「がん看護専門看護師」という名称が番組上のものかどうか定かではないが、明らかにその人の仕事の内容を伝えている。
つまり、死を待つ人々の看護。
ホスピスを扱った本なども少し読んだことがあるし、ある程度の想像はできていたが、今回の映像はみせるものがあったと思う。
心に響いた場面はいくつもある。
特に自宅へ帰ることに不安を覚える患者との対話に、その真髄をみた気がする。
教師が授業を語るときもよく「ひき出す」という言い方をするし、カウンセリングの場合などはそれこそが中心となるのだろう。
しかし、田村のそれは実に根気よく、しかも周到に行われている。(周到という言い方は失礼なニュアンスなのかもしれないが、聴くことの力を十分に生かしているという意味だ)
山田ズーニーのこんな文章がある。
相手の想いを理解する上で重要なものは何か。それは、相手がいちばん言いたいことを汲み取る要約力です。
ガン患者がいちばん言いたいことは何か。
生の証しであろう。田村の言葉を借りれば「生ききった」という思いである。
それはまた「希望」という言葉で番組の中で語られた。どんな患者にも希望がある。
田村は、希望への要約力を、私に見せつけてくれた。
つまり、死を待つ人々の看護。
ホスピスを扱った本なども少し読んだことがあるし、ある程度の想像はできていたが、今回の映像はみせるものがあったと思う。
心に響いた場面はいくつもある。
特に自宅へ帰ることに不安を覚える患者との対話に、その真髄をみた気がする。
教師が授業を語るときもよく「ひき出す」という言い方をするし、カウンセリングの場合などはそれこそが中心となるのだろう。
しかし、田村のそれは実に根気よく、しかも周到に行われている。(周到という言い方は失礼なニュアンスなのかもしれないが、聴くことの力を十分に生かしているという意味だ)
山田ズーニーのこんな文章がある。
相手の想いを理解する上で重要なものは何か。それは、相手がいちばん言いたいことを汲み取る要約力です。
ガン患者がいちばん言いたいことは何か。
生の証しであろう。田村の言葉を借りれば「生ききった」という思いである。
それはまた「希望」という言葉で番組の中で語られた。どんな患者にも希望がある。
田村は、希望への要約力を、私に見せつけてくれた。