先月の31日の深夜、母が天国へ・・
81歳の生涯、よく働きお料理の上手な母親でした。
弟から「状態が良くない・・」と電話がかかって来て。
夫と子供達で母親が入所していた施設へ向かいました。
「きっと行くまで待っててくれる」と心の中で思い、祈りながら。
施設に着くと姉が「私も間に合わなかった、今電話しようと思っていた」と。
実家に母親と向かい、座敷に横たわり白い布を顔に掛けられて。
綺麗にお化粧された母親の顔は穏やかで。
布の上から母親の顔を何度もさすりながら「ごめんね、心配かけて」と話しかけて。
姉も義妹も母親のお世話が出来たけど、私はこんな体なので。
お坊さんに枕経をあげて貰ったのは1日に変わる頃で。
浄土真宗のお経をあげられない私はただ手を合わすだけで。
お通夜や葬儀の打合せが終わって、家に帰ったのは4時前でした。
お通夜は1日の午後7時から浄土真宗の別院でした。
微笑んだ遺影を見る度に元気だった頃や体調が悪かった時の事が思い出されて。
「母ちゃんが亡くなったから、私も何時死んでも親不孝にならない」と言う私に「そんな事を思っては駄目」と伯母さんに言われ。
葬儀は2日の11時からでした。
お参りに来られた方々がお焼香の前後に挨拶され、その度に立ってお礼をして、また座るの繰り返しで。
不安定な体を夫は支えてくれて。
葬儀も終わり、お骨になった母親。
箸を使えないのでお骨も拾えず。
お通夜から中陰まで食事制限なしでしたが、4日の受診結果は血圧がちょっと高めだけで。
明日はもう初七日、天国の母親に心配かけないように・・
何度も更新しようと思いましたが、書く言葉を思うと涙が溢れ。
涙を拭きながら、何とか更新出来ました。
81歳の生涯、よく働きお料理の上手な母親でした。
弟から「状態が良くない・・」と電話がかかって来て。
夫と子供達で母親が入所していた施設へ向かいました。
「きっと行くまで待っててくれる」と心の中で思い、祈りながら。
施設に着くと姉が「私も間に合わなかった、今電話しようと思っていた」と。
実家に母親と向かい、座敷に横たわり白い布を顔に掛けられて。
綺麗にお化粧された母親の顔は穏やかで。
布の上から母親の顔を何度もさすりながら「ごめんね、心配かけて」と話しかけて。
姉も義妹も母親のお世話が出来たけど、私はこんな体なので。
お坊さんに枕経をあげて貰ったのは1日に変わる頃で。
浄土真宗のお経をあげられない私はただ手を合わすだけで。
お通夜や葬儀の打合せが終わって、家に帰ったのは4時前でした。
お通夜は1日の午後7時から浄土真宗の別院でした。
微笑んだ遺影を見る度に元気だった頃や体調が悪かった時の事が思い出されて。
「母ちゃんが亡くなったから、私も何時死んでも親不孝にならない」と言う私に「そんな事を思っては駄目」と伯母さんに言われ。
葬儀は2日の11時からでした。
お参りに来られた方々がお焼香の前後に挨拶され、その度に立ってお礼をして、また座るの繰り返しで。
不安定な体を夫は支えてくれて。
葬儀も終わり、お骨になった母親。
箸を使えないのでお骨も拾えず。
お通夜から中陰まで食事制限なしでしたが、4日の受診結果は血圧がちょっと高めだけで。
明日はもう初七日、天国の母親に心配かけないように・・
何度も更新しようと思いましたが、書く言葉を思うと涙が溢れ。
涙を拭きながら、何とか更新出来ました。
私は一人っ子なのに嫁いで、母の最期は 施設の看取りのお部屋で 息子二人と私とで三昼夜付き添い 最後の時もじっと見守っていました。
母の元気な時に何かあっても延命処置はしてほしくない
との意思に従って・・・。
何度も延命処置を頼みたくなるのをこらえて・・・。
その時間の中で何回母に詫びたことか・・・。でも私の
病気と現在の体を知らずに逝ってくれて・中学生くらいまでの孫とかかわられて それが救いでした。
きっとお母様も何もかも解っていらっしゃって スーさん を守って下さいますよ。
今はちゃんと涙を流して下さいね。
私 父の時は 夫にお前が泣いたら何も進まない と言われて 感情を堪えて堪えていたら その後半年間体調を崩して 漢方薬のお世話になりました。
泣くだけ泣いて感情をリセットなさってね。
又寒波に襲われてすごく寒いですね。
お体ご自愛ください。
そして お母様に 合掌。
更新、すうさん
がんばりましたね。
法要がつづきます。
すうさんも
お身体気を付けてくださいね。
今の私より何十倍も悲しんでいらっしゃると思います。
涙が枯れ果てるまで泣いて、上を向いて生きて行って下さいね。
そうじゃないとお母さまも心配して、前に進んで行かれないと思います。
時間は掛かると思いますが・・・
いつもの笑顔のスーさんになれる日が早く来る事を祈ってます。
寒い日が続いていますので、お身体に気をつけて下さいね。
ブログ更新本当に頑張りましたね。
でも無理せず、私のように暫くはゆっくりとお母さまの事を
思い出してお過ごし下さいね。
心よりお母さまのご冥福をお祈りいたします。
かわせみさんはお母様の最後を看取られたのですね。
親に1日でも、1時間でも生きていて欲しいのに よく我慢されましたね。
私の父親も不自由な体になる前の年に亡くなったので、かわせみさんと同じです。
こんな体なので、母親の顔を見れたのはお盆とお正月だけでした。
もう顔を見れないと思うだけで、涙が・・
時間がかかるでしょうが、きっと笑える日が来ると信じてます。
ブログの更新、なかなか出来なくて。
今は母親の事を思うだけで涙が・・
来月は母親の納骨、11月頃には義父の七回忌法要、来年は母親の一周忌です。
今は泣いて、涙して・・
時間はかかるでしょうが、きっと笑える日が来ると信じてます。
年に2回しか会えなかった母親ですが、もう顔を見られません。
人でも家族同様の愛犬でも、悲しさは同じですよ。
今は泣いて、涙して・・
時間はかかるでしょうが、きっと笑える日が来ると信じてます。
言葉も出ませんが・・闘病されてたんですね!!
これで辛い病気から解放されたと思い楽しく送りましょうね!!
私の母は・・69歳でした。それと比較したら随分スーさんと過ごした時間が多かったんですね!!
そう考えてあげてください
あなたの事は天国からとても心配なさりながら見守ってくださいますよ!!
手を合わせてお祈りしてくださいね!!
心からご冥福をお祈りします・・合掌
子どもの頃、学生時代、結婚、出産。
そのたびにお母さんに励まされ、笑顔で接していただいたのでしょう。
想い出を大事にしましょう。
夢にでてこられたら思い切り甘えてください。
スーさん、お疲れでしょう。
ご自分を労わってくださいね。
いつもいらっしゃって
見守り励まして力付けて下さると思います。
どうぞお元気にお過ごしください。
何時かはこのような日が来ると分かっていましたが。
こんな体なので、母親とは年に2回お盆とお正月だけでした。
若い頃の働き過ぎが原因で、晩年は体調が悪い日が多かったのです。
とん子さんのお母様に比べれば長生きした母親です。
とん子さんの言われるように思うことにします。
宗派は違いますが、毎朝お参りの後に母に語りかけてます。