すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その写真集は郷愁を超える

2019年02月09日 | 読書
 ちくま文庫版で第3巻まで手に入れ、4巻を借りに図書館へ行ったら他に2冊あったのでまとめて借りてきた。収められた作品はほとんど重なっている。木村と言えば、なんといってもあまりに有名なこの写真。昨夏活躍した金足農の吉田輝星に似ていると感じた人も多いだろうが。こちらはかなり年季が入っている。



2019読了14
 『木村伊兵衛写真全集昭和時代第4巻 秋田民俗』(筑摩書房)
 『木村伊兵衛・秋田』(ニコンサロンブックス)
 『木村伊兵衛の秋田』(朝日新聞社)


 これらに収められている写真の意義は、写真史をかじった方ならご存知なのかもしれない。昭和二十年代後半、既に有名写真家だった木村が審査会のために秋田を訪れ、主催者から案内された地域を回ってから、足しげく撮影に通うようになり、後期の代表作品を作りあげた。晩年の評判はそこに集中しているという。


 ある資料に、木村は「条件がよすぎて自分があまやかされ、写真の本質が写らなくなるんだ。吹雪の中で自分の体を痛めつけ、苦しんでいくことによって、写るようになるんだ」と語ったとされている。朝日新聞社版の解説には、むのたけじが「転換するムラ・転換する写真家」と題して、その出逢いを分析している。


 むのは、木村と秋田との関わりを「偶然から出発して、しかも必然の成り行きであった」と書く。そして、報道写真への思いを抱きながら現実の創作にやや行き詰まっていた木村が、たまたま訪れた秋田で覚醒し始める様子を、次のように表現している。「悩む写真家が悩む農村へ、のめり込むように吸い付けられた


 「新旧ふたつの世代の対照」をねらったというが、実際には「去っていくもの・消えていくものにひたすら執着していく」作品が圧倒的だ。写真集をめくれば、少なくとも昭和30年代前半生まれ世代までは、今の生活と突き合わせ問いかけざるを得ない作品に出合える。単なる郷愁を超えた、生の原点を観る思いがした。


 ちなみに、自分が一番気に入ったのはこれでした。(雄物川渡し昭和38)