オリヴィエ・トリュック(久山葉子訳)
『影のない四十日間 上・下』東京創元社(Kindle版)2021年
『白夜に沈む死 上・下』東京創元社(創元推理文庫)2023年
ネット配信された映画『サーミ・ブラッド』を観て1カ月ほどしてから、たまたま書店で立ち読みした創元推理文庫の『白夜に沈む死』が、サーミ人の問題を扱っていることを知り、購入した。そして、その前編ともいうべき『影のない四十日間』があるのを知り、そのKindle版を購入した。
サーミ人は、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアにまたがる北極圏の先住民族で、主としてトナカイの遊牧を生業にし、宗教、言語、音楽など独自の文化を育んできた。また、遊牧民である彼らにとってそもそも国境は存在しなかった。
しかし、サーミ人を無視した国境が設定されて移動の自由が制限され、白人による同化政策によって彼らの宗教や言語は禁止の対象となり、鉱山や油田などの資源開発によってトナカイの放牧地が奪われてきている。
ここに挙げた2つの推理小説は、こうしたサーミ人と白人の接点に生じる事件を題材にしている。
著者のオリヴィエ・トリュックは、フランス生まれのジャーナリストで、フランス紙「ルモンド」の北欧特派員を20年以上勤めている。最初に書いた『影のない四十日間』がフランスで大ヒットし、各国語に訳されていくつもの賞を受けている。
『影のない四十日間』が暗夜の続く12月からの冬の季節を扱っているのに対し、『白夜に沈む死』は白夜の続く夏の季節が背景となっている。
両方の小説に共通する主役は、「トナカイ警察」のベテラン警官のクレメット・ナンゴと、同じく婦人警官のニーナ・ナンセンである。
「トナカイ警察」は、トナカイ放牧者の間のいざこざや、トナカイの盗難などに対処することを任務とし、ノルウェー最北端の街ハンメルフェストに置かれている。
クレメットはサーミ人で、一家は祖父の代にトナカイ放牧をやめている。自分の出自にある種の屈折した思いを持っている。
ニーナは、ノルウェー南西部のフィヨルド地帯の出身で、志願して「トナカイ警察」に赴任してきた。サーミの文化や風習に対する興味が、時としてクレメットを苛立たせる。
『影のない四十日間』では、博物館で保管していたサミーの太鼓が盗まれ、その後一人のトナカイ所有者が殺害される。
この二つの事件が相次いで起きたのは偶然ではないと考えたクレメットとニーナは、トナカイ警察の権限を越えて捜査に乗り出す。
事件の背景に鉱山開発をめぐる地質調査の歴史があり、盗まれた太鼓に事件を解くカギが隠されていることが明らかになってくる。
『白夜に沈む死』では、複数の死が問題になる。放牧地へのトナカイ誘導中に起きたトナカイ所有者のリーダーの溺死、サーミ人理解者の市長の滑落死、二つの油田会社の社長の事故死、サーミ人芸術家の自動車事故による死亡。
これらの死が、事故によるものか謀殺によるものかが、クレメットとニーナによって追及され、油田開発の中で犠牲にされたダイバーの問題が浮上してくる。
小説には、鉱山や油田の利害関係をめぐるさまざまな人物が登場する。鉱脈を独占して一攫千金を狙う政治家、それと結託する地質学者、進出してきた油田会社に取り入って利益を得ようとする不動産業者。
一方サーミ人の側にも、伝統的な放牧にこだわるトナカイ所有者から、トナカイ放牧から離れて別の職業で働くものまで、いろいろな立場からそれぞれの思いが開発者の動きに絡んで語られる。
両方の小説とも、時系列に沿って、同時並行的に事件に絡む人々の動きが独立して記述される。そして、最後の局面でそれらが結びつき、一挙に事件の解決に至る。鮮やかな手法である。
多神教的な土着宗教、住居のコタ、伝統的歌謡のヨイクなどサーミ文化の一端も紹介されていて興味深い。
著者がそれを意図したかどうかは不明であるが、サーミ人に対する温かい眼差しで書かれたこの小説は、先住民に対する差別・弾圧を、結果として告発している。
これまでにないスタイルの推理小説に堪能した。
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