遺 影
今日の朝日新聞「ひととき」欄に、『私らしい遺影は』と題する投書が載っていた。
94歳、八女市の牛島てるみさんという方で、義理の弟さんの葬儀で見た遺影から、自分の遺影はとふと思い浮かべる内容だ。
牛島さんは畑で仕事をしながら(すごいね!)、自分のアルバムにはない、畑でスイカを抱いているような遺影はどうかと想像する。
読んでほほえましい気持ちになった。
わたしも自分の遺影はと考える時があった。
以前孫にカメラを渡して、わたしの遺影になる写真を撮るように頼んだが、とてもいやそうな顔をされた。無神経なことだったと反省している。
考えてみると、葬式をやってくれるか、遺影を飾ってくれるか決めるのは残された人たちで、わたしはあれこれ言うまいと決めている。どうせ大した顔ではないので、どうでもいいと思っている。。
ちなみに、両親の遺影は、故郷の公民館の落成祝いに、高砂夫婦として列席した両親を、近所の方が撮影し、出来が良かったからと額に入れてくださったのを仏壇に飾っている。
豚
同じく今日の朝日新聞be版の『はじまりを歩く』という欄に、日本での豚の飼育の始まりについての記事が出ていた。
約2500年前の弥生時代の遺跡から明らかに猪とは区別される豚の頭蓋骨が見つかり、以来猪と思われていた頭蓋骨を調べなおして、弥生時代にはあちこちで飼育されていたことが分かった。この豚のグループは弥生豚と呼ばれ、おそらく大陸から導入されたものと考えられる。
しかし、豚は猪から家畜化されたのであり、日本でも猪の飼いならしが行われていた可能性がある。伊豆大島の8000年前の縄文遺跡から猪の骨が見つかり、さらにほかの伊豆諸島からも猪の骨が見つかった。
伊豆諸島に野生の猪が生息していたことは考えられないので、飼いならされた猪がよそから持ち込まれたと推定できる。
つまり縄文人は猪を飼いならして豚飼育に相当する畜産を始めていたことになる。
縄文人は大豆や小豆も野生種から作物化している。なかなかやるものである。
ついでに豚の思い出を。
実家では豚を飼っていた。高校生の頃のある日、お勝手の窓から白い動物がわが愛犬と戯れているのが見えた。よく見るとそれは子豚ではないか。子豚のジャンプ力恐るべし。豚小屋の柵を飛び越えて散歩していたのだ。
お勝手口から外に出て捕まえようとすると、子豚君一目散に逃げだした。「脱兎のごとく」という言葉があるが、「脱豚のごとく」という言葉があってもいい。
ようやく木の根元に追い込んで、グルグル追い掛け回していてふと気づき、後ろを振り向いてかけてくる子豚を抱きとめることができた。
わたしは豚より頭がよかったようだ。
おめでとう霞ケ浦高校
今日は高校野球茨城県予選の決勝戦で、つくば秀英高校と霞ケ浦高校が対戦した。試合はやや荒れ気味だったが、9-3で霞ケ浦が勝利を収め甲子園への出場を決めた。霞ケ浦高校は昨年の決勝戦で最終回逆転負けで長蛇を逸し、その恨みを見事に晴らした。
わが阿見町代表。甲子園での活躍を期待する。
双子の卵
朝、卵かけご飯にしようと割ったら、黄身が二つ入っていた。
たっぷりかけておいしく頂戴した。
STOP WAR!
「脱豚のごとく」面白いね!笑えます。
甲子園への出場校が、阿見町の霞ケ浦高校とは嬉しい限り!故郷の長野日大、地元の東海大相模と共に応援します。