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桜と絵本と豆乳と

究極の健康オタク本

2014年07月16日 | 読書
 「2014読了」68冊目 ★★

 『医者に殺されない47の心得』(近藤 誠 アスコム)


 書店で並べられている背表紙をみたとき、何度か書評等で紹介があったことを思い出した。
 その中身は覚えていないが、ずいぶんと売れているらしい。
 帯には「おかげさまで、100万部突破!!」とある。

 健康法オタクを自称する者にとっては、もしかしたら究極の本になるかもしれない。

 医者自身が医院や病院へ行くな、と言う。
 こういう構図は、どの職業にもあるのかもしれない。
 内実を知る者が告発気味に、その実態、現状を知らせ、その利用者に警戒を呼び掛ける形だ。

 勘ぐれば、売名行為ではないか、話題づくりの手法ではないか、とも受け取ることができる。

 しかし、事は「生き死に」の問題である。そんな単純な動機から出発した理論が世間の目を欺くことができるのだろうか。

 その判断はともかく、100万部以上売れていることは、とにかく医者不信・病院不信を多少でも抱えている人が多いということか。

 私自身も、主たる購読層であろう50代以上、そして月に一度定期通院している身だが、そんなに医者不信に陥っているわけではない。

 ただ、この本で多くのページ数が割かれているガン治療の現実を見聞きして感じることはある。
 体を何本もの管につながれたままで、最期を迎えることは、誰しもが遠ざけたいと思っていることだろう。
 なぜ、そうなってしまうのか。そこにはやはり構造的な問題があることに違いない。
 ガンのこと、薬のこと、診断にかかわること…著者の書いている医学に関わる知識は、もしかしたらその業種では常識であることなのかもしれない(口に出す人が少ないだけで)。
 しかし、それが対患者への言葉となったときには、大きな開きが出てくるようだ。

 「風邪を治す薬はない」

 何度となく聞いた。では、その後に医者が続ける言葉は…。
 そして、その判断を受け止める自分は、どう答えたか。

 これは、身体観が問われている。
 それは生きるための価値観の大きな要素だ。
 そして、この身体をどうしようかと考えたとき、生活や仕事や家庭…それぞれと大きく関わるのだなと、当然のことを思う。

 例えば、この本では本物以外のガン(これは中身を読んで)は「ほおっておく」を推奨する。
 そんなことが現実的に決断できるものなのか…

 そういえば、ふと昨年ある研修会でお話を聞いた人のガン克服の体験談が思い出された。
 テーマとは直接関わりのないご自身の話題だったが、今思い返すと、なんだかこの本に書いてあることと共通項があるような気がしてならない。

 とにかく、危険なことが書いていて、読んで納得してしまうこともまた危険な(と周囲からは思われる)本であることは確かであり、それだけは言える。