中国旅行記: スーの「あら!中国」

中国・蘇州を拠点に定年後を楽しむ男が、中国での日常生活や旅行で「あら」「おや」「へー」と感じたことを文章と写真で綴る。

常熟(2)虞山から尚湖を望む

2009-01-31 09:53:12 | 旅行

  常熟の市街地からすぐ登れる虞山一体が国家森林公園になっています。その頂上からの眺望がすばらしい(写真)。南麓に広がる尚湖や無数の河川、運河が雲から漏れる日の光に輝いていました。前回紹介した「田園の中の水郷」という地形も、ここから見るとよく分かります。

  常塾の街の様子は、また明日紹介します。

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常熟(1)毛沢東が利用した葦に覆われた水郷

2009-01-31 09:13:00 | 旅行

  蘇州市といっても拡大蘇州市の面積は8488平方キロと兵庫県全体よりさらに広いので、1年余り住んでいても多くは回れていないのですが、台湾人の友人が昨日、常熟を車で案内してくれました。蘇州旧市街地の北方、長江の南岸にある人口約110万人の都市で、拡大蘇州市を構成する6都市の一つです。

  長江の三角州地帯ですから、河川、運河、湖が非常に多い地形です。あちらこちらに水郷が残っています。ただ、蘇州とか、日本からのツアーによく組み込まれる周荘のような運河が縦横に走る街といった趣ではなく、田園の中の水郷です。日本でいうと琵琶湖周辺の水郷のような感じです。

  写真はそのような水郷を風景区として保存している沙家浜です。一面に背の高い葦が生えています。日中戦争当時、毛沢東はじめ共産党の要人が小船に乗り、この葦の茂みの中に隠れて重要会議を開いたという話が残っていました。

  

  


今も活用される井戸

2009-01-30 07:32:59 | 買い物・衣食住

  蘇州旧市街地の古い住宅地では路地の脇に共同井戸がたくさんあります。何百年もの歴史を持つ井戸が珍しくなく、取水口の石の枠のなかには骨董品として値打ちがありそうなものをよく見ます。大半の井戸は今も洗濯や食器洗いに利用されています(写真)。

  この写真の井戸は取水口が2つです。半数ぐらいが取水口ひとつだけですが、中には4つもある井戸があり、数人の主婦が洗濯しながらおしゃべりしている姿をよく見ます。

  マンションはもちろん、新しい住宅地に井戸はないようです。観光地に残る井戸は別にして、住宅地の井戸は後20年もすれば姿を消すのかもしれません。

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南通の旅(5止)昔と今の融合?

2009-01-29 07:48:40 | 旅行

  南通の中心地域のすぐ近くに写真の塔がありました。後ろの楼閣とくっついています。脇の石の説明版に、大きく「鐘楼 譙楼」(実物は簡体字)と書いてあり、その下に小さく「時代:1912年 元代」と入っています。塔と楼閣が一体の一つの建物というイメージがあったのと、「譙」の意味が分からなかったので、「これは何だろう」「1912年が元代というのは間違いか?」などと不思議なまま、マンションに帰りました。

  帰って辞書を調べると、「譙楼」は「やぐら、あるいは太鼓で時を知らせる鼓楼」の意味だと分かりました。とすると、一体に見えた建物は別々に建てたもので、一つは元代の鼓楼、もう一つは1912年(中華民国建国の年)に建てた時計台というのが正解のようです。昔と今の時を知らせる楼閣を一体化した珍しい建物ということになります。

  鼓楼はそんなに古い感じを受けなかったので、創建は元代でも、途中で何回も建て替えられたのでしょう。「元代の創建」とでもしておいてくれたら、分かりやすいのに

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南通の旅(4)狼山から市街地を望む

2009-01-29 07:35:43 | 旅行

  狼山の頂上に登ると、長江と一面の平野が見渡せます。この日は少しモヤがかかっていたこともあって、長江の対岸はほとんど何も見えません。たとえくっきり見えたとしても、2万トン級の船まで行きかう長江は、河川ではなく瀬戸内海のようなイメージだろうと思います。

  写真は市街地の方向を写したものです。右端の塔のような建物から煙が出ています。参拝者が持ってきた線香をここで焚くのです。線香といっても大きなものは長さ1メートル、径15センチほどのものまでありました。


南通の旅(3)狼山広教寺

2009-01-29 07:15:52 | 旅行

  南通は長江の三角州ですから、一面の平野です。その中で、長江のすぐそばに底の深いおわんをかぶせたような岩山が2つ、ポコン、ポコンと突き出しています。高さは100メートル強でしょうか。「このような不思議な地形に中国人は霊気を感じるのですよ」と友人。両方とも頂上に寺があり、その一つ狼山広教寺(写真)に登りました。

  南の長江側は少し傾斜があって、この側面に階段がついています。北側はまさに絶壁。あちらこちらに、漢字が刻まれていました。

  頂上の寺の一番奥に、この寺を開いたお坊さんの遺体を胎内に安置した黄金の仏像があり、参拝者が一列に並んで次々に拝んでいました。高野山の弘法大師のミイラを安置した奥の院を連想しました。


南通の旅(2)フェリーもがんばっていました

2009-01-28 09:51:10 | 旅行

  この写真は南通と長江対岸の張家港(拡大蘇州市に入る)を結ぶフェリーです。近郊都市を結ぶ路線バスが乗客を乗せたまま、フェリーから出てきました。2トン以下の車が30元(1元は約13円)、自転車は10元、人の料金は書いていないので、車と一緒なら無料なのでしょうが、人だけが乗る場合はどうか、分かりません。友人が聞いてくれたところによると30分に1本、便が出るそうです。

  フェリー入口でたくさん荷物をもってたむろしていた中国人数人が、バスが来たら、運転手と交渉して乗り込んで行きました。バス停でもないここから普通に乗車するのか、ひょっとすると、人はフェリー無料であることを利用して無料か安い料金で長江を渡してもらうのかもしれません。

  前回紹介した蘇通大橋ができても、通行料が高いし(乗用車で高速料込みで最低60元はかかる)、行き先によってはフェリーの方が便利なところがあり、いまだにフェリーが健在なようです。

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南通の旅(1)蘇通大橋

2009-01-28 08:50:01 | 旅行

  蘇州旧市街地から北へ60キロ余り、長江の北岸に南通という最近、経済発展が目覚しい都市があります。蘇州駐在6年の台湾人の友人が車で案内してくれました。垣間見た南通の様子を2日に分けて報告します。

  元々の南通一帯は、長江が運ぶ肥沃な土地に育てられた豊かな農業地帯だったようです。南通市(周囲の市や県を含む拡大南通市)の07年末の人口は766万人もありますが、市区人口は87万人と1割強しかないことが、マチ、ムラが拡散した農業地域の特色を表しています。

  この都市が急速に経済発展し始めたのは、地の利にあります。長江はここで大きく湾曲し、河口に入っていきます。これが大きな船の接岸に便利な港をつくったのでしょう。南通市に接する長江には、地図で見ると何と30近くの桟橋があります。ほとんどは石油会社や造船所など会社の専用桟橋です。さらに、東南は上海市に接し、蘇州市と同じように外資導入をテコに発展する長江デルタ地帯の一翼を担うようになりました。北側が黄海に面していることも、これから有利になるでしょう。

  南通市の上海寄りに中央政府が経済技術開発区をつくったのは1984年末といいますから、蘇州より早かったことになります。その後、省級の開発区が8つも出来ました。発展が全体として蘇州より出遅れたのは、住環境の差ではないかと思いますが、最近になって外資の進出が盛んになってきました。東レ、テイジンなど日系の看板も目につきました。

  経済技術開発区を走り抜けました。大きな化学工場など建設中の工場がそこここにありますが、大半は空き地です。10年もすると、ここに大工場が林立するかと思うと、逞しくもあり、恐ろしくもあり、複雑な気持がしました。

  南通と蘇州を結ぶ高速道路が去年6月末に開通しました。途中、長江を渡るところに全長8200メートルの蘇通大橋がかかっています(写真)。橋を吊り上げている塔の高さは300.4メートルで世界一だそうです。この道路が南通の経済発展に拍車をかけるのは間違いありません。


梅が装う蘇州・獅子林の初春

2009-01-27 09:26:59 | 蘇州の園林(街)

  世界遺産の庭園・獅子林で梅の盆栽展が開かれていると聞き、春節の昨日、友人と訪ねました。二分咲き、三分咲きの鉢が全体の二割程度で、後はつぼみばかりと、花を愛でるには少し早かったのですが、感心したのは展示の仕方です。

  一つの部屋の中か広場の棚にずらりと並べてあるのではなく、楼閣や亭の元からある机の上に、一鉢一鉢さりげなく置いてあるのです(写真)。庭園全体が展示場というか、梅の盆栽が獅子林の初春を装っているというか。園林の街ならではの梅の盆栽展だと感じました。

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酒の種類、銘柄が多い中国、少ない韓国

2009-01-26 10:17:42 | 買い物・衣食住

  今日は春節。祝い事につきもののお酒の話を書きます。

  中国はお酒の種類、銘柄が非常に豊富です。ウイスキーや焼酎と同じ蒸留酒の白酒(パイチュー)、日本酒と同じ醸造酒の黄酒(ファンチュー)が特に多く、ぶどう酒も昔からつくられ、改革開放後は各国ビールメーカーとの提携でつくられたビールが普及しています。

  日本で有名な銘柄は白酒ではマオタイ、五糧液、黄酒では紹興酒、ビールでは青島ビールなど限られていますが、中国内では各地にメーカーがあって数え切れないぐらいです。写真は蘇州の外資系スーパーで、手前の左右の棚と奥の左右の棚すべて酒コーナーです。

  歴史と文化がある国は酒が豊富といわれます。日本もその中に入るでしょう。ところが、韓国は歴史も文化もあるのに、酒の種類、銘柄が非常に少ない。焼酎は圧倒的に真露(チンロ)の2銘柄が占めているし、ビールも3メーカーのそれぞれ1,2銘柄だけ、マッコリ(にごり酒)で全国的に売れているのは2銘柄ぐらいです。私がソウルを拠点に生活していた1年余り前の状況ですが、今も大きな変化はないと思います。

  なぜ、このような大きな違いがあるのか。「韓国では14世紀末に李王朝がソウルに遷都して以来、中央集権が非常に強かった。地域による文化の多様性が日本や中国に比べて少なかったことが、酒の種類、銘柄の少なさにつながったのではないか」と、私は最近考えるようになりました。ただ、この見方に自信はありません。この点について解説したものをご存知であれば、教えていただきたいと思います。

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