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もののはずみで買う決心

2022年10月29日 | 読書
 この本のキーワードは「物心」。普通に「ものごころ」と言えば「人情・世態などを理解する心」(広辞苑)を意味する。また「ぶっしん」と読めば、それは「物質と精神」(同)を表す。しかしそれらとは違う「『もの』じたいが持っている心」もしくは「所有者、製造者らの顔、匂いなど」と解し、このエッセイは書かれた。


『もののはずみ』(堀江敏幸  小学館文庫)


 「主としてフランスで出会った『もの』」たちが描かれている。読み手である自分とは縁遠いと思いながら読み進めたが、さすがの文筆家は落とし処が上手い。「時間について」と題された章に陶芸市のことが記されていて、不満を覚え、考え気づく「ありきたりのものを美しくする『時間』」という一節に、不変さを感じた。


 「靴屋の分別」という章も心に残る。靴屋の店先で目に留めた「古びてへたった人形」を買い求めたくて、そこに居ない老店主と電話で話し、謂れと店の変遷について聞かされる。こちらの言い値で譲りうけ、帰国後にその人形を見つめている時にふと思い出して、ある諺に辿りつく。「靴屋は靴だけ扱っていればいい




 そもそも「もののはずみ」という慣用句は「その場のなりゆき。ことの勢い」(広辞苑)の意味だ。しかし著者はそう使っていない。「『もの』たちの『はずみ』」と解し、「もの」と出会って自分の生活に引き入れ育てるというのだ。そして「『もの』のある空間に自分を生かす」。これは想像力であり、能動性の現れだ。


 何を選び、手にするかは人様々だ。考えてみると、選択はきっと個の「美的感覚」に左右されるに違いない。持ち物に無頓着であるように見えても、何かの所有で発揮される場合が多いのではないか。本のモチーフとなった「もの」の中で唯一ああ欲しいと感じたのは、懐かしい尖った形…。「宗近肥後ナイフ」である。



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