オンマは辛いよ

~グチはゴミ箱へ、思い出は宝箱へ~

ココロの問題。

2007年12月15日 21時53分38秒 | オンマの話
 実家の母が電話の向こうで泣いていた。

 寂しい。戻ったらあかん?
 勝手なこと言ってるのはよく分かってる…

 いっぱい我慢してきた。
 限界が来て、後先考えず家を飛び出した。

 子ども達は、「捨てられた」と思った。
 母は、子ども達はもう皆大人だし、自分の生活基盤を確保した後で、落ち着いたら説明しようと思っていたのだが、時はもう遅かった。

 子どもたちまで去ることを恐れた父は、母の悪口を吹き込み、また、子ども達は間に受けて、大いに父に同情し、母を憎んだ。

 結婚し、子どもを産んだ私は、同じ妻として、母として、そして女として、母のことを理解はできる。

 妹と弟も、父の一方的な言い分を今も信じているわけではない。

 ただ、やっぱり、気持ちの整理はまだまだ付いていない。
 どうして、出ていく前に何も言ってくれなかったのか。
 
 思えば、母は、こうと思えば一直線、誰が何を言おうとも耳には入らず、思いつきで突っ走っては後で後悔する、というのを繰り返してきた。

 もう、父のことが心底イヤで、これ以上一緒に暮らせないと思いつめた末に家を飛び出し、籍まで抜いてしまったのだ。

 今でも、それに関しては、後悔していないという。

 戻りたいというのも、「父のところ」へ戻りたいのではない。
 家に戻ることによって、子ども達と元のように交流できたら…と思ってのことだ。

 母は、つくづく不器用で、やり方が下手くそだったと思う。

 今戻っても、子ども達がいつも家にいるわけではない。
 基本的な生活は、父と二人になるのだ。

 「別れたことを後悔してないのなら、戻ってこない方がいい。」と、私は言った。

 そして、妹弟にも、母の言い分は幾度となく伝えてきたが、気持ちは本人達のもので、そこまで強制はできない、とも。

 父も、母も、同じことを言っている。
 寂しい。先が見えない。何を励みにこれからの人生を生きていけばいいのか…
 同じことを言っていても、二人の思いは、もう決して重なることはない。

 受話器の向こうで泣く母に、うまい言葉がみつからず、ただ
 「今度の正月、家に来て妹弟と話す?」
 というのが精一杯だった。

 でも、ココロの中では、いつもエールを送っている。
 大丈夫。あなたが産み、育てた子ども達です。自信を持って。