CH OB会

CHで、古き良き時代を一緒に過ごした仲間達
「みんな元気なのかな? どうしてるのかな?」
なんて思う今日この頃です。

酔っぱらい運転

2006-07-31 23:04:33 | Weblog
 先日、飲酒運転による死亡事件をめぐり、加害者と直前まで酒を飲んだ同僚の損害賠償責任を認めた判決がありました。(約5700万)
 加害者が運転して帰宅するのを予想できたにもかかわらず、加害者を残して先に帰った同僚の賠償責任を認定したものです。

 当然のことですが、私は車で食事をしに来た場合はアルコールは飲みませんが、飲んでる人も結構見かけます。幸いにして私の周りの人はそんな人はいませんが・・・

 タケちゃんが飲み会に時々自転車で来るよなー!あれって、飲酒運転になるのかなー?
飲酒運転になるんだったら、もし事故をおこして相手に万が一のことがあったら、我々にも訴えられる場合があるんだろーか? by イッシー
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泉州名物 「水なす」

2006-07-29 22:53:07 | Weblog
 私の地元(泉州)は「水なす」が有名である。
昨年の夏、近くのスーパーから親戚の人に「水なす」を送りました。
 暫くたってからその人から電話があり、『折角送ってくれたけど、水なすおいしくなかったで!』と。  えー、喜んでもらえると思って送ったのに・・・ガクッ

 最近、知り合いの人から、美味しい「水なす」の店があると聞き、自宅から車で5分のところにある 「W」という水なす専門店に行って来ました。この店は高島屋にも直営店があり結構有名みたいです。
 この店の「水なす」の特長は、創業以来のぬか床を伝承し、手で漬けることにこだわった匠の味。生きた乳酸菌のまろやかな酸味と水なすのほのかな甘味。さらに、究極の低塩分化に成功し、絶妙の味わいをつくりだしているとか。

 進物は、6個(化粧箱入り)¥4100(送料・税含む)。ちょっと高いなーと思ったのと、味もわからないので様子を見ることにし、とりあえず自宅用にと3個(1個¥400)買いました。
 店主いわく『うちのは、くすりを使ってませんから・・・』と、スーパーで売っているのとは違うらしい? 明日が一番おいしいと説明してくれたけど、味見のため、その日から1個づつ食べることにしました。
 
 その日はやはり味が浅くもうひとつ。翌日はちょうど良く、三日目はちょっと漬けすぎといった感じ。一日違うと味も変わる。
 「水なす」は、魚や肉と同じように空気にふれると味が変わってしまうように非常にデリケートらしい。
 この店の水なす、確かにうまいと思うが、値段と食べた感じを考えた結果、先ほどの親戚の人への進物は見送った。岸和田にも「H」という水なす専門店があり、ここは一個¥250で値段は手頃だし、味も「W」とかわらない。というかまだ分からない。もうちょっと勉強が必要だ。

 皆さんは「水なす」はどうですか?最近食べましたか?また、あなたの地元で何か名物みたいな物ってありますか? by イッシー

 
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梅雨明けはいつ?

2006-07-27 22:18:39 | Weblog
 昨日、九州・四国・山口県が梅雨明けした(平年より1週間~2週間の遅れとか)みたいですけど、近畿地方も一週間遅れているとのこと。困ったもんですね!おまけに長雨だった為、野菜は高値、海水浴場・プール・ビヤガーデン等もガラガラで、商売あがったりのようでした。
 半そでワイシャツも温度によって左右されるので早くカンカン照りになって欲しいところです。

 夏の風物詩ともいえるセミも困っているようです。(セミに聞いたわけじゃないけど、私のカン) 私の認識では、セミが鳴いたら梅雨明けだと思っています。
 先週の土曜日、晴れ間が広がり久々の天気。朝からクマゼミがシャーシャー鳴き始めました。梅雨明け宣言もしてないのに・・・翌日の日曜日も鳴いてた。
 
 セミは多分梅雨が明けたと勘違いしてフライングしたのだろう?それが、月曜・火曜と天気が悪いと何故か鳴いてない。じーっとガマンしているのだろうか?
 セミって幼虫の時は土の中で数年間過ごすのである。そして、地上に出ると、生命ははかなくて2週間ぐらいと短い。自分の命を知っているのか?その間めちゃくちゃ鳴きまくるのである。(オスだけ)
 先ほどのセミは二日間鳴かなかった(鳴けなかった?)が、昨日・今日と天気が良かったのでまた鳴き始めた。天気が続かないので、セミもどうしていいのか迷っているんだろう?でももう大丈夫だ!梅雨明け間違いなし?
 土曜日出てきたセミはあと一週間の命しかない?早くスカット晴れてあげて、そして思いきり鳴かせてあげて!(うるさいけどね)

 皆さんは、長雨・梅雨明けが遅れていることによって、仕事・商売等で影響がありますか? by イッシー
 
 
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再就職って大変だ!

2006-07-24 22:33:07 | Weblog
 ちょっと前に、OBのABさんが再就職(保険関係の会社)が決まり、7月から研修中ってお知らせしました。多分覚えることがいっぱいで大変だと思います。

 私も、再就職では苦い経験があります。
H.14年6月に会社の四度目の希望退職に応募し、CHでの32年間に終止符をうちました。
旅行などで1ヶ月ほどゆっくりした後、8月から3ヶ月間、ハローワーク斡旋のパソコン教室に行きました。10月に卒業、いよいよ仕事探しのスタートです。

 しかし、これが意外と適当なところがないんですよね。やはり歳(当時54歳)がネックなんです。失業保険も330日あったし、しばらくは予行練習のつもりで焦りませんでした。
数件応募しましたが、書類選考ですべてアウト。やはり歳が?・・・

 ちょっと焦りがでてきた年末の20日頃、ハローワークで、「健康器具の指導員」の募集があるのを見つけました。年齢は55歳まで。本給が33万ぐらいだった。これはいいと思いすぐに応募。

 年が明けて、7日が面接。行ってビックリしました。面接会場には150人ぐらい来てました。説明によると、明日も同じ人数ぐらいの面接があり、10人ぐらいを採用するとのこと。
えーっ300人も来るの?これはエライこっちゃ!

 まず一次試験は、黒板に何市に住んでいるかを書いて、皆の前で1分間の自己紹介。
これは、字を見て性格などを判断し、またスピーチで話し方等適正かどうかをみているようでした。それが終わり最後は一人ずつ面談、これも1・2分。

 夜に電話があり二日後来るようにと。今度は70人ぐらいに減っていた。
その日は条件などの説明、そして1枚のプリント(病気の事が書いてあった)が配られ、明日、試験をするので覚えてくるようにと。(70点以下は×だと)

 家に帰って必死に覚えました。久しぶりの徹夜ですわ。1月の寒い時、こたつに入りながら覚えが悪くなった頭を酷使しました。私の覚え方は、何回も紙に書いて頭に詰め込むのです。
 テストの結果は頑張ったかいがあって100点。(他にも数人いた)この日は半分の35人ぐらいに減ってました。ここからが地獄の研修です。

 仕事の内容は、空き店舗を借りて、お客さんを集め、病気(肩こり・頭痛・便秘・不眠症・腰痛・他沢山)に効能・効果のある健康器具を無料体験させ、最終的に買ってもらう仕事です。よく駅前とか商店街の仮店舗でお年寄り等を集めてやってますよ。(2社程見かけました)

 この日から、色々な病気の原因とこの器具がどんな効果・メリットがあるかの説明があり、それをすぐロールプレイングするんですわ。説明聞いてもちゃんと覚えられない!それが8日間続きました。


 長くなりましたので、続きは次回にします。懲りずに見て下さいね! by イッシー

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探偵!アルトスクープ?

2006-07-21 22:37:34 | Weblog
 お待たせしました、探偵!アルトスクープ?の時間です。
今日はゴルフの全英オープン中継のため、探偵!ナイトスクープはお休みです。
代わりに、探偵!アルトスクープ?でお楽しみ下さい!

 昨日予告した通り、しっかり調べてきましたよ、コバ<妹>さんにお恵はん!
ご依頼というのは、S.61年同期入社だった男性達のその後の消息です。

 まず最初の方は、お二人が、わりと近所だったというM重君です。
彼には、今年のOB会に案内状を出しましたが、住所不明で戻ってきたのでダメかなと思っていました。
 最初に104の電話案内で調べてもらいましたが、その名前の登録はないとのこと。次に、当時の社員名簿に載っている電話番号をかけてみました。すると、番号が替わっていますと、新しい番号を言うじゃあーりませんか!やったー、これで何とかなるかなって?

 昨日の昼休みに電話、でも誰もでません。仕方なく夜に再度チャレンジ。
今度はつながりました。女性(多分奥さん?)が出てきて、本人もいるということで、あーよかった。以下は彼と話した内容です。

 M重君はS.61年の秋に中途入社。10ケ月程阪急を担当、その後京都大丸、最後は神戸そごう等を担当。CHには5年半いたとか(私はてっきりS.63年の秋ぐらいに辞めたと思っていた。コバさんも自分達より先に辞めた?みたいなことを書いていた)
 そう言えば、神戸そごうの担当時は直行・直帰が殆どだったし、私も転勤直後で余裕がなく、彼とは殆ど話はしませんでした。

 現在は、緑地公園にいて(テント暮らしじゃないですよ)仕事は淀屋橋のビル・メンテナンス会社の営業をやっているとのこと(12年)。
身長が180センチ、体重が90キロとすげーでかい。(CH当時は72キロ) でも、気は優しそう?
 コバ<妹>さん、お恵はんのことはちゃんと覚えていましたよ。(ちなみに私のことは覚えていないって) M重君にはブログのアドレスを教えました。早速見ますとのこと。

 次は、F永君、三日前から電話してたのにつながらず、返事もない。
やっと昨夜かかってきました。彼の話しによると、
 入社後すぐに研修で信州に行ったそうです。(1週間?)帰って来てからは緑橋の配送センター?で10日ぐらいの研修。そのあと、当時仮店舗だった島町から新社屋への引越し手伝い(三日間)

 それはそうと、島町の仮店舗って、皆さん懐かしのと違いますか?(私は知りませんが)
当時の大阪店のビルは、S.60年3月に取り壊され、61年4月21日に営業を開始したみたいです。だからコバさん達新入社員は、島町で入社式をして、しばらくして新社屋で仕事をしたことになります。覚えていますか?

 話しがそれましたが、F永君の話しに戻します。
彼はその後すぐに名古屋営業所に転勤。長いこと名古屋勤務でした。当時は入社後すぐに転勤というパターンって結構あったんですよ。
 ですから皆さんと話しをする機会もなかったのでしょう。そして残念ながら同期の女性、M重君のことは覚えていないとのこと。結局大阪へ転勤後、15年の9月にCHを退社。
現在、高級カジュアルメーカーのH田さんの営業で頑張っています。
 
 もう一人はM屋君です。入社後同じように信州で研修。当時の日本アローに配属になったそうです。CHで入っているので入社式は一緒だったと思います。日本アローは、当時は別会社であり、ビルの7F・8Fを使用していたのかな?だから顔は知っているはずですよ。でも皆さんとお話することもなかったのかな?
 結局、H.6年に退社。現在、明石の会計事務所で頑張っています。

 三ヶ月で辞めたH本君はいいですね!調べてません。

そういうことで、三人の消息を報告しました。でも良かったですね。同期の男性が三人も見つかって。3人ともそれぞれ個性が違い、皆いい男ですよ!!是非、機会を見つけて同期会をして下さい。幹事は勿論コバさん。私も何かあったらお手伝いします。

ブログをご覧の皆さん、この三人の思い出、エピソード等あったらコメント下さい!
  
 ではこの辺で探偵!アルトスクープ?を終わります。次回もお楽しみに(今度は誰を捜そうか?お仕事下さい!) byイッシー

 
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大阪歴史博物館

2006-07-17 20:03:52 | Weblog
16日 「大阪歴史博物館」に行ってきました。
地下鉄谷町4丁目から歩きでも5,6分、NHK大阪の隣の巨大なビルが「大阪歴史博物館」です。

強烈な日差しの中約40分ぐらいかけていつものように、チャリンコでのんびりとしたサイクリングです。

「NHK大阪」の駐輪場に、自転車を置きそのまま「NHK大阪」のビルの一階エントランスへ入っていくととても広いホールの
なか、「大阪歴史博物館」の入り口にも繋がっていました。
さっそく、入場手続き(入場料:ぐるっとパスを利用して一割引の540円、音声ガイドのレシーバーが400円)を済ませてエレベーターで一挙に10Fへ、まさにこのエレベーター”タイムマシン”のようです。


10Fでエレベーターを降りるとそこは飛鳥、奈良時代”難波宮”大極殿の中です。
とてもリアルに再現された大極殿のなかは、直径70センチの朱塗りの円柱が立ち並び、等身大のおおくの女官、官人たちが整列して当時の儀式の様子を再現しています。しばらくすると、大きな展望窓の一面が大掛かりな仕掛けでシャッター(壁?)が降ろされ薄暗くなり会場の大スクリーンに当時の儀式の模様が、雅楽の音色と映像によって紹介されます。
まさに、当時の大極殿のなかに佇んでいるかのような錯覚を覚えます。

1961年、山根徳太郎らの発掘により聖武天皇時代の(後期)難波宮の大極殿跡が発掘されました。
大化の改新後645年に孝徳天皇は、難波に遷都(難波長柄豊埼宮)。652年宮殿が、完成、これが前期の難波宮で、その特徴は”掘立柱”(地面に穴を掘ってそこに柱を立てて周りを土で固める)と”茅葺屋根”にあるようです。

その後奈良時代の西暦726年聖武天皇は、難波京の造営を指示 離宮を設置(平城京との複都制になります)
これが、後期の難波宮で特徴は”礎石建”(中国建築の工法)”瓦葺屋根”にあると言われています。
西暦745年、難波宮は紫香楽宮に遷都されます。

難波宮の遺跡は、大阪城の南側に”難波宮史跡公園”として整備されていて、NHK大阪や大阪歴史博物館がある一角も難波宮の跡地となっています。大阪歴史博物館のB1では、1350年ぐらい前の飛鳥時代 当時建っていた”難波長柄豊埼宮”の宮殿の遺跡を見学できます。


10Fの窓から、大阪城を望む


10F~9Fへエレベーターで降りると、次は江戸時代「水の都」と謳われた大阪の賑わいが再現されています。

「大阪の陣」で荒れ果てた「大阪」を、江戸時代に入ると松平 忠明が復興に勤めます。
道頓堀、長堀川などの堀の掘削が盛んに行われ運河が張り巡らされて水上交通が整備されるようになると、諸国の物資を積んだ菱垣廻船や北前船が大阪に集まってくるようになります。(運河が、整備されればされるほど其処にかかる橋も増えてきます。八百八橋とはここからきてるんですね。)
諸藩の蔵屋敷が、大川沿いに建てられ年貢米を換金して財政の維持に努めていました。
やがて、大阪は水上交通を利用することにより”天下の台所”として「堂島米市場」「天満青物市場」「雑魚場市場」の三大市場の繁栄を迎えます。
「堂島米市場」は文字通り各藩の大阪登米を換金していましたが、そのとき使われていた「米切手」それ自体が流通しだすんです。
今で言うところの”有価証券”なんです。やがて、こうした「米切手」取引(証券取引)を中心とした投機的な先物取引なども活発に行われるようになり金融の中心地にもなりました。
こうした、生き生きした江戸期の大阪が、原寸大の模型やスクリーンを駆使して紹介されています。


大阪のエネルギーを感じながら8Fフロアーへ降りて行きます。
8Fでは考古学にチャレンジというテーマで、再現された発掘現場での調査方法や遺構:遺物の見方を学べます。
考古学を実際に体験できるフロアーになっています。
今日もたくさんの小学生でしょうか? 指導員のもと小さなスコップを持って楽しそうに学習していました。

作業場の横に、特集展示室があり6月14日~8月28日まで「あのころ、こんな子供の本があった」というテーマで戦中~戦後にかけて子供向けの「教科書」「雑誌」などが、陳列されています。
特に敗戦後GHQは、日本占領のもとアメリカナイズされた民主化を推し進めようと日本のメディアの言論統制を行い、そんな中で子供向けの「教科書」「雑誌」なども例外では、ありませんでした。
1945年~1949年にかけ検閲のために収集された資料は1949年11月、当時GHQ歴史課長、戦史室長をしていたプランゲ博士の所属していたメリーランド大学に譲渡されました。(プランゲ文庫)

戦後4年間、大きく変わろうとする日本の社会の姿がこれらのコレクション(新聞、雑誌、報道写真、ポスター、etc)を通してとても興味深く見ることが出来ます。
「キンダーブック」「少年」などは、なんとなく幼少の頃の記憶の片隅にあったような気がします。
とても若かった頃の長嶋茂雄や朝潮などが、少年と2ショットの似顔絵(写真では、無かったと思うんですが?)で表紙を飾っている「少年マガジン」も並んで陳列されてました。

それと、大変興味深かったのはたまたまそのフロアにディスプレイされていた戦中~戦後にかけて作られた双六(すごろく)の絵柄の移り変わりや、
小さな興味深い玩具の数々です。水絵(絵柄に水を塗りつけると綺麗な色が、浮き上がってくる)、木で出来たランドセル、竹で編んだカバン、ブリキのジープ(戦後、進駐軍から貰い受けた缶詰めの空き缶が使われた)、マッカーサーを褒め称えているカルタ、金平糖を入れる空き瓶etc.

私が、生まれる数年前に発刊された多くの少年少女雑誌や教科書の、セピア色に染まったような表紙の手書きの絵柄を目の当たりにすると、敗戦から立ち上がろうとする日本の未来の夢を、当時の少年少女達に託していたことがよく見えてくるんですね。




    つづく(長くなるので、7Fは次回に繰越です)

by タケ 
                  


























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ウナギが値上がり?

2006-07-15 23:41:18 | Weblog
 最近の新聞にウナギが高値って載ってました。
輸入水産物の規制強化によって、値ごろ感のある中国産が品薄になり、その影響と稚魚の不漁で国産ものの卸値も上がっているからだそうです。

 昔は高級料理で普通の家ではめったに食べることは出来なかった。
ウナギを初めて食べたのは確か中学生の頃だったかなー?
横浜に住んでいた時、隣が乾物屋さんで「土用の丑」の日にそこのおやじさんが店先でウナギをさばいて蒲焼を売っていた。
 家に煙りと香ばしい匂いがはいってきてたまらんかった。一回食べたけどうまかったなー。それ以来大好きになった。 

 CHの近くに、うなぎ屋さんがあり(店の名前忘れた)、得意先の接待でたまに行きました。¥2500ぐらいだったかな?
北浜に行く途中にもうなぎ屋(しづ可?みたいな名前だった)があって、枚方の商品センターに行く時、一人でも結構入った。ここは値段が手頃で¥1500ぐらいでうな重の特上か上が食べられた。

 最近は、スーパーで数百円で売っているけど、安くなりましたね。殆ど中国産だけど、味はもうひとつ。やっぱり、うなぎ専門店で香りを嗅ぎながら食べるのが一番!
 その「土用の丑」の日は23日(日)、久しぶりに美味しいうなぎが食べたいなー。 by イッシー
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OB会について

2006-07-11 22:40:51 | Weblog
 
 4月の「CHニューOB会」に参加した方には、その時お話しましたが、欠席の方も多数いましたので、OB会について再度説明しますね。

 元々は「CHOYA関西OB会」というのがあります。幹事は松本さん、矢羽さん、勝山さん。
会員数は35名(平成17年10月現在)平均年齢64・5歳。全員男性。
 毎年10月の日曜日に開催、昨年は第12回目で28名の参加がありました。私もCHを退職した四年前から参加しています。

 歴史があって品格のある「関西OB会」も当然大事ですが、高齢化が進み若い方の新加入が少ないのが現状です。
 で、二年前に「CHOYAニューOB会」を発足した理由を説明しますと、
「関西OB会」に参加できていない方、特に若い人・女性または在籍年数の短かった方等が
気楽に参加しやすいOB会も必要ではないのかと考え、立ち上げました。
 
 そして、昨年58名、本年43名と多数の方の参加がありました。
しかし、連絡もれ・PR不足などもあり、まだまだ不参加の方(特に若い方・・・20代・30代)も沢山います。
 今後、OB会を継続・繁栄していくには、OBの方々のご理解とご協力が是非必要です。
また、特に若い方は、この「ニューOB会」を利用していただき、同期会等を同時開催していただいたら素晴らしいと思います。
 何かご意見・ご要望等がありましたら、このブログをご利用して頂いても結構です。
宜しくお願いいたします。 by イッシー
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「負け犬予備軍さん」って誰?

2006-07-10 23:41:43 | Weblog
 5月下旬から6月初旬にかけて、コメントを二回くれた「負け犬予備軍さん」のことなんですが、私はてっきりミナミの金貸し「銀次郎」にちょっと似たHちゃんと思っていました。
昨日、社販の応援に来ていたHちゃんに確認したら、彼ではなかったです。あれー誰だろう?
 
 その「負け犬予備軍さん」、最近コメントが途絶えていますが、見ていたらまたコメント下さい。それとヒントも欲しいなー イッシー
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大阪くらしの今昔館

2006-07-09 18:49:34 | Weblog
OBのみなさん、今日は気軽に楽しめる大阪のミュージアムをご紹介しまーす。

8日(土曜日)かねてより「行ってみたいな」っと思っておりました”大阪くらしの今昔館”に行ってきました。
天神橋6丁目まで、いつものようにチャリンコでのんびりサイクリング。
天神橋筋商店街6丁目入り口横にある「すまい情報センター」ビルに入り、エレベーターで8Fへ



ビルの8F、9Fが「大阪すまいの今昔館」の会場になっています。
先日紹介しました「ぐるっとパス」を利用すると団体料金(1割引)の540円で、観覧できます。

受付(なかなか美人の受付嬢でした)を済まして、さらに100円を支払って、桂 米朝さんの音声ガイドシステムのポータブルプレーヤー(会場内のポイントごとに、米朝さんが、音声でガイドしてくれます)を借り入場。
8Fから長いエスカレーターで9Fへ、通路を歩いてまず目に飛び込んでくるのは窓越しに見える「江戸時代、天保の頃の大坂の町並み」
丁度、屋根の上から眺めているような不思議な感覚です。
すべて原寸大で再現されていて、これから観覧していく町並みの全貌をここで眺めることになります。
左手奥の方には、会所屋敷の屋根の上に「火の見櫓」が聳え立っています。 手前に「物干し」があります。
右手屋根の上には今で言う「サンルーフ」のような窓が三つみえ、太陽の光を屋内に取り入れることが出来る工夫がなされています。


さらに通路を行くと、やがてまちの入り口「木戸門」を潜り抜けます。

木戸門ー 江戸時代、町の入り口などにこうした木戸門が建てられていました。ある時刻になると、この門は閉められ町の保安の為に必要であったらしい。
     

表通り ここには「風呂屋」「建具屋」「小間物屋」「会所屋敷」「薬屋」などの店が、当時のままの姿で再現されています。
実際に店舗の中に入って、店内も観覧することが出来、内装もほんとにリアルに再現されてます。”天神祭り”(7月24日、25日、旧暦の6月24日、25日)が近づいてきたこの時期店の前には、家紋を染め抜いた幔幕が掛けられて、さらに町の紋をつけた「高張り提灯」、通りに面した町屋の格子や建具がはずされ店の間には、毛氈のしかれた「祭り見物席」が設えられます。

表通り(左右の軒下「高張り提灯」が、ほのかな灯りをともしている)


   


舟形山車「天神丸」-全長8メートル、全幅2メートル、全高3メートルの飾り船 江戸時代には、天満宮の神事ごとに飾られ天神祭りには引き出されていました。
大正15年をさかいに、天神祭りに登場することは無くなりますがその後所在が判らなくなっていました。

平成11年 75年ぶりに、天満宮の倉庫の奥から発見され現在大阪指定有形民族文化財としてこのミュージアムに保管されています。
「天神丸」の横に「ウルユス」と書いた看板が、見えます。これは、当時の「合薬屋」(薬屋)の看板で、「空」スをバラバラにしてカタカナ読みをすると「ウルユス」になります。すなわち、お腹の中を空にする”下剤”の薬なんです。

合薬屋の台所ー右に「走り」(今で言うシンクです)があります。シンクの向こう側には、井戸から汲んだ水を貯め置く水槽があります。



合薬屋の台所ー「へっつい」(今で言うガスコンロ)があります。薬屋のへっついは、4口ありなかでも茶釜は、いつでもお茶を出せるように常に沸かしていました。








表通りから路地を入って裏通りへ廻ると、より庶民的な”裏長屋”があります。(今で言うところの”平屋アパート”) 4~5家族が、共同井戸(奥さん達の、社交場)、共同便所を利用して暮らしていました。
その中の一軒で、義太夫節の師匠をしている男の家の中の様子です。
羽織が、見えます。改まった席に行くときに、この家紋入りの羽織を着ます。
行灯が、在ります。 燃料は、菜の花の種を絞った油です。
軒先には、干し柿が吊るされています。

9Fでの、”江戸時代の町屋ツアー”を終え8Fにエスカレーターで降りていくと時代は、一挙に明治、大正、昭和となり当時の
大阪庶民の暮らしぶりを、映像や緻密に作られた模型などを使って紹介しています。

中でも興味深かったのは、私が住んでいる旭区にある公園(城北公園)が、終戦直後の大阪での住宅難に対応するため、[城北バス住宅]が設置されていたことです
高度経済成長期には、鉄筋コンクリート造りの計画的団地が開発されました。
[古市中団地]
明治末期の初代通天閣と当時のアミューズメントスペース、「ルナパーク」
(いちばん下の画像です)


懐かしい、テレビ 




約1時間の”大坂、町屋ツアー"  江戸時代(天保)の頃、明治~大正~昭和へのタイムスリップ
年をとったのかな? ここのとこ、懐古趣味的なものに妙に、心のやすらぎを覚えるようになりました。

この日は、結構たくさんのお客さんで賑わっていたんですが、何故か”外国人”の団体さんが目だって多かったようです。
外国の人は、大阪人の昔の住まいと生活をどんな風に感じてるのかな? とか、この秋に公開される映画「メトロにのって」
を絶対に見なきゃアとか思いながら帰路につきました。


映画「メトロにのって」原作 浅田次郎 主演 堤 真一
(あらすじ)  長い間、疎遠であった父が、倒れたとの知らせを受けた日真次はいつもの地下鉄の駅から
突然昭和39年にタイムスリップ~さらに話は、終戦直後の時代に遡って展開していきます

「あなたは、父になるまえの父親をしっていますか?」
「あなたが生まれる前の母に、会いたいですか?」

心の琴線を震わせ、涙と感動の”ストーリーテラー”浅田ワールドを堪能出来ると思うとロードショウ公開の「10月」が、とっても待ち遠しく思われます。

OBの皆さんにも、是非この映画をお勧めします。

          by タケ
               
                        

        


  

















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