中国旅行記: スーの「あら!中国」

中国・蘇州を拠点に定年後を楽しむ男が、中国での日常生活や旅行で「あら」「おや」「へー」と感じたことを文章と写真で綴る。

洛陽(9) 王城公園の牡丹

2009-04-28 07:41:55 | 旅行

 洛陽は中国で最も牡丹の見事な都市として有名です。訪れたのは洛陽牡丹祭りの真最中でした

 4000年以上前に建国した夏王朝以来、946年に滅んだ後晋まで、洛陽は13王朝の都かそれに準じる都市として栄えました。牡丹が盛んに観賞されるようになった隋、唐の時代は洛陽か長安(西安)が都でしたから、白楽天が詞の中で「町中、牡丹に酔いしれている」と嘆くほど、人々が牡丹に熱中したそうです。

 駅で交通地図を買ってびっくりしました。牡丹園の所在を示すマークが何と18個も付いています。複数のマークがついた公園もありますから、公園の数にすると10箇所ぐらい。さらにこの地図から外れる白馬寺にも有名な牡丹園がありました。

 それで、龍門石窟へ向うバスの乗客やタクシーの運転手に聞いて、一番評判が高かった王城公園に行きました(写真)。色、形、大きさとさまざまな牡丹が見事に咲いています。ここ1箇所だけで、前に紹介した常熟の尚湖牡丹園より種類、花の大きさ、全体の量とも勝っているように思えました。

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洛陽(8) 龍門石窟の隣に白楽天の墓

2009-04-27 09:07:45 | 旅行

  龍門石窟の隣に唐を代表する詩人の一人、白楽天(白居易)の墓があります。小さな山の上に墓があり、周囲が公園になっています(写真)。

  白楽天は蘇州の長官をしたことがあり、太湖石を大変気に入って、都に帰るときに大きな太湖石5個を持ち帰ったという話が残っています。しかし、この公園の池の周りに使われている石は太湖石ではありませんでした。

 (今日は5本の記事を出稿しました)


洛陽(7) 文化大革命でどれほど破損したのか?

2009-04-27 08:59:31 | 旅行

  龍門石窟で一番オヤッと思ったのは、顔や手をそぎ落とされている仏像が非常に多いことです。風化で崩れるとか、盗掘で持ち帰られた仏像もあるようですが、明らかに破損目的の仕業と分かるものがたくさんあります(写真)

 この石窟のどこかに説明がないか探しましたが見当たりません。帰ってからインターネットで調べると、日本人、中国人のブログなど私的な文章の中に、文化大革命で多くの仏像が破壊されたという記述がたくさんありました。

 「JANJAN 市民の市民による市民のメディア」というWebにあった07年5月28日付の投稿の中に次のようなくだりがあります。「旅行社の人に聞いたところ『白馬寺が文革初期に紅衛兵によって破壊された直後に、当時の洛陽市の共産党トップが大学生を龍門石窟に派遣して守らせたために、大きな被害を受けなかった』と説明を受けた。しかし、90年代初めに訪れた知人は『文革によって大きな被害を受けた』と聞かされていた」

  私が問題にしたいのは、中国語で「龍門石窟、破損、文化大革命」と入れて検索しても、少なくとも初めの方には公式なコメントが出てこない、洛陽市の公式ホームページに龍門石窟のかなり詳しい説明がありますが、その中でもこの破損については何も触れていない点です。

  文化大革命は毛沢東、つまり当時の共産党が指導した。その負の部分に触れることはタブーというのでしょうか。共産党に都合のいい歴史だけをアピールする姿勢はどうもいただけません。


洛陽(4) 龍門石窟の磨崖仏

2009-04-27 08:25:50 | 旅行

  洛陽に到着してまず訪れたのは龍門石窟です。鮮卑族の北魏が平城から洛陽に遷都した494年から唐代まで約400年にわたって彫り続けられ、中国三大石窟の一つとされています。

  洛陽駅からバスで約50分、黄河の支流である伊水河の両岸1キロにわたって、玄武岩の崖に大小15万体といわれる仏像が彫られている様は、壮大というほかありません。いろいろな民族の融和を願って彫り始められたといわれますが、その願いは成就したのかどうか。

  龍門石窟についてはいい解説がいくらでもありますので、数枚の写真と気づいた点を紹介するだけにとどめます。まずは、龍門石窟を代表する磨崖仏です。則天武后をモデルにしたといわれる中央の仏様だけでなく、周りの仏像もみんな迫力がありました。

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洛陽(3) 桐花の里

2009-04-26 07:35:31 | 旅行

  河南省の省都、鄭州付近に桐花が一面に咲いている地域がたくさんありました。畑の周囲、道の両脇、庭先とすべて桐花で埋まっている集落もかなりあります(写真)。列車の窓から撮ったのでよく写っていないのが残念ですが……。

  蘇州でも桐花が街路樹や庭木に使われているところを時々見かけます。日本の関西地方では山ぐらいでしか見ない花なので、好みが違うものだと気になっていたのですが、この鄭州付近の様子は日本の桜どころでない感じです。

  このあたりで、屏風のように切り立った崖に洞窟を掘って、倉庫や墓、時には住居に使っているところを、車窓から時々見ることが出来ました。何回かカメラのシャッターを切ったのですが、うまく写りませんでした。

 (今日は前の記事と2本出稿しました)

 


洛陽(2) 中国の食堂車

2009-04-26 07:13:56 | 旅行

  14時間余りの列車の旅は初めてで、疲れはしないかと心配でしたが、大丈夫でした。同室になったのは洛陽近郊から蘇州に遊びに行った帰りの20代後半の男女4人(一人は別の部屋)で、マナーがよく、かなりよく眠れました。

  乗車後すぐに車掌が来て、身分証明書の提示を求め、住所や証明書の番号を控えました。山東に行った時はなかったことです。この列車は行き先の河南省鄭州鉄道局の所属で、局によって扱いが異なるようです。

  中国の食堂車を初めて経験しました。中級の食堂といった感じです。三鮮湯、宮爆鶏丁(鶏肉と落花生、野菜の炒め物)、ご飯、ビールで41元。味は思ったよりよく、残さず食べました。町の食堂と比べ値段が1,5倍ぐらいなのが敬遠されるのか、6時すぎから7時の間に客は10数人しか来ませんでした。ほとんどの人は持ち込んだパン類かインスタントラーメンで夕食を済ませたようです。この食堂の持ち帰り弁当も多少売れていました。

  食堂車は禁煙なのですが、会計係の男性とこの列車の係員と思しい男性2人の3人でおしゃべりをしながらタバコをぷかぷかふかしていました。従業員としてのマナーはなっていません。客も遠慮なくぷかぷか。

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洛陽(1)旅の準備で

2009-04-25 07:48:53 | 旅行

  今日からしばらく洛陽の旅の報告をします。まずは準備段階での経験から。

  マンション近くの切符売り場(代理店)で行きの切符はすぐ手に入りましたが、帰りは蘇州駅で売っているという。それが分かっていれば初めから蘇州駅に行くのに、と思いながら他の用事があった2日後に蘇州駅に行くと、寝台切符は全て売り切れ。洛陽に行けば買えるかもしれない、ダメなら飛行機がある、と腹をくくって出発しました。案の定、洛陽についてすぐ切符売り場に行くと20分ほど並んで帰りの切符もゲット。約14時間の1等寝台で行きは上段362元、帰りは下段379元でした(1元は約15円)。

  このブログの一番最初の山東の旅を見ていただくと、帰りの切符無しに出かける不安で落ち着かない自分がいます。半年ほどで随分、中国人感覚になりました。多分、全国ネットで販売しているのではなく、各省の鉄道局に切符の割り当てがあるのでしょう。

  ホテルをネットで予約したのですが、いつも使う日本のサイトは洛陽のホテルを2軒しか紹介しておらず、中国のサイトで申し込みました。ところが送信のあと、理解できない文字が表示され、まる1日半経っても何の連絡も無いので、日本サイトで予約しなおしました。こちらはたちどころに受付、予約完了の連絡がありました。処理の仕方が如何に違うか。

  さらに後日談があります。翌日朝、メールを開いて見ると最初に申し込んだホテルから予約完了のメールが届いていたのです。そこで、1日半待っても何の連絡も無かったので、別に予約したと返信しました。すると、予期に反して、「確かに私達の返事が遅かった。貴方の行程を遅らせてすまない。またの機会によろしく」という丁寧な返事が返ってきたのです。これなら客への対応が日本よりいいと感心しました。

  感心しないのは満員の駅待合室で3人分の席を使って眠りこけている人が私の周りだけで3人もいたこと(写真)。午後4時ごろですから、普通は睡眠の時間でもない。ご本人たちは旅の疲れが取れるかもしれませんが、周りは疲れますね。

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