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小骨どころではないか

2014年07月14日 | 雑記帳
 ちょうど一週間前の地方紙コラムだが、小骨のように引っかかっている記事がある。「飲酒運転と教員の現状」と題していい文章だと思う。一言でその構えをいうと「同情」か。しかし、そんなことを地方紙とはいえ一面に書いてどうすると思う。そこに到るまで、マスコミとして見逃してきた責任の自覚が全くない。


 土曜日、結婚披露宴帰りの車中である方が宣う。「長渕剛の歌は好きだが、あいつの肉体はニセものだ。俺たちのように仕事で鍛えた身体ではない。ジムで作り上げられたものだ。」妙に納得したが、小骨が残っている。たぶん、今の長渕には歌うためにあの身体が必要になっている。それは逞しい楽器としての身体。


 教師には敏感さが必要だ。これはずうっと思ってきた。もちろん、その程度の敏感さを超越している、いい教師もいる。しかし凡人教師は、子どもや親の姿、表情、気持ちをとらえるための感覚を研ぎ澄まさなくてはいけない。ただし、反応をどうするかは別問題。敏感さはそれを外に表出することとイコールではない。


 サッカーW杯終了。大会前の興味は、日本の初戦敗北で半分に下がり、グループ敗退でほとんど皆無になった。醒めている自分の「日本は前評判が高いときは駄目」という予想はあたった。それにしても、と思うのは8年前は「フォワードを育てろ」批判であり、今は「守備でしょ」が目立つ。単なる結果論の吹聴か。



 机上に置かれた一枚のチラシを見て驚いた。「道徳教育×『HERO』」。ネットの話題で知ってはいたが,文科省がそれを配るとはねえ…。小骨などとは言っていられないかもしれない。ポスターもあり校内掲示せよというわけか。そこに「道徳教育より健康教育。9時には寝なさい」と付け加えたらいかがなものか。