羽花山人日記

徒然なるままに

当事者

2021-10-19 17:39:01 | 日記

当事者

今日の朝日新聞の文化欄に,NHKの朝ドラ『お帰りモネ』についての記事が出ていた。

わたしは,このドラマについて,登場人物一人ひとりの台詞の内容が,「重い」という印象を持っている。

脚本を担当した足立奈緒美さんは,執筆前に宮城に足を運び,震災で受けた影響や痛みが,いろいろな立場によって全く異なることを知る。そして,間違いないと思えたことは,「人の痛みはその人にしか分からない」という,単純なことであった。しかし,足立さんは,当事者とそうでない者との間に「一線」が引かれたら,手を伸ばしても互いに触れ合うことのできない「寂しい」関係が出来上がってしまうと考え,モネの恋人の菅波医師から,「わたしにはわからない。この事実を変えることはできない。けれどわたしは心から,あなたのことをわかりたいと思っている。」とモネに語らせ,「一線」を越えさせようとしたという。

あらためて,台詞の含蓄の深さを感じた。

 

森山真弓さん

森山真弓さんがお亡くなりになった。

ずいぶん前になるが,カミさんと二人で新宿駅から山手線に乗ったら,前に森山さんが座っていた。わたしは,森山さんの名前の辞令を頂戴したばかりだったので,すぐ気がついた。大臣ともあろう人が,一人で山手線に乗っていることに,少し驚いた。森山さんは,カミさんに席を譲ろうとなさった。丁重にお断りした。それだけのことだが,印象に残るふれあいで,時々思い出す。

ご冥福を祈ります。

 

稲   藁

   昔ならただで貰へた稲藁に三百円の値札つきたり 

長野県 千葉俊彦様 (10月17日 朝日歌壇より)

コンバインによる刈り取りが始まる前は,刈り取った稲は束ねて稲架掛けし,脱穀した後の藁を草履,筵,俵などの藁細工に利用した。子供のころ,藁束をもって村の藁細工小屋に行き,草履を編んだのは懐かしい思い出だ。

今は,コンバインで稲を刈り倒し,籾だけ運んで行って,藁は田んぼに捨てられている。

 

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寓話

2021-10-18 17:23:32 | 日記

スペイン語クラスで教材に使っていた絵本の著者から,原本を頂戴した。

『アルバロおじいさんとCOVIDの嵐』という題で,「二つの世界の間にある命と魂についての寓話」という副題がつけられている。

クラスで先生は, 1ページごとに絵の部分を貼りだし,先ずその絵からどんな物語を考えるかを受講生に話させ,次に原文を示すというやり方で,楽しく授業を進めてくれた。読み終わった後,読後感を書かせ,それを著者に送ってくれた。そのお礼に,本が送られてきたのである。小学校の授業のようだが,80歳を超える爺さん生徒は皆まじめにやった。

”マルティンは誕生日のお祝いに,父のミゲルから消防自動車のおもちゃをもらう。ついているはしごを伸ばして,二人は登っていくと雲の上に出る。そこには,コロナウイルスに感染して亡くなったマルティンの祖父のアルバロが待っていて,二人と話をする。やがて襲ってきた嵐でおじいさんから離され,二人は地上にもどる。夢であったのか実際にあったことなのか分からないままに,二人は家に入って,マルティンの誕生祝に集まっている人たちに,雲の上の経験を話す。みんなは大喜びで,誕生日を祝う。天上からそれを見ていたアルバロは,笑った拍子に入れ歯を落としてしまい,拾いに皆の前に現れ,大笑いとなる。”

アルバロさんは実在の人物で,その伝記が絵本の巻末に納められている。著者のミゲルさんはアルバロさんの息子で,マルティンさんは孫である。

この寓話は,恐らく不幸にして亡くなったお父さんをしのんで,お父さんに代わって自分自身を励ますために書いたものではないかと思う。

雲の上の会話で,アルバロは,COVIDのパンデミックを嵐に例えて,息子と孫に言い聞かせる。

「雲の上の世界にも,しばしば嵐が訪れる。怖いし,いろいろなものを吹き飛ばす。しかし,過ぎ去ると平穏が戻り,そこには新しい秩序が生じる。嵐はわたしたちの生活に存在するものとして受け入れれば,生命に必要な水のような有益なものをもたらしてくれると考えることもできる。COVIDのパンデミックは嵐のようなものだ。大勢の人を病気にし,死さえももたらす。しかし,悪いことだけではない。いろいろなことをわたしたちに教え,進む道を掃き清めてくれるものもある。嵐の間は,身を潜めて自分を守るのがよい。やがて雲や風とともに立ち去る。」

これは大切な考え方である。ウイルスは時により,否応なく蔓延する。人類にとってそれは受け入れざるを得ないものである。パンデミックを与えられた機会ととらえ,新しい知恵を学び,新しい価値観,秩序,希望を見出していくことの大切さを,アルバロさんは説いている。

わたしは,著者への手紙の中で,死後孫に訪ねてきて欲しいので,話の中で出てきた消防車がどこで買えるか教えて欲しい,と書いたが,返事には,お孫さんが来てくれるといいですね,とだけあった。

 

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矛盾と葛藤

2021-10-17 16:42:47 | 日記

矛盾と葛藤

電気労連は,原発廃止をスローガンとする政党とは距離を置いているという。この話を聞くと,50年くらい前に聞いた,全沖縄軍労働組合(全軍労,現全駐留軍労働組合沖縄)の組合員の方の話を思い出す。

全軍労はアメリカ駐留軍の基地で働く労働者の組合で,職場を守り,自分たちの労働条件を改善することを目的としている。自分もその一員である。しかし一方で,組合がベトナム戦争反対,軍事基地撤去というスローガンを掲げることは必要だと考え,運動に参加している。明らかにそこには矛盾があり,心の中に葛藤はあるが,平和が訪れ,基地がなくなれば,その中で自分の居場所を確保するように仲間と頑張りたい。

現実の世界に生きている以上,行動に矛盾が生じるのはあり得ることである。しかし,その矛盾から逃げるのか,見つめるのか,そこには大きな違いがあると考える。

 

サツマイモ

かねてから目をつけていた芋畑で収穫作業が行われていたので,サツマイモを格安で譲っていただいた。品種は「べにはるか」。甘味が出るのには,しばらく待った方がいいとのこと。待てば海路の日和あり。

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宇宙戦争

2021-10-16 17:00:35 | 日記

宇宙戦争

スペイン語クラスでご一緒願っているS・Sさんが書かれた,「宇宙は誰のものか(¿A quién pertenece el universo? )」という題の小論文を読ませていただいた。この方は,わたしの大学研究室の大先輩で,語学の天才の誉れが高く,多分5ヵ国語の読み書き話がお出来になると思う。

小論文の内容をかいつまんで紹介すると:

東西冷戦による危機の顕在化とその緩和,米ソ両大国の宇宙への進出という状況の中で,無政府状態にある地球外宇宙における活動を規制することの必要性が確認され,1966年の11月「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約(宇宙条約)」が国連で決議され,翌年10月に発効した。2017年の時点で,106か国がこの条約を批准している。

この条約は,国による地球外宇宙・天体の領有を禁止するとともに,宇宙の平和利用を目指したものであった。ところが,アメリカのオバマ大統領は「2015年宇宙法」を制定し,地球外天体の資源を民間企業が利用すること(例えば,金属の採掘権)を法的に認めることにした。

この法律は,アメリカも批准している「宇宙条約」に違反するという議論が起こったが,これに対しアメリカは,条約は個人あるいは企業の宇宙資源利用を禁じたものではないと反論している。

この法制定により,アメリカ企業の宇宙開発活動はすでに活発化している。さらに,中国,アラブ首長国連邦,インドなどが,宇宙開発競争に乗り出している。特に中国は,アメリカを意識しての宇宙における覇権を目指して,月の裏面飛行を成功させ,月への有人飛行,宇宙基地建設を進めている。

今や宇宙の平和利用は形骸化し,宇宙における情報システムなしには,国の安全保障や戦争を語ることは不可能となっている。アメリカは宇宙軍を創設している。われわれは,宇宙の平和的,効率的,正義と公平に基づく利用に関する,困難な問題に直面している,とSさんは指摘している。

わたしは宇宙条約の存在は知っていたが,それがこれほど骨抜きにされつつあることに驚いた。宇宙から資源を持ち帰って売買するのは,当分の間コストに合わないだろう。現時点で問題なのは,条約が目的とする平和利用が脅かされていることである。

宇宙の大きさからみれば,人類は,仏の掌を越えられなかった孫悟空より,はるかに小さな存在である。頭の上でドンパチやられるのはご免だ。地球の外まで競争を持ちこまず,「宇宙条約」制定の初心に帰って,全人類的な立場からの宇宙開発は考えられないものだろうか。

 

オーロラ

カナダのホワイトホースで2016年3月に撮影。三晩目にしてようやく見ることができた,

 

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外出

2021-10-15 17:13:39 | 日記

外  出

今日は,スペイン語クラスで,自転車,バスを乗り継いでつくば市まで出かけ,ついでにつくばエクスププレスの一駅隣にあるお店で,補聴器のクリーニングをしてきた。

時間にゆとりを持たせてクリーニングの予約をしたので,つくばセンターのショッピングモールにある本屋さんで,30分ほど立ち読みを楽しみ,この6月に出版され,かねてから読みたいと思っていた,ヘニング・マンケルの中編推理小説が目に入ったので,購入。馴染みのパン屋さんの喫茶コーナーで,カフェラテと菓子パンの昼食をとりながら,1時間ほどマンケルを読み,補聴器のクリーニングをすませて帰宅した。

久しぶりの遠出と外食。気が清々した。

いずこも人はまばらで,コロナの心配は無用だった。こんなことに気を配らずに出かけられる日が早く来て欲しい。

 

河口湖から富士を望む

2014年撮影

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規制と奨励

2021-10-14 17:26:45 | 日記

規制と奨励

今日の朝日新聞に載っていた,名古屋大学教授松尾陽さんの「憲法季語」は勉強になった。

主題はワクチン接種についてであるが,その導入にバイク搭乗の際のヘルメット着用の義務化が取り上げられている。

わたしは,バイク搭乗者がヘルメットをかぶるのは当然で,かぶらないと罰則を適用されることに疑義を感じたことがなかった。しかし,これは憲法に照らすとなかなかの問題であるとのことである。ちなみに,ヘルメット着用の義務化は1965年からで,罰則付きになったのは1975年である。

当人の意思に反してまで何かを義務付けることは,パターナリズムと呼ばれ,日本国憲法が立脚するリベラリズムの基本原理には反するという。意思に反して強制力を行使することができるのは,他者への危険を防止することが唯一の理由で,「他者危害原理」と呼ばれ,憲法に言う「公共の福祉」にこれが含まれる。

ヘルメット未着用で事故に遭えば,大けがをしたり死んだりして家族を悲しませ,介護負担を負わせ,医療システムにも負荷を与える,というような理屈をつけて,バイクヘルメットの義務化は可能になる。

ひるがえってワクチン接種については,その効用や副作用について科学的なデータを積み上げる必要があり,ヘルメット問題以上に厄介である。そこで,政府や自治体はワクチン接種証明書を発行するなどして,被接種者に利益を与える,「奨励」という形をとろうとしている。しかし,この「奨励」が,私企業においては義務化になることもある。アメリカの航空会社が,ワクチンを拒否している従業員を解雇したというニュースが伝えられている。また,「奨励」の効果を検証することも必要である。

著者は「緩やかな規制の活用を推進するならば,規制が乱用されず,規制の合理性が担保される担保の枠組みの整備が重要」と結論している。

コロナ蔓延を抑えるために,自分自身の主権者である個人の権利を規制する法律の制定が,改憲まで含めて議論されている。拙速や行き過ぎは,厳に慎まなければならない。

 

国会解散

衆議院が解散になった。選挙に向けて,野党,特に立憲民主党は政権奪取を公言している。それはそれで結構だが,公約を実施する主体になり得るかについて,危惧を感じるという論調があちこちから聞こえる。旧民主党政権失政のトラウマが,結構大きいことを心すべきである。

それにしても,解散に際しての議員の万歳はいただけない。まことにみっともない。

川柳を一句:岸田さん句読点だけ顔を上げ

 

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子ども

2021-10-13 16:29:51 | 日記

子ども

公園などを散歩していると,親子連れをよく見かける。ヨチヨチ歩きの幼児の姿は何とも愛らしい。愛らしいと感じるのは,その体形からである。

ヒトの体の部分の成長の速さは,年齢とともに変わってくる。胎児のころから幼時にかけて,最も早く成長するのが頭部である。胴体も比較的早く成長する。手足はその後を追っかける。だから子供は頭でっかちで,寸胴で,手足が短く,ヨチヨチ歩きになる。顔の中では大脳と眼が早く成長するので,子供は額から上が相対的に大きく,眼の顔に占める割合も大きい。

こうした姿を,われわれは可愛いと感じる。では,なぜこうした姿が可愛いのか。

われわれ人類のDNAを未来につなげてくれる子供たちへの期待が,大切な可愛いものとなって投影されるのではないだろうか。これは,わたしのあまり根拠のない仮説である。

2002年3月アルゼンチンにて撮影

 

負け惜しみ?達観?

馬県の山本知事は,ブランド総合研究所が発表した,都道府県魅力度ランキングで,群馬県が昨年の40位から44位に落ちたことに,憤懣やるかたない見解を表明し,法的措置を含めた措置の検討を始めたという。

一方,わが茨城県の大井川知事は,魅力度最下位について,公式にはこの結果を真摯に受け止めるということにするが,別に痛くもかゆくもない。県民の所得は全国6位,海浜公園には来訪者が押し掛け,県外からの転入者も多い,とゆとりである。

もっとも,一昨年,順位が最下位だったときは群馬県知事と同じ反応をしていたので,達観したのか,負け惜しみを言っているのか,真偽のほどは分からない。

どっちにせよ,どうでもいい話であるが。

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読書備忘(9)『日本の品種はすごい』

2021-10-12 16:52:28 | 日記

読書備忘

 

竹下大学『日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語』中公新書 2019年

昨年末の上梓だが,その後版を重ねている。

著者は,キリンビールの花育種プロジェクトを立ち上げ,アメリカの育種家への顕彰を受けている,育種の専門家である。すでにいくつかの著書を出しているらしいが,わたしはこれが初めて読んだ本だ。一言で言って労作である。丹念に資料を跳梁し,一冊の新書に,よくこれだけの情報を詰め込んだものと感心する。植物育種学専門を自認するわたしだが,ずいぶん勉強させられた。

取り上げられている作物は,ジャガイモ,ナシ,リンゴ,ダイズ,カブ,ダイコン,ワサビの7つ。それぞれについて日本での栽培の始まり,品種の変遷,それに関係した人々,品種の特徴が要領よくまとめられている。スーパーマーケットではお目にかかれない品種や,懐かしい品種が登場し,日本の野菜・果樹の奥深さを教えてくれる。食育の教材としても好適である。

例をダイコンにとろう。ダイコンはカブと並んで,世界に誇る日本文化である。品種の数,利用方法とも世界に類例のない豊かさがある。

取り上げられている品種(群)を列挙しよう。青首大根,宮重大根,尾張大根,方領大根,三浦大根,レディーサラダ,練馬大根,桜島大根,守口大根,聖護院大根,辛味大根,ねずみ大根,みの早生大根,亀戸大根,小瀬菜大根。品種群の中の個別品種についても気を配っている。

「大根足」というのは,江戸時代にできた言葉で,白首大根が主流だったころには,白くてすらりとしたという誉め言葉だったが,練馬大根や三浦大根ができてから太さを揶揄するようになったというようなエピソードも,随所に挟まれている。

JR亀戸駅近くにある亀戸香取神社には,亀戸大根をかたどった石碑があり,隣接する料理店「亀戸升本」は,復活した亀戸大根の料理を専門にしているという。この本を読んで,訪ねてみたいと思ったが,コロナにさえぎられて果たせないでいる。収まったらぜひ行きたい。

そんな気持ちを起こさせる本である。

 

柳家小三治さん

人間国宝の柳家小三治さんが亡くなった。81歳。まだまだお若い。好きな人がまた一人いなくなった。

40年ほど前になろうか,新宿の末廣亭に母を連れて行った。少しボケが始まっていた母は,いつもテレビで見慣れている小三治さんが,出囃子とともに高座に現れると,それを指さして笑いだし,笑いが止まらなくなった。小三治さんは困ったような顔で「まだなんにも言ってないですが」と言った。客席はワッと笑いに包まれ,母の笑いは収まった。

ありがとう小三治さん。ご冥福を祈ります。

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星めぐりの歌

2021-10-11 17:14:17 | 日記

 

星めぐりの歌

この前の『おんがく交差点』で,大谷康子さんが「星めぐりの歌」を,ヴァイオリンできれいに歌い上げた。

宮沢賢治作詞作曲のこの曲は,わたしが所属するコカリナサークル「ラブピース」の持ち歌で,リーダーの真木まことさんの編曲が素晴らしく,演奏するのが楽しかった。わたしはパーカッションが担当で,コカリナの和音とメロディーに合わせて,ウィンドチャイムを鳴らす至福の時を味わっていた。

今日はラブピースの例会で,皆さんにお願いして,この曲をアンサンブルした。コカリナを一緒に吹かせてもらった。楽しかった。

 

星めぐりの歌

宮沢賢治作詞・作曲

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたひの うへは
そらのめぐりの めあて。

 

山と渓谷社のカレンダーを撮影。ゴッホ「星月夜」

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魅力度

2021-10-09 20:15:08 | 日記

全国都道府県の魅力度ランキングが発表された。わが茨城県は,昨年最下位から脱して42位まで上がったが,今年は定位置の最下位に落ち着いた。

県のホームページに「魅力度最下位の過ごし方」という記事があるのを知って,覗いてみた。「体験王国茨城」の女王にデビ女史が据えられていたのにはちょっと顔をしかめたが,魅力度を上げるために,いろいろな努力を県庁の方ではなさっているようだ。

わたしは茨城県に住んで30年になる。移り住む時まで,県の名前を「イバラギ」と発音していた。地味な県という印象だった。こちらに来てから受けた地元の方々の印象は,控えめでおっとりしているということであった。ガツガツしていない。観光資源としては,筑波山,霞ヶ浦,偕楽園,袋田の滝などなかなかのものがあり,北茨城は温泉あり,漁港あり,さらに野口雨情,岡倉天心ゆかりの地としてもっと積極的に観光をと歯がゆい思いをする。

しかし,そこが茨城の良いところかもしれない。魅力度と住み心地とは別物である。茨城県は海山の幸に恵まれている。農畜産物では生産量全国1,2を争うものが多く,大洗港,大津港と水揚げを誇っている。リンゴ,温州みかんの両方が採れるのは,茨城くらいだろう。以前住んでいた国立市と比べると,食品は1割以上安い。

地元の方もおっしゃるが,魅力度が上がってよそから人が押し寄せて五月蠅くなるより,今のように静かにのんびり暮らした方がよい。これは負け惜しみではない。

五浦海岸の六角堂。夕暮れの逆光でぼけてしまった。2014年撮影。

氷結した袋田の滝。2011年撮影。

霞ヶ浦の対岸に筑波山を遠望。2014年撮影。

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