すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

稽古の時間の問題

2008年03月11日 | 雑記帳
 休日、BSで長時間にわたって立川談志の特集をやっていた。談志ファンではないが、その「毒」が妙に魅力的に感ずるときもある。
 昨年秋に視た番組がその中で取り上げられていて、その折も少し書いたが、またぞろ見入ってしまった。
 あの審査の場面は何度見ても凄い。
 特に、談志がある前座に問い、指示する場面。正確ではないがこんなやりとりである。

「いくつ、落語が話せる」
 「50は話せます」
「じゃあ、その50の演目を言ってみろ」
 「○○、△△、□□、◇◇、…」
「その◇◇を話してみろ」
 「・・・おいっ、~~」

 職業柄?すぐにこれを教員の場に当てはめるとどうなるかと思ってしまう。

「いくつ、漢字指導の方法を知っている」
 「15くらいは知っています」
「じゃあ、その15を言ってみろ」
 「空書きによる指導、口唱法、あわせ漢字、画数を足す…」
「その画数を足すっていうのをやってみろ」
 「はい、まず黒板に『口』という字を十個書きます~~」

 こんなやりとりは到底できないと思うが、どこか憧れを持ってしまう。
 一方的な表現の場ではないし、対象によって大きく方法や言葉遣いが違う、何より莫大な内容がある…等々
 様々な条件はあるのだが、極力限定した形であってもなかなか実現できないでいるではないか。

 現実として、何が足りないのか。
 落語家との違いは何か。
 それは、言うまでもなく「稽古」である。
 稽古の時間をどううみ出すか、それが問題なのである。