を、今変えなくて、いつ変えるのでしょうか。いま転換せずに、いつ転換するのでしょうか。
 「頑張ろう。日本」ではなく、「変えよう。日本」。今日を、その出発点にして行こうではありませんか。



夫の採ってきた魚を市場で売る、活気ある仕事をもう一度


         相馬市で夫とともに漁業を営んできた
                              佐藤理恵さん


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◇真っ黒い波が山のように

 去年の3月11日、東北沿岸は、巨大津波を受け、私たちが住む相馬市も、甚大な被害を受けました。漁業、農業、観光業、すべてを飲み込み、美しかった松川浦の風景は、跡形もありません。
 私は、港町で育った漁師の妻です。夫が所属している相馬双葉漁業協同組合は、毎年、水揚げが毎年、70億円と、沿岸漁業では全国有数の規模を誇っていました。私は、その日も明け方5時から、水揚げした魚を競りにかけ、販売し、午後1時ごろに自宅に戻り、魚の加工販売の準備をしていました。そのとき、あの地震が起きたのです。
 長い揺れが収まり、ぼう然としながら、落ちてきたものを片付けていると、消防車が「津波がくるから避難して下さい」と、海岸沿いを巡回していました。私は、「ほんとに津波なんか、くんのかぁ」と、半信半疑で道路から遠くの海を眺めると、真っ黒い波が山のように見えたのです。
 「だめだ。逃げろー」。息子は子どもを抱きかかえ、私は夫ともにやっと高台に駆け上がりました。そして、そこから見た光景は、まるで地獄のようでした。
 それから私は、もう夢中で実家の両親や弟たちを捜したのです。
 その頃、弟は、自分の船を守るために、すぐに命も顧みず、必死に船を沖に出したのです。沖では仲間たちと励ましあいながら、津波が落ち着くのを待ち、やっと帰ってこれたのは、3日後でした。
 しかし、両親は逃げ遅れ、家ごと津波に飲まれて、帰らぬ人となりました。本当に残念でなりません。

◇放射能が再開を許さない

 そして、津波から守った漁師たちは、9月になれば、何とか漁に出られると思い、失った漁具を一つひとつ揃え、頑張っていました。
 しかし、放射能がそれを許しません。
 毎週、魚のサンプリングをして、「来月は大丈夫だろう。船は出せる」と期待しては、落胆の繰り返しでした。市場や港は、変わり果てた姿です。元通りになるまでには、まだまだ時間がかかりますが、私たちは、1日も早い漁業の復興を望んでいます。
 現在、漁業者は、海のガレキ清掃に出ています。しかし、夫たちは、もう一度、漁師として働きたい、私は、市場で夫の採ってきた魚を売る、活気ある仕事がしたいのです。そして、もう一度、あのおいしかった福島の魚を、全国の皆さんに送り届けたいのです。

続く《長文記事となっていますので、本日付で別記事に、6人の方の発言のうち後半3人の方の発言は、分けて続きます。》

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3・11郡山報告② 3・10~11プレ企画 原発いらない 地球の集い

2012年03月12日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

10日→11日プレ企画「原発いらない 地球のつどい」大盛況で成功

福島の女たちの底力、新たな闘いへの熱気と息吹

 以下はごく一端の紹介にとどまりますが、3・11大集会を「原発いらない」で牽引し通した原発いらない福島の女たちの闘いの大きな一環として、その素晴らしさを幾コマかの写真を通してお伝えできれば幸いです。

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原発いらない!交流と文化のつどい:佐藤幸子さんの挨拶
                         
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  写真中央に緑の地球玉。昨秋以来、テント村を中心に縫い、編み、つなぎ、大きくなっています。原発いらない福島の女たちの闘いと連帯の拡大のシンボル。

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古式フラダンス・・・・「イマジン」

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写真中央:椎名千恵子さんらによる「イムジン河」・・・・イムジン河は「阿武隈川」にフクシマバージョンでアレンジ。

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つどいの圧巻はフィナ-レ、参加者一同、武藤類子さんらによる踊りのインストラクションにならって、輪になっての「会津磐梯山」。

                         

   ここにご紹介した『原発いらない地球(いのち)のつどい』は、全企画のごく一部をカメラに拙く収めているに過ぎません。のべ1千をはるかに超える人々、ビッグアイの10日の文化と交流のつどいだけでものべ5百の人々が訪れていると思います。ものすごいパワーであり熱気であり、誇らしく、またのびのびとした、根底から明るく朗らかなつどいでした。この主催者の闘いが翌日の3・11大集会を決定的に下支えし牽引していることに意を強くしました。

 福島の女たちの佐藤幸子さんは「原発はいらない、これはどんなに立場が違ってもみんなが一致できることだ。今日来てくれた皆さん一人ひとりが、この結論を持ち帰って自分の周りで三人に語り継ぐ、こういうことをやっていけば私の計算では◇◇日で原発いらないは◇◇億の声になる」という趣旨のことを言われました。再稼働をめぐる攻防は、実際には、阻止に成功したり、再稼働を強行されたりの激しい攻防になると思われます。それでも原発は絶対にいらないのであり、全廃あるのみです。私たちと子どもたちの命と未来を原発に委ねることなど絶対にできないからです。

 原発さえなければ、原発さえなければ、今日の福島県民や子どもたちの苦しみもなかった。さらに、いま福島県民や子どもたち、そして「収束作業」に従事し被曝労働で命を削っている原発現場作業員が強いられている苦しみと痛みは、原発あるかぎり、全国の労働者住民、子どもたちが強いられる苦しみであり、痛みです。3・11大集会の先頭に立った福島の人々の闘いこそ、一歩も譲らない、生死と未来を賭けた原発の絶対廃絶、全廃の闘いこそが、福島原発事故、原発と核に対する私たちのとるべき生き方、闘い方であることを示しました。原発と核に対しては、退くわけには絶対行かない、負けるわけには絶対に行かない、前に進むしかないし、必ず前に進むことはできるのです。すべての原発をなくすまで、たゆむことなく、どこまでも勝利するまで闘いましょう、その社会をかえる大運動を職場、地域、キャンパスから広げ、世界を揺るがす大きな、巨大な力にしていくこと、これに尽きます。原発はいらない!みなさん、共に声をあげましょう。

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【3・11報告】 郡山開成山野球場・原発いらない福島県民大集会に1万6千 

2012年03月12日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

郡山に1万6千の大結集

 ・・・・福島と全国全世界の原発と核への怒りと決意

 以下、郡山集会に参加できなかった人々のために、集会の模様とデモについてお伝えします。

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再稼働阻止・原発全廃の決戦、たゆむことなき闘いへ新たな出発点築く

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スタンドを埋め尽くし1万6千

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                                                     野球場のスコアボードは大画面に

                                    
加藤登紀子さんコンサート:「all you need love」「命結-ぬちゅい」「power to the people」、百万人のデモの思いを託し「百万本のバラ」・・・・・。

 集会実行委員会委員長・竹中柳一さん(福島県平和フオーラム代表・福島県教組委員長)が開会のあいさつ:「3月11日が再びめぐってきた。この日、現在の私たちの苦しい状況を共有しながら、今後の思いと決意を新たにすべきと考えました。この集会が終わりではなく、大きな変革の始まりとなることを願ってやみません」と訴えました。


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大江健三郎さんが連帯のあいさつを行い、「原発事故は絶対に起こさせないことはできるのかと問われれば、間違いなく『できる』。この国の原発すべてを廃止すればいい。放射能の影響を受けることは絶対にない」と原発全廃を訴えました。集会の先頭に立った福島の人々、農民、漁民が訴え、決意を表明しました。原発事故で転校を余儀なくされた高校2年生の鈴木美穂さんが「原発がなければ、津波や倒壊で被害にあった人を助けに行けた。人の命も守れないのに、電力とか経済とかいっている場合ではないはずです」「昨年の3月11日の朝は、晴れていて、いつものような1日が始まろうとしていた。その日常に戻ることはできません」と声を震わせて訴えました。

 大地震が発生した14時46分には参加者全員がなくなった仲間、なくなったすべての人々への想いと祈りを込めて黙祷(とう)しました。

 呼びかけ人の小渕真理さんが、「『原発はいらない!』私たちはいま、全国民に向け、高らかに宣言します。ひとたび起これば、きわめて広範囲に取り返しのつかない被害を及ぼし、人々や地域から未来を奪ってしまう放射能災害を、二度と招いてはなりません。すべての心ある人々に呼びかける。福島の犠牲を断じて無駄にしないために、ともに『原発はいらない!』の声を大きくあげましょう」と集会宣言を行いました。

★集会デモのビデオ報告→下記二つのサイトのyoutube動画の転載にてごらんください。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=bCkvNJWX3zY

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=qMA2A2Qstdo

★以下は写真報告。

大集会後、郡山市内の大デモへ

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                                                                                                                         S20120312a4thumb200x1347214
怒り 福島隊
                                                   Nazen20120312a5thumb200x1337215
                   な全(すべての原発いますぐなくそう全国連絡会議)

福島と全国から闘う労働組合、連合等の御用組合の規制をはねのけてたくさんの労働者が組合旗を掲げて郡山開成山野球場に集まりました

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                       闘う農民の隊列も先頭に立ちました
                     

 「原発いらない!」の怒りと決意を3・11福島県民大集会のスローガンに貫き通すために奮迅の努力を払い実現した原発いらない福島の女たちの闘い。NAZENデモ隊列を前に椎名千恵子さんが「今日の集会に『原発いらない』を入れてよかった。女たちの闘いがあった。私たちは日々こうやって闘ってかちとっていかなければ『原発いらない』は続いていかないんです。みなさん、つながって世界を変えていきましょう」とその想いを明かし訴えました(下記NAZENサイトの動画↓)。

 http://blog.nazen.info/?eid=156

 ★この日、フランス、アメリカ、韓国、台湾はじめ全世界で、福島と連帯し反原発デモが取り組まれました。フランスでは、これまでで最大の6万人の「人間の鎖」行動が闘われました(下記動画↓)              
 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20120312-00000022-jnn-int

 アメリカでは、サンオノフレ原発現地やニューヨークはじめ各地で反原発デモが闘われました

                  
                           
                    

                         

福島の人々、福島の女たち、福島県教組、国労郡山工場支部を先頭とした原発絶対反対の渾身の闘いと懸命の努力が、「原発いらない3・11福島県民大集会」を実現した

 3・11のこの郡山大集会は、 「原発いらない」をメインスローガンに真っ向から掲げきる ことによって大爆発し、再稼働阻止・原発全廃への反原発・脱原発闘争の新たな不屈の出発点を築いた。

  政府は「追悼」と「復興への祈り」一色で3・11一周年情勢を染め上げ、大震災・原発事故直後の「政治休戦」「闘争自粛」を上回る「一周年自粛」で、被災地福島の怒りと悲しみと苦しみを「祈り」の帳にとじこめ、反原発・脱原発闘争の先頭に被災地・福島が立つことを圧殺しようとしていました。福島を全国と分断し、「事故収束」デマ、「放射能安全」デマと「追悼」一色でフクシマの怒りと祈りをおさえこみ黙らせ切り捨てることによって原発再稼働に何が何でも持ち込もうと躍起になってきました。

  だが、昨年4月の子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの「20㍉シーベルト撤回」文科省闘争、6・19怒りのフクシマ大行動以来の営々たる闘い、原発いらない福島の女たちの経産省前座り込みの決行、未来を孕む女たちのとつきとおかテントひろばを闘い続ける福島の女たちの命を賭けた決起、福島県教組、国労郡山工場支部を先頭とする福島の労働組合の渾身の決起は、怒りのフクシマの叫びとなってこの政府の思惑を打ち破りました。フクシマの怒りの決起とその呼びかけに連帯する全国からの郡山大結集への決起こそ、「原発いらない」を3・11集会実行委員会全体・共同の怒りと決意とする大集会を実現した最大の力でした。

  この福島の女たち、福島の闘う労働組合の原発絶対反対の一歩も退くことなき闘いと訴えが、フクシマをめぐる一周年情勢での逆流を吹き飛ばし、昨年9・19明治公園6万人決起を実現した労働組合の3・11郡山大結集を呼び起こしました。開会宣言、大江健三郎さんの「原発全廃の決意」、各発言、集会宣言に、この日の大集会をもって新たに開始された闘いの道は「原発いらない」「原発全廃」として凝縮して集約されています。

再稼働絶対阻止へ全力で声あげよう 

 政府は先日の「地元の同意なしでも政府4閣僚の政治判断で再稼働を最終決定する」という枝野・野田表明の通り、あくまで原発再稼働に走ろうとしています。関西電力・福井大飯原発、四国電力・愛媛伊方原発の再稼働を何が何でも強行しようとしており、東電は3・11福島原発事故以来、保守点検が実施されていない計器が704も放置されているのに、その東電最大の新潟柏崎刈羽原発の再稼働に執念をもっています。この3月から4・5・6月が再稼働と原発全廃をめぐる当面最大の決戦となることは明らかです。 

  この追いつめられた政府の再稼働攻撃の中で、私たちは3・11大集会で、再稼働絶対阻止、残る2基ふくめ全原発54基の停止、原発全廃を、原発事故被災地・福島における3・11大集会の名において宣言しました。この決意・宣言を再稼働阻止・原発全廃の大運動にとことん拡大しましょう。

                          
 

★☆★☆★☆★☆★☆当面の東京の反原発・脱原発行動

再稼働を許さない
 さようなら原発1000万人アクション
   3.24集会


  《1000万人が動けばかえられる》

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

◎日時:3月24日(土)
13:00 オープニングコンサート 山本コウタロー
13:30 開会 司会:古今亭菊千代
    発言:呼びかけ人から:鎌田慧さん/賛同人から:辛淑玉さん、他
◎場所:日比谷野外音楽堂(地下鉄霞ケ関駅・内幸町駅下車徒歩5分)
◎パレード出発:14:45~
パレードコース(予定):日比谷公園(中幸門)~東電本社前~銀座~東京駅~常盤橋公園
パレード出発ライブ:サヨコ
※プラカードなどアピールグッズをお持ち寄りください。
◎主催:さようなら原発1000万人アクション実行委員会
http://sayonara-nukes.org/

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明日3・11原発いらない福島県民大集会へ! ③ 福島県教組委員長・竹中柳一さんの訴え

2012年03月10日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

 明日はいよいよ3月11日です。現場で被曝労働で命を削って「事故収束作業」に従事する被差別民・在日朝鮮人・滞日ブラジル人労働者・青年プレカリアートをはじめとする原発労働者・電力労働者と連帯し、農地・牧場と漁場と仕事を奪われ苦闘する農漁民とくやしさと涙と怒りをひとつにして、全世界と連帯し、福島・全国の闘う労働組合先頭に労働者階級の団結で、原発いらない!3・11郡山・福島県民大集会を爆発させましょう。

  1871年ヨーロッパと世界の天を焦がして燃え上がったパリコンミューンのように、明日、東日本大震災・福島原発事故1周年の3月11日、私たちは、人類史上最悪最大の原子力人災の地・フクシマの天空を焦がす怒りと、厳寒を吹き飛ばし凍雪をも溶かす熱気で、原発と核をなくすまで闘い、腐りきりゆがみきった社会を根底から覆す戦いの新たな炎を郡山開成山野球場で点じます。

 私たちが持っている底力を信じましょう。私たちがわが身を焦がしている怒りの熱さと私たちが失うことのない人間の誇りの気高さを確信しましょう。何よりも、群れ、つながり、団結することが生み出す力の大きさを信じましょう。もう一歩も退けません!退いてなるものか!退けないし、ただ前に進むことのみが未来を開き、自ら希望を照らし出すのです。これは絶対に負けられない戦(いくさ)、聖なる戦さです。《勝ち》に行きましょう!その新たな大きな第一歩、怒りのフクシマ・郡山で会いましょう!!!! 

 原発再稼働絶対阻止!全原発なくせ!放射能から子どもたちを守れ!被曝労働から原発・電力労働者の命を守れ!ふるさと・福島を返せ!被災地を食いものにし、なぶり殺しにする「復興特区」断じて許すな!国と電力資本に全責任取らせる! みなさん!これは私たちのいのち(生死)と未来がかかった闘いです。共にたちあがりましょう!

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福島 フクシマ FUKUSHIMA からの転載で3・11郡山への大結集を訴えます。

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福島の思いを全国に発信したい    

・・・・・・・・・・・福島県教組委員長 竹中柳一さんに聞く

 

 震災・津波と原発事故から1年を迎えようとしている中、「原発いらない!3・11福島県民大集会 ~安心して暮らせる福島をとりもどそう~ 」という大きな行動が、郡山市・開成山野球場を会場に開催されようとしている。
 集会の実行委員長として、その準備に奮闘されている福島県教職員組合・中央執行委員長の竹中柳一さんにお話をうかがった。

〔インタビューは1月下旬、県教育会館〕



―― 大きく4点ぐらいでお話をうかがいます。
 一つは、昨年4月に、文科省が出した「子ども20ミリシーベルト基準」にたいして、福島県教組として声明を出されました。これをめぐる当時の状況についてです。
 二つ目は、県教育委員会が、昨年11月に作成した「放射線に関する指導資料」についてです。これにたいして、県教組として「見解」を出されていますね。
 三つ目は、竹中委員長ご自身が、南相馬にお住まいで、被災されました。そのご苦労と思いについてです。
 最後に、今年3月11日に開催される「原発いらない!3・11福島県民大集会」に向かっての訴えをお願いしたいと思います。よろしくお願いします。



【Ⅰ】 県教組声明で20ミリ基準に反対



委員長: まず、昨年4月の県教組の声明についてですね。
 原発事故から1か月以上経過してから、文科省が、ようやく「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」(昨年4月19日)という文書を出しました。いわゆる20ミリシーベルト基準ですね。
 これは、「リスク&ベネフィット論」〔※〕にもとづいて、ぎりぎりのところの上限を取ったというきわめて行政的な発想なのですね。
 本来、「年間20ミリシーベルトなら大丈夫」という話は、科学的な根拠などないわけです。さらに内部被ばくの問題もあります。
 だから、私たちは、教組も「これでは、子どもの命と健康を守れない」と声明を出しました。


〔※ リスク&ベネフィット論: 被ばくによるリスクを問題にする場合、同時に、核兵器や原発から得られる利益(ベネフィット)について勘案し、両者のバランスをとる必要があるという考え方。ICRP(国際放射線防護委員会)の基本的な考え方〕


―― 4月に学校を始めるかどうかが大きな問題だったわけですね。


委員長: そうです。これだけの線量で学校をやれるのか、窓を開けていいのかといったことが問題になりました。
 そういう中で、文科省の20ミリ基準に、一番激しく反応したのはお母さんたちですね。
親御さんは、要請というより、学校に怒鳴り込んでこられるという感じでした。
 20ミリ基準によって、学校現場も親御さんも巻き込んで、振り回されわけです。校長だって、辛かっただろうなと思います。
 4月は、まだいいんだけど、だんだん暑くなるでしょう。だけど、窓を開けたら、「なんで開けるんだ」って苦情がくるし、逆に、開けないと、「こんな暑いときに何をやっているんだ」となる。担任や学校は板ばさみですよね。
 一番の問題は、今回の事故の経過の中で、国がますます信用できなくなったということです。だけど、そういう中で、学校が信用されるのかといったらそうではない。学校だってどうしていいかわからない。そういうところに追い込まれているわけです。
 だから、私は、教職員も、保護者も、そしてなによりも子どもたちが、等しく被害者だという立場です。


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(文科省の20ミリ基準にたいして、福島の親たちが要請行動に立ち上がった。昨年5月23日)


―― 教職員や保護者らの抗議の中で、文科省は、5月末に「1ミリシーベルト以下を目指す」という文書を出しましたが。


委員長: それは、あくまでも目標なんです。いつまでにということが入っていないですし。「1ミリシーベルトを目指す」という将来の目標であって、「20ミリシーベルト以下であれば大丈夫」というスタンスは変化していません。
 避難区域の区別だって、「20ミリシーベルト以下だったら住めるよ」と言っているわけだから、基本的な考えはまったく同じです。
 さらに「学校生活において1ミリシーベルト以下を目指す」というのも、官僚が、いろいろ計算とか基準をひねくり回して、言ってきたわけです。
 あくまでも学校の中に限ったことだから。「学校内では大丈夫だけど、学校以外のことは知りませんよ」という立場です。
 しかも、学年を累計するということだから。学年というと、4月1日から3月31日までです。だから、一番、線量の高かった時期、3月12日から3月31日までは除外しているのです。


―― 県教組の声明と要請にたいして、県教委の側の態度は?


委員長: 県教委から、何もないですね。
 具体的な動きは、それぞれの地域、とくに線量が高い郡山、福島といったところの保護者がまっさきに声をあげました。その声に動かされる形で、一番はじめに郡山市が、学校の除染を始めたわけです。
 あれは、もうやっぱり保護者の力ですね。
 それから、幼稚園から高校まで1万人以上が、見切りをつけて出て行ったわけです。「子どもを育てる環境じゃない」と、県外に転校して行きました。


―― 保護者との関係で見たとき、教職員は?


委員長: 教職員は、被害者であると同時に加害者です。私は、そういう自覚を持ってもらいたいと思っています。
 というのは、原発ある市町村では、原発推進派の力は大きいので、「安全だ。安心だ」という神話の片棒を、知らず知らずのうちに担がざるを得なかったというのがあります。
 原発の体験学習とか遠足といったものを、結構やっているんです。おみやげも持たしてくれるし、無料でバスも出してくれるし。これは安上がりですよね。だから、「いいな」っていうふうになるんです。それは、結局、電力料金をそのような経費も含めて決定できるという仕組みそのものが巨大な力を原子力関連事業に与えている一例だと思います。


―― それに反対するのはなかなか厳しいものがあったということでしょうか?


委員長: 私自身は、原発関連の体験学習や遠足などは計画したことも、行ったこともありません。ただ、やっぱり行く人は行きますよね。
 「行くこと自体が悪いのか」と言われたら、現場では反対することはむずかしいですが、結果としては、原子力行政と電力会社の網の中に入っちゃうわけです。全体で声をあげて行こうという話にはなかなかならなかったですね。


―― いま原発周辺から避難してきている50~60代の方から、「子どもの頃、学校で、先生から、『原発は危険だ。広島・長崎を体験した日本が、なぜ原発を作るのか』と言われた。だから、ずっとそう思ってきた」とお話を聞きました。


委員長: その頃はね。しかし、だんだんと薄れてきました。労働界全体で、労働組合が、追い込まれていったということがあると思います。   
 だから、教職員も、原発推進に一役買っていたというのは間違いないことです。その反省から始めなければいけないと思います。



【Ⅱ】 原発事故に触れない「放射線教育資料」 



―― 県教育委員会が、昨年11月、「平成23年度放射線等に関する指導資料」を作成しました。それは、どういう内容ですか?


委員長: 文科省が、昨年10月に、小学校から高校の児童・生徒を対象にした「放射線副読本」を作りました。福島県の教育委員会が作った「指導資料」は、「文科省副読本」のままです。
 「指導資料」は、原発事故で苦しむ福島の人びとの現状や思いについて、全くといっていいほど、触れていません。そもそも、原発事故について、全然、触れていないですから。これには、腹が立ちましたね。
 教職員にたいする研修会でも、「原発には触れない」「原発については中立の立場を取る」との教育委員会側の発言があると報告されています。
 原発事故について、唯一、触れているのは、避難や退避の考え方のところ。だけど、これがひどいんですよ。読みあげると・・・
 「今回の原子力発電所の事故のように、放射性物質を扱う施設で事故が起り、周辺の影響が心配される時には、市役所、町や村の役場、あるいは県や国から避難などの指示が出される。周辺のデマなどに惑わされず、混乱しないようにすることが大切である。児童・生徒に対しては、家族や看護士や教師の話、テレビやラジオなど、正確な情報を得ることや、家族や教師などの指示をよく聞き落ち着いて行動することが大切であることを指導する」
 飯舘村などでもそうなんだけど、混乱も何も、そもそも避難の指示がでなかったたわけでしょう。国や学者に騙されたということが大きいわけです。国とか県の言うことがいかにだめだったかということを、身にしみてわかっているのに、よくぞこういうことをシラッと書けますよね。
 これは、怒っちゃいますよね。
 だから、市町村によっては、「とてもじゃないけど、こんなものは使えない」「子どもたちに言えない」ってなっています。
 市町村で独自に作ろうという動きもあります。


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(県教委の「放射線教育」にたいして、県教組として見解を出した)


―― 県教組でも、独自の資料を作っていると聞きました。


委員長: はい。県平和フォーラムの向けと、教員向けに、二つ作ります。
 私たちとしては、教員向けが大事なんで、4月から、どういうスタンスでやればいいかということについて、詳細なものを、Q&A形式にして作ります。


―― 「指導資料」は、4月から扱うわけですね。


委員長: そうですね。学級活動や理科の中でやるということになっています。


―― そうすると、これを教えなければいけないということになるわけですか?


委員長: そうですね。内容どおりにね。


―― そうすると、「これは教えられない」という現場の気持ちとぶつかるわけですね。


委員長: そうです。結局、学校現場で、国策と対峙することになるんですね。
 例をあげれば、双葉郡(原発立地地域)の教員の場合、クラスにいる子どもの親御さんが、東京電力や原発関連に勤めているということがいくらでもあるわけです。
 その子どもを前にしては、「原発は危険だ」ということを言えるか。教員が子どもを通じて対峙しているのは、親も含めたその地域のあり方。原発によって成り立っている社会に相対していかなければならないわけです。それは厳しいことですよ。
 だから、「何が教えられて、何が教えられないのか」ということを明確にして、子どもに対応する必要があると思っています。私たちは、そのことを教員に知ってもらいたいという立場で、私たちの独自の資料を作っています。
 例えば、低線量の被ばくの影響についてどう見るかです。「閾値はない」、少なくとも、「『安全です』とは言いきれない」といったところです。
 実は、振津かつみさん〔※〕に監修してもらっています。相談しながら、いい資料にしたいと一生懸命やっています。
 良いものができれば、全国でも使ってもらいたいですね。


〔※振津かつみ: 医師。放射線基礎医学が専門で、チェルノブイリ事故被災者の支援に長年携わっている。〕



地域との結合を目指して


―― 原発立地周辺での地域との関係の厳しさを言われましたが、逆に、地域住民と教育労働者とが結びついたときの強さというのもありますね。20ミリシーベルト問題や放射線教育での教組の頑張りもそういう意義があるのでは?


委員長: 時代が難しいし、地評といったところがセンターになっていた頃とは、全然、違います。
 ただ、やっぱり、これから目指していく方向は、地域住民との結びつきというところだろうと思うんですよ。
 そういう点で、保護者と教職員を敵対関係にするような動きが、ずっとありますね。「ダメ教員」とか、「教育の再生」とかいう宣伝です。政府、財界、テレビ、新聞が、キャンペーンを張ってきましたからね。教育基本法改悪、教育再生会議などの辺りから、そういう流れがすごかったですね。
 教育基本法改悪のときは、教職員組合としては一生懸命に取り組んだし、全国的な盛り上がりもありましたが、マスコミは、教育基本法改悪の問題性を、まず取り上げてくれなかったですね。
 私が、ちょうど、教組の副委員長になったとき、最初に取り組んだのが教育基本法改悪でした。新聞広告を出したり、街頭宣伝カーを回したり。
 教育基本法の教育の独立というのは、行政の不当介入にたいする独立ということだったんです。ところが、それが、議員の方々などは、不当な介入というのは労働組合のことだと思っている人がいるんです。
 どうして戦争を起こしたのかということです。教育勅語や御真影で、国民が批判的な精神や自立的なものの見方をできなくなったときに、そういうことになるんだというのが身にしみてわかったからです。
 だけど、いまそれがまったく逆の意味になってしまっています。
 よその国を「独裁だ」「恐ろしい国だ」と言っているけど、「日本は大丈夫なのかよ」と言いたくなりますね。大本営発表みたいなのが、今、原発事故の発表でも、行われているわけでしょう。  



【Ⅲ】 南相馬での被災と屋内退避



―― 委員長は、南相馬市にお住まいで、被災されています。

委員長: 3月11日に地震がありましたが、なんとか家までは戻れました。妻と子どもたちは幸いなことに無事でした。
 ただ、妻の母親の家が、海から50メートルも離れていないところでした。その日の夜に、捜しに行ったんですけど、夜だったからよくわかりませんでした。避難所も回りました。
 翌朝は晴れで、また、捜しに行ったら、家がまるっきりもうなくて、海の中なんですよ。土台だけが残っていました。
 そして、その日のうちに、遺体が発見されました。
 そうこうしていると、12日に原発事故が起きて、あれあれって言っているうちに、屋内退避ですから。このころはずっともう家の中にいました。
 屋内退避に関して、今でも忘れられないのが、西山という審議官ですね。屋内退避って言ったのはいいんだけど、ただ屋内退避だけ言って、ずっと中にいろというのが無理に決まっているじゃないですか。外に出なければならないときもあるわけです。それで、「外から戻ったら、着ているものは脱いで、ビニール袋に捨てて下さい」と言うんですよ。
 脱いだものをどうすんだということです。何回も外に出でたらどうするのか。原発の作業員は、防護服を一回着たら捨てているわけだ。だけど、われわれには防護服も何もないべって。
 ほんとにあれはひどかった。何に言ってんだって腹が立ちました。
屋内退避になって、どんどん食料がなくなっていくでしょう。
 そのうち、17日になって、桜井市長から避難について重要な説明があるから、最寄りの学校に集まってくれということになりました。
 医療品や食料がもうない。ガソリンも危ない。放射線より、むしろ、ライフラインの方が問題で、「市としては責任を持てないから、逃げるのであれば、市がバスを用意します。行き先は群馬県と新潟県です。どれだけ希望者がありますか」という説明でした。 
私のところは、電気・水道は大丈夫で、食料もある程度あったので、籠城を決めたんですよ。家は締めきって、換気扇も回さないで、核シェルターみたいなものですね。
 ようやく3月22日に、私だけ、福島市の方に来たんですよ。こっちに来たら食料があったんです。20日辺りから、米がなくなってきて、1日2食になっていたから、いよいよだめかなっていうときに、川俣町で店がやっていたんですね。


――福島市に行くには飯舘村を通って行くのですね。


委員長: そうです。線量計を導入してから、飯舘村を通ると、車の中で、ピピッて警告音が鳴るんですよ。車の中で毎時5マイクロを超える箇所が何カ所かありました。
だけど、南相馬市の線量は、だいたい福島市の半分、飯舘村の4分の1ぐらいでした。
 だから、「これは下手に動かない方がいいな」と判断しました。
 
 

――小高区や双葉郡の教職員の方の状況は?


委員長: 私なんかより、ずっと大変なんです。
 家がなくて、福島市の友人の家に泊まりながら出勤していたりね。
 しかも学校は避難所になっていますからね。だから、校長や教頭で家が警戒区域になった人は、当時、ほとんどが学校に泊りこんでいましたよ。自分の家がない人は泊るしかないですしね。



【Ⅳ】 「福島をとりもどしたい」という思い



―― 津波震災と原発事故から1年を迎える3月11日、「原発いらない!3・11福島県民大集会 ~安心して暮らせる福島をとりもどそう~」という大きな催しが、郡山で開催されます。委員長も、福島県平和フォーラム代表として、準備に奮闘されています。
 昨年12月10日の日比谷野音の集会で、委員長が登壇し、厳しさと力強さを込めた訴えをされました。
「3月11日以来、何が変わったか。何も変わっていない。日本のあり方が変わらない限り、子どもたちに未来はない。日本を変えていこう」と。そして、「福島の思いを全国に発信し、福島の思いを日本全体で共有する。そういうものとして3月11日をやるんだ」という趣旨でした。


委員長: 思いとしては、今、言われたように、「変わってない」という気持ちが強いですね。変わってないばかりか、福島以外の全国では、原発事故ということが、もう終わったと思っている方が多いのかなという気がします。
 ところが、私たちにとってみたら、事故は現在も進行中だし、ますます広がっているというのが現実なんです。それなのに事故が収束したなんて、とんでもない話です。
 変わっていないという点では、原子力安全委員会の班目委員長だって変わってないですね。誰も責任を取っていないし、謝ってもいないのです。
 賠償の問題もあるけど、私は、「変わってない」というところに、一番、腹が立つんです。つまり、この国は、イラク戦争(2003年)のときに、「大量破壊兵器がある」と言って、武器を運んでいたわけです。だけど、その後、戦争を始めたアメリカ自体が「大量破壊兵器はありませんでした」と言っているのに、それを大義として参加した日本の政治の責任について、この国は、ほとんど忘れてしまっている。
 それと同じことが、福島原発事故でも起こりつつあると思うのです。
 津波ではなく、原発が原因で、直接ではないにしても、亡くなった方もいっぱいいると思うんです。避難所や避難の過程で亡くなったり、故郷を追われて亡くなったり。家族もばらばらにされているし。子どももストレスを受けている。食品の問題もありますね。農産物もとんでもない被害を受けている。いろんなところでいろんな目にあっているわけです。
 ところが、東京に行くと、普通に歩けば、何もなかったような感じですよね。AKB48とかが話題になっているわけでしょう。
 片や、同じ日本なのに、福島では、いろんな目にあって苦しんでいる。これは、割り切れない思いがしますよね。


―― 「日本を変える」というメッセージも発信されました。


委員長: この原発事故という事態を梃子にして、日本を変えてかないといけないと思います。というか、このままでは、とんでもないことになるという気がしていますね。
 私たちの世代の場合、ちょうど鉄腕アトムから始まって、高度経済成長を享受してきたわけだから、自分自身がとんでもない目に遭うのは、ある意味では、自業自得だって思うんです。だけど、その後の世代の人は、そういう恩恵も受けていない。
 だから、これは、やり続けるしかないし、言い続けるしかないと思っています。
 それは、たまたま原発から23キロのところで、避難しなくてすんだという、そういう自分に与えられた運命なのかなと思って、自分自身の思いとしては、もうやらざるをえないし、やるのが当たり前だろうって思っています。


――集会名称に「福島をとりもどそう」とあります。


委員長: 「福島をとりもどそう」には、いろんな意見もあるんですがね。
むしろ「もうとりもどせない」と考える方が、本当なんだという人もいます。「子どもたちが福島には住めないから、避難させる運動を作るべき」「除染というのは間違っている」と。
 ただ、やっぱり思いは、「福島をとりもどそう」なんですよ。福島県の大地から放射能物質を取り去りたいという思いとしてあるんですよ。


―― 「福島県では原発は将来にわたり行わない」という文言もあります。


委員長: 電力労連は、未だに、原発の再稼働というスタンスに立っています。それは、「もう原子力はたくさんだ」という思いとは違うわけだから、難しいわけです。
そこで、ちょっと限定をして、「福島県では」となっているのはそういう意味なんですね。「福島県ではもうやめよう」と。
 もっとも、ここには、全国に向って言っているという意味もあります。そこが、ひとつ大きなポイントなのです。
 福島と同じ様なリスクや運命が、原発を持っているところには、等しくあると思うんです。福島だけの問題だなんて言われたら困ります。そこら辺も発信したいと思います。
「福島県では原発はもうやらない。あなたたちの県ではどうするのですか」という思いを、突きつけたいという気持ちがありますね。
 私の個人的な思いとしては、原発のある道府県は、全て最終処分場を引き受けるしかないと思っています。モンゴルに持っていくなんてひどいことを言っているでしょう。
 そこに住んでいる人間の覚悟として、最終処分場まで引き受ける覚悟がなければ、原発をやってはいけないんですよ。福島県は10基も原発を作ってしまったけど、福島県民として、最終処分場までやるという覚悟までしての決断だったのか。もしそこまで考えたら、誰も原発はやらないでしょう。
 30年・40年ではなくて、何十世代にもわたることです。これは、どう考えても、ご先祖様にたいして申し訳ないし、将来の人にたいしても申し訳ないことでしょう。


―― 3・11集会はどういう陣形になりそうですか。


委員長: 私たちは、ずっと準備会をやってきて、農協とかいろんな団体に入ってもらいたいと努力中です。
 労働組合も、生産者の団体もというのが理想なんですけどね。
 私の考えだと、一番ダメージ受けたのは、この土地を使って生産をしている方々、農業・畜産ですよね。その方たちの声を聞きたいですね。



資本の論理に抗して



委員長: 私は、集会などでよく言うんだけど、農業は、土を作るのに、10年はかかるでしょう。それは、結局、経済の論理から外れているんですよね。「儲ける、儲けない」の話だと、1年とか半年でしょう。10年をかけないとできないものが大事なんだけど、そういうものを原発は潰してしまったんですね。
 おかしいのは、10年もかかるものが安くて、1年でできるようなものが高かったり。価値基準がまったくおかしいですね。ひっくり返っていると思いますよね。
 きれいなで安全な水とかが、ほんとは非常に価値が高いはずですよね。それに比べて、ICチップなんかは価値が低いと思います。価値の新しい基準が必要だと思うんです。


―― 資本主義の限界が、こういう形で見えているということに、もういい加減、気づかないといけない。そういう非常に大事な警告ですね。脱原発のスローガンの基底に流れる思想にかかわることだと感じました。



【Ⅴ】 権威を疑い、自分で考える



―― ところで、学校では、何を教えられているのですか?


委員長: 私は英語なんですよ。
 もっとも、私も、変わってますから。大学にも6年もいたし、学生運動みたいなこともやりました。
 大学は、千葉大学です。しかし、入ったのは、理学部物理学科、出たのが人文学部の哲学科。それで、公務員をやってから、教員の免許を取り直しました。
 もともと、東京・葛飾の生まれなんです。「三丁目の夕日」みたいな生活をしていました。


―― 福島に赴任されたのは?


委員長: 大きな理由の一つは、東京のごみごみした生活に疲れたというのがあるんですよ。できれば、福島のように、空間がうんといっぱいあるところに来たかったというのがあります。


―― どういう思いで教員に?


委員長: 教員なんて、なる気はなかったんですよ。
 中学校のときは、教員なんて、「権力の手先だ」と思っていました。「先公」と「ポリ公」と同じ言い方をしていました。私が中学生の頃は、それが普通でした。
 ただあることをきっかけに、30歳近くになってから、自分の根本的な考えやものの見方が、中学生の時代のある教員との出会いに大きく影響されていたことに気づきました。それから、教員をめざしました。
 極端ないい方かもしないけど、「結局、教員は、国や文部科学省の枠の中にいる」と判断できる子どもが育てばいいと思っています。
 「教員だって間違えたことを教えるし、国もとんでもないことをするんだ。だから簡単に信じてはだめだ」という気持ちを持って卒業してもらう。これがすごく大事だと思っています。何かものを考えるときの基本なんですね。一回は疑ってかかるという姿勢をどこかで持ってないと、こわいんですよ。このことを中学生時代のその教員に教わりました。
 教員として、「本当のことは、自分で調べ、納得のいくまで考えて、自分自身で責任を持って判断しないとだめだ」ということを教えられればいいと思っていました。


―― それは、今の福島の状況や国の問題にたいする委員長の姿勢にも、貫かれていますね。


委員長: そうですね。基本的なスタンス変わらないですね。


―― 今日は、長い時間、ありがとうございました。

 

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原発労働者の訴え(福島 フクシマ FUKUSHIMAからの転載)前回記事の続き(後半)

2012年03月09日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

※この記事は、2012年3月9日付けの記事(webサイト 福島 フクシマ FUKUSHIMA 掲載の原発労働者・「大西さん」インタビュー記事の転載・紹介)の続き・後半部分です。

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【Ⅱ】 中抜きとピンハネ

 
―― 大西さんの会社は何次下請けですか?

大西: 3次です。
 一番上の発注者が東電。その次が元請け。元請け会社は、東電工業とか、東芝、日立とか、鹿島建設、清水建設などの大手。その次が1次下請け。さらに2次下請・3次下請けは、ほぼ地元の企業。大熊工業とか、双葉企画みたいな名前で、原発周辺でだいたい組をつくっています。組というのは、いわゆる人夫出しですね。
 「原発ジプシー」という言い方もありますが、原発労働者は、大部分が、定期点検で全国各地の原発を渡り歩くんですけど、日雇い労働者だけではなくて、それぞれの地元の住民です。
 福島や新潟や福井の原発周辺の住民が、原発労働で全国を巡り歩いているのです。そうやって巡り歩く労働者を受け入れる先が、1次・2次の下請け企業です。さらに1次・2次の下請けが抱え切れないというか、すぐに雇用できて、すぐに使い捨てできるような形の3次・4次の下請け会社がたくさんあります。
 一番の末端では、親方が2~3人を連れて、現場を移動していく形になっています。福島の中でも移動していくし、定期点検で人が足りなくなったら全国の原発に人を出していく。ということをやっていますね。

―― 大西さんの会社の規模は?

大西: うちの組は10人ぐらいですね。社長も含めて親方が3人です。親方が寄り集まって会社をつくっているんで。それ以外の人たちは、入れ替わり立ち替わりという形です。

―― 組とは?

大西: 親方がいるところを組といいます。
 班というのもあります。小さな会社が、別の3次・4次の下に入ったとき、会社自体が、「なんとか班」と呼ばれたりします。
 結構、複雑です。東電の現地採用の人、元請けの現地採用の人、さらに下請けの会社の人。みんな学校の同級生なのです。地元の人で、顔見知りなのです。
 そういう関係で、仕事を回し合うのです。上になったり下になったり、仕事がなかったら回してという具合に。だから、複雑になるわけです。

―― 人夫出しだと、私が知る範囲では地元の暴力団とかですが?

大西: 組というけど、暴力団ではないです。
 僕の友人のいた会社の上は、たしかに暴力団が経営する人夫出しでしたが。

―― 下請けが3次4次5次と行くと、抜かれ方も酷いのでは?

大西: そうです。間に入れば入るほど、どんどん中抜きされていきます。建設労働はみんなそうなんですけど、原発労働はそれ以上。
 例えば、東電が、「1人、1日、10万」で出したら、末端では1万5千円になるっていうぐらいの計算ですね。

―― 親方というのは待遇が違うのですか?

大西: それは「抜ける」ということです。親方になったら。
 だから僕は親方になるのがいやなのです。
 私の友人は、僕よりつらい仕事をやっても、日給8千円。僕よりも賃金は安かったんです。間に2人ぐらい抜く人がいたから。正式には3次かも知れないけど、実質的には5次みたいな会社だったようです。

―― 大西さんはいくらだったのですか?

大西: 9千円~1万円ですね。正規に3次でそうなります。
 1次・2次がボコッと抜いているし、自分の親方もとっていますから。

―― そのことをめぐるいざこざは?

大西: ありますよ。あっちこっちで。刺したり、刺されたり。「危険なことだけやらせやがって」と。
 ジプシーって言われるのは、そういうことも含めて、あちこちに移っていくからです。あそこがだめだったら次へと。

【取材コラム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 良く行く飲み屋で、久之浜の作業員宿舎にいるAさんと、何度か会話をした。
 Aさんは30代前半、北海道から、仲間と一緒に来ている。
仕事は、1Fの3号機のそば。作業用の道路を造り、配線などを敷設する作業。重機のオペレーターをしているという。
 1日、1時間半ぐらいで終わり。「楽だよ」と言うが、線量が高いため。
 日当は、1万2千円、プラス3~4万円の危険手当。
 それでも、5次請けだから、「ハネて、ハネて」という感じだという。
 ただ、Aさんの現在の被ばく量が35ミリシーベルト。たいていの人は、2カ月ぐらいで50ミリシーベルトに達して、それ以上、仕事ができなくなる。
 Aさんも、もうすぐ終わりだ。そうしたら、今度は、10キロ圏内の除染作業の方に行こうと思っているという。
 Aさんは、「東電さんはよくやっているよ」「いまの待遇に満足している」と、東電や鹿島を弁護していた。
 ただ、「いまの被ばく量が35ミリと言われても、それが良いのか悪いのか。どう考えたらいいのかがわからないんだ」と、不安な気持ちを吐露していた。
 Aさんは、北海道に彼女を残してきている。「この仕事が終わったら、帰って彼女とドライブに行くんだ」と話していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・】
―― 労働基準法に照らして現場はどうですか?

大西: すべてダメです。一番最初の段階からダメですね。労働契約書は交わさないですから。人間関係だけで仕事がはじまります。
 だから、賃金を払う段になって、何とかを引いて、何とかを引いてと。そうなると、「おい、それは聞いてないよ」ということが起こります。
 例えば、東電は、泊まる人には食費を支給しています。だけどその食費をなぜか引かれてしまっています。
 東電は、メシと風呂と寝ることに関しては「なし」(=会社持ち)としています。さらに、早出で朝飯が食えないとか、夜遅く帰ってくるから晩飯が食えないというときは、「その飯代も支給しますよ」となっています。
 だから東電から元請けに食費としてお金が入って、それが1次下請け・2次下請けにいくんですけど、その段階で何故か消えてるんですよね。「あれ~?」って。それで大もめにもめてる人もいました。
 それから交通費も。湯本から往復で100キロです。ガソリン代で千円から2千円が一日で飛んでしまいます。 だけどその交通費が込みになっていたりします。
ひどい話ですけど、それは、そもそも労働契約書を交わしてない時点に問題があるわけです。


悪徳企業

大西: でも、ちょっと次元の違う意味で酷いところがあります。企業名を言うと、アトックス(ATOX)という会社。
 元の名前がすごいです。「原子力代行」。代行というのは、「原発における諸雑務、一番下の仕事に人夫出しをしますよ」ということです。
 カタカナとかローマ字になっているからごまかされるけど、一番ひどい会社です。ある意味、東電以上。
 樋口健二さんの写真集に、「雑巾掛けが一番あぶないんだぞ」という話が出てきますが、その作業をやっているのはアトックス。

―― どういう点が酷いのですか?

大西: 僕ら放管が、作業員をサーベイしていると、とにかく一番無防備で、危険な作業しているのが、アトックス。作業員の線量が一番高いのです。
 知っている人は、みんな元請けがアトックスと聞いたら、その会社には行かない。アトックスの人に関しては、地元の人はいないです。
 知らない人がアトックスに行く。東京のプレカリアート層になる。
 普通に「寮付で、飯が食えますよ」と、雑誌とかホームページに出ている。
 もちろん、危険な作業への従事についてなど、一言も書いていない。
 たしかに、アトックスでは、技術は必要ないです。いまだに、雑巾掛けですから。
 しかも、アトックスは、タイベックも着せないで、低レベルの放射性廃棄物を扱わせたりとかしていている。僕らだったら、危険作業に従事していることをわかっているから、低レベルでも放射性廃棄物を扱うときは、タイベックを着て、ゴム手袋を二重にはめて作業をするけど、アトックスの人は、綿の手袋だけで、タイベックも着ない。そういうことを知らない。もしくは、下手するとゴム手袋とかタイベックを着ることを禁止されてるかもしれない。分からないけど。
 だから、放管として、一番気をつけているのは、アトックスの作業員。
 他の作業員は、タイベックを着ているから、それを脱いだら、そんなに線量は高くない。だから、そんなに詳しくはやらない。だけど、アトックスの作業員だけは、どの放管も、とにかく、袖口とか、一番汚れやすいところを厳しくやって、すぐに水で洗うようにとか、アドバイスをしています。



◇労働条件引き下げの先兵

大西: 原発専門で人夫出しをしたら儲かるということで、1980年代の派遣法改正のときに、真っ先にそれに目を付けたのがアトックス。それがいまや、日本では一番大きい人夫出し業者。全国区で展開している。
 発注元が東電だとすると、元請けが東芝とか日立とかで、その下の1次下請けになる。1次下請けの立場で、全ての業務をこれから抑えようとしている。
 人をシステマティックに集めるノウハウを持っているからですね。
 ヤクザなんかとかは違う。数年前に問題になった人材派遣会社のグッドウィルみたいな感じと言えば、イメージが浮かぶのでは。
 とにかく労賃がむちゃくちゃ安い。そして、元請け企業には、格安で受注しています。タイベックスを着なければ、それで経費が浮きますから。
 実は、原発労働者の労賃が、すごくディスカウントしているけど。アトックスの影響がものすごく大きい。
 あらゆる元請けに、アトックスが入り込もうとしているので、そのおかげで、どんどん労賃が下がり続けている。除染作業は、アトックスがほぼ独占しようかという勢い。
 だから、除染というと、単価の話になって、安ければ安いほど良いかもしれないけど、実は、それが原発の被ばく労働の単価をどんどん押し下げている。
 結局、アトックスが、賃金の面でも防護策の面でも、労働基準法や放射線障害防止法の壁を取っ払う役割を果たしている。
 冷血ですよね。次から次へと供給できるから、労働者を使い捨てにしている。アトックスの働かせ方は、危険だと感じています。

―― アトックスに雇われている人たちは都市の若年層ですか?

大西: そうですね。一番若いです。ほぼ全員二十歳代。
 現代の縮図みたいです。
 地元の人はほとんどいない。
 現場でも、アトックスの人だけ孤立してますね。かわいそうですよ。
 しかも、他の下請けに行ったら、しばらくいればある程度の技術なりが身につくでしょうけど、アトックスにいたら技術も身につかないですから。何年やってもふき掃除、何年やってもごみ片付けです。


―― アトックスの実態はマスメディアには知られてない?

大西: 知られてないでしょう。

――労働運動では?

大西: 多分、僕しか知らない可能性が。原発労働者の間では有名ですよ。アトックスって言ったらもう「あんな危険なことさせてるよ」とか「あそこの除染作業をあんなダンピングの価格で請け負っちまって、おれらどうすりゃいいんだよ」とかね。


【Ⅲ】 地元労働者と新たな貧困層

―― 先ほども少し出ましたが、収束作業に携わっている人たちはどういう人ですか?

大西: 原発労働者の出身は、ほとんどが原発立地周辺の市町村です。いまも収束作業をやっているのは、泊、福島、柏崎、福井、浜岡などの人たちです。
 僕の今の実感としては、8~9割ぐらいかなと思うくらい。
なぜそうなっているかというと、自分の地元だから何とかしないと、という気持ちがあります。それから、それで食ってきたから、それ以外の仕事ができない、ということもあります。二重の意味で、閉鎖的な環境で作業が行われているのです。
 東京・首都圏という電力の消費地が、福島や新潟のような地方を、ある種の植民地にしたような状況にあると言えると思います。経済的に見ても、歴史的に見ても、東北というのは、低開発になるようにずっと強いられてきた。そういうところに、「雇用を生み出しますよ」という形で提示されたのが原発ということなのでしょう。

◇地元のつながり

大西: 現場にいて感じるのは、現場の労働者が、どの会社にいようと、東電であろうと、みんな顔見知りなのです。
 小学校が一緒、中学校や高校が一緒、町が一緒という形で、みんなそこに住んでいる住民。だから、「あいつ同級生、あいつ後輩」という感じです。
 東電についても同じです。地元採用枠というのがあって、一生、本社に出ることはなく、出世とは一切関係なく、地元の原発を動かしながら一生を終えるために採用される人です。
 危険要員という面もあるでしょう。実際、東電の社員という一括りに非難するけど、いま一番危険な作業を行っているのは、実は地元採用の東電社員かもしれません。
 危険な作業というのは、下請けだけではないのです。僕は、東電社員と一括りには、ちょっとできないなと思います。だって、「親戚の息子が東電」「知り合いの兄さんが東電」という具合ですから。
 だから、現場では、同じ東電でも、地元採用の東電社員にたいする視線と、東京にいて指令を下すだけの東電社員にたいする視線は違います。


――現場で地元採用の東電社員は?

大西: 以前は、東電の社員というのは、ふんぞり返るのが仕事。作業はしない。地元採用でもそうでした。
 地元採用の東電社員は、高校で一番とか、生徒会長をやったという人でしょう。現場で作業するのは、同級生でも「落ちこぼれ」の人という感じです。
 いまでこそ、東電の社員も、僕らみたいな協力会社の社員にも、頭を下げて挨拶するようになりました。以前は、「おはようございます」と言っても、無視するのが当たり前だったのに。いまは、向こうから頭を下げて、「おはようございます」と言うんですよね。


◇新たな貧困層

―― 原発立地周辺の人以外だとどういう人たちですか?

大西: 後のことはどうなってもいいという人たちがいます。そういう人たちが、1カ月に何十ミリシーベルトも浴びても構わないという風になっています。
 その人たちは、そうなった事情があって、借金を背負ったりで、「一攫千金を得たい」と。千金はもらえないんですがね。それでも、「普通の仕事の倍は稼ぎたい」という人です。
 「危険だ。危険だ」と言われながら、その危険がどういうものかという知識を持っていない人、知らせられていない人たちです。
 3・11以降、1Fを中心に、そういう新しい層が、危険も知らないで、飛び込んで来ています。
 1Fの収束・廃炉の作業には、これから、数十万人、百万人単位の人が必要になります。そのとき、確実に言えるのは、新たな原発労働者の層は、プレカリアートといわれている人びと、貧困に陥った若年労働者になるでしょう。


【Ⅳ】 原発労働の現場と反原発運動とのかい離

―― 原発の現場に入って、労働者の命と権利を守るための方向は見えましたか?


大西: むしろ簡単ではないことが分かりました。
 東電から元請けに発注し、その元請の労働者クラスが、自分の同級生だったりするというムラ社会です。そのようなムラ社会の中に、労働運動をもちこむことの難しさがあります。
 危険な状況にあるのは確かだけど、声を挙げたら一生食えなくなる、もしくはムラ社会から外されてしまうという道を選べないと思います。


―― 原発事故という形でこの社会の根幹を揺らいでいます。そういう事態の中で、住民運動・市民運動・農民運動などが大きく動き始めています。その全体の前進の力で、原発労働の厳しい現実をも跳ね返す空間を作っていくということではないかと考えますが?
 

大西: 僕も、いまそういうことも考えています。
ただ、現状だと、それを一緒に作っていくという方向に、反原発運動の側が向いていない。逆に原発労働者が孤立化させるように、運動の側が、世論を形成しているように感じられます。
――それはどういうことでしょうか?

大西: 「東電社員の賃金なんかカットしろ」といったことを運動の側がいいますよね。もちろん東電は悪いですよ。
 だけど、そうすると何がカットされるかといったら、東電社員の賃金もカットされますが、作業員の賃金もカットされるのです。
 本当にひどい構造なんですよ。運動とか世論がそういう風に利用されてしまっているのです。
例えば、「東電を解体しろ」と言う。そこら辺までは分かります。
 でも、東電や協力企業を全て潰してしまったら、実は、原発が動かないという次元の問題ではなくて、収束や廃炉の作業ができなくなってしまうんですよ。


まもなく作業員が枯渇

―― 作業ができなくなるとは?

大西: 実は、原発労働者が足りなくっています。
放射線管理手帳をもっている労働者は約8万人。意外と少ないんです。しかも、その内の3万5千人が、もういっぱいまで浴びています。9カ月で半分に減っちゃったんです。
たぶん今のペースで行くと(2012年)夏ぐらいには、原発労働者の人数が枯渇するんです。
そうすると1Fの収束作業ももちろん、他の原発の冷温停止を維持することさえもできなくなる危険があるんですよね。
 まして廃炉というのは、1Fの作業で分かる通り、人数がものすごくいる。54機全部を廃炉にするというなら、数百万の労働者が必要です。

――そういう問題として受けとめていませんでした。 

大西: 収束とか廃炉とかの作業を、原発労働者がやっているという感覚を運動の側が持っていない、身近なものとして感じていないという気がします。
 「廃炉にしろ」と、東京の運動が盛り上がっているんですけど、語弊を恐れずいえば、特定の原発労働者、8万人弱の原発労働者に、「死ね、死ね」って言っているのと同じなんですよね。「高線量浴びて死ね」と。自分たちは安全な場所で「廃炉にしろ」と言っているわけですから。
 原発労働者を犠牲に差し出すみたいな構造が、反原発運動に見られると思います。
 そういう乖離した状況があるので、福島現地や原発労働者の人と、東京の人が同じ意識に立って反原発・脱原発の方向になることが簡単ではないと感じています。


―― 廃炉というテーマに、自らの問題として向き合う必要があると。

大西: そうですね。廃炉という問題にたいして、みんなが少しずつ浴びてでも作業をするのか、「いや、原発反対なんだから作業もしないよ」というのか。「被ばく労働なんてごめんだ」といってしまうと、では廃炉の作業はどうするのか。東北の人に押しつけるという意味でしかないですね。
 希望的理想的に言えば、1人が100ミリシーベルトを浴びるんじゃなくて、100人で1ミリシーベルトを浴びようよと。
 しかし、現実的には、みんなが、そういう気持ちになるというわけはいかないと思います。
 とすると、2つ道があります。
 1つは、原発労働に従事するからには、被ばくするわけだから、「健康の問題について、一生、見ます。もし何かあったときは補償もします。賃金も高遇します」という風にするべきです。もちろん中抜きはありませんよ。準国家公務員みたいな形で雇ってね。
 もしくは、2つ目は、徴兵制みたいに、「何月何日生まれの何歳以上の人は、ここで1週間、被ばく作業をして下さい」みたいに強制的にやるか。
後者は、すごくいやなんですけど、でも僕が、実際に原発労働をして思ったのは、これは、反原発運動をやっている人は、全員やったほうがいいんじゃないかなということです。
 反原発だけではなくても、もしそこで原発の電気で恩恵をこうむっているんだったら、やるべきなのでないかという気持ちになっています。

東京と福島

―― 東京と福島の関係についても問題を提起されてますね。

大西: そうですね。東京の人びとは、一方的に電力を享受してきた立場で、福島・新潟っていうのは一方的に作って送り続けていく側。福島の人は、一切、東電の電気を使っていません。
そこで問題なのが、圧倒的多数者の東京・首都圏の人たちが、少数の福島・新潟などの原発立地周辺の人びとにたいして、ある種の帝国主義による植民地支配のような眼差しをもっていることです。それは、権力を持っている者、為政者と全く変わらない眼差し・同じような意識です。
それは、運動の側でもそういう眼差し・意識に立っています。それがものすごくこわい。このことに思いが至らなかったら、たぶん反原発運動はおしまいじゃないか。


◇沖縄問題に通底

―― これは、沖縄の側から米軍基地問題で提起されていることと通底しているのでは?


大西: 全くその通りです。僕も、そこにつなげようと思っています。
 琉球民族の土地に基地を押し付けるというのはまさに植民地問題なんです。


―― 「基地を東京へ持って帰れ」と、沖縄の人たちが言います。それにたいして、本土の運動の側が、激甚に反発します。


大西: そうなんです。
 琉球民族の人口が、だいたい日本民族の百分の一ですね。多数決で言ったら沖縄は一方的に蹂躙される側です。
 そういう関係の中で、本土の側は、体制側であろうと反体制側であろうと、沖縄の米軍基地を引き取ろうとは絶対しないです。
 そういう意味では、為政者・体制と同じ眼差しで琉球民族を支配してます。
 それと同じ構造が、今度は、首都圏が福島や新潟にたいして行っています。


―― そういうことが、無自覚に進められる意識構造が、近代日本の基本構造なのでは?


大西: そうですね。沖縄と東北地方に矛盾を押し付けることで、帝国日本が成り立ってきたわけです。その問題が、こんな形でだけども、ようやく見え始めてきました。
 この切り口をどうやって、これまでの運動の本当に反省と転換ということに持っていけるだろうか。それができなかったら、本当にもう大変なことになるなという気持ちです。




「ガレキ受け入れ反対」への異議


―― 全国で、「ガレキ受け入れ反対」が運動化していますが。


大西: 東京や神奈川・千葉で、反原発運動が盛んですよね。
 だけど、たとえば、松戸市や流山市は、降り注いだ放射性物質が濃縮された下水の汚泥やコミの焼却灰を、秋田に捨てていたんです。
 もともと、首都圏は、産業廃棄物を東北地方に捨ててきた。東北地方は、首都圏のゴミ捨て場。そういう構造になっていました。
 松戸市や流山市は、その汚泥や焼却灰が高濃度の汚染物質だということは分かっていたんです。分かっていたけど、国が発表する前に、秋田などに黙って送っていたという問題です。
 だけど、松戸や流山の運動は、このことを問題にしていませんね。


―― たしかに、ガレキ問題は、放射能問題を考え始める契機としてあると思いますが、なぜ東京に電力を供給する原発が福島にあったのかとか、汚染と被ばくに苦しむ福島の住民や被ばく労働を担う原発労働者の存在といったことに思いをはせるということがないと、先ほど言われていた「為政者と同じ眼差し」になって行きますね。


大西: そうです。
 福島の方に、クソをずーっと貯め続けていて、そのクソが飛び散ってしまった。
 東京の人は、「クソが飛んできたじゃないか!」って文句を言っているけど。
 「それ、あんたが流したクソでしょ」って。
 自分のクソの処理ぐらい自分でやんないと。せめて「いっしょに掃除しましょうよ」というふうになりたいんですけどね。反原発であろうと推進派であろうとね。
 ところが、反原発運動をやっている人は、自分たちは被害者で、まったく罪はないという風に思っていますね。


―― たしかに、反原発の人でも、加害の問題を提起すると反発しますね。


大西: そうですね。そこにどうアプローチするか。
 「原発を、消極的であれ、積極的であれ、推進してきた側と同じ歩調でいたんだよ」ということを、分かってもらうためにはどうしたらいいのか。
 難しいと思うけど。

―― 逆の側からですが、原発も汚染土も東京に持って帰れという憤りが、福島の人びとも心の底にありますね。


大西: もしもですが、「これから第一原発がまき散らした放射能を、全部、東京湾に埋めるんで、東京の人は、気を付けてくださいね」ということをやったら、果たして受け入れるでしょうか、という話ですが、ありえないですよね。
でも、東京の人は、その逆のことを、いとも簡単にやっているのです。傲慢な力を行使していることにすら気づいていないのです。
 ところで、『月刊 政経東北』という月刊誌が、福島にあります。その昨年11月号の「巻頭言」で、次のように呼びかけています。
「・・・霞が関の関心は、大震災・原発事故から年金制度改革やTPPなどに移りつつある。補償も除染も震災復興も不十分な中、抗議の意味を込めて、汚染土を国と東電に返す運動を進めたい。送り先は次の通り。・・・」


―― 知っています。実際、この呼びかけに答えてなのか、環境省に土が送られましたね。


大西: そう。だからこういう意識は絶対にありますよ。ダンプに積んで永田町や霞ヶ関かに土をお返しするんだという話は、そこここでされています。
それを弾圧できるのか。それを弾圧するとなると、「そもそも放射性物質をまいた人は弾圧されないのか。おかしいぞ」という問題提起ができるわけです。


◇被害者意識から加害の自覚へ


―― 被害意識から運動が始まるとしても、その意識をどう発展させられるかですね。

大西: そうですね。最初の意識は、被害者であっても構わないと思います。
 被害者の自覚も大事です。ただ、そこから、自分は加害者でもあったんだということへの気付きが大事です。
被害者意識に留まったら限界になります。
 被害者意識から始まって、加害性に気づいていくのですけれども、実は、さらに、そのあとが重要ではないかと思っています。
 昔あったような総ざんげに陥ったら、今度は、責任を不在にしてしまうんですね。
 本当の次の段階というのは、「自分たちにも加害責任があるんだ」と気づいたら、「では何をしたらいいのか」というときに、本当に戦争犯罪人を自らの手で裁くことだったはずです。
 
―― そう。東京裁判ではなく人民裁判。これができなかったのが戦後の敗北の原点。


大西: そうなんです。人民裁判なんです。
 一人ひとりと対話して問いかけていけば、「自分たちも共犯者だったんだ」という意識にはなると思います。
だけど、「では誰が悪いんだろう?」ということで、本当の原発推進派が、結局、曖昧にされてしまうということになりかねない。
 そこで、3段階目。被害者意識が第1段階、加害者性の自覚が第2段階だとすれば、そこから国民総懺悔ではなくて、「本当の犯罪者をきっちりと人民の手で裁きましょうよ」という動きにもってかなくちゃいけないと思います。
 今は、まだ、第一段階の「自分達は被害者だ。ああ、東電ひどい」という形で進んでいる状況です。


―― その点で、運動的にいうと、全国各地の運動は、福島との実体的な交流がまだ弱いという気がします。

大西: そうですね。
 福島のひとたちの顔や、原発労働者の顔を思い浮かべて運動をしたら、東京の運動は、被害意識に留まっていることはできないはずです。
 同じことですが、廃炉というスローガンが、観念・抽象の世界にどんどん進んでいくなあっという感じがしますね。

―― 東京の現場の人たちと、この問題での討論は?

大西: 僕と意識を共有している人もいます。
 その人は頭を抱えていますね。運動が、「ガレキ受け入れ反対、受け入れ反対」と、だんだん感情的になっていることに、「ちょっと違うんだけど」と言っています。


―― そこで運動にかかわっている中心的な人たちの意識や大衆的な論議が重要では?


大西: そうですね。
 可能性はあると思っています。
そもそもこれまでの労働運動のあり方自身がそもそも壁があったわけで。そういう壁を突破していく意味でも、この議論は必要ですね。

以上
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3・11原発いらない!福島県民大集会へ!②原発労働者の思いと訴えに向き合おう

2012年03月09日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

再稼働絶対反対、原発なくせ!

      怒り燃やすとなって

3・11フクシマ・郡山に集まろう! 

 3月7日、枝野経産相が、定期検査で停止中の原発再稼働について、「地元自治体に合意を求める前に野田首相と藤村官房長官、枝野経産相、細野原発相の4大臣で政治判断する」と発表した。これまでは「地元の合意なしには再開はあり得ない」と説明していた。政府とメディアは「再開適否の判断の下駄を自治体に預け、責任をおしつけるのではなく、国に責任があり国が責任を取りきることを明確にすることで地元の不信不安を払しょくする」ものと説明しているが、冗談ではない。地元・住民・自治体に国の再開・再稼働の「先に結論ありき」の意思をごり押しし、再開に反対できなくし、のませるために、この政府見解を表明したのだ。

 ①電力会社のストレステスト報告書提出→②原子力安全・保安院、原子力安全委員会が安全性を確認→③首相と3閣僚が再稼働の是非判断→④原発立地自治体の理解→⑤首相と3閣僚が再稼働を最終決定!!!!!!

 このどこが適正な判断手続きだというのか?「提出」→「安全性の確認」→「判断」→ 「理解」(!) →「最終決定」→ 「再稼働」 

 そもそも、電力会社も、保安院も安全委も、4大臣も同じ「原子力ムラ」の中心と大奥でとぐろを巻いている連中ではないか。

 これは「予め再稼働の結論ありき」のストレートでスムーズなトコロテン方式ではないか。地元・住民・自治体には判断ではなく「理解」することしか途がない(政府の決定を受け入れること。拒否するという選択枝はない!)。

 政府・電力資本・財界は、この枝野の政府見解表明で「何が何でも原発再稼働」という意志をむきだしにした。文字通り、力ずくで再稼働ということだ。関西電力ー福井県・大飯原発3・4号機、東京電力ー新潟県・柏崎刈羽原発7号機、四国電力ー愛媛県・伊方原発3号機の再稼働、そしてヤラセ問題で頓挫した九州電力ー佐賀県・玄海原発、北海道電力ー泊原発の再稼働が具体的な突破口に据えられている。

 《反原発・脱原発》と《原発推進》の非和解的な激突の時が来た。激しい怒りもあれば、静かな怒りもあり、底深い怒りもあれば弾ける怒りもある。しかし、怒りは心からなるもの、いのちの根源、人間の魂から発する、生きとし生ける真に人間的な感情だ。そのすべてを今こそ、表出し、解き放ち、「命よりカネ」「人間(民)より国」がすべての国と資本家に叩きつける時だ。1%にも満たない支配者に、99%の私たちが鬼となって、怒りの日(3月11日)フクシマ・郡山で、そして郡山を先頭に全国全世界で声をあげよう。

  このかん、3・11に向かって、福島の人々、反原発・脱原発の闘いの先頭で訴える人々のアピール、生き抜くために闘う東日本救援対策本部ニュースの転載、反原発・脱原発の大衆行動の報道等々で訴え。また共に考えてきました。甲状腺被曝・呼吸器疾患で苦しむ福島の子どもたち、故郷にとどまり生き闘う人々、故郷から離れざるを得ず生き闘う人々、その懸命の苦闘とともに、今日は、どうしてもお伝えしたい、ともに考え抜き、想いを共有したいテーマとして、福島事故原発で被曝労働で命を削る「収束作業」に従事している原発作業員労働者(「大西さん」)の訴えを転載でお伝えします。この記事は、その前半部分(【Ⅰ】)です。続きの後半部分は、残りの【Ⅱ】~【Ⅳ】全部を本日付で分けてお伝えしています。

 

 ★ 以下は、全文転載です。転載文中の写真は全部割愛・省略させていただきました。

福島 フクシマ FUKUSHIMA

 

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

原発収束作業の現場から     ある運動家の報告

 反貧困の社会運動に長年とり組んできた大西さん(仮名)が、現在、福島第一原発と第二原発の事故収束作業に従事している。
 その大西さんから、昨年末から今年2月にかけて、お話を聞いた。
〔インタビューはいわき市内。掲載に当たって、特定を避けるための配慮をした。〕

 お話が多岐にわたる中で、編集上、4つの章に整理した。
 【Ⅰ】【Ⅱ】【Ⅲ】では、高線量を浴びる現場で、放射線管理員として作業に携わっている状況の報告。被ばく労働、雇用や就労、地域との関係などの実態が語られている。
 【Ⅳ】では、原発労働者の立場から、反原発・脱原発の運動の現状にたいして、鋭角的な問題提起が行われている。

 事故収束作業に従事する労働者へのインタビューや、ライター自身が中に入るという形で書かれたルポはある。しかし、原発に反対する立場から、「『反対運動を継続してこなかった』という自己批判」として、現場に入ったのは、恐らくこの人だけだろう。
 それだけに、突きつけられるものがある。
 大西さんのとり組みは現在も進行中だ。
 


【Ⅰ】 被ばくすることが仕事
 

3・11の衝撃

―― まず、どうして原発労働に入ろうと考えたのですか?
大西: 社会運動をずっとやってきたのですけど、3・11と原発事故という事態に衝撃を受けたということです。
 もともと、反原発・脱原発の運動には、チェルノブイリ事故(1986年)あたりまでしか関わっていませんでした。3・11が起こって、「反対運動を継続してこなかった」という自己批判ですね。そして、「自分が関わるとしたら、中途半端には関われないな」という気持ちからです。
 また、反原発運動をやる場合、やっぱり原発労働の実態を知らないのはおかしいのではないか。現場に実際に入らないとわからないことがたくさんあるだろう。隠されていることがいっぱいあるだろう。これはもう、働くしかないな。働いている中で調べるしかないな――ということから、原発労働に従事することを決意しました。
 さらに言えば、1F〔福島第一原発〕の事故収束から廃炉作業には、これから、数十万人、百万人単位の人が必要になる。そのとき確実に言えるのは、新たな原発労働者の層は、プレカリアート〔※〕といわれている人びと、貧困に陥った若年労働者になります。この人たちが危険な現場に入ったらどうなるのか。僕は、労働運動をやっているので、その観点で、少しでも現場を見ておかなければならないと思って入りました。

〔※プレカリアート:新自由主義の下で、就労も生活も心境も不安定な状況にさらされている労働者の層を指す造語。〕


放射線管理員として

―― 大西さんの入った会社の業務内容は?

大西: 人夫出しです。
 原発労働の中でもいろんな仕事があります。道路を整備する人もいるし、鳶さんもいるし、配管工もいる。一生懸命サーベイ〔survey 放射線測定〕している人もいます。
 その上で、一応、会社にも色があって、土木系に強いとか、鳶系に強いとか、配管系に強いみたいに、ある程度、専門分野があって、それに見合った元請けに付きます。

―― 大西さんの仕事は?

大西: 放管(ほうかん)です。放射線管理員。
 現場から戻ってきた作業員や車両のサーベイと除染、それから作業現場のサーベイ。大体、こういう仕事です。
 簡単にいうと、そこら中が汚染状態なので、免震重要棟〔対策本部がある〕とかJヴィレッジ〔20キロ圏の境にある出撃拠点〕に、汚染物質をいれないために配置されています。
 これは、異常事態ですね。今は、建物の中だけが安全で、あとはすべて放射線管理区域の状態ですから。
 昔は原発の建屋の中がとにかく危険で、それが拡散しないように、放管が配置されてサーベイをしていた。
 今は逆です。全てが放射線管理区域の状態で、この建物の中に、汚染物質を入れないために配置されているんですね。もちろん免震棟も線量は高いんですけど、外は全て危険だから、建物の中だけでもなんとか守り切る。最後の砦を守る仕事です。


―― 放射線管理員とはどういう資格ですか?

大西: 一応、放射線作業従事者に当るので、その教育を必ず受けなくてはいけないです。 僕の会社は、20年間、放管をやってきた人がいたので、詳しくいろいろ教わりました。 今がどれだけ異常事態かっていうことについても、毎回、毎回、説明してくれました。
 ただ、今は、そういう教育受けてない人も放管をやっています。だから、数値の意味を知らないという人もいますね。

―― 生活していた場所は?

大西: 湯本(いわき市)の旅館ですね。
 元々は温泉街だけど、今は、一般客はほとんど泊めていない。あらゆる企業が飯場代りに使っているんです。だから雰囲気が違ってしまっています。

―― 朝は何時に起きるのですか?

大西: 朝は4時半ぐらい。5時位に出発してます。
 車は、会社の車だったり、元請けの車だったり。東電のバスで通勤するところもある。
 朝6時に二つ沼公園〔Jヴィレッジ直近、東芝などの作業拠点になっている〕に着きます。
 そこで、乗り換えて、30分くらいで1F・2F〔福島第二原発〕の中に入って、作業の開始です。 

―― 現場に到着すると?

大西: 交代制ですから、班ごとに、どういうローテーションで、何をやっていくのか、みんなで打ち合わせをします。
 まず、どういう交代で、どういう休憩のとり方をするのかというのが一番大きい。
 あとは、当日の作業内容の打ち合わせを綿密に。
 現場の作業に出ると必ず線量を浴びるので、浴びる前にあらかじめ、「これをこうして、こうして」ということを、あらかじめ事前に想定して、みんなで話し合いをします。実際の作業以上にシュミレーションに時間をかけます。
 そうしないと、現場でモタモタしたら、それだけ被ばくしてしまうからです。
 現場に着いたら、サッと持ち場に着いて、ビュッと仕事をまとめて、サッと現場を出るという形です。

―― その指示をする人は?

大西: それぞれ一つの作業について、チームリーダー、グループリーダーがいるので、その人の判断で最終的に決まります。例えば、「今日は、ここは線量が高いから、この作業については中止だ」といった判断です。

―― 放管は、「線量が高そうだ」というところに、最初に行くということですね?

大西: そうです。「ここはこれだけの線量がある」ということを、事前に把握して、「今日は向こうの方はだめだから」とか、「今日はここだけだったらいいですよ」ということを作業者に伝えます。
 あとは、パトロールって言ってるんですけど、どれだけ放射線があるかっていうのを、隅々まで測っています。

着替えが仕事

―― 作業時の服装は?

大西: 1Fのときは、Jヴィレッジの中でタイベックに着替えます。
 2Fの場合は、着替えないでそのまま入ります。2Fは、比較の問題ですが、「安全」ですから。

―― 2Fに行くときは着替えないのですか?

大西: これがですね、全くひどい話なんですけど。
 もともと管理区域というのは、私物はパンツ一丁以外、一切身に付けてはいけないんです。しかし、今は、2Fは、もう自分の服でそのまま作業してますよ。
 1Fも、自分の服はとりあえず脱ぐけど、作業服はそのまんま着て、その上にタイベックを着てマスクしてという感じです。 
 あれだけの人数と放射線量、それにあれだけの交代制の中で、追いつかなくなっています。服についても、3・11以前と以後では、ほんとに感覚がおかしくなっています。

―― というと3・11以前は?

大西: 原発労働に入って一番最初に何を言われたかというと、「原発労働は服を着るということ自身が仕事だよ」と。服を着替えること自体が、もうすでに仕事の一環に組み入れられているという特殊な仕事という意味です。
 3・11以前の話も聞かされました。
服を何回も何回も着替えて、着替えるごとに、だんだん危険な区域のレベルが上がって行く。黄服、青服、赤服と着替えて、A区域、B区域、C区域、D区域という形で、炉心近くに行く。
 そのレベルが上がる度に、その前の服を脱いで、危険なところに行くための新しい装備に着替えますが、放管は、その人がそのレベルに見合った装備をしているのかをチェックするのです。
 とくに炉心に向かう赤装備のときは、補助員が必要です。補助員が、服や靴下やゴム手袋を順番に装着し、密封するために桃色のテープをぐるぐる巻いて、マスクをはめてやります。

大西: 逆に脱ぐときも、補助員が、マスクを取って、ヘルメットを取って、アノラックを取って、キムタオル〔紙製のタオル〕で拭いてあげて、手袋も取ってあげて、それから、ようやく自分で脱げるようになったら、自分で脱いでいきます。
 こうしてようやく赤服だった作業員と補助員が、同格の汚染レベルになります。そうすると今度は、作業員と補助員が次の区域に行って、そこにも補助の人がいてという具合。これを3回繰り返してようやく表に出ることができます。
 装備を最高レベルにするために1時間近くかかります。だから「服を着ること自体が労働」というのです。手袋をはめるのも労働です。手袋だって、綿手袋をして、その上にゴム手袋を2枚します。
 また、例えば、汗が出ても拭いちゃだめなんです。放管教育では、眼が一番、被ばくしやすいと教わります。だから、汗は拭けません。安全な場所に行って、補助員が、顔をキムタオルで拭いてあげるのです。


―― まるで宇宙空間に送り出していくような感じですね。

大西: そう、本来、そういう世界のはずですよね。
 それが、いまや全域が、炉心付近の状況になっています。例えば、1Fの1号機、2号機、3号機の周辺がもう完全に炉心と同じレベル。
 2Fに至っては、もう私服ですから。私服といってもそれぞれの会社の服ですけど。汚染物質が付着した作業服を、家に持って帰って洗わなくちゃいけない状況は異常ですね。

―― 3・11以降は、そういう基準が崩れているということですか?

大西: そう、崩れています。
 パチンコ屋で、「ああ~、青靴下はいてるよ。いいのかよ」とか、タイベックを着たままコンビニに行くみたいなことがあります。
 普通に、装備が持ち出されてしまっているのです。Jヴィレッジで着替えをしてますから、仕様がないですよね。
 タイベックは、放射性物質が付いても、これは捨てるから、ということで着ているんですよね。外の人に迷惑かけないためです。だけど、それを着てそのままコンビニに行ったら、何の意味もないです。

 ―― どうしてそういうことが起こっているのでしょうか?

大西: 管理することを、東電が投げていると思います。
 これだけ膨大な人が、炉心での作業と同じような状態で、働いているわけです。
 今までなら、一人を炉心に送り出すのに、宇宙飛行士を送り出すようにやっていたけど、今、その基準でやったら、どれだけの人がいるのか、という問題になって、「もう無理、管理しきれない」と、完全に感覚が麻痺してしまっているように思います。


24時間の稼働

―― 仕事は24時間体制ですか?

大西: 1Fも2Fも24時間、動いてますから。
 とにかく稼動している冷却システムに、24時間、人を配置し続けていないと、また大変な事態になってしまいます。
 原発の正常運転時でも24時間ですけど、今は、悪化させないために、とにかく人が入り続けないといけない構造になっています。
 生産性のない労働なんですけど、それがないと収束もしないという状況なのです。
 もしかすると人類初めての作業かもしれないですね。チェルノブイリとはまた違うと思います。

―― チェルノブイリと違うとは?

大西: チェルノブイリの場合は、石棺にしました。しかも作業員が死ぬことを前提に人を投入ました。ソ連という体制もあったと思いますけど。
 日本は、いまのところ、石棺という道を選んでいないので、あらゆる手立てを尽くして、冷やして、冷やして、最終的に、30年後、40年後に、核燃料を回収するという壮大な世代を超えた仕事に取りかかっているのです。

―― 現場が24時間稼働だと勤務は?

大西: いまの原発作業は、3交代と2交代と、おおまかに2つのシステムがあります。
 放管の作業も、3交代の部分と2交代の部分があります。だいたい14~5時間、現場に拘束されます。もしくは3交代の人は10時間拘束されます。
 ただ実働時間はすごく短いです。

―― 実働は短いと。それ以外の時間は?

大西: 待機。休みます。


―― それは被ばく線量との関係で?

大西: そうです。
 14時間の拘束であっても、実働が4時間ぐらい。あとは休むのが仕事。服を着るのと同じで、その場所にいること自体も仕事なんです。
 要するに、原発労働では、いくつものグループがあって、それが順番に同じ作業をやっていきます。交代制をとるのは、被ばく量を平準化するためです。そのために、たくさんのスペアを用意しながら、人を回転させていくのです。
 あと、もし何かあったとき、緊急的に対処できる要員という意味合いもあります。実際3・11のときもそうなりました。
「大きな事故があったら、それなりの対処をしてもらう代わりに、何もないときは労働時間は短いけど、普通の人と同じ給料を払いますよ」、ということです。そういうリスクを背負いながらするのが原発労働です。 

車両の汚染 1~2万カウント

―― 汚染の状況はどうですか?

 大西: ます、1Fの作業に入っている車の被曝量がすごくて、問題になっています。
 事故前は、カウント数(cpm=counts per minute 1分間当たりに計数した放射線の個数)で、2,000とか2,500位が基準。いまは、もう6,000が基準。
 車の被ばくが、10,000とか20,000ある。
それを、6,000まで下げるのが大変。ふきまくって除染します。
 だけど、実は肝心なところを計測してないのです。ラジエーターまわり。あと車の裏。
 車が埃を舞いあげて、それをラジエーターで吸気しています。だからほんとはそこを一番やりたいんだけど。それは無理ですよね。
 通勤している人は、とにかく終わったら早く帰りたいから、「少し高いんで、ちょっと待って下さい」と言うと、「何やってんだ」と怒鳴られて、ケンカになるなんてしょっちゅうあります。
 そういうケンカを防ぐために、除染をやっている人も、7,000くらいだったら、「まあ、いいや」という風にやっていますね。

(現場から戻ったダンプカーを放管がサーベイしている。汚染が高ければ、その場で高圧洗浄を行う。1F周辺のガレキ撤去作業に使う車両の汚染は激しい。除染しても線量が下がらないため、外に出せない車両がJヴィレッジ付近にごろごろしている)


―― 車両のサーベイと除染はどこで?

大西: 2Fは、構内でやっています。
 1Fの場合は、Jヴィレッジの脇の除染場です。そこに一番線量の高いところから車が出てきます。
 まずサーベイして、高いところがあったら、とにかく水を掛けたり、拭いたりして、除染します。
 
―― 除染に使った水は?

大西: 流します、結局。世間では除染と言ってますが、僕らは、笑って「移染だよね」といっています。

―― 汚染水はプールしていると思っていたけど、排水溝から海へ?

大西: それ以外ないでしょう。

―― アレバ社の汚染水処理装置は?

大西: あれはもっと超高濃度の汚染水の話です。そっちは、配管で循環させる装置が稼働しています。それは、炉心にあった水をやっているだけなのです。
 それ以外は、流して、最終的には海に行くのです。

被ばくすることが仕事

―― 作業員の被ばくの方は、どういう状況ですか?

大西: 1Fでの被ばく量が、とにかくすごいです。
 1Fでは、免震重要棟の外の仮設に、サーベイの拠点があります。
 Jヴィレッジで着替えてから、車で30分ぐらいで、この仮設に着きます。ここで、APD〔Alarm Pocket Dosimeter 警報付きポケット線量計〕を受け取ったりして、現場に向かいます。そして、現場から戻ってきた作業員をここでサーベイします。
 そうすると、だいたい、水処理関係〔冷却水の循環装置など〕やタービン建屋、ガレキ撤去の作業などが、ものすごく浴びています。
 1日、2~3時間の作業で、0・5から1ミリシーベルトです。これが1日の積算の被ばく量です。
 さらに、水漏れなどが起こると、その修繕作業で、汚染者が続出します。
 タービン建屋なんかに入ったら、1日20分ぐらいで、5ミリシーベルトも浴びてしまいます。
 平常時だったら、20ミリシーベルトを浴びたら、東電管内では、仕事はできなくなります。1日で1ミリシーベルトだったら、20日も働いたらおしまい。1日で5ミリシーベルトなら、4日で終わりです。

◇1シーベルトも

大西: タバコ部屋というのがあって、そこは、東電の社員も含めてみんなが一緒に使うところがあります。そこで、ときたま出るのは、「誰々は1シーベルト〔1シーベルトは1000ミリシーベルト〕浴びたよ」とか、「600ミリシーベルト浴びたよ」とか。
1ミリではないですよ。1シーベルトですからね。急性障害が出てもおかしくない数字です。
 放管が、全身サーベイをやると、身なりがきれいな東電社員で、そんな危険な作業をしてないはずなのに、ピューと上がるんですよ。内部被ばくで、相当高くふれているのです。おそらく直後の収束作業で内部被ばくしているのでしょう。「歩く放射性物質」になっているわけです。
先日も、2人の東電社員が、原子炉建屋に入りました。現場を見てくる必要があったのでしょう。1人は30代、もう1人は50代でした。それは、もう命がけですよね。
帰ってきた2人にたいしてサーベイをしたんですが、本当に心を込めてサーベイしました。

◇サーベイでも被ばく

大西: 先ほど言ったように、車両の汚染がひどいのですが、その汚染車両の除染作業で、1日1ミリシーベルトも浴びてしまう状況です。
 そもそも、Jヴィレッジから1Fに通勤するだけで、被ばくしています。バスで片道30分ですが、往復すると14から16マイクロシーベルトは浴びます。
 放管が、1Fでは一番、安全なのですが、それでも1日で0・1から0・2ミリシーベルトです。
 たしかに作業している時間は短いですが、被ばく量が高いために、それしかできないのです。
 だから、原発労働は、「線量を浴びることが仕事」ということなのです。

◇「ご安全に」

大西: こういう現場ですから、1Fに向かう車の中では、みんな、緊張していますね。そのため、心持ち多弁になります。全面マスクなので、よく聞き取れないんですが。
 そして、現場では、「ご安全に」とあいさつします。「いってらっしゃい」という意味で使うのですが、実は、この言葉は、炭坑労働者が使っていた言葉です。危険な現場に行くという意味で、それが引き継がれているのですね。


放射能焼け

―― 被ばくの影響はありませんか?
大西: 放管ですから、全ての人の顔を見ます。そうすると、結構、「放射能焼け」で、顔が真っ赤な人いっぱいいます。
 放射能焼けとは、ベータ線熱傷〔※〕なんですけど、ちょっとずつ被ばくすると、皮膚が攻撃を受け続けるわけですから、弱くなって、赤くなるのです。
それから、ラテックスアレルギー〔※〕でも赤くなります。ゴム手袋を日に何回も変えるのですが、それに付いている粉で、手とか顔をやられています。

〔※ベータ線熱傷: 放射線皮膚障害の一種。皮膚および皮膚の細胞組織が破壊され、火傷に似た症状を発する。
 ※ラテックスアレルギー: 天然ゴムに含まれる、ラテックスと呼ばれるたんぱく質が抗原となって、引き起こされるアレルギー反応〕


―― 健康診断とかホールボディーカウンターとかは受けています?

大西: 受けてます。1Fと2Fとでは待遇に差があって、1Fの人は1カ月毎に、ホールボディカウンターと電離検診〔電離放射線障害防止規則にもとづく健康診断〕を受けています。2Fの人は、3カ月に1回です。法定は6カ月毎ですが。
 眼と指先が被ばくしていないかを、医者がチェックしています。

―― なぜ眼と指先を?

大西: これも法定〔放射線障害防止法〕なのですが、眼を診るのは、放射線で焼けて、角膜が白濁するからです。マスクをしても、ゴーグルをつけても、眼については、放射線を防ぐことができないのです。眼は一番弱く、痛みも感じないですからね。
 あとは、指先にケロイドがあるかどうかを見ています。指先は、汚染物質に一番近いからです。手袋を介していますが、ガンマ線は、手袋を透過してモロにくるからです。


放射線管理手帳

―― 放射線管理手帳〔※〕は?

大西: 持っていますよ。ただ、この手帳は、運転免許証みたいに自分で持っているわけはなく、会社が管理しています。
 しかも、作るのも会社ですよ。

―― 公的な機関ではないのですか?

大西: 違います。私の場合、申請企業は千代田テクノル〔※〕ですね。
 放射線影響協会〔※〕というのがありますが、実際は企業です。
しかも、手帳つくるのに1万5千円ぐらいかかります。
 放射線影響協会が、それでお金を回しているのです。労働者のためになっていない団体ということです。

〔※ 放射線管理手帳には、作業員の被ばく歴、健康診断などが記載されている。この手帳で、どこの原発で働いても被ばく量が一元管理されるとされている。
 ※ 放射線影響協会は、文科省所管の財団法人。「原子力の利用を促進」と目的に明記。同協会の下に放射線管理手帳を一元管理する「中央登録センター」がある。
 放射線管理手帳の実際の発行手続きをするのは、「放射線管理手帳発効機関」。これは、電力会社、電機産業、プラント企業、原子力専門企業など。上述の千代田テクノルも。
※ 千代田テクノルは、放射線関連の専門商社。原子力産業そのもの。除染でも専門技術を持っている。〕


◇行方不明の真相

大西: この手帳をめぐっては、次のような話があります。
 3.11以降、原発労働者が行方不明だとかで、問題になりましたよね。死んだとか、行方不明だとかいわれていますが、違うんです。
 最初は偽名で入る。次に本名で。また偽名で。同じ人が別名で、2回、3回と働いているということです。別人になると、放射線被ばく量がゼロから始まりますからね。
 それで、行方不明ということになるわけです。地元にいないとこの感覚が分からないでしょう。原子力村の末端では、こういうことになっているわけです。
  《以下続く》・・・・長文記事になりますので、以下はこの記事と同日付け(同じ3月9日付け)の別記事に分けています。
 
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3月11日原発いらない!福島県民大集会:訴え①椎名千恵子さん

2012年02月16日 | 福島に連帯、放射能から子ども守れ

                         
椎名千恵子さんのアピール

子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人/原発いらない福島の女たち・未来を孕む女たちのとつきとおかのテントひろば世話人

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3・11にいらしてください
 

 3・11福島集会の名称が「原発いらない!3・11福島県民大集会」になりました。当初は、反原発・脱原発という言葉が入らず「安心して暮らせる福島をとりもどそう」というサブタイトルだけだったんです。私たちは当然、6万人が集まった9・19集会の流れで3・11集会を開催すると思っていたのに、労働組合の代表も市民団体の代表も呼びかけ人に入らず。

 

 

 
 実行委の会議では十数人が意見を言いました。その後も声を上げ続け、ついに「原発いらない」の言葉が入った。私たちの声、福島の女たちの実力行動がかちとったと思います。並行して「自分たちでできる企画をどんどんやろう」とプレ企画も準備しました。「3・11原発いらない!地球(いのち)の集い」。福島にいる私たちが今知りたいこと、県外から来た人に知って欲しいことなどを企画しています。
 

 

 
 子どもたちを放射能から守る福島ネットワークは鎌田慧さんの講演会や野菜カフェをやります。被曝労働者の問題や、被曝者援護法制定についての企画もやります。11日午前は福島での診療所建設に向けてお医者さんを囲んだテーブルトークもやります。2年目の闘いをさらに力あるものにするために、一人ひとりが強くなっていくための企画です。11日と併せてぜひご参集ください。
 

 

 
 福島の女たちはこの1年間闘ってきて本当に鍛えられました。「命が一番大切」という根底的な思いとストレートな怒りにベールをかぶせないことが女たちの強みです。私たちは手加減しませんからね。
 

 

 
 もちろん国や原子力村の責任を徹底的に追及していくわけですが、同時に私は自分たちの責任も問い返していく必要があると思っています。とりわけ子どもたちにはなおさら謙虚に、そうとらえ返さなければいけない。自分自身も変わっていくことで、この社会の現実を変える力をつくり出していきたい。
 

 

 
 私は今、この大きな時代の転換点に立って、緊張感と同時に、本当に感慨深いものを常々感じています。本当のことに向かっていける、もうすべてをごまかさないでいいという解放感が確実にあります。まったく新たな仲間たちともいっぱい出会えました。青春の時のような解放感を持って日々を過ごしています。
 

 

 
12月1日に「未来を孕(はら)むとつきとおかのテントひろば・フクシマ村」を始めて2カ月あまり。1月27日には750人も集まってくださって、経産省の撤去命令を阻みました。予想した以上の反響です。みなさんがこういう場所を必要としていた。出会いを喜ぶ顔があり、「ここに来るのが楽しみだ」というリピーターがどんどん増え、27日の攻防をきっかけにテントの存在がますます広く知れ渡って、ものすごいエネルギーを「孕んで」います。みなさん、ぜひテント村にもお越しください。
 

 

 
 福島では今、診療所をつくろうと運動しています。冬になって子どもたちがインフルエンザや風邪にかかっています。避難できずに無関心を装っているお母さんたちも、放射能汚染に不安がない人はいないから、お医者さんに「放射能の影響が出ているんですか」と聞くんです。だけどお医者さんは「あり得ない」と全否定する。するとお母さんたちは心を閉ざすしかなくなってしまうんです。正しい情報をもとに、子どもたちの命に親身に寄り添って心と体にアドバイスして導いてくれるお医者さんが必要です。ぜひ診療所建設にご協力をお願いします。
 

 

 
 3月11日は福島の現場に立っていただきたい。命の問題というのは肌身で、皮膚感覚で物事を見るということ。地震の恐れもある中で、傷みきっている福島第一原発4号機の爆発も考えられる。線量が高いところですけれど、そこに立って感じとることによって、原発をなくすための次に行動に進むことができると思います。郡山にぜひいらしてください。
 
 
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3月11日 原発いらない!福島県民大集会


▲球場は放射線量が高いため、妊婦の方、お子さんは参加をお控えくださるようにしてください。

▲福島を知ってください!フクシマに立ってください!

12時半:郡山開成山球場 

 

 13時開会:オープニングコンサート(加藤登紀子さんほか)//発言(大江健三郎さんほか)

プレ企画 原発いらない!地球(いのち)の集い

3月10日10~20時半

3月11日9~12時

ビッグアイ郡山駅前

労働福祉会館中ホール2F

★福島原発事故障害者の命と尊厳を守る法律の制定を求めて

★世界市民法定・原発をさばく

★子どもは訴える 子どもの声を聞いて!

★障害者にとっての東日本大震災

★保育情報相談会

★鎌田慧講演会

☆文化交流会・ワークショップ <会津磐梯山古式踊り><古式フラダンス・イマジン>

☆避難者の声を聞いてください

☆被曝と労働 / 震災とジェンダー / 福島診療所づくり /DVD上映会

/展示

☆野菜カフェ「はもる」模擬店などなど

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東京~杉並情報

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2月19日 ビキニデ―58周年東京集会

3月1日はアメリカによるビキニ環礁水爆実験の日です(1954年)。
ビキニ事件は1000隻にもおよぶ漁船が被曝。大石又七さんの乗った第五福竜丸は、ほとんどの乗組員の方が壮絶な闘病の末に命を奪われています。大石さん自身もたくさんの薬を飲みながら、反核運動に尽力され続けています。
 ビキニ事件を契機に日本の反核運動は盛り上がり、当時2300万の署名、世界では6億7千万の署名が集まったと言われています。これを取り込むためにこそ、「原子力の平和利用」が「毒をもって毒を制す」という形で行われた。アメリカの核独占のひとつの転機であり、日本の反核運動のひとつの原点です。原発の再稼働阻止のために学び決意する集会にしましょう。



2月19日(日)再稼働ゆるすな!  脱原発・杉並デモ

 集合13時  蚕糸(さんし)の森公園(丸ノ内線東高円寺駅すぐ)
13時30分デモ出発予定:蚕糸の森公園出発→JR高円寺駅→
青梅街道→中杉通り→JR阿佐ヶ谷駅(予定)   

 2月25日(土) 反原発・反失業  高円寺一周デモ

 

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