一般的には戦争は科学技術の進歩の原動力となるという見方が大勢を占めています。20世紀に原子力テクノロジーが、どのようにこの世に生まれてきたかを見れば明らかだ・・・といわれます。インターネットやGPSも軍事研究の一環として生まれてきたと一般には認識されています。
しかし、技術論研究者の故星野芳郎氏は、そのような見解には異を唱えていました。大戦中の日本では、内閣に技術院を設置し、科学技術動員の掛け声のもとで軍事研究に多額の予算と科学技術人材を投入していました。しかしそこからは、新しい科学技術はほとんど生まれなかったと指摘しています(注)。星野氏自身が技術院の参技官補をしていた経験から記しています。実際に科学技術動員から生まれた新技術はロケット戦闘機の「秋水」(下の写真です)くらいで、他の事例(伊400潜、軽巡阿賀野など)は戦前からの技術開発の成果であって科学技術動員の成果ではないと記しています。数少ない実例の秋水ですらドイツのMe163Bの導入を基盤としており、日本オリジナルの技術ではないと。さらに言えば科学技術動員の成果で戦後の日本産業で役にたったといえる成果は0だそうです。
したがって、日本についていえば第二次世界大戦を経験し軍事研究に巨大な国力を投入した成果はほとんど0に等しく軍事研究が科学技術を進歩させるという認識は幻想であるとのことです。
また戦闘機零戦につきまとい関係者を苦しめた技術的不具合や水雷艇友鶴の転覆事件や駆逐艦初雪の艦首切断事件などの背景にあった日本の軍事研究につきまとった原理的な矛盾についても記しています。ではその軍事研究につきまとった原理的矛盾とはなんでしょうか? (続く)
(注)星野芳郎著作集第1巻『技術論Ⅰ』 勁草書房 1977年 365頁