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立命館小研修会参観記…その2

2007年02月12日 | 雑記帳
 深谷教頭の著した『立命館小学校メソッド』(宝島社)の冒頭に取り上げられている「自学ノート」は岩下学級の児童のものであった。紀行文的なものや調査、インタビューなどをもとにしたテーマ性のある学習である。

 同じようなノートのコピーが、教室背面にも掲示されてあった。
 写真も豊富に使われ、学ぶ意識の流れが明確に見えるものである。自学が「知」を促しているという一つの例だろう。

 岩下氏の自学実践は、いわゆるメニュー選択方式から始まったのであるが、今この学校でこうした形になったことは様々な理由が予想される。ここまでの経緯から氏自身が考えを変化させたのかもしれない。ただ明らかに言えるのは、児童の実態を考慮しているということだろう。

「ドリル的な学習」「一定の活動を継続する学習」のようなものは、自学ではあまり必要がないととらえているのか、それは教育課程内に位置づけているからだけなのか、それとも家庭環境等である一定のレベルにあるからなのか、自学を学級経営全体の中でどう位置づけるものなのか、できれば詳しく聞いてみたいところだ。

 目を惹かれた掲示物(児童作品)があった。
 400字の作文である。「おせち」をテーマにして説明文風にまとめてあるのだが、マス目の下部に次のような欄があった。

 作文の技法30…使った技法をチェック

 技法として挙げられているのは、「敬体」「常体」から始まり、「図、絵挿入」「( )段落構成」まで全部で30.チェック欄が設けられ、書いた作文にどの技法が使われたか色鉛筆でチェックする形になっていると思った。
 初めて見る形式である。
 作文の授業で、技法を取り扱うことはあるが、こうした形でシートにおとしておくと継続化が図れるし、書く側の意識も高まる。これも一つの「見える化」と言えるかもしれない。

 もちろん、立命館で一番「見える化」が明確なのは、辞典活用である。どの子の辞典も付箋でいっぱいであり、その付箋が児童の意欲をかき立てていることは簡単に想像できる。
 かと言ってそんなに競争的ではないようで、授業中の辞典を引く場面を見ても、きわめて自然な形で溶け込んでいる気がした。
 帰りに整理棚に揃えられた人数分の、付箋だらけの国語辞典、漢字辞典、そして数冊の和英辞典、なかなかの壮観であった。


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