鹿島アントラーズ
今年は鹿島アントラーズ創設30周年で,地元ではいろいろな行事が行われている。昨夜は,テレビの地域番組で,特集が放映された。
わたし自身は,鹿島アントラーズという名前を聞いた時,あんな田舎に(失礼)プロのサッカーチームが存続できるのかと疑問に感じ,それが,通算チャンピオンシップ29を誇る,「王者アントラーズ」になるとは思いもしなかった。
番組にはJリーグ開幕当時,アントラーズ躍進の原動力となったジーコさんも出演し,創設時の秘話が語られていた。
テレビ画面を撮影
当時,「コンビナート砂漠」と呼ばれていた鹿島の地域振興を図るべく,当時のJリーグ準備室長川渕三郎氏に話をもっていったところ,99.9999%不可能だから止めるように言われた。川渕氏は,100%駄目と言えば身も蓋もないので,99.9999%と言ったという。
しかし,準備チームはあきらめなかった。
東京から離れた田舎町には,観客動員能力がないという指摘に対しては,チームスポンサーの住友金属の,チーム名に社名を入れないという決断から,地元企業の協力が得られ,26万名の賛同署名を集めた。
屋根付きの1万5千人を収容する,サッカー専用のスタジアムが必要という指摘には,通常4年はかかるところを,工法を工夫して15ヶ月で建設した。建設費は茨城県が全額負担した。なお,このことについて聞いた話では,当時の建設省出身の県知事が,県議会の議を経ることなく予算を決め,事後承諾で押し通したという。
かくして,Jリーグ発足時の10チームに鹿島アントラーズは名を連ねたのである。
わたしは,リーグ開始後2年くらいの時に,鹿島スタジアムでアントラーズの試合を見た。スタジアムに行く前に,所用でタバコ屋のおばあさんと話していて,わたしが「試合開始」と言ったら,おばあさんが「キックオフ」と言ったのでびっくりした。スタジアムでのアントラーズの応援も,垢抜けして堂々たるものだった。まさに地域密着である。
今年は,ちょっと振るわないようだが,鹿島アントラーズには,王者の風格で勝ち進んで欲しい。
ところで,一時はブームを呼んだわが故郷の松本山雅は,最近J2に居ついてしまったようだ。先日松本に行った時もひところの熱気が感じられなかった。彼の地の人たちは熱しやすくて,冷めやすいのか。
華厳の滝遠望
2007年10月撮影。かなりぼけた写真になってしまった。