(昨日の続き)
では米国のマンハッタン計画に代表される原爆開発はなぜ成功したのか?という疑問が出てきます。
星野芳郎氏は第二次世界大戦中に成果を上げた軍事研究として、マンハッタン計画の原爆、イギリスのレーダー開発とオペレーションズリサーチ(OR)を挙げています。原爆はナチスドイツの原爆開発に対抗するため、レーダーはドイツ空軍による英本土空襲に対抗するため、ORはドイツ海軍のUボートによる通商破壊に対抗するために開発が進められました。いずれも英米両政府の下で両国の科学者・技術者は「自由と民主主義」をナチスドイツの脅威から守るために自発的に結集し自主的に研究を進め成果を上げていったのだそうです。もちろん防諜体制はしかれていましたが、科学者・技術者はかなり自由に交流し研究情報を共有することができました。マンハッタン計画では、ドイツやハンガリーなどファシズム諸国から亡命してきた科学者で賑わうミニ国際社会のような様相を呈し、その中では各国出身の科学者が活発な交流ができていたというのです。
反対に日本ではどうだったか?星野氏は日本のレーダー(電探)開発では、科学者・技術者は、個々人が切り離され自由な交流はできず、当局の厳重な監視の下におかれ尾行までつけられたそうです。日本政府は科学者・技術者集団を全く信用していなかったし、彼れをばらばらに孤立させていたと。これでは成果が出てくるはずがないというのです。実際に日本のレーダー(電探)は米国に後れを取り続けました。
要約すると科学技術を進歩させるためには、科学者・技術者を信頼し、防諜体制下であってもある程度の自由と交流を認めること、科学者・技術者自身の自発的な信念に基づく協力を取り付けることが必要であるということです。この条件は日本とナチスドイツでは完全に欠けていたということです。星野氏は、開発された新技術が産業に移転する際の経営のありかたと労働者の自発性と労働環境についても詳細な検討を行っていますが長くなるので割愛させて頂きます。
ドイツでもV2号など様々な新兵器は生まれましたが、結局戦争に勝利することはできなっかった理由はこういうところにありそうです。
私が見るところでは、米国でも戦後の冷戦体制下でマッカーシズムなどの極端な不寛容が広まると、科学技術研究は停滞し、米国の科学者・技術者の中には意図的にソ連に技術情報を提供するものが出てきます。そして1956年のスプートニクショックに至ったように思えます。
以上からわかることは、軍事研究で成果を挙げるためには、民主主義の下で科学者・技術者の(ある程度の)自由な交流の保証と、彼らの自発的な信念と言論の自由などが不可欠であるということになりそうです。