勝利路の商店街が歩行者天国になっていました(写真)。長さは500メートル以上あると思います。昨日紹介した九江の歩行者天国と違って、元の車道と歩道を一体化して舗装してあり、立派な歩行街です。
今回は6本を出稿しました。
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南昌市の中心を流れる贛江(日本語読みはかんこう)のほとりに藤王閣が建っています(写真)。黄鶴楼(湖北省武漢市)、岳陽楼(湖南省岳陽市)と並んで江南三名楼と呼ばれる南昌一の観光地です。
私が知っている漢詩の舞台でもあるので期待していたのですが、各階にみやげ物店がひしめき、展示物も歴史を余り感じさせないものが多く、期待はずれでした。楼から周囲が見渡せたことが一番の収穫でした。
藤王閣は唐代初期の創建で、戦乱にあうなどして頻繁に建て替えられ、今の楼閣は何と29代目、1989年に宋代の藤王閣に模して再建されたといいます。
贛江は鄱陽湖(日本語読みははようこ)に注ぎ、鄱陽湖は長江につながっています。
南昌は江西省の省都で、総人口は430万人強、市区人口は170万人という、これまた大都市です。メインストリートの八一大道の周囲には巨大なビルが並んでいました(写真)。
ただ、上海や蘇州には中国離れした地域が出来ていますが、そういうところは南昌にはないようです。
南昌には「八一大橋」「八一広場」など「八一」とついた場所がたくさんあります。1927年8月1日に周恩来、朱徳、賀竜らが武漢政府に対抗して、南昌に駐屯していた部隊を率いて武装蜂起しました。これが人民解放軍の始まりだったので、南昌は革命の誉れ高い都市というわけです。
南昌のホテルにチェックインしてすぐ列車の駅へ行き、次の長沙行きの切符を買いました。こちらも写真のように、切符売り場に長い列が出来ていました。
私は、遅い便しかなかったにしても、すぐ買えたのでいいのですが、30分以上も並んだ挙句、買えない人もいます。一応電光表示に切符があるかどうかの表示が出るのですが、少し前の状況しか表示していないので、窓口についた時にはなくなっていたという事がよく起きるといいます。また、私が買おうとしていた列車のところには「-」の表示があったのですが、これが何を意味するのか、説明がありません。とにかく”国鉄”は不親切です。
10月1日は中国の国慶節(建国記念日)で8連休の始まりです。私はこの朝、バスで江西省の省都・南昌に移動しました。九江バスターミナルで見た混乱振りを記録しておきます。
9時25分にターミナルの切符売り場へ。女性係員が渡した切符は9時30分発。「まだ5分ある」。「冗談じゃない」と思いながらキャリングバッグとリュックを両手に持ち、6つある改札口の中から南昌行きを探すと、改札係の周りは人盛り。大声で「9時30分発だ」と叫ぶと、「まだ来ていない。中に入って待て」という。中といっても広場にバスが6台並んでいるだけ。
改札口前に待機していたのは9時発の南昌行きでした。どうやら、このバスの切符を買いながらまだ乗っていない人がいるというので、出発が遅れているようです。
10時前、係員が突然「9時30分発南昌行きはあちらのバスに」と3台ほど右に待機しているバスを指差しました。私はすぐ移動しましたが、他の客がなかなか乗ってきません。この変更が全く周知されていないのでしょう。改札口前に電光表示がありましたが、停止状態。赤いたすきをかけた学生と思しき女性が手伝いに来ており(写真)、周囲に声をかけていましたが、混雑しているので徹底しません。
しばらくすると、バスの運転手とターミナルの係員が大声で怒鳴りあいを始めました。運転手は「何時まで待たせるのだ」と言っている様子。彼の稼ぎに影響するのかも知れません。
結局出発したのは10時半ごろ。乗客の待機場所をはっきり決めず、場当たり的にバスの待機位置を変更するなど、組織的な動きが出来ていない結果です。そもそも、乗客のチェックをこんなに厳格にする必要があるのかも疑問です。全国的にこんなことが起きているのでしょうね。
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