すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

適当とはバランスをとることなり

2010年09月16日 | 読書
 『適当論』(高田純次 ソフトバンク新書)
 
 適当という言葉にある二つの語意。
 つまり「ほどよい、ふさわしい」と「要領よい、いい加減」。
 なんとなくイメージとしては「適当」と「テキトー」だろうか。
 「いい加減」と「イイカゲン」も少し似ている気がする。(わかり難いかな)

 この新書の「適当」は「テキトー」と解釈されるものだ。
 裏表紙にもこう書かれている。

 発言の「適当さ」「無責任さ」が魅力となり、一般視聴者はもちろん、各界の著名人にもファンの多い高田純次。 

 高田純次の個性はなかなか得難い。いわゆるキャラがかぶるタレントはいないのではないか、と思う。
 常識にとらわれないトークというよりも、普通の人間が持つ文脈を混乱させる、その混乱のさせ方が意外と人間の本質をついているものだから、はじけたような笑いにつながるような気がする。

 そして、ウケようとしてこんなことを言ったりしたりするということを、カケラも見せないところが魅力だ。彼の人間性そのものをそのままにさらけ出していると感じさせる魅力だ。
 しかし、実際は計算しつくされているのだろうなあと予想する。

 一番心に残るキーワードは「人生はバランスだ」。
 バランスよく何かに取り組むということではなく、良いも悪いもバランスよく表れる、つまりプラスマイナスがゼロになるという発想。
 いいことがあれば悪いことがあり、悲惨な目にあっても次はバラ色になるものだ、そうあるべきだという信念が感じられる。
 これは人生観としては、相当強い考えだ。そういう下地があれば、逆にいつも前向きに考えられる。

 文脈の混乱と感じさせるトークも、結局彼の「バランス」のとり方を、言葉で示しているというように思う。
 一方通行の考えや思いはどうしても重くつらくなってしまう。
 建前としての常識などお構いなしに、さらっさらっと高田純次が語る言葉は見た目通りに「楽観」ということの強さを示している。

 それにしても、この本も作りがテキトーである。
 「高田純次」と大きく著者名?を出しながら、一章が和田秀樹と高田の対談、二章が和田秀樹による高田の分析、三章は記名なし(編集者?)氏による高田純次論、最後の四章わずか20ページばかりが高田の独白という構成である。

 しかし見方によっては、これもバランスがいい。適当である。

コメントを投稿