
(昨日の続きです)
福岡市の歴史解説(注)によりますと、潮見櫓は明治41(1908)年に「崇福寺」(博多区千代)に移築され、仏殿として使用されていたそうです。崇福寺は福岡藩主黒田氏の菩提寺です。平成2(1990)年からはじまった福岡市の調査で、小屋裏から見つかった棟札により、この崇福寺に移築された建物が「潮見櫓」だということがわかり、このたび移築復元が行われたそうです。復元にあたり大切に保管してきた江戸時代当時の部材を使用し、また伝統的な工法が用いられたそうです。屋根瓦(下の写真です)は当時のものが使用されています。実際に瓦の表面に製作された工房の刻印「今宿又市」(上の写真の矢印の箇所です)が認められます。「今宿」は福岡市西郊の地名です。
明治初期の廃藩置県以後、全国の城郭の多くが、官庁や兵営、学校施設などに転用され、天守閣などの建造物が失われました。21世紀の現在でこそ旧城郭は全国各地で歴史遺産、文化財、観光資源として重要視され復元が進められていますが、明治以降の近代化の過程では封建遺制の名残として顧みられることはなかったのだろうなと改めて思います。
(注)https://fukuokajyo.com/restored-shiomiyagura/
