すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

一本取られた感じの良著

2018年06月09日 | 読書
 東京銀座に昭和30年発刊のタウン誌があるそうだ。その名は『銀座百点』。縁遠い世界だなあと思う。ホームページからも想像がつく。会員店で無料配布されていながら、お金を払って年間定期購読もできるという入手方法一つとっても、なんとなく購読層が想像できる。そこへ連載されていた文章がまとめられた。


2018読了59
 『うかんむりのこども』(吉田篤弘  新潮社)


 内容が「うかんむりのこども」つまり「」なので、自分の興味関心にどんぴしゃり!銀座とつくほどの高級感は鼻につかず、著者の探求心とウィットに富んだ文章を、なるほどなるほどと思って読んだ。特に唸ってしまったのは「」という章。ご承知のようにカラス。字としてみると「鳥」から横棒が一本足りない。


 著者はその一本足りない点を肯定し、それこそあるべき姿、世の中のトリの方が「一本多い」と言い切る。そのうえ「事の本質、本来の姿は、じつのところ、横棒を一本取り除いたところにある」との論を展開する。そして他の文字に対しても一本を取り除いた例を提示する。「」と「」、「」と「」、「」と「」…。


 これが見事だ。が紙から出来ていることを思えば、確かに本質はだ。に一本足して大きく見せようと、にする。はてにはもう一本つけてとする。横棒などのいらないものを取れば、すっきりになる。「人間」と言った時、横棒のたくさんある「」に着目して、その一本を取り除き「」にし、本質に迫った。


 字にまつわる創造的な話が続く。そして最終章「うかんむり」には見事な仕掛けが…。「漢字の達人」に逢った著者はこんな指摘をされる。「字という漢字は、うかんむりではありません」。そうだと記憶が呼びおこされた。「字」は「子へん」だった。見た目だけでは判断できない「字」とはかくも多様だと深く感じ入った。