博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

出張続きで・・・

2005年03月21日 | 思い出

なかなか更新できません。
先週は木金と東京出張で、今週は月火、そして金曜から日曜まで出張でした。死んでしまいそうです(写真は飛行機の窓から見た伊豆大島です)。

 それはそうと、ミハルさん仮免合格おめでとうございます!
 私は21年前丁度同時期、3月に山形県米沢市で合宿制で2週間かけて取りました。当時開通したばかりの東北新幹線で福島で降りて、バスで米沢に向かいました。
米沢市郊外の山の中の温泉旅館が宿舎でした。温泉は入り放題だし、窓の外の風景は雪景色のパノラマが広がっていて、なかなか環境は良かったな。しかしいざ仮免で公道に出ると、半分雪解けの悪路で目も当てられませんでした。ある路地で車が180度回転するアイスバーン現象を経験してしまいました。しかし、少し遠方の向陽市(とういう漢字だったかな)まで車を走らせた時はとても新鮮な気分になりました。
 宿舎は5人部屋でした。皆大学4年生で、ほとんど都内か千葉の大学だったな。そういう空間ではなぜかすぐに仲良くなって、不思議な空間でした。目標を一にする集団ということでそうなったのでしょう。5人の中で一人だけ18歳の少年がいたことを思い出しました。何と右翼団体の構成員だというのです。私は何故右翼団体に入ったのか、右翼思想とはどういうものであり、なぜ君はそれに傾倒したのか尋ねてみると、目上の人が小遣いを呉れるからというのが理由と分かって、あきれたことを覚えています。特に思想的にどうこうということはなかったようです。
 大体午前中が実習で午後が学科だったかな。夕食前に温泉に入って、夕食後にまた温泉に入って、今思えば何とも贅沢な時間を過ごしたものです。
 宿舎の生き返りはマイクロバスがあるのですが、時々親切な指導教官が車で送ってくれました。あるとき運転している教官が運転しながら「5番街のマリー」を歌っていました。同乗していた地元の高校生は目を白黒させていました。私は思わず「古ーい」と合いの手を入れてしまいましたが、悪いことをしたなと思います(「五番街のマリー」は今にして思えば名曲だな…と思います)
 教習所には当然合宿生以外に地元の通学生がいるのですが、そのほとんど全員が高校3年生でした。つまり米沢市民は皆高校を卒業するときに車の免許も取ってしまうようです。
 休日に5人で米沢市内の映画館に「風の谷のナウシカ」を観にいきましたっけ。その頃教習生の間で流行っていたのは小泉今日子さんとか、早見優さんとかでした。誰かが部屋の絵を、早見優さんのポスターに入れ替えていました。
 ほぼ全員が規定の時間通りに進級していきましたが、我々の班外の教習生で一人だけ1週間遅れている教習生がいて、したがって1週間延長していました。この人が実によく飯を食う人で…などというしょうもないことを覚えています。この人は小田実氏率いる市民運動に参加していた人で、市民運動についていろいろ議論しました。この人からは卒業後に一度手紙をもらいました。
 最後の日は無事に実技試験をパスして、晴れ晴れした気分で米沢を後にしたのですが、今頃皆どうしているだろう。




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2 コメント

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おつかれさまです (Catalyst)
2005-03-21 04:38:29
宵っ張りですね。私のほうも海外とメールでやり取りしていたら、徹夜になってしまいました。英語は日頃から書いてないと駄目ですね。ちょっと寝ないといけません。
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がんばってください。 (ミハル)
2005-03-21 17:57:34
出張大変そうですね、時期的に今がいちばん忙しいのですか?



いいですねぇ、これだけ記憶に残る経験ができるなんて。わたしも最初は2週間で免許が取れるコースに申し込もうとしたのですが、すでに予約でいっぱいで入ることが出来ませんでした。

わたしが通っている教習所も今の時期は高校生が多いです。あと、もともと友だち同士で一緒に入所してくるようであまり新しく友だちになったりすることがなく、わたしも授業の空き時間はひとりでぼーっとしています。

なんだかほんとうに授業の内容しか頭に残らない教習生活です。

担当指導員は一応決まっているのですが、今は生徒数が多くて授業の予約をとっても担当の先生にあたることはまずないですね。いつも違う先生で、仮免をとるまでに担当に会ったのは三回だけです。
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