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立命館小研修会参観記…その1

2007年02月11日 | 雑記帳
 立命館小学校授業研修会参加の目的の7割は、岩下学級参観である。
 
 モジュール前の音読や歌、そしてモジュール活動を通して、岩下先生が主張しておられることが明らかに見てとれた。

 子どもたちの心身の欲求を満たす表現活動が、「情意知」を劇的に高める

 「からだ」を使って仲間と歌う、読むという行為が、子どもの全体を活性化させているという印象である。こうした感覚はやはりライブならではのことである。一見の価値はかなり高い。

 国語の授業は「漢詩」を扱ったものであるが、著書から漠然と抱いていたイメージと少し違う印象であった。指導案の展開とも大きく異なる部分があるし、子どもの出方によって柔軟に変えていったとも言えるだろう。
 特に劇的な発問や大きな盛り上がりがあるわけでもないが、じっと観察していると繰り返して留意していると思われる行為がいくつか目につく。

 既習の事項を頻繁に出させている
 意図からずれている反応も丁寧に取り上げる
 一斉集中を促す指示を時折入れている


 指導案に書かれている「共感的な気づきが生まれるような話し合いのあり方」がどの程度達成されたかは判断しかねるが、岩下先生が一番強調したいことはおそらく、このことだ。

 共感

 まず教師が具体的にその姿勢を見せ、自然な形で子どもたちにも要求していることがわかった。
 ぐうっと全体の凝縮が強くなる時や、そうでなく個々が様々に考えている時の両面があったが、教材に対する集中は保たれていて、そこに教材の価値やふだんの学習習慣の定着が強く感じられた。
 日々の積み重ねとはそうしたものであろう。その意味で派手さはないが貴重な場面の提示といえる授業だったと思う。

 国語授業前の活動(音読・歌)で、明らかに「温度の低い」一人の男子児童がいた。他の子から浮き上がって見える印象である。しかし三十分の一のこの存在が、逆に少し安心感を与えるようにも感じた。
 国語の授業ではそれなりに意欲的だったし、次の「ロボットの授業」へ向かうとき、一番勇んで大きな声を出していったのは彼だった。
 彼への特別な働きかけはなかったが、そこにも共感があり、大きな捉え方ができていることは間違いない。

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