頑張れ!!一人娘!再び。

心臓人口弁で要介護2の父。髄膜腫の一人娘の私の、母亡き後の日々の事

ショートステイ

2016年09月25日 | 父の話
18日から一泊で、旦那と二人でクルマに乗って〜
東伊豆方面へ、行ってきた。









残念ながら。台風の影響でバイクは諦めるしかなかった。

まぁ、たまにはクルマも良いけれどね。




今年は、一泊で三回。
二泊で一回。
安い宿だけど、ツーリング旅行に行けているの。

キングジーも、嫌な顔をせず、ショートに行ってくれている。



去年は、、、キングジーのモラハラに、大変だっだからね〜
いったい、アレは何だったんだ?!ってくらい、荒れていた。

考えたら、やはりキングジーも、、、妻を亡くして寂しかったんだろね。

今は、割合と落ち着いていて、私も去年より、穏やかになり(^◇^;)
あまり喧嘩もしなくなった。


それに、今は、月に二回、ショートがあるからね。

介護する側、される側、、、
やっぱり、あんまり近すぎても、ダメなのかもしれないな。
たまには離れて、お互いに、思いやる気持ちを、思い出さないと。

だから、一生懸命にキングジーを説得して、ショートを月に二回にしてもらった。

キングジーがショートに行ってくれてる間は、目一杯、自分のやりたい事をする。
旦那の連休に合わせて、ツーリング旅行に行ってしまう。


10月にも連休があるのだけど、ショートスティが取れなかったから、旅行には行けない〜(T_T)残念だけど、仕方ないね。



毎月末、二ヶ月先のショートスティを予約する。
今からだと、9月末に12月の予定を入れるわけだ。

ホントは、そんな先の事、分からないよ〜とも、思う月もある。
でも、とりあえず、連休前後に合わせて取るようにしてる。

ずーっと取れていたのだけれど、10月は一回、だめだったわけだ。



週単位での、長いショートスティを予約している人や、必ず週末だけ行く人が優先されるのかなぁ。


我が家も、長く利用しているので、割合と優先して取ってくれてはいるのだけど、ダメなもんわ、だめだから、諦めた。


でも、コブクロの武道館ライブの日は、取れたから、良しとしなきゃいけないね。
一年ぶりだから、楽しみ〜




世の中は、65歳以上の老齢化時代。
しかも、国が在宅介護を推奨しているから、ショートの施設利用をしたい人も、増えている。

段々と、取りにくくなっちゃうのかもしれないなぁ。

ショート施設だけでなく、特別養護老人ホームなんて、まだ100人以上待ちなんて、ザラな時代。
かと言って、建物だけが増えても、スタッフさんがいなければ成り立たないのが介護の世界。
介護職を選ぶ人は、年々減っていく一方のようだし、、、
老齢化対策は、やはり、少子化対策ありきなんだろうなぁ。


うちの娘達は、まだ嫁に行く気配も無いけどね〜(^◇^;)
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再びの(*^^*)

2016年09月16日 | 父の話
元気です(*^^*)


卒業したはず?

でしたが、、、また、戻るコトにしました。
コッソリ、始めます(⌒▽⌒)



理由は、、、
また、書いておきたいことが、出来始めたからです。

あまり成長していないから、相変わらずです(^◇^;)




今も、在宅で、86歳の父の介護をしています。


段々、身体が不自由になってきた父だけど、杖をついて、フラフラ歩いてます。

もう、自宅のお風呂には危ないからと、入れなくなりました。
ヘルパーさんと、訪問看護士さんと、週に一度、ディサービスに行って入って来ます。

たまに、、、父は、荒れます。
ホントに、偉そうな王様になります。

優しい父が、別人になります。


なので、父のこと

キングジー

と、呼ぶコトにしました(⌒▽⌒)



このブログは、カッコ付けるコト、立派なコトを止めて、ありのままの、私で書いていきたいと思います。

だから、優しくない介護ブログになります。




なので、ココからは、話し言葉で、、、


また、よろしくね(*^^*)









テレビで、阿川佐和子さんの、インタビューを見ていたら、、、ね



目から鱗。




介護はね、、、

後ろめたさを持つと、
優しくなれるのよ〜



これだ!!

そうか、これで良かったんだ。



なんだかね、ホントに、心から、、、



それだ!!


と、思った。



後ろめたさ、、、

私もね、ある。

キングジーをショートに預けて、旦那とツーリングや、旅行に、行ったりしてるからね。

キングジーは、ホントはショートになんて、行きたくないのを知っている。
でも、知ってても、ショートに預けて、私は、息抜きをする。
身体がどうの、、、じゃなく、私の気持ちのために。

だから、ちょっと後ろめたくて、ショートにいるキングジーに、労いのメールとか、したりしてさ(^_^;)


旅行に行くこと言えなくて、黙って出掛けることもある。
だから、お土産とか買わないし、何処に行ったか、何をしてたか、言わない。
キングジーも、聞かないしね〜



でも、後ろめたさがあるから、帰宅したキングジーに優しくなれる。
また、次もあるから、優しくなれる。

まぁー優しいだけでいられるのは、二週間が限界なんだけど、、、ね(^_^;)



ずーっと、その後ろめたさは、悪い事だと思ってた。


全然、悪くなんて、
無いんだ〜

悪いことじゃないだよ!




介護は、後ろめたさを少し持って、自分を解放するのが、良いのかもしれない。

つーか、、、良いとか悪いとかじゃなくて。

それで、いーんだ!
って、改めて思った。



佐和子さん、ケロッとして、言っていた。


ちょっと、お昼に来て〜って言われて、、、
仕事なんだ、、、って断る。

実はゴルフしていて、、、クタクタになって帰る。

お仕事大変ね〜、、、って言われて〜

そうなのよ〜って、苦笑い(^◇^;)




そうやって、また、優しくなる。




それがいいのよ〜って、笑ってた(*^^*)


私、食い入るように、テレビの画面を見てた。





気持ち的には、私も、そんな感じで在宅介護をしてきた。
だから、母が存命だった時から、ショートは使ってるし、介護に飲み込まれないように、してきた。

でも、優しくなれない、、、とか、
優しくなろう、、、とか、
頭と気持ちと心がバラバラになり、結構、辛かった。


時には悪魔にもなるし、鬼にもなる。

だから私は、絶対に天国には行けないと思ってた。



親を預けて、遊びに行くことに、罪悪感みたいなものがあった。

折角、行ってくれたんだから、楽しもうと思う反面、やっぱり、なんとなく、後ろめたさより、罪悪感だった。


何も悪いことしてないのに。

悪いなぁ〜って、思ってた。


ホントに大変なんだ。

年老いた親と、身体が不自由になった親と、一緒に暮らしてるだけなんだけのことが。

案外と大変なんだよなぁ。


きっと、暮らしてみなきゃ、わからないと思う。
もちろん、全然、大丈夫な人だって、きっといるよね。

私は、介護、キライだからさ。
出来るなら、誰かに代わって欲しい。
でも、誰も代わってくれない。

昔ならば、あっちにも、こっちにも、そんな家族は沢山あった。
だから、特別な事をしている訳じゃないんだよなぁ。


なんだかね、ホントに、心から、、、



それだ!!


と、思った。




親とはいえ、いろんなことを、ひたすら合わせる毎日は、しんどい。
物じゃないから、臨機応変にしなきゃいけない。

待つ。
ひたすら、待つ。

付き添い、手を貸す。


それだけのこと。




でも、いつの間にか、家族とだけ過ごす日々になる。

それすらも、ドタキャンが、増える。

段々、約束は、出来なくなる。
ガッカリしたくないのは、誰でもない、私。


実際は、大したことなくても、万が一を考えて、自分の予定をあきらめる。

段々、キングジーが、オオカミ少年みたいに、思ってしまう。
思うけど、今回に限って、、、とも思うから、やはり自分の用事はあきらめなきゃいけないのだ。


したいこと、ダメになるストレスは、計り知れない。
最近は、あきらめることを前提に、予定を組む。

なんでかなぁ〜と、思う。

ギリギリまで、ドキドキで、ソワソワだ。


自分の時間は、短くカットされていく。
自由が、全く無い訳じゃない。
ただ、まとめて時間を持てないだけ。

毎日。
自分の好きには、ならない時間。
忙しいとか、大変とかとも、ちょっと違う。




大好きだった親が、大嫌いにもなる。
そんなことも、あるのだ。

誰よりも頼りになって、なんの心配もせず、守ってもらっていた親なのに。
親だから、、、嫌いになるのは、切ない。

いつか行く道なら、私は断固、拒否したい。

だこら、嫁に行ったら、離れて暮らして欲しい。
スープの冷めない距離なら、最高(*^^*)

もし、私が残り、一人暮らしが危なくなったら、山の中の施設に、行きたい。
四季毎位に、洋服持って来てくれたら、それでいい(*^^*)




在宅介護、大丈夫!
任せなさい!と始めたのは、私。

でも、時々、投げ出したくなる。

自分自体も、アチコチ壊れてくる。
間違いなく、私だって、年をとる。


私にも、多分、今しか出来ないことは、絶対にあるのだよ。

それを思うと、イライラする。



そんな時は、後ろめたさを持って、自分のしたいことを、しよう。

そしたらきっと、楽になる。

それが、良い。
それで、良いのだ。

後ろめたいなんて、思う必要はないかもしれない。

でも、そう思うことで、私自身が、楽になるんなら、それでいいよね(⌒▽⌒)


それは、自分だけでなく、介護される側にしても、良いことかもしれないよね(*^^*)







久しぶりの記事の、第一弾。


コレをどうしても書いておきたかったのだ。


また、こんな風に、伝えたい事を、書いていくので、よかったら、覗いてみてね。



では、また!




追伸

コメント、お返事をしないままの方、ゴメンナサイ。
心から、感謝しています。
嬉しかったてます。
ありがとうございました。
また、ココで(*^^*)
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愛を浴びて僕がいる

2015年03月16日 | 母の話








日曜日、長女とライブへ行きました。

半年前から、約束していた長女とのライブ。
喪中ですが、長女が私と行くことを楽しみにしてくれていたので、行くことに決めました。

C&K、二人組の男性デュオです。

特養へ行く道すがら、よく聞いていたコブクロとC&Kが、私を何度も励ましてくれました。


この歌が始まり、久しぶりに泣きました。
長女も、涙を拭っていました。
そこにいた、沢山の方が、泣いていました。




愛を浴びて僕がいる


歌:C&K
作詞:CLIEVY/KEEN
作曲:CLIEVY/KEEN/栗本修



病室からの帰り道は
涙を隠して街に紛れ込む
じぃじ、ばぁばと泣きわめいて
だだこねてる子供の姿は
幼き日の僕だった

困った顔してでも
嬉しそうに手をひいて
僕もきっとあの子のように
愛で包まれていたのだろう

浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから

ごめんね今なら素直に言える
馬鹿だなもどかしさを当て付けて

じじい、ばばあと吐き捨てて
寡黙な愛に背を向けて
星のタバコに火をつけた

じんわり響いてゆく
痛みぬくもり伝わる頬
あの日の記憶が
今の僕の行く道を示してく

浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから

星になった今もなお
遠くから僕を見てくれている
会えない時間や距離に
僕等試されている
がんばれと笑ってるんだろう

浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから

浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
そこから見てて欲しい








10年前、母が病に伏した時、長女は反抗期真っ盛り。
心の中で、祖母に対して、黒い想いを持ってしまったことがあったようです。

長女は今だに、その時の自分を悔いているようです。
ほんの少し前、そのことを泣きながら私に教えてくれた長女した。

大人になった長女は、傷ついて、悲しんで、悔いていました。


そんなこと、おばぁちゃんは何とも思ってない。
世界中で一番愛しているかもしれない長女のこと、何があっても。
私がそう伝えると、笑い泣きになりました。

母は常々、自分にとって一番の幸せな日は、私が長女を生んだ日だと言っていましたから。



私が働いていたこともあって、祖母である母は、長女には近すぎる程の存在だった思います。

思春期の反抗期、中学生対祖母。
そんなこと、当たり前。

でも、長女にとっては、大人になって泣く程の後悔だったようです。

でも、母にとって、長女は唯一無二の、初めての孫。
多分、私が母にしてあげた、最高の親孝行だったと思います。

長女にとっても、掛け替えのない祖母だったと思います。


友達との京都旅行を、母が肺炎で入院してすぐキャンセルしていた長女です。
行っておいでと言ったのに、やめてしまった長女。
何ヶ月も前から、楽しみにしていたのに。

結果的には、母の告別式の日が出発日だったので、良かったと言えば良かったのですが。

旅行の為に前後数日、遅い冬休みの連休を取っていたので、一日だけ出勤したものの、長女は母が入院して亡くなる前日まで、母の側にいてくれました。

アパレルの店長をしている長女は、年末年始が無く、やっと今頃の正月休みでした。
おばぁちゃん子の長女、思い残す事なく、母の側にいたようです。

亡くなる前日には、スマホで母の好きな美空ひばりさんの動画を母に見せてくれていました。

川の流れのように、、、でした。


母にとって、息が出来ない程の苦しみの中で、最後の幸せな時間だったと思います。


母が亡くなって、もうすぐ一ヶ月です。

もう、春一番が吹いている地方もあるようですね。
私の箱庭にも、春が来始めています。






御近所の木蓮も、開き始めました。

特養の庭の木蓮も、もうすぐ花が咲く頃でしょうか?
今年は、昼ご飯を食べながら、母と見られると思っていましたが、、、
残念ながら叶いませんでした。

母の代わりに、、、どうか、あの場所で木蓮を見ながら皆んなで食事が出来ますように。
どうぞ、自ら外に出れない人に、景色を空を、季節を感じさせてあげて下さい。



今まで沢山の方に、励まして頂きました。
長いような、短いような、私と母との日々。
頑張れ!!でした。

父の在宅介護は続きますが、このブログは卒業しようと思います。



長い間、本当に、ありがとうございました。

皆様に、沢山の愛が、幸せが注ぎますように。


また、何処かで(*^^*)



スーさん、今年も咲きましたよ(*^^*)
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波乗り?

2015年03月13日 | 母の話
昨夜は、波の下に入ってしまいましたが、今朝はまた、上手く波に乗って、私に戻っています。

まだ、波乗りは下手ですが、そのうち上手くなるでしょう。

大丈夫。

親は先に逝くものだから。


忘れていましたが、、、

母の肺炎の種類は、細菌性肺炎でした。

誤嚥もあっとは思いますが、死亡診断書には、そう記されていました。


カルテの開示を考えました。

父にもその話をしましたが、答えは出ていません。



あまりにも激しくなった父の物忘れ。
まだ、歳相応なのか、わからないけれど、訪問看護師さんは、こう言います。

いまの父の気持ちの状態なら、仕方ないかもね。
もう少し様子を見よう。
慌てて医者に行っても、逆に自分が認知症かもしれないことに、悩みそうだからと。


父は85歳です。
もう、あまり負担をかけたくないし。

昨日は、通帳が無いと、二人で探しまくり。
結局、ちゃんと元の場所にあり、大笑い。
そんな、もんです。


少し、私も疲れています。
今朝、鼻を噛んだら、また鼻血。

母が亡くなって、二度目です。

泣き過ぎ?
まさかね。


さ、良い天気です。

主婦を頑張らねばね。


箱庭のクリスマスローズが、綺麗です。


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悲しい

2015年03月12日 | 母の話
今日は、母の脳外科の主治医に、挨拶に行って来ました。

今日が、一ヶ月に一度の、母の受診日だったからです。



前以て、母が亡くなった事と、ご挨拶をしたい由を、病院へ電話しておきました。

電話口に出た受付の女性は、いつもなんだか不機嫌な人でした。
その日も、名前を告げると、途端に不機嫌な声。
何故でしょうか?
私の事を、嫌っているのかなぁ、、、と、いつもそんな感じでした。
けれど、母の死を告げると、今までの不機嫌な感じが消え、予約時間にいらしてくださいと、言ってくれました。


病院に着いて、受け付けには、その女性。
もう、いない母の診察券で、順番を取りました。
カウンターの後ろに回り、今までのお礼と共に、ささやかな手土産を渡しました。


程なく、母の名前が呼ばれました。

既に、母の死をご存知の看護師さんが、座って待っている私に気づき、おそらく、カルテを先に置いてくださったんだと思います。


先生も、母が亡くなった話を聞いていたようでした。

救急車に運ばれたのが、前回の受診の、三日後だったこと。
前日に、昼ご飯の介助をした時に、飲み込みが悪かったこと。

運ばれた先が、車で一時間弱の、津久井だったこと。
次の日には、地元の、特養の提携病院に、また一時間掛けて転院したこと。

六日間、頑張ってくれたこと、死に目には会えなかったこと、、、などを話しました。

最初に運ばれた病院で撮った、CTのコピーを見て頂きました。


肺の片側が、既に機能していなかっただろうね。
肺に水も溜まっているね。
多分、呼吸器が無かったら、自力で息は吸えていなかったかもしれないね。

呼吸が出来ないのは、苦しかったろうね、、、と、改めて言われ、、、やっと、あの時の状態がわかりました。





私は、何もわかっていなかった。


確かに、同じ事を言われていたのに。


そんなにも悪いことを、わからなかったんです。


何故なんだろう。

今なら、わかるのに。


母は、六日間、私が思っていたより、ずっと悪かったのに。

あの時、医師に同じ事を言われていたのに、私は大丈夫な気がして、母を置いて帰ってきてしまいました。

母のそばにいる事が、辛かったからです。
逃げてしまいました。

特養に母をお願いした時と同じ。

結局、逃げてしまいました。


違う。

違わない。

違う。

叔父が、同じような肺炎になった時があって、今は元気にしているから、きっと母もそうなるだろうと、勝手に思っていた。
退院するときは、胃瘻になるんですかね、、、なんて、医師に聞いていた私です。

今なら、帰ったり、しないのに。

死んでしまうと知っていたら、帰ったりしなかったのに。

違う。

確かに、覚悟をしてたはず。


10年間、お世話になった医師。
いつも優しくて、穏やかな先生。
母の頭の中の動脈瘤に、コイルを入れるカテーテル手術をした先生。
術中に、脳梗塞になり、脳圧が上がり、頭蓋骨の一部を、切り外した先生。

きちんとお礼をして、帰宅しました。



母は、10年前に死なず、10年後に死んだだけ。


誰に生かされたんだろう。

家族に?
自分の生きる力に?

母は、幸せだったのかなぁ。

まだ、生きたかったのかなぁ。

母が亡くなったことが、まだ現実じゃないような気がして、それでいいと思ってました。

毎日、アレコレやらなきゃいけないことに忙しくて、普通に笑って過ごしながら、母がもういない事に気づいては泣いています。

困ります。

もう、骨になってしまった母だから、何をどう考えても、仕方ないって諦めて、前を向いて、私は私で生きていますが、やはりまだ、涙か勝手に出てきます。

父も、多分、そんなで、必死に生きてる感じです。
笑いながら、泣いているんでしょうか。
たまに固まります。


ちゃんと泣いてないとか、現実から逃げてるとかじゃ、ありません。

今日はまた、悲しみが押し寄せて、ブログを開きました。


わけわからない文章ですね。


母は、もう生きてはいない。
それが、現実です。

今更後悔しても、仕方ないし、、、後悔することは、わかってました。


ちゃんと、わかっています。
ただ、今日は、改めて、苦しかったろうねと、思いがそこで止まってしまって、どうしょうもなくて。


大丈夫。
書いていたら、少し落ち着いてきました。

写真の笑っている母が、大丈夫って言ってくれたならいいのにな。

私には、まだ死んでから一度も会いに来てくれません。


あれ?
そんなん、可笑しいですね。


やっぱり、すごく寂しい。
悲しい。
辛いなぁ。











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春待ち

2015年03月08日 | 母の話


スミレがもう咲き出しました。
母の好きな、赤紫。
これから我が家の箱庭には、薄紫のスミレと、勿忘草が山程咲きます。
あちこちの鉢に、かなり準備万端の様子
です。


三寒四温の季節になりました。

もうすぐ、ホントの春になりますね。





クリスマスローズが、いつの間にか咲いていました。
この時期の花なのかなぁ?
名前からすると、妙な感じ。










可愛らしい鉢植えを、買いました。
私の好きな小さな青紫の花。
それから、薔薇の苗木。

チューリップを植え忘れていたから、ホームセンターに行ったのだけど、もうありませんでした。
既に蕾の鉢植えはありましたが、今年はもう、やめました。

その代わりの、薔薇の苗木。

いつもなら、また増やすの?って、嫌な顔をする旦那が、何故か黙っていました。

薔薇の苗木は、かなり高かったんだけど、たった一本残っていた、薄紫の薔薇の苗木。
今年だから、旦那も見ないふりをしてくれたみたいです。











桜草が咲いています。
去年の、こぼれ種から。

芽が出始めました。
何が出てくるんだろ?



今日、父が久しぶりにディサービスに行きました。
いつもなら、母に会いに、直ぐに特養のある二階に上がるはず。
でも、もう、それもなく。
寂しかったかな?


夕方、元気に帰宅した父でした。
大丈夫!

ですが、、、
物忘れが半端なく、、、
年相応だと、少し思えなくなってきました。
検査をうけるべきか、真剣に考えなくては、、、。


母の亡くなったことでのアレコレを、一人駆け回り。
必要な書類のありかを、父が忘れ、最早思い出せず、、、再発行。
委任状、なんやかや、、、頭がクラクラします。

思った以上に面倒で、泣いてる暇はありません。

納骨式の予約をしたものの、、、
お墓の権利証まで行方知らず、、、
再発行。

やはり、親が元気なうちに、頭がしっかりしているうちに、全て知っておくべきでした。


縁起でもない、、、
なんて、それは、ダメでした。

介護はまだまだ続きます(^◇^;)








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特養の皆様へ

2015年03月04日 | 母の話
日曜日、特養へ荷物の引き取りに行ってきました。

思っていたより沢山、母の服がありました。
まだ手を通していない、誕生日プレゼントのセーターも。

食堂の、隅に置かれたダンボール中。
納められていた母の服は、きちんと綺麗に畳んでありました。
とても嬉しいことでした。

きっと、母の服を畳みながら、ワーカーさんは、母のことを思い出して下さったのだろうか、、、
そんな風に、思えました。

退院して、またこの特養に戻ってこれたら良かったけれど、、、

家なら、尚更良かったけれど、、、

もう、洋服に手を通す、母の身体はありません。
だから、大半の母の服や、クッション、ポータブルトイレは置いてきました。

多分、風になっているかしら?
千の風、母が好きな歌だったこと、ふと、思い出しました。


今、骨になってしまった母が、やっと私のよく知っている母に戻り、帰ってきたような、、、そんな不思議な感覚がしています。
だから、泣いてはいません。

父と、毎日のように口喧嘩しながら、やらなくてはいけないアレコレを片ずけています。
涙が枯れてしまったのか、、
なるべく涙の元になりそうなものは、避けて見ないように、聞かないようにしているのも、否めませんが、今は泣く必要が、きっと無いような気もします。

多分、これから、何かにつけて、きっと寂しくなるのでしょうね。

特養へも、もう自転車走らせて、行く事もない。

もうすぐ、特養の前の畑は、菜の花で一杯になるのでしょう。
夏には、一面の向日葵。

母の車椅子を押しながら、お散歩する事も、もうないのだなぁ。
せっかく春になるのに、とても寂しい気がします。


部屋で、爪を切ったり、母の顔を拭いて、化粧水を塗ることもないのだなぁ。

ワーカーさんに、小姑のような事を、言うことも無いのだな。

モップを貸してくれ!
顔を拭いてくれ!
耳かきを、してくれ!

とか、ね。



母の部屋は、四人部屋でした。
かなり年季の入った特養です。
今時の、ユニット式の個室では、ありません。

クロゼットの引き出しの取っ手が取れていたり、何度か付け直して頂きましたが、やっぱり取れてしまいました。

時に、ベッドの下に綿埃。

特養は、我が家ではないけれど、病院でもありません。
なるべく、綺麗な場所に母にはいて欲しいし、母も綺麗でいて欲しい。

それが、私の願いでした。

週に二回は、特養に行くようにしていたけれど、昼ご飯介助を入れて二時間弱。
あとは、特養のワーカーさんに母を任せきりでした。

最小限の人数で、沢山の利用者さんのお世話をしているワーカーさんに、無理も
文句も沢山言ってしまいましたが、どなたも快く、聞いて、直ぐに実行に移してくださいました。

だから、ホントに、心から感謝もしています。

胸の奥にあった、黒い物も、、、
最後に聞いて貰ったし。

どうか、出来たら、私の黒い思いも真実だから、心に留めて頂ければと、思っています。


両親のダブル介護に加えて、自分の病気も発覚し、潰れそうだった私を救ってくれたのが、特養や、ディや、ショートの相談員さんだったことは、忘れません。


ワーカーさんや、看護士さん、私が母に会いに行く度に、私の愚痴やら、体調のことを聞いてくださいました。

正直、特養は、私にとっては、要介護者の父と向き合って暮らす日常生活の、逃げ場でもありました。

もちろん、目的は母に会いに行く事です。
でも、母は、あまり話さない、、、いえ、話してくれますが、理解してあげられない言葉も多かったので、つい、ワーカーさんと話し込んでしまう私でした。

兄弟姉妹のいない私は、ホントにワーカーさんに会って話す事、楽しい時間でした。



母に、私に、いつも暖かかったパートさん達。
Oさん、久美子さん!と呼んでくれるのが、とても嬉しかったです。

Iさん、娘みたいに可愛くて、沢山お喋りしてくれて、ありがとう。

荷物を引き取りに行った時、会えなかったけど、本当にありがとうございました。
二人が母のブースにいる日は、なんだかとても嬉しかったな。

Mさんとは最後に会えて、ホントに良かったぁ。
母に沢山話しかけてくれて、ありがとうございました。

Mさん、Eさん、移動になったのに、会いに来てくれて、ありがとうございました。
Mさん、いろんな勉強、頑張って下さいね。
母が褥瘡出来た時に、いろんなこと教えて下さってありがとうございました。
Eさん、いつも一生懸命な貴女、私は大好きです。
コブクロ繋がりも、嬉しかったです。
いつかライブで、会えたら良いな。
母のブースから二人が離れちゃった時は、ホントに残念で、ガッカリだったけど、建物の中にいてくれてるだけで、心強かったです。


母が妹だと思ってたNさん、長いことありがとうございました。母がショートを使っていた時から、お世話になりました。母が当たったりしたこと、ごめんなさいね。

母の担当をしてくださったIさん、母に一生懸命を下さって、ありがとうございました。いろんなこと考えて下さって、嬉しかったです。
私の小言、ごめんなさいね。

Tさん、Cさん、短いお付き合いでしたが、ありがとうございました。
父の電話の取り次ぎ、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。

母が亡くなったことを、涙してくれたHさん、私は貴女が、ホントに大好きでした。
私は貴女に会いたくて、特養に行っていたかもです。
Hさん、これからもチーフ、頑張って下さいね。
くれぐれも、身体に気をつけて下さいね。


私や、父を支えてくださった、特養の心ある方達に、深く感謝しています。
本当に、ありがとうございました。

そして、利用者さんのみならず、どうかこれからも、家族の力になってください。


最後に、このブログを読んでくださっているという、Hさん。
皆さんに、どうか伝えて下さいね。

私の拙いブログを読んで下さったこと、忘れません。
病院の帰り、母を父に会わせるために、家に寄ってくださったことも、忘れません。
ささやかなこの人生、、、また、桜が散る頃、一度だけ母と私を思い出してくださいね。


老舗と言われている、母のいたちょっとボロい特養。ごめんなさい~
私が此処を選んだのは、ワーカーさん達がいたからです。

優しい心と気持ちを、ありがとうございました。

私も、また、頑張って生きていきますよ。

母に関わっては下さった皆さん、心から、ありがとうございました。
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旅立ってしまいました。

2015年03月04日 | 母の話
母が亡くなって、お通夜、告別式、初七日が過ぎました。

母は、10年前の母に戻って、自宅に帰ってきました。

遺影の母を見て、なんだか、そう思ってしまいました。

孫である私の娘も、告別式の日
「おばぁちゃんが、二人いるみたいだ」遺影と、棺の中の母を見ながら、そう言っていました。

写真の母は、ふっくらとして、頭の傷もない、60代の母です。
元気に駆け回り、働き者の10年前の母が、写真の中で笑っています。
私の、よく知っている母でした。


この10年、母は必死で生きていました。
笑う時間より、多分、我が身を哀しむ時間の方が、長かったと思います。
いえ、もしかしたら、私が思っているだけで、辛くなんて、無かったのかもしれません。

母は、いつも前を向いて生きていました。
リハビリも、一生懸命だった。
それが、私には、時に切なく、時に誇らしく、考えると、やはり辛くなります。

でも、母にとっても、多分、私にとっても、掛け替えのない10年だと思います。
決して無駄じゃなかったし、一生懸命、頑張った母でした。

母の想いは、多分私にはわからないかもしれません。
あれこれ想いを巡らせても、もう答えは聞けません。


棺に横たわっていた母は、私の知っている母とは、少し違いました。
何故だろう、、、
既に、仏様の様に見えました。

考えると、この数年の母は、私にとって、仏様みたいな気がします。
恨み言も、愚痴も言わず、泣きごとも言いませんでした。

その母の近くにいた私は、いろんな修行をしていたような気もします。
とても辛かったし、厳しかったけれど、きっと母の身を以て、いろいろ教えて貰えた気もします。

もちろん、悲しことばかりじゃないし、楽しいことだって、母にも私にもありました。
特養で、母が笑うと嬉しかった。

死に行く数ヶ月前からは、何故かよく笑う母でもありました。

短期記憶は残らないでしょうけれど、しっかり全てわかっていました。
母の声、今は上手く思い出せないけど、ありがとうを、沢山貰いました。

口の中、舌がうまく動かせなくなっていたので、母の言葉がわからないことが沢山ありました。
もう少し気長に、聞いてあげてれば良かったなぁ。

まだ、後悔とも少し違う、残念さは沢山です。

強く、優しく、、、母はいつも、母でした。
私には、、、そうでした。

父には、早く帰りたいといっていたようです。
やはり、妻だったのでしょう。

喧嘩も沢山していた両親ですが、とても仲が良かったと思います。
沢山の苦労を共にした、絆の固い夫婦だったと思います。
母の遺影の写真を探しながら、沢山の父とのツーショットがありました。
手を繋いだり、腕を組んだりしているわけではありませんが、どの写真もピッタリと寄り添っていました。


父は、特養にいる母に携帯を買いました。
1日3回電話をかけて、母に会えない寂しさを、紛らわしていたのでしょう。
母の手が、上手く動かせなくなって、自分では受話器を持てない母。
ワーカーさんの優しさで、受話器を持って貰ったり、耳に当てて貰っていました。
ワーカーさんが忙しくて、取ってもらえない時は、沈んだり、怒ったり、、、
留守電になってしまう携帯を、哀しく掴んで離せませんでした。
母の声を聞くまでは、夕飯も食べれずにいました。

もう、そんな風に、母の声も聞けない父は、きっと私より淋しいだろな。

おかげさまで、あまり落ち込んでいる姿は見ませんが、この数日で、少し歳をとった気もします。


要介護2の父、物忘れが半端ありません。
難聴だし、足元も危ういし。
まだ、私の修行は続きます。

頑張らなきゃな、、、
とは、思っています。

我武者羅でなく、、、
ユルユルしながら。

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逝ってしまいました。

2015年02月21日 | 母の話
母は、一人で逝ってしまいました。

今日、母に会いに行ったら、頑張れって、沢山言うつもりだったのに、、、

朝早く、母は何も言わずに、一人で旅立ってしまいました。

最期には、間に合わなかった。
病院に着いた時には、もう母は、息をしていませんでした。

私を待っていては、くれませんでした。

ずっと一緒にいたのに、最期は一人で逝ってしまいました。


私は、結局、最後まで母が可哀想で仕方がなかった。
母の頭の手術後の陥没も、動かなくなった左手も、哀しくて仕方なかった。
10年も、受け入れられず、辛かったのは私だった。
母は、いつも一生懸命で、頑張っていたのに。
いつだって私は、口先ばかりで、本当には応援していなかった。

辛いのは、私で、母じゃなかった。
私が母を見ているのが、辛かった。


だから、母は一人で、逝ってしまったのかなぁ。


それは、私への罰でしょうか。



母とは沢山、喧嘩もしたし、一緒に笑ってきました。

多分、少し近過ぎたかもしれません。


入院する前日も、特養にいる母に会いに行き、父のおかしな行動を話しては、笑わせていたのに。

母は、最近、本当によく笑うようになったんです。



80歳と10日。
まだ、私が誕生日にプレゼントした洋服に、手を通していません。

後悔だらけです。
まだ、やってあげられること、ホントはきっとあったと思います。

眠るように、横たわる母。
帰りたかった家に、やっと帰ってきました。

もう、二度と、母と話せない。

沢山の後悔と、沢山の母への感謝でいっぱいです。

最期に、ありがとうだけ、言いたかったなぁ~
母は、私に、沢山ありがとうを、言ってくれました。
でも、私は母に、ありがとうって言ってないような気がします。

誰よりも頑張り屋で、情が熱くて、強くて、優しい母でした。

私が唯一、母を喜ばせられたことは、娘二人を産んだことくらいかなぁ。

まだ、母が亡くなったこと、なんだか実感はありません。
本当に、もう、起きないんでしょうか。

父のベットで眠るように横たわる母の隣りで、、、
父は、寝息を立てて眠っています。

私は二人を見ながら、今夜はお線香を燃やしながら、母の側にいます。


今、母はどこにいるんでしょう。

せめて、ありがとうの気持ちが、母に届いていますように。


今頃は、とうに亡くなった自分の息子に会えていたら良いなぁ。


ママ、ありがとうございました。

おじいちゃんのこと、大事にするからね。



これで、本当に、母の介護は終わりました。

長いこと、励まして下さったブログ友の皆さん、ありがとうございました。

今も尚、介護生活を続けておられるブログ友の皆さん、どうか御自身の身体もご自愛ください。


まだ、私には要介護2の父が存命です。
ゆるゆると、在宅介助、続けていきます。
ブログは、また、ユックリ。


本当に、母の事を沢山、ありがとうございました。






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応援しよう!

2015年02月20日 | 母の話
少し、疲れていました。

母は、今日も頑張りました。

生きるために、頑張っています。

肺炎なんかに、負けないように、口から血を流しながらも、必死で生きています。

また、母の笑顔を見なくてはいけません。

明日で、救急車で運ばれてから、一週間になります。

母は、頑張って闘っています。

私が諦めて、どうする!!


今日は、家に帰って来ました。


今も母は、一人で、頑張っている事でしょう。

私もまた、明日から、母を励まし、連れて行かれないように、引き止めたいと思います。


宏史、まだ、ママは連れて行かれないよ。
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酷い話

2015年02月20日 | 母の話
私は、今、自分の頭の中にある、髄膜腫の結果を聞きに来た。

去年と変わらない。
でも、確かに、ある。
今も、顔の右側全体が、痺れている。
でも、耐えられない痺れじゃない。

いつか、母のようになるかもしれない。
ならないかも、しれない。
でも、私は自分の身体が動くし、生きて行くために、検査を受けている。

なのに、母を連れて行って欲しいなんて、、、願うなんて、、、
酷い話だ。
酷い娘だ。

今、何を祈ったらいいのか、わからない。
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苦しい

2015年02月19日 | 母の話
今日は、病院に泊まることにした。

母の小さなア~と言う呻き声を聞きながら、長い夜を過ごしている。

悲しくて、一人になると泣けてくる。

昼間は、父も長女もいたから、泣きはしなかったけど。



昨日は、落ち着いてるように見えた母だった。
昼過ぎから、夜7時まで、母の側に長女といた。
何を喋っているのか、わからない時もあったけど、孫の名前を呼んだり、気を付けて帰りなさいとか、よく話してくれた。
酸素濃度も、90%を超えていた。

もしかしたら、元気になるかもしれない。
そんな風にさえ、思えた。

痰の吸引器には、透明な痰が吸い取られていたし、一昨日の吸引器の中は赤かったから、少しは良くなっているのかと思った。
なので、昨日は、泊まらずに帰った。


今日は、父を連れて、仕事が偶然連休の長女と、昼過ぎに三人で来た。

痰の吸引器の中は、再び赤い。
口の周り、鼻の穴の周りには、血が付着していた。
既に、何度も吸引をしたようだった。

酸素濃度が、上がらない。
普通の人は、97以上らしい。
母は80台を彷徨い、痰が絡み始めると50台にまで下がった。

苦しそうに、胸が痛いと言っている。
泣き言を絶対に言わない母が、痛みを訴える。
あ~と呻く声が、大きくなる。

酸素が血液に入らない、身体のあちこちが、不全になる。

父は、疲れ果てている。
85歳だもの、無理もない。
長女が、連れて帰ってれた。

ホント、頼りになる娘を産めた。
育てたのは、今、死の淵にいる母みたいなもんだけれど。
だからこそ、娘はおばぁちゃんの側にいたがるんだろな。




担当医師が、今日のレントゲンの結果を話してくれた。
入院した日、転送した日、今回。
三枚を比べる。
黒い部分が、極端に少ないのが、昨日の母の肺だ。

蜘蛛の巣は、母の肺に巣を作ってる。
最早、黒い部分が無いほどに。



母の身体が辛い時、私の身体も辛くなる。
昔から、そうだった。
母が転ぶと、私も転んだ。
母が熱を出すと、私も熱が出る。

今は、母の息が苦しい。

私も、上手く息ができない。


段々、また、酸素濃度が低くなってきた。

大丈夫だろうか。

身体中が、浮腫んでいる


大丈夫?としか、聞けない。

頑張れ!とは、もう言いたくない。
もう、頑張らなくていい。

がん末期の人には、ホスピスがあるのに、肺炎末期の人は、苦しいまんまなのか?
痛みを取っやってほしい。

生きている限り、苦しいのだろうか。
生きていり限り、痛いのだろうか。

浮腫んでパンパンになった母の顔。
皺がなくて、こんなに若く見える。
十年前の、大学病院のICUにいた母を思い出した。



母が生きたいならば、全力で応援しなきゃいけない。

仮に、動けなくても、、

胃に穴を開けても、、





神様、仏様、宏史、、

先に死んでしまった、仲良しのご近所のおばちゃん達、もう、母を連れて行ってもいいよ。

母が、どんなにか皆んなと会いたいか。

あんなに仲良しだった、靴屋のおばちゃん。
母は、おばちゃんが死んだことすら、知らないけど。

薬屋のおばちゃん、豆腐屋のおばちゃん、クリーニング屋のおばちゃん、

もう、母を頼みます。
連れて行ってあげて欲しい。


ヒロシ、約束守れない。
ごめん。
最後まで、姉ちゃんは、励ませないかもしれない。
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昨日から、、、

2015年02月17日 | 母の話
ご無沙汰しています。
変わりなく、毎日を過ごせていますと、書きたかったけれど、、、
やはり、日々、両親も私も旦那も、そして娘達も、歳をとりました。

人間だから、、、
やはり、身体はナカナカ、若返りはしないですね。

今年は、父がショートステイでインフルエンザを貰い、四日間、入院しました。

私も、多分、産まれて初めて、インフルエンザに罹りました。


そして今、母は、肺炎で入院しています。

かなり重篤で、昨夜大きな山を越えました。

救急車で、搬送された所が、とんでもなく遠い場所で、同じ市内とは言え、片道二時間弱かかる場所、、、途方に暮れました。

が、昨日転送させて貰え、父も母に会うことが出来ています。

まだ、今週一杯は、峠だそうです。



なんとか、越えて欲しい。


一月に、父は85歳に。
二月に、母は80歳になりました。

あれから10年になります。




ここのところの母の様子や、父の様子、ブログに書けませんでした。

この先、どうするか、わかりませんが、、、
病院にいる時間が、増えそうなので、また、、、。


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もう暫く休みます。

2014年07月28日 | 携帯電話
またまた、ブログを放置しています。

覗きに来てくださってる方、ごめんなさい。



書く時間が無いわけでも、何かあるわけでも無く、変わらな日々を過ごしています。

相変わらず、、、な、毎日でもあり、楽しいことも、そーでないことも、いろいろあります。


ただ、少し、介護ブログから離れていたいなぁーと、思っています。

何故かな~

よく、わかりません。

また、書きたいと思う日が来るとは思いますが、もう少し、お休みします。

また、ひょっこり現れるかもです。




暑さが厳しくなるようですので、皆様どうぞ御自愛ください。
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今年も。

2014年05月09日 | 携帯電話
相変わらず、病院と施設に行く日々ですが、箱庭だけは、構っています。

今年も春から夏に向けて、いろいろ咲き始めましたよ。








薔薇、蕾が沢山です。
雪を被ったせいでしょうか、、
強い強い。そして今年も綺麗です。








薔薇に絡んで、ジャスミンも咲き始めましたよ。





花のように、強く逞しく、そして美しく頑張ります*\(^o^)/*


間引き、出来ないけど、いいか!

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