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博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

悲しいコミンテルン 2

2008年11月05日 | 時事
(4日の続き)
 コミンテルン(第3インターナショナル)は、1919年3月、モスクワに21ヶ国の社会主義政党左派の代表が結集しレーニンらによって鳴り物入りで創設された。ドイツ、フランスの社会民主党が第一次世界大戦参戦を容認し崩壊した第2インターナショナルの反省の上に立って、らくだが針の穴をくぐるより難しいと言われた加入条件(プロレタリア独裁の容認等)を満たした社会主義政党左派(後に各国共産党として成長していく)のみが加入を許され、強力な執行委員会の中央集権の下、各国支部として、それぞれの国で社会主義革命を成功させるために活動を開始しました。1922年には日本支部(日本共産党になる)が結成されています。コミンテルン執行委員会はマルクス主義の定式に従って、欧州の工業先進国であるドイツ、フランスでの工業労働者(プロレタリアート)主体の社会主義革命を目指します。それが成功すれば、コミンテルン本部はベルリンへ、あるいはパリへと移転されるはずでした。
 歴史の結果でいうと、それらは全て失敗します。1920年代半ばまでに、ドイツ、オーストリア、ハンガリー等の共産党が武装蜂起を決行した全ての国で革命は失敗してしまいます。その後、スターリンがソ連共産党の実権を掌握し一国社会主義に転向すると、各国支部はソ連外務省の出先機関に改造されてしまいます。これに反感を持つものは全員モスクワに召還されて殺されてしまいます。
(続く)

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