すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

同じ地平に立つ自覚

2019年02月04日 | 読書
 愛読している『波』(新潮社)の連載に、ブレイディみかこが今月こんな文章を書いていた。

Volume.142
 「人の中にある意識や感情というものは、あの茂みのようにいっぺん刈ってしまえるものではない。『表出する』ということと『存在する』ということはまた別物なのだから。」

 以前も書いたようにこの連載「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」は、英国在住の著者が息子の日常を綴りながら、差別や国の現状などを鋭く突く内容である。

 今回も地域内のあるエピソードをもとに、上記のように語っているが、これは万国共通とも言えるだろう。

 個別に抱いている差別意識がある。
 その多くは昔の封建的な生活の中で、知らず知らずに刷り込まれてきている。
 時代が遷り、少しずつ歴史的なことを学びながら、そういった意識が誤りであることがわかってくる。
 がしかし、すべては消えきっていないことに、時々気づかされたりもする。


 それは身の周りや地域的なことから、国レベル、人種のことまで存在している。
 表面上は美しく温かなことを言えても、心の底に淀んでいる意識を掃うことは、なかなか難しいものだ。

 もちろんそのような事に惑わされず、隣近所から国際社会までつき合える人はいる。
 しかし、ただ見習うだけでは同じようになれるかと言えば、これまた難しいかもしれない。


 選別するような意識・感情の存在をまず認め、その折その折の出来事に照らし合わせて、落ち着いて考えてみるしか手がない。

 見渡せば、ご近所の些細な出来事から、マスコミで取り上げられる日韓の問題、テニスの広告、大相撲力士のことなど、そんな日常に溢れている。
 同じ地平に立っているなかで起きていることを自覚したい。