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羽花山人日記

徒然なるままに

読書備忘(46)影のない四十日間・白夜に沈む死

2025-03-30 19:06:36 | 日記

オリヴィエ・トリュック(久山葉子訳)

『影のない四十日間 上・下』東京創元社(Kindle版)2021年

『白夜に沈む死 上・下』東京創元社(創元推理文庫)2023年

ネット配信された映画『サーミ・ブラッド』を観て1カ月ほどしてから、たまたま書店で立ち読みした創元推理文庫の『白夜に沈む死』が、サーミ人の問題を扱っていることを知り、購入した。そして、その前編ともいうべき『影のない四十日間』があるのを知り、そのKindle版を購入した。

サーミ人は、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアにまたがる北極圏の先住民族で、主としてトナカイの遊牧を生業にし、宗教、言語、音楽など独自の文化を育んできた。また、遊牧民である彼らにとってそもそも国境は存在しなかった。

しかし、サーミ人を無視した国境が設定されて移動の自由が制限され、白人による同化政策によって彼らの宗教や言語は禁止の対象となり、鉱山や油田などの資源開発によってトナカイの放牧地が奪われてきている。

ここに挙げた2つの推理小説は、こうしたサーミ人と白人の接点に生じる事件を題材にしている。

著者のオリヴィエ・トリュックは、フランス生まれのジャーナリストで、フランス紙「ルモンド」の北欧特派員を20年以上勤めている。最初に書いた『影のない四十日間』がフランスで大ヒットし、各国語に訳されていくつもの賞を受けている。

『影のない四十日間』が暗夜の続く12月からの冬の季節を扱っているのに対し、『白夜に沈む死』は白夜の続く夏の季節が背景となっている。

両方の小説に共通する主役は、「トナカイ警察」のベテラン警官のクレメット・ナンゴと、同じく婦人警官のニーナ・ナンセンである。

「トナカイ警察」は、トナカイ放牧者の間のいざこざや、トナカイの盗難などに対処することを任務とし、ノルウェー最北端の街ハンメルフェストに置かれている。

クレメットはサーミ人で、一家は祖父の代にトナカイ放牧をやめている。自分の出自にある種の屈折した思いを持っている。

ニーナは、ノルウェー南西部のフィヨルド地帯の出身で、志願して「トナカイ警察」に赴任してきた。サーミの文化や風習に対する興味が、時としてクレメットを苛立たせる。

『影のない四十日間』では、博物館で保管していたサミーの太鼓が盗まれ、その後一人のトナカイ所有者が殺害される。

この二つの事件が相次いで起きたのは偶然ではないと考えたクレメットとニーナは、トナカイ警察の権限を越えて捜査に乗り出す。

事件の背景に鉱山開発をめぐる地質調査の歴史があり、盗まれた太鼓に事件を解くカギが隠されていることが明らかになってくる。

『白夜に沈む死』では、複数の死が問題になる。放牧地へのトナカイ誘導中に起きたトナカイ所有者のリーダーの溺死、サーミ人理解者の市長の滑落死、二つの油田会社の社長の事故死、サーミ人芸術家の自動車事故による死亡。

これらの死が、事故によるものか謀殺によるものかが、クレメットとニーナによって追及され、油田開発の中で犠牲にされたダイバーの問題が浮上してくる。

小説には、鉱山や油田の利害関係をめぐるさまざまな人物が登場する。鉱脈を独占して一攫千金を狙う政治家、それと結託する地質学者、進出してきた油田会社に取り入って利益を得ようとする不動産業者。

一方サーミ人の側にも、伝統的な放牧にこだわるトナカイ所有者から、トナカイ放牧から離れて別の職業で働くものまで、いろいろな立場からそれぞれの思いが開発者の動きに絡んで語られる。

両方の小説とも、時系列に沿って、同時並行的に事件に絡む人々の動きが独立して記述される。そして、最後の局面でそれらが結びつき、一挙に事件の解決に至る。鮮やかな手法である。

多神教的な土着宗教、住居のコタ、伝統的歌謡のヨイクなどサーミ文化の一端も紹介されていて興味深い。

著者がそれを意図したかどうかは不明であるが、サーミ人に対する温かい眼差しで書かれたこの小説は、先住民に対する差別・弾圧を、結果として告発している。

これまでにないスタイルの推理小説に堪能した。

 

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別れ

2025-03-28 20:47:41 | 日記

別  れ

今日のスペイン語の集まりで、メンバーのS・Sさんから退会の申し出があった。

Sさんは新制大学最初の卒業生で、東大農学部育種学研究室の6年先輩にあたる。研究室の在籍は重ならなかったが、学会などを通して知己を得た。

IBPという大型の国際プロジェクトで一緒に仕事をしたり、農林省の若手研究者で作る統計学の勉強会に入れてもらったり、様々な薫陶を受けた。

温厚な方で、激高されたところを見たことがない。

Sさんは語学天才の誉れが高く、一緒にアメリカ留学された方から、Sさんが英語でダジャレを言うのでびっくりしたという話を聞いた。確か5カ国語を操られるとか。

15年ほど前にスペイン語教室に通い出してしばらくして、先生が別のクラスによくできる方がいてその人の名字がS□□と聞き、名前はS○○ですかと尋ねてS・Sさんだということが分かった。

わたしの所属していたクラスが閉鎖になり、わたしはSさんと一緒のクラスに鞍替えした。十数年ぶりの再会であった。以来、6歳年上のSさんが頑張っていることを、わたしは励みにしてきた。

しかし、Sさんは今年に入って体調を崩して欠席することが多くなり、今日の退会の申し出となった。

数年前に奥さんを亡くされていて、つくば市から東京にある施設に移られるという。

残念だ。帰りのバスの中でたまらない寂寥感に襲われた。今も続いている。

S・Sさんのご健勝を心からお祈りする。

 

春到来

マンションの小公園にて

 

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オール・アバウト・マイ・マザー(映画)

2025-03-27 19:34:41 | 日記

オール・アバウト・マイ・マザー(映画)

1999年に公開されたスペイン映画。孫に勧められて、Prime Videoで配信されたものを観た。

この映画の脚本と監督を務めたペドロ・アルモドバルは、孫の話によれば、スペインを代表する映画監督だという。作品自体も、アカデミー賞外国映画賞をはじめとして、国際的な受賞に輝いている。

観終わって心に深い余韻が刻まれる映画である。

臓器移植コーディネーターのマヌエラは、作家志望の17歳の息子のエステバンと二人で、マドリードに住んでいる。

息子の誕生祝に出かけた観劇の帰り、主演女優ウマの演技に感激した息子がサインをもらおうと女優の乗った車を追いかけ、後ろから来た車にはねられて脳死状態となる。

マヌエラはエステバンが心臓移植のドナーになることに同意し、移植を受けた男性が元気になって退院するのを見届ける。そして、エステバンが残したノートから、息子が自分が知らない父親を慕う気持ちでいたことを知り、父親にエステバンの死を報告するために、仕事を止めてバルセロナに向かう。

マヌエラはアマチュア劇団の相手役エステバン・ロラの子を身ごもり、ロラが男娼になったのを見て、だれにも告げずにマドリードに移り住み、生まれた子をエステバンと名付け、女手一つで育てていたのだ。

マヌエラはバルセロナで昔親しかった元男娼のアグラードと偶然会い、その案内でロラが身を寄せていた施設を訪ね、シスターでソーシャルワーカーのロサからロラが消息不明になっていることを聞く。

マヌエラはウマが演じる芝居を観て楽屋を訪ね、付け人に雇われ、エステバンの事故死のいきさつをウマが知ることになる。

ロサはマヌエラを訪ねて自分が妊娠していることを話し、助力を求める。そして、子供の父親がロラであることを伝え、マヌエラを驚愕させる。ロサはロラからエイズを感染させられていて、母親に真実を告げることができず、マヌエラの家に同居し、男の子を出産するが自分は死亡する。ロサは男の子をエステバンと名付けるよう言い残す。

ロサの葬儀の日、アルゼンチンから帰国していてアグラードから事情を聞いたロラは墓地を訪れ、マヌエラに再会する。

マヌエラはロラにエステバンという二人の間の息子がいたことを話し、エステバンの写真と手記を見せる。また、マヌエラはロラに請われて、ロサの子供を引き合わせる。

ロラの母親はエイズを恐れてエステバンの引き取りを拒否し、マヌエラに押し付ける。マヌエラはエステバンとともにマドリードに戻る。

数年後、エステバンがエイズに感染していないことが分かり、その医学的解明の会合に出席するために、エステバンとともにバルセロナを訪ね、ロラはすでに病死していたが、ウマやアグラードと再会する。

映画には男性はほんの端役でしか登場しない。演じているのは、女装の男性を含めて圧倒的に女性である。しかし、ジェンダーを問題にしているのではない。登場人物は自由に、そして自然に、

エステバンという名前の人物が3人登場する。この3人に対するマヌエラの愛が映画の主題である。異なる愛の位相を通して、マヌエラの人間性が描かれている。演じるセシリア・ロスの表現は、抑えたものではあるが心に訴える。

いい映画を観た。

 

小さな公園の花木たち

 

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ところてんが好きなビゲロイ

2025-03-25 20:12:57 | 日記

ところてんが好きなビゲロイ

今日の朝日新聞31面に、世界的に権威のある科学誌「サイエンス」の年間最高賞に輝いた論文の共著者、高知大学特任講師萩野恭子さんに関する記事が載っていた。

わたしは、不明にして、彼女の業績を知らなかったが、この論文はサイエンス2024年4月号に掲載されていて、ネット上では下記WEBサイトのNHKのニュース(2024年9月28日)に紹介されていた。

科学雑誌「サイエンス」の表紙に わたしの研究がまさか…高知発 窒素を取り込む小さな海の藻の物語 | NHK | WEB特集 | サイエンス

論文の内容は、海中に生息するビゲロイ(Braarudosphaera bigelowii)という藻類の窒素固定能力が、細胞内に共生した細菌由来の小器官によっていることが発見されたということである。

環境中に存在する無機体の窒素は、根粒菌やラン藻類によって有機体に固定され、生物はそこから由来する有機窒素を摂取することによってしか生命を維持することができない。

ビゲロイも窒素固定生物の一つであるが、海水中の窒素を固定する藻類としては初めて発見され、さらにそれが共生細菌由来の小器官によっているところが特異的である。

細胞内には生命現象をつかさどる様々な小器官が存在し、そのうちのミトコンドリアと葉緑体は、細胞内に共生していた細菌に由来することが明らかにされている。ピゲロイにそれ以外の共生細菌由来の小器官があったということは、まさに世紀の大発見である。

この大発見を可能にしたのが、萩野さんの仕事である。

萩野さんは、30年前高知大学の学生時代に遭遇したビゲロイにすっかり魅せられ、夫の転勤に伴ってあちこちと移り住みながらビゲロイを追いかけた。そして、その生活史や分布を明らかにし、博士の学位を取得し、研究に協力してくれた家族と連名の論文を発表している。

彼女はビゲロイのことを「わが子」と呼んでいる。

子どもが生まれてからは、子育てにも都合がいいからと自宅で研究できる体制を築いてきた。そして、自宅で研究しやすいビゲロイの培養をテーマに選んだ。

萩野さんはいう。「研究を始めてすぐの頃に結婚して子どもができて。子どもがいるので家でできることをするために少しずつ増やしていきました。集中もできますし、自宅なので疲れたらリラックスして休むこともできるので、私にとっては最高の場所です。」(前記NHKニュースより引用)

現在は高知大学特任講師だが、3年前に移り住んだ高知では高知大学客員講師の肩書で、大学からは給料も研究費も一切支給されない。自宅の6畳間を研究室にし、研究費は一切自腹であった。

ビゲロイは培地の中ではすぐ衰えて増殖には至らない。萩野さんは10年間研究し、もうあきらめようかと思っていたころ、高知大学の足立真佐雄教授を訪ね、培地にテングサの成分を使ってみたらというヒントをもらう。

テングサから作られたものでも寒天ではうまくいかない。ところてんの抽出液を使ってみたところ、培地の中のビゲロイが活発に動いて増殖を始めるのが分かった。素晴らしい発見である。

この研究結果に着目したのが、カリフォルニア大学の研究チームで、萩野さんの培養方法を使ってビゲロイを増殖して実験材料を得、前記の大発見に至ったのである。

サイエンスの論文に、萩野さんと足立教授が共著者として名を連ねたのは当然である。

自宅の6畳間を研究室にし、完全な在野の研究者として素晴らしい業績を挙げた萩野恭子さん、そしてそれを支えたご家族に満腔の敬意を表したい。

「幸運は用意された心のみに宿る。」(ルイ・パスツール)

 

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茨城対決

2025-03-23 19:23:58 | 日記

茨 城 対 決

大相撲3月場所が終わった。

最後まで優勝を争ったのが、高安と大の里。方や土浦市出身、もう一方は阿見町二所ノ関部屋所属の「茨城対決」となった。

本割ではどっちも勝てと応援し、優勝決定戦はどっちでもいいと眺めていた。しかし、情としては、これまで3度の優勝決定戦で苦杯をなめた35歳の高安に勝たせたかった。結果は大の里に軍配。土浦市役所に詰め掛けていた市民に4度目の悲哀を味合わせた。

大の里は来場所、横綱昇進を云々されるだろう。まだまだ未完の大器。今場所も呼び込んで苦杯を喫する悪い癖が残っていた。舞の海さんの言う「毒饅頭」の味を忘れるために、もう一場所くらいじっくり構えてもいいのではなかろうか。

テレビ画面を撮影

 

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孫来訪

2025-03-22 20:03:04 | 日記

孫 来 訪

孫が母親と一緒、卒業と就職の報告を兼ねて遊びに来た。

ちょうど今日が彼の誕生日にあたっていたので、卒業と一緒にお祝いした。

大学のゼミでは、言語哲学などというちょっと浮世離れをしたことを選んでいたので、大学院に行くのかと思っていたが、就職の道を選んだ。

卒論を送ってもらって全部読もうと頑張ったが、半分くらいで挫折した。固有名詞はいかにして固有名詞たり得るかというようなことを問題にしていて、こういう論の立て方もあるかとひたすら感心した。

第二外国語に選んだスペイン語がわたしと共通の興味の対象なので、Lineのやり取りはスペイン語でやっている。今日は、素晴らしいスペイン映画を教えてもらい、一緒に楽しんだ。いずれこのブログで紹介しよう。

孫というのは無条件でかわいいものだ。子供には親としての責任があるが、孫の方は気楽で、その分かわいさが増すのではないだろうか。

あの小さかった孫が、大学を出て社会人になる。感無量である。

今日はジジ馬鹿に徹してブログを書かせてもらった。

 

春まぢか

 

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松本サリン事件

2025-03-20 19:43:54 | 日記

松本サリン事件

30年前の今日起きたオウム真理教団による「地下鉄サリン事件」が各種媒体によって報じられている。

わたしがこの事件から想起するのは、その1年前の6月27日に起きた「松本サリン事件」である。特に、この事件において犯人の扱いを受けた河野義行さんのことを思い起こす。

「松本サリン事件」は、不動産の取得で不利な判決を受けたオウム真理教団が、その報復として松本地方裁判所の宿舎を狙ってサリンを散布し、7名の死亡者と数百人の負傷者を出した事件である。

この事件の第一通報者で、自らも毒ガス被害を受けた河野義行さんは警察から容疑者とみなされ、家宅捜査と連日の取り調べを受けた。そして、警察からのリークによって信濃毎日新聞をはじめとする各種報道に殺人鬼とまで呼ばれ、犯人扱いとされる報道被害を受けた。

ちょうどその頃、わたしはお盆休みで帰省していた。たまたま車で河野さんの自宅の前を通ったが玄関前に制服の警官が数名いて、物々しい雰囲気だった。地元の市民が、河野さんのことを、「ろくに挨拶もできない男だ」とテレビのインタビューに答えているのを観た。

河野さんは、「地下鉄サリン事件」の捜査の中で、「松本サリン事件」がオウム真理教団の犯行だと分かるまで、冤罪の身にさらされていた。

無実が明らかになって、報道各社は河野さんに謝罪したが、信濃毎日新聞だけは謝罪しなかったと、河野さんの主任弁護人を務めた永田恒冶さんが、その著書『松本サリン事件 弁護記録が明かす7年目の真相』(明石書店 2001年)に記している。もしそれが事実なら、残念なことである。

わたしが感銘を受けたのは、事件後の河野さんの態度である。

河野さんの奥さんはサリンを浴びて、意識不明で寝たきりの重篤な障害を負った。2008年に亡くなるまで、河野さんは献身的に奥さんを介護した。

しかし、河野さんは麻原彰晃を「さん」づけで呼び、理性的にオウム真理教に対応している。拘置所に死刑囚の幹部たちを訪ね、「彼らのオーラはとても清らかで、話してみると、やはり真面目だった。」と述べ、死刑を執行されたことを悲しく思っている。

起きたことを恨んでも仕方がない、不幸は誰の身にも降りかかると河野さんは言う。

しかし、河野さんは事件を起こしたオウム真理教、世間からのパッシングを起こした報道、犯人扱いをした警察を同罪と断じている。そして、報道被害や冤罪をなくすための著作や講演活動に取り組んでいる。

いわれなき誹謗に耐え、恨みを捨て、理性的に事件に対応する河野さんの精神力を、わたしはすごいと思う。

わが故郷でこのような事態が起きたことは残念である。しかし、地元の高校生たちがこの問題を取り上げて活動しているニュースを聞くと、救われた気持ちにさせられる。

公園のクロッカスたち

 

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予科練平和祈念館

2025-03-18 20:00:33 | 日記

予科練平和祈念館

2021年9月に予科練について書いたブログを訪ねてくださった方がいたので、あらためて読み直してみた。このブログでは阿見町にある「予科練平和記念館」を取り上げている。

阿見町には戦前戦中を通じて、霞ケ浦海軍航空隊海軍飛行予科練習部、いわゆる予科練が置かれ全国から集まった予科練習生の教育・訓練が行われた。

阿見町は、予科練を主体とした歴史的資料を展示し、「命の尊さや平和の大切さ」を訴える目的で「予科練平和記念館」を設置した。そして記念館を紹介するべく、『若鷲に憧れて~元予科練生の回顧録~』と題する,松村克弥監督による53分間の動画を作成し、ネット上に公開した。

この動画は、予科練平和記念館を訪れた俳優の石井正則さんを、阿見町在住の元予科練生の戸張礼記さん(当時92歳)が少年に若返って案内するという筋立てで、下記のWEBサイトから視聴できる。

https://www.youtube.com/watch?v=Vkj_QnIeRNI

大勢の方、特に若い方々に見ていただけたらと、再度ここに紹介する。

 

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野生動物

2025-03-17 19:53:47 | 日記

野 生 動 物

一昨日の朝日新聞B面に、『心ひかれる野生動物は?』という、読者へのアンケートの結果が載っていた。

設問と回答の様式は不明だが、おそらく候補の動物からお気に入りを複数選ばせたのであろうと推察する。

1位は断然ペンギンで、パンダ、イルカ、ラッコ、コアラと続いている。上位20位までの中で、日本に生息しているのはニホンザル、キジ、キツネの三つだけである。

日本人にとって野生動物とは、圧倒的に動物園や各種媒体の写真・動画に登場するもののようだ。わたしが日本で目にした野生動物は、野鳥を除くとほんの数種である。

ところで、野生動物とはどう定義されるのだろう。

広辞苑では、「野生」の説明として、「動植物が自然に山野に生育すること、また、その動植物。」とある。ほかに三つほど辞書を調べたところ、皆同じような説明で、「自然に」と「山野に」が共通してあげられている。

とすると、海に生息する動物は野生動物ではないのかと言いたくなるが、これは褒められた難癖のつけ方ではないだろう。先に挙げたアンケートでは、クジラが9位に入っている。

われわれにとって、身近に生活根拠を持っている動物は、家畜や家禽でなくても野生動物とは言いにくい気がする。ネズミがその例である。

また、わたしにとって野生動物といった場合の動物には、昆虫類は含まれていない。カエルは微妙である。思念の中にどうしてこんな区別が生じるのか、うまい説明は見つからない。

しかし、「野生動物の保護」というような時は、そのような「差別」はしていない。

どうも、今日のブログは屁理屈ばかり並べたような気がするが、ここ限りにして、おおらかに「野生動物」と向き合うことにする。

ところで、野生のアマガエルは近畿あたりを境界線として、東西2種類に分類されるという研究結果が発表されている。この話は、日を改めてブログに載せることにする。

アナグマ?

2002年にイグアスの滝付近で遭遇した野生のアナグマらしき動物。人間を怖がらないで、うっかりするとテーブルの上の食べ物を持っていかれてしまう。わたしが座っていたテーブルにもお出でになった。日本語がわからないだろうと「ノー」と言って追っ払った。

 

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読書備忘(45)サザエさん

2025-03-15 20:41:27 | 日記

長谷川町子

『漫画 サザエさん 第1巻、第2巻』

朝日新聞出版 2020年

新聞に連載されていた漫画『サザエさん』の復刻版である。

新聞の広告で見て、カミさんが入院した友人の見舞いに、この漫画を時々差し入れていたのを思い出し、新聞販売店に注文してカミさんに差し入れた。

全部で68巻あるらしいが、とりあえず、最初の2巻を購入した。

それぞれの漫画に、新聞掲載日が記されている。

第1巻と2巻には、1946年4月から1947年4月まで「夕刊フクニチ」に連載されたものが収録されている。

サザエさんはまだ24歳で結婚していない。したがって、マスオさんやタラちゃんは登場していない。しかし、波平、フネ、カツオ、ワカメは登場し、一家は磯野を名乗っている。

第2巻の途中から、一家は福岡から東京に引っ越している。

時代は戦後の復興期。「代用食」とか「配給」とか食糧難や、引揚者の苦労などの逸話が登場するが、基調はあくまで明るくそれらを笑いの材料に取り入れている。サザエさんが選挙の応援演説をしたり、男女同権を叫んだり、戦後の思想や価値の転換も反映している。

ある意味で当時の世相を記録した資料ともいえるのではないだろうか。巻末には、「トナリグミ」、「満州引上げ接待係」、「渋谷マーケット」、「話の泉」などの今は忘れられている言葉の解説がつけられている。

カミさんが退院してきてから読ませてもらったが、4コマ目で思わず吹き出してしまうことがしばしばあった。

カミさんも楽しんだらしい。そして、友人に『サザエさん』を差し入れたのは正解だったと思っているようだ。

第3巻以降を購入するかどうかは考慮中である。

 

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