(昨日の続き)
中国は輪をかけて悲惨でした。国民党の蒋介石は、最初は中国共産党と連携していましたが、1927年に反共クーデターを断行し共産党を徹底的に弾圧しはじめます。コミンテルンの指示による長沙などの大都市における工業労働者による武装蜂起は蒋介石によって血の海に沈められてしまいます。
毛沢東らは広大な農村に逃げ、農民主体の革命を模索しますが、この考え方はコミンテルンから見れば邪道でした。革命の主体はあくまでも都市の工業労働者でなければなりませんでした(注1)。毛沢東はコミンテルンから追放こそされませんでしたが、革命勢力としては全く期待されませんでした。それにコミンテルン執行委員会からの指令は、蒋介石に制圧されていた(国際租界以外)上海に置かれた地下中継所を通じて毛沢東らに送られていましたが広大な中国奥地の山河を移動する彼らには届かないことが多かったそうです。
しかしながら、中国のその後の歴史は皆様もご存知の通りです。
長々と書いてきましたが、私が何が言いたいかというとコミンテルンの指示に忠実に従った各国共産党はほとんど全て(注2)社会主義革命に失敗したということです。いいなりにならなかった(なりたくても、なれなかったというべきか)中国(とユーゴスラビア)でのみ成功したのです。
もともとモスクワの執行委員会が各国の支部共産党に中央集権的な指示を送るというシステムに無理があったでしょう。執行委員会は各国の実情に精通しているわけでもないし、情報通信網が現代とは比較にならない位貧弱だったのですから、各国の政治情勢に応じて臨機応変に指示を出すことも不可能に近かったでしょう。執行委員会の自国の実情に合わない指示に盲従した各国共産党活動家にも重大な責任があったと思います。
いずれにせよコミンテルンの歴史的な経過を考えると前航空幕僚長の主張は余りにも歴史実態からかけ離れているとしか思えないのです。
(注1)コミンテルンの考え方も全く間違っていた訳でもないのです。当時の中国がおかれていた「特殊な条件」が無ければ。この特殊な条件を説明すると長くなってしまうので省略させて下さい。
(注2)1924年に独立に成功したモンゴル人民共和国は例外に見えます。でも当時のモンゴルには近代工業も工業労働者も少なくコミンテルンの定式からは外れた「革命」だったかもしれません。
中国は輪をかけて悲惨でした。国民党の蒋介石は、最初は中国共産党と連携していましたが、1927年に反共クーデターを断行し共産党を徹底的に弾圧しはじめます。コミンテルンの指示による長沙などの大都市における工業労働者による武装蜂起は蒋介石によって血の海に沈められてしまいます。
毛沢東らは広大な農村に逃げ、農民主体の革命を模索しますが、この考え方はコミンテルンから見れば邪道でした。革命の主体はあくまでも都市の工業労働者でなければなりませんでした(注1)。毛沢東はコミンテルンから追放こそされませんでしたが、革命勢力としては全く期待されませんでした。それにコミンテルン執行委員会からの指令は、蒋介石に制圧されていた(国際租界以外)上海に置かれた地下中継所を通じて毛沢東らに送られていましたが広大な中国奥地の山河を移動する彼らには届かないことが多かったそうです。
しかしながら、中国のその後の歴史は皆様もご存知の通りです。
長々と書いてきましたが、私が何が言いたいかというとコミンテルンの指示に忠実に従った各国共産党はほとんど全て(注2)社会主義革命に失敗したということです。いいなりにならなかった(なりたくても、なれなかったというべきか)中国(とユーゴスラビア)でのみ成功したのです。
もともとモスクワの執行委員会が各国の支部共産党に中央集権的な指示を送るというシステムに無理があったでしょう。執行委員会は各国の実情に精通しているわけでもないし、情報通信網が現代とは比較にならない位貧弱だったのですから、各国の政治情勢に応じて臨機応変に指示を出すことも不可能に近かったでしょう。執行委員会の自国の実情に合わない指示に盲従した各国共産党活動家にも重大な責任があったと思います。
いずれにせよコミンテルンの歴史的な経過を考えると前航空幕僚長の主張は余りにも歴史実態からかけ離れているとしか思えないのです。
(注1)コミンテルンの考え方も全く間違っていた訳でもないのです。当時の中国がおかれていた「特殊な条件」が無ければ。この特殊な条件を説明すると長くなってしまうので省略させて下さい。
(注2)1924年に独立に成功したモンゴル人民共和国は例外に見えます。でも当時のモンゴルには近代工業も工業労働者も少なくコミンテルンの定式からは外れた「革命」だったかもしれません。