テレビ画面を撮影
朝ドラの『おかえりモネ』が終わった。中学のブラスバンドの仲間を中心とする登場人物が,みんな良い子,良い人ばかりだったが,東日本大震災を背景とする内容の濃いドラマだった。
テレビ画面を撮影
わたしは,このドラマから,「現場」,「当事者」,「故郷」の三つのテーマについて考えさせられた。はじめの二つについては,7月16日と10月17日のブログで取り上げた。
登場する気仙沼の若者たちは,故郷に留まるもの,一旦故郷を出て戻るもの,故郷から別天地に旅立つものの,三つに分類される。いずれもルーツを共通にしているが,故郷に対する感慨は異なっていると思う。どれが正しく,どれが間違っているということではない。それぞれが置かれている状況で決めたものだ。
昨日の場面で,モネが大学への進学を決めた妹の未知に,「行ってらっしゃい,いつでも帰っておいで。」というシーンがあった。きれいな言葉だが,故郷とはそんなに単純なものではないとも感じた。
わたしは,2012年に,故郷にあった家屋敷を整理し,本籍地を茨城県に移した。わたしは男の兄弟はなく,姉妹は他家に嫁いで一家をなしているので,両親が居住しなくなってからの生家の管理は,わたし一人の責任になった。
その時点ですでに,わたしはそこに戻って居を構えることはせずに,いずれは始末をつけなければと心に決めていた。家族はそれを望んでいた。郷里の村に,わたしたち夫婦の居場所を作ることは,周囲にとっても,わたしたちにとっても,かなりのストレスになることが予想できた。
にもかかわらず,それから10年余りにわたって,月にいっぺんは帰郷し,家の清掃と,屋敷の除草などを続けてきたのは,わたしの気持ちの中に,郷里と生家へのこだわりがあったからであることは否めない。そして,次の条件が満たされた時に,ようやく家屋敷を整理する決意をした。
周囲の関係者がそのことについて納得する。
片道300キロを車で走ってする管理が,肉体的に難しくなる。
家屋敷の引き受け手が現れる。
郷里を引き上げる時,わたしと同年代あるいはそれ以上の方々からは,残念で寂しいという言葉を聞いた。若い方々からは,あとに新しくて若い世帯が入ってくるから,と感謝の言葉を聞いた。
現在,屋敷跡には新しい家が立ち並び,児童が遊んでいる。それを見ると,心が和み,救われた気持ちになる。
故郷の風物はそこに変わりなく存在し。わたしはそれを見る。しかし,わたしにとっての故郷は,わたしの心の中の心象風景である。