隠居…憧れる言葉だ。
落語の世界にいる「ご隠居」や水戸黄門をうらやましく思う。
そんなこともあって?こんな本を読んだ。
『隠居学』(加藤秀俊 講談社文庫)
読み終えて(いや,読み始めて少しの時点から)結論がわかる。
隠居になるには,博学でなければならない。
それは,クイズ的な雑学ではなく,世の中の様々な分野において幅広く(といってもいくつか選んで)追究した人にだけ,ゆるされる称号のように思えてくる。
もはや叶わぬ願いと知りつつ,少しでも知識をふやし「プチ隠居」程度は目指したい。そのためにも,へぇぇぇと感じた新知識やら視点などを書きつけておく。
そもそもマンネリズムというのは「マナー主義」ということである。
マンネリを打破して,なんて言ったりするが,そもそもそれはある意味マナー違反ということなのだろう。しかしたぶん歴史はそうやって作られてきた。
マナーを知る頃は,若さをなくすのも世の常か。
日本に「宗教」はない。しかし「信心」はある。およそ世界には「宗教圏」と「信心圏」があり,日本はその後者に属している。
ああこれはなるほどである。私たちが祈っているのは特定の誰かではない。まさしく得心である。
もう一つ,「ハレ」と「ケ」に関する記述が興味深かった。
「ケガレの構造」と名付けられた章では,「ケ」が「枯れる」ことを「ケガレ」と推論した説から,いろいろと話を進めている。
そこでふと思ったのは「ケジメ」という言葉。
手元の語源辞典では囲碁用語から出たとされるが,「ケ」を「締める」ことを「ケジメ」と言ってもよくないか。
つまり,日常の平凡さに仕切りをいれてみるという解釈…こんなふうに遊ぶのが道楽の世界だ。
半歩,隠居に近づいたような。
落語の世界にいる「ご隠居」や水戸黄門をうらやましく思う。
そんなこともあって?こんな本を読んだ。
『隠居学』(加藤秀俊 講談社文庫)
読み終えて(いや,読み始めて少しの時点から)結論がわかる。
隠居になるには,博学でなければならない。
それは,クイズ的な雑学ではなく,世の中の様々な分野において幅広く(といってもいくつか選んで)追究した人にだけ,ゆるされる称号のように思えてくる。
もはや叶わぬ願いと知りつつ,少しでも知識をふやし「プチ隠居」程度は目指したい。そのためにも,へぇぇぇと感じた新知識やら視点などを書きつけておく。
そもそもマンネリズムというのは「マナー主義」ということである。
マンネリを打破して,なんて言ったりするが,そもそもそれはある意味マナー違反ということなのだろう。しかしたぶん歴史はそうやって作られてきた。
マナーを知る頃は,若さをなくすのも世の常か。
日本に「宗教」はない。しかし「信心」はある。およそ世界には「宗教圏」と「信心圏」があり,日本はその後者に属している。
ああこれはなるほどである。私たちが祈っているのは特定の誰かではない。まさしく得心である。
もう一つ,「ハレ」と「ケ」に関する記述が興味深かった。
「ケガレの構造」と名付けられた章では,「ケ」が「枯れる」ことを「ケガレ」と推論した説から,いろいろと話を進めている。
そこでふと思ったのは「ケジメ」という言葉。
手元の語源辞典では囲碁用語から出たとされるが,「ケ」を「締める」ことを「ケジメ」と言ってもよくないか。
つまり,日常の平凡さに仕切りをいれてみるという解釈…こんなふうに遊ぶのが道楽の世界だ。
半歩,隠居に近づいたような。
加藤秀俊
高名な加藤先生から挨拶のコメントをいただけるとは…。
昨日、研究会へ出張する折に一冊バッグに詰め込んだ新書が、加藤先生の『なんのための日本語』でした。読み直そうと思ったのです。その偶然にも少し驚きました。
「なんのための日本語」かと問われれば、もうこれは活発な言語活動をするためと答えます。嬉しいの一言です。