博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

悲しいコミンテルン 3

2008年11月07日 | 時事
(一昨日の続き)
 その後の歴史も悲惨なものでした。ドイツでは大恐慌以降、再びナチスが台頭しはじめます。ところがドイツ共産党はナチスと戦うことよりもドイツ社会民主党との戦いに精力を注ぎます。これはコミンテルン執行委員会の戦略が「社会ファシズム論」(ドイツ社会民主党は労働者の味方のような顔をしながら実は裏切っているのでブルジョアジーよりも性質が悪いという考え方に立っていた)をとっていたからです。しかし社共が協調して戦えば、ナチスの台頭を抑えられたかもしれません。1935年になるとコミンテルン執行委員会は人民戦線戦術に転換し、ドイツ共産党に社会民主党と連携してナチスと戦うことを奨めますが、時既に遅くヒトラーは政権を掌握していました。ナチスによって社会民主党と共産党は非合法化され党員活動家は強制収容所に送られてしまいます。
 追い打ちをかけるように1939年8月、ナチスドイツとソ連は独ソ不可侵条約を締結します。これは欧米先進国の多くの社会主義者、共産主義者、多少なりとも社会主義に好意を持っていた自由主義者たちの、ソ連とコミンテルンへの深刻で修復不可能な幻滅を引き起こします。そして欧州の大戦が全世界に波及した後の1943年5月コミンテルンは寂しく解散します。
 当時の日本でもドイツと似たような、しかしもっと矮小化された経過を辿ることになります。
(続く)

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