
昨日、対馬の宗氏は800年にわたって、対馬の領主であり続けた件をご紹介しました。日本で大名という制度の原型が成立するのは、中学高校の日本史で習った通り、鎌倉幕府による守護・地頭制度の導入からです。鎌倉幕府によって守護に任じられて、幕末まで存続した大名は、薩摩の島津氏、長州の毛利氏、東北の伊達氏などが知られていますが、やはり多いとはいえないですね。大名は江戸期には300諸侯がいたわけですから。長期間存続した大名は島津氏も毛利氏も伊達氏も辺境の大藩であることが共通しています。宗氏は辺境にありましたが石高は江戸期で十万石で大藩とはいえません。しかも対馬は山がちで米はあまり取れず、朝鮮半島との交易による収入に頼っていたそうです。
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