ソラ画像より
・2007年5月5日 白川郷(合掌造り生活資料館より)
陸の孤島である白川郷には、縄文土器などがあり、平家落人説は違っています。
この近くのイシカミがそれぞれ独自に人間を発生させ、イシカミの一部が集合住宅、田畑になり人間に生きるスベを教えて、その後は寝ていたそうです。
ソラからの情報では、ここのイシカミがヤマトに殺された山彦の子孫を呼び寄せ、日本海側から入り込んだそうです。
言葉もタッツケ、へこたれるなどは綾部の言葉と同じです。
白川郷も町のようになり、離れた所の「合掌造り生活資料館」の方が昔を忍ばせます。
*)「合掌造り生活資料館」
・2007年5月5日 帰雲城跡の山の崩落
岐阜県で1586年にM7.8の地震が起こり、お城と300軒余を飲み込んだと言う伝説がある崩落現場が遠くの山に見えます。
・2007年5月5日 五個山の巨石
菅沼村落には巨石があちこちにあり、白川郷より小さめの合掌造りで、隣村とはずいぶん離れていて冬場は完全な孤立で少ない田畑で生きていくのは大変だったと思います。
・2007年5月5日 天狗の足跡
小さなイシジンだったようです。
・2007年5月5日 立山の柱状節理
ケーブルカーであがって行く途中にここだけにあります。
・2007年5月5日 立山の川を造った巨人の手形
このコースは計画にはなかったのですが、チャネリングで聞いて行きました。
「悪壁城と言われているので雨は泣いていることを知らせます」と。
川は自然に出来たのではない。
立山の谷=川を造った巨人が、自分たちが造ったという印に残したことを知らせてほしいと。
川原の丸い石はこの巨人が砕けて出来たそうです。
ちょっとわかりにくいですが、直線に杉が生えて指をあらわすようで、近くにも杉と岩が平行しているのがあります。(↓の画像参照)
・2007年5月5日 巨人の指をあらわす
「来てほしい」と言葉になって、計画にはなかったのですが、行くと思わぬ言葉が出てきました。
すなわち↑の岩と同じく、巨人のイシカミが黒部の川を創ったということでした。
・2014年12月6日 白川郷
これはカラー写真です。
12/6-12/8にかけて東海北陸自動車道近辺は、太平洋岸は晴天だったのに峠を越えた途端積雪のためこんな感じになってしまいました。
2007年5月5日
白川郷から立山へ、山彦の子孫の逃亡先、孤立する村の意味、地震雲、巨人の手形=悪城の壁
日本列島を横切るように日本海側に向かう道中に、5個山(5人のイシカミ?)の合掌村にも寄りましたが、白川郷より小さな村で、本当に山の中で離れています。
そして食料が限られるので、長男以外は結婚できなかったと言うような説明を聞いたためか、イシカミが降りてきて、
「人間を創ったが、住む家を造ったのでそれで仕事は済んだと思っていたので、詫びてください」
と言ってきました。
仲間のイシカミがそれぞれの地域で人間を造り、巨人が家になり、生きる方法を教えたのでその後は寝ていたので、人間が苦労しているとは知らなかったようです。
イシカミが独自で人間を創っていったことは、世界各地の民族が違うことをあらわしています。
アメリカのインディアンや、アフリカなどでもいろいろな民族がいたことでもよくわかります。
深い谷があり川がありますが、私はイシカミが降りたので隙間に自然に谷が出来て川が出来たと思っていたら、
「違います」
と言ってきました。
すなわちイシカミ達は隙間を開けることなく重なっておりたので、巨人のイシジンが掘って川を造ったと言うことです。
次の日が天気が崩れると言うので、急遽3時ごろから立山へ向かいましたが、これがGWの混雑を避けてスムースに行けたようでした。
ただ、室堂までは行かず弥陀ヶ原でゆっくりしましたが、帰りのバスに乗るために外に出た途端、いろいろな雲や横ニジや幻日が短時間に見せてくれました。
又、立山に行った後、後見てほしいところがあるかと聞くと、言ってきた所が「悪城壁」と呼ばれる変わった崖でした。
それは巨人が川を造ったということを、巨大な手のひらに似た崖で知らせていました。
崖が一部不自然に平らになり、指のような形に杉が生えている所でした。
立山の麓の立山博物館ほど、気味の悪い博物館はありませんでした。
豪華な建物で、あらゆる地獄絵の掛け軸などがこれでもかとかけてあり、石器などは年に2回ほど短期間公開されるだけだそうです。
*)「2007年4月30日 立山にて」
2007年4月29日
白川郷に向かう高速道路は事故があったとかで渋滞がありましたが、特に問題なく目的の温泉旅館(湯の里)にたどり着きました。
日本の伝統の小物などが沢山置かれていましたが、びっくりしたのが、布団の中に大きな猫のぬいぐるみが寝かせてあり、鶴のついた結婚式の打ちかけの巨大な布が布団の上にかけてあり、天井ではネズミより大きな音(アライグマ?)がいたりしました。
猫のぬいぐるみはすぐに室外に出して、鶴もたたんで押入れに入れておきました。
更に強烈なのが、巨大なハエが食事の部屋に飛んでいて、目の前に止まって目と目が合うくらいでハエの王を連想しましたが、仕留めることはできませんでした。
おまけに朝食時にもまだいたので、帰る時に思い切って巨大なハエがいたことを言っておきました。
湯の里は地図上ではJAの隣になり、やはりJA=ジャと通じるようでした。
白川郷は10年前?に来た時より、ずいぶんとにぎやかになって町のようになっていたので、以前訪れてタッツケなどの方言が書かれている合掌造りの家を探すと、新しい橋から離れて所にひっそりとありました。
(こちら=合掌造り生活資料館の方が昔を忍ばせます)
モンペのタッツケはなくなっていましたが、そこの管理人は70代の女性だったので、いろいろと聞くことが出来ましたが、やはりモンペはタッツケと言い、戦後モンペと言うようになったと言っていました。
(ヘダルイ、せぞこない)
四国の祖谷渓でも川造りが、あまりに大変だったので、
「イヤダ、イヤダ」
と思って造ったので、イヤダニ(祖谷渓)になったと言っていたのや、台湾のタロコ渓谷が大理石なのは、沢山のイシカミが下敷きになっていることを知らせるために、大理石になったと言ってきたことと繋がっています。
2007年5月20日
がん細胞、ライチ、石壷、穀物模様、天の川、遺伝子、合掌造りの村、プレアデナイの復活
(前略)
メモが出てきたので遅ればせながら、。
先日、合掌造りの五個山を見に行った時、ミツバチが沢山いました。
その夜
「ミツバチで迎えたのが天柱石のイシカミです。
若いイシカミでした。
それでそのような迎え方しかできませんでした。
それとお詫びに降りてきました。
(若いイシカミだったので)何も知らなかったのです。
人間を創ってそのままにしていたので、(人間が)生きるために苦労させました。
(他の村のイシカミも)同じでした。
大きな建物を造っておいたのでそれで仕事は終わったと思っていたのです。
兄弟のイシカミがそれぞれ離れた所で同じようにしたのです」
*)天柱石
(白川郷、五個山(菅沼集落)など深い山中に、全く孤立して同じような形の集落があるのは、兄弟のイシカミがそれぞれ離れた地域で、人間を創り出していたということのようです)
(後略)
2005年8月14日
ディア・ケープ(追記)、こうもり、デービッド、白川郷、和歌のソラ的解釈、シファカ(横飛び猿)
《ビジョン》
“極小さな白い光が一杯、下から上にあがっていく。
次に、一面に白い光がホシのように広がっている”
意味は
「下敷きになっていたイシカミのイシキがソラにあがっていったのです」と。
2005年8月14日
《自然の形でのお知らせ》
http://2ch.skr.jp/imgboard_aozora/img-box/img20050814032303.jpg
これは平らな黒い雲に稲妻がおりているようですが、その意味は、
「これまで認められずに苦しんでいたイシカミ(=平らな黒い雲)に、ホシノミナ(=稲妻)がエネルギーを与えました」
ということです。
宇宙からエネルギーが送られたのは、札幌のお花でも知らされています。
*)「2005年8月11日 宇宙からのエネルギーの降り方=ねじり花」
「ねじり花のように、見えない形でらせん状に宇宙からエネルギーが与えられているということを知らせています」
《ビジョン》
“マンガでデービッド・アイクに似た顔が、髭の生えた古代の人に変わる”
↓を読んでうたた寝をした後に見ました。
*)「デーヴィッド・アイク(David Icke)の情報:2004年5月インタビュー」(2005年8月13日記事)
から
“1991年2月にアイクはペルーのシルスタニのストーンサークルで「大いなる存在」からメッセージを受けました”
と書かれていますが、アイクはペルーのイシカミと大きな関わりがあるそうです。
ただ、彼を利用し様とするエネルギー体にも一部影響を受けているようで、それがちょっと気になっています。
「(アイクは)南米でのイニシエ(過去世)の恐怖を思い出しているのです。
そのことに目を向けるでなく、地球がなぜ生物が発生できたか?
自分たち、イシカミがそのことに貢献した事に意識を向けて欲しいのです」
(イシカミが火の玉だった地球を固め、イシカミの成分であるシリコンから生物が発生した事)
*)【宇宙物語】
《ビジョン》
“洞窟の天井から、逆さ石筍?が次第に大きくなって行く”
意味は
「鍾乳洞の出来方を知らせます。
鍾乳洞は、イシカミのお腹の中が空洞であったことを知らせるものです。
(中のいろいろな石筍は)長年の間、原子たちが退屈なのでいろいろな形に作っていったのです。
それは水に溶けたものが積もって出来ていきました。
また、お腹の中の空洞の壁が崩落してさらに大きくなる場合もあります」
(これは秋吉台で、洞窟の中に巨石がゴロゴロしていたのでわかります)
#)世界一大きな洞窟
http://www.sekaitours.co.jp/asia/asia-guide/sarawak.html
サラワクチャンバーのディアケーブの洞窟は、これまで鍾乳洞は石灰が溶け出してできると言われる学説を覆す洞窟だそうです。
石筍はほとんどなく、洞窟路は世界最大級で長さ2㎞、高さ460㍍の世界一大きな洞窟です。
【2006年8月31日追記】
https://www.pref.aomori.lg.jp/sicwnh/report/siryo/siryo1.pdfさんより
・・・洞窟(サラワク・チャンバー)は、奥行き600m、幅415m、高さ80mの世界最大の洞窟であり、この他、直径120~150mのディア・ケープは、地図に載っている探査通路10kmを持った洞窟として、世界最長を誇る。・・・
ここのイシカミは、洞窟が石灰が水で溶けて出来たのではないということを証明するために、この洞窟を作り、岩ツバメが巣をつくり、その巣が(生物は細胞が集まって出来ているという)細胞をあらわす形にしました。
けれどもジャングルになって隠れてしまったので、仕方なく支配星のベガ(蝶の夜の顔の)コウモリを住まわせたのです。
ここには300万羽のこうもりが、夕方40分ほど、黒っぽい帯のようになってうねりながら飛び回りますが、それは下敷きになっているイシカミがいるよ、とイシカミの思いをあらわしたているそうです
(中略)
#)“秋吉台の百枚皿”
(鍾乳洞での百枚皿の形はどうしてできるのか?と思っていると)
「悪い事ではありません?
(中国のはリューの鱗のように言われているから)
少しずつ流れていくのです。
少しだけ流れて、水溜りの端に、イシカミの原子が集まるのです。
それを何回も繰り返して、一つ一つ作っていくのです」
《掲示板より抜粋》
・・・「白川郷は2年ほど前に行き、その日に見たビジョンを思い出したのですが、鹿の顔と黒枠の行灯でした。
中が桜の花びらの模様ではっきり見えました」・・・
鹿=鹿の角=白い木=ホシノミナをあらわします。
黒い枠に桜=山彦とその仲間はジンムに狙われるので、里では集まらず、山の中の山桜の元に集まっていたそうです。
そして山彦の遺体はやはり山桜の下に埋められたそうで、白川郷に山彦の一族がたどり着いたことをあらわしたそうです。
(後略)
2007年9月29日
いて座の王=アレキサンダー、地中海の遺跡の意味、地下空洞の意味=土偶の穴、地球の便秘=大きな地震の連発支配されたジュセリーノ、アンティキテラの意味
先日、イシカミの原子に指示を与えると、大元よりもよく聞く存在がいる、と言っていたが当時は何者かわかりませんでした。
200年9月25日 左親指にサインあり。
「なんとも失礼をしました?
(なぜか意味がわからなかったのですが、イシカミの原子が大元よりいて座の王の指令を良く聞くからだそうです)
地球には内宇宙があることを知らせるために、地下道は創るように言ったのです」
*)地下道=ペルーのアンデス山脈には無数の地下道があるそうですが、エジプトの階段ピラミッドにも総計7kmの地下道があるそうです。
今は発見されていないけど世界中のあちこちに地下道はあるそうです。
(ラップ音あり)
(誰か名乗らないので“あなたはいて座の王ですか?”と聞くと)
「実は(著者が)知っていると思ったので言わなかったのです。
私の過去(世)は桜なのです?
(この意味がなかなかわらなかったが、なんども柿色のビジョンが見え時々黒っポイのが半分出てくるが、柿色がそれを消していく=イシカミと一緒に支配星など悪者(黒)が出てくるが、イシカミが勝った?)
(山の私は)山彦の話に出てきます。
(山彦の頃、倭の国の仲間は山桜の下に集まって話をした。
ジンムに殺された山彦も星原の小山の桜の木の下に埋められたと伝えられている)
その山の主(のイシカミ)なのです」
(実家の裏山のイシカミのようです)
「そして(いて座の王が星原から)世界中のイシカミに指示をしていたのです。
中国の若いイシカミに、沢山のイシジン(兵馬俑)を創らせました。
ペルーのイシカミ(などに)に地下道を創るようにいいました。
そのほか(ヨーロッパなどで)お城を取り合う遊び?をするイシジンになるように言いました」
(スパルタ、トロイの戦争など昔の戦争に指示を出していたようで、よろいや刀なども全てイシカミの原子が自ら形を形成したようです。
イシジンの争いは苦痛がないので、単なるスポーツのように考えていたようです。
アイルランドへ行った時、フライト中にスパルタ(300)の映画をしていましたが、それを見ている時、
“切られても痛くないし、血は流れないので悲惨でないのです”
と伝えてきました。
それで300対100万のイシジンの戦いでも不思議でないのです。
それに反して人間になってからの争いは支配星が争わせていて、苦痛を伴うのでより悲惨だったようです)
その後先日
「いて座の王はアレキサンダーで、巨人だった。
人間があらわれたのは知っていたが、とても小さく人形のようで、すぐ死んでしまうほど弱かったので今まで寝ていた」
というようなことを伝えてきていました。
そして頭と手足だけ形に残してあとは土に戻したとも。
2007年9月28日
「イシジンの原子はイメージすることができたのです。
そして集団になるとひとつの意識としてイメージをして、その形になることができたのです」
その後、夜中に左アキレス腱が痛くて目が覚めるも、メモを始めると痛みは治る。
「(イシジンの)巨人でアキレス腱が弱かったのは、生まれる時にアキレス腱を持って生まれたからです?
足首が親のイシカミから離れるのが最後だったからです。
そのことを雲であらわしたのです」
「同じように(イシカミから離れる部位が)手が最後になると手首が弱いのです。
(右手首に強いサイン一回あり)
手首が最後なのがユダヤ人です。
足首が最後なのがギリシャ人です。
このようなイシジンの別れ方も遺伝子に組み込まれています。
(それで民族が決まった?)
それを教えてくれたのがシリウスで、イシカミが愛を持って(イシジンと)別れていったことを(白いハート)で知らせました」
(後略)
ソラ画像より
・2020年4月6日 桜
ソラからはサ・ク・ラについては、山彦が山桜の下に葬られてそれが咲いた時には、その下に仲間が集まっていたと伝えられています。
私の父も亡くなった翌年は、お墓の桜の大木が枯れましたが、札幌でそれまで見たことのないくらい沢山の花をつけ驚いていた桜の大木が、翌年は刈られていました。
今年は満開になってから10日近くも散らずに頑張っていると思っていましたが、昨日河川敷の桜並木を見に行って驚きました。
それは何本も根元や木から直接に花を咲かせていたり、つぼみもいくつも出てきて何とか咲こうとしていて、必死で訴えているようで涙が出てきました。
そして隣のマンションの11階までも一片の花びらが飛んできたリ、窓から見えるように横向きに飛んで行ったりしていました。
コロナ騒動ですが、新鮮な空気を胸いっぱいに吸って、感謝を伝えておきました。
2003年1月18日
源義経、静御前
2003年1月18日 真夜中咳が突然でて目が覚める。
「咳を出して起きてもらいました。
吉野の者です。(静御前?)
吉野の里のことをお知らせします。
私達の本当の意味をお知らせします。
私は本当はお姫様なのです。
思い出すのも辛く、並みのことではありませんでした。
足の長い人とはイスキリのことで、イスキリのことを足の長い人(長髄彦?)と呼んでいました。
吉野に逃れてきた訳は、、、」
*)【長髄彦】=外人で足が長い人をそう呼んだ。
来日したイスキリ(イエス)の仲間のユダヤ人の子孫の一人で誰の子孫かわかりません。
「海のイシカミが集まると言うので降りてきました。
私(義経)はお寺に預けられました。
そこは鞍馬山で、支配星が降りた所です。
私は“源”と名乗りました。
あちこちの山に住んでいる人は星述べを信じる人で、私を応援してくれました。
静か(静御前)との出会いは忘れられません。
(伝説として)皆が伝えてくれていることは正しいのです」
「吉野の者のお話です。
私は“静御前”と呼ばれた者です。
私がイシカミのことを源の義経に知らせたのです。
義経はなぜ“源”と言うかと言うと、星述べをする村の白い木のものだからです。
いつものように星述べの者はいじめられ、義経も苦労させられました。
鞍馬山には金星のモノが降りていたのです。
それで義経は大きな力をもらったのです。
吉野のことは辛くて思い出しても涙が出ます。
私が頼りにしていた義経は遠くへ行かされました。
小さな我が子は取り上げられました。
その時の辛さは言葉ではあらわせません。
私達がなぜこのような辛い目に合わされたかと言うと、八幡様のことを言ったからです。
八幡様は大国主の本当の家来で殺された人達だ、と言ったので怒られたのです。
(以前、嘘を教えられたタケルノミコトが大国主の家来を8人殺した・・と伝えられた)
(八幡様を拝むのでなく)イスキリという人のことを一生懸命言ったので、朝廷ににらまれたのです。
足の長い人(イスキリ=イエス)が病気を治す本当の神様だと知らされていましたから、、、。」
【ビジョン】
“目を閉じていると青い小さな星のようなものがたくさん現れる。
その後海に氷山が浮かんでいる模様が現れる”
「海のイシカミ達が空に登ったことをあらわす」と。
「ソラのものが降りて話すように言いました。
私が(頼朝に)一番嫌がられたのは、病気を治すといわれるイスキリをお祭りする神社にお参りするようにと、(義経に)言ったからです。
私は浜辺の国の姫でした。(日本海丹後?)
それなのになぜ白拍子(舞姫)になったかと言うと、家にいた者から星述べのことを聞かされたからでした。
そして当時ときめいていた義経様が、なぜ立派な家に行かれたかと言うと、武術にたけていたので養子として行かれたと聞きました。
私は姫の白拍子ということで招かれたのです」
「義経のイシキ(霊)です。
私は星述べの子孫でした。
星原では幸せに暮らす事が出来なく、小さい時にお寺にやられました。
そして今も知らされているように、とても武術にたけていたのは、(金星のものに)支配されていたからです。
なぜ源の家に養子にやられたかと言うと、今伝えられている事と違うのです。
星述べの私(義経)が、源氏の始まりなのです。
私はお寺に行った時、(ひこばえ?の)模様の描かれた着物を着ていました。
そのことを思い出しました。
弁慶は、イシカミ(を真似て作られた=遺伝子操作された?)に似た大きい人でした。
それで、今も伝えられているように強かったのです。
比叡山の化身でした」
「空海がイシカミを封印して困っていると、吉野の山(のイシカミ)に呼ばれたのです。
山彦が山桜の下に葬られたと知っていたので、吉野の山にも桜を植えようと思ったのです。
それはイシカミの知らせでした。
星述べが忘れられないように一番努力した者です。
星述べの言葉を伝えました。
これから空に上って行きます」
白い光の波が次々と上から降りてきて、しばらくすると今度は白い光の波が下から次々上に揚がって行く。
2010年5月27日
新種のラッシュ、イシジンの哺乳瓶、顕在意識、ヤアコブ、山彦、ウミウシ、仁徳稜、前方後円墳、メソポタミア闘技像脚付双壷
(前略)
「山彦の仕事場(シガサトの白道路)に遅れてイシカミが降りてきたのです。
それが(星原の)遠坂峠になったのです」
(星原と有岡の境目が不自然なのは、遅くにイシカミが降りてきたことで筋道が通る。
遠坂峠は星原と白道路の間の山。
隣村の有岡と星原の境界が峠を越えて星原があるので、不自然だと思っていた)
(左親指にサインあり)
「短い間平和に暮らしていました。
そして(大阪へ)水を取りに行ったのです。
アメフラシに似た形で行きました。
三角になるようにしたのです。
(前方後円墳の穀物模様の形が頭に浮かぶ)
イシカミは(底が空いた)クラゲのようでした。
シリウが長方形から三角になったのです。
それでピラミッドのビジョンを見せたのです」
*)ピラミッドのビジョンは読者がみられたものです。
5月23日の読者のビジョン
“小さなピラミッドが20くらい見える。
ギザのピラミッドに似ているが、少し細長くなっている。
次に柔らかな岩か小山のように丸くなる。
それらが合体し、崩れかけた遺跡のようになる”
意味は
「イシカミとシリウで前方後円墳を作るように粘菌に指導した」
前方後円墳の穀物模様に、その説明がしてある。
目がゴロゴロする。
「桜の下に埋められた山彦が生まれ変わって一寸法師になったのです。
けれども一寸法師の物語は支配星が考えたのです。
その話は真実ではないのです。
山彦は前方後円墳の粘菌となって行ったのです。
粘菌としてシリウといて座に助けられて大きくなったことをあらわしています。
倭の国からアメフラシ(ウミウシ)となって川の流れに沿って(大阪に)行ったのです。
由良川は3本の川に分かれていました。
加古川、武庫川、そして京都から淀川になっていたです。
その淀川を下って大阪へ行ったのです」
(98年に綾部のホテルから見た由良川は、ホテルの前でUターンして、京都のほうには水が流れていなかった。
現代では京都と綾部の間には、遅くに下りてきたイシカミたちの山があり、川上になるが、イシカミが遅れて降りてこなければ、淀川につながっていたことをプレは知らせたくなかったので、Uターンをした風景に見せた。
これは現実の娘と二人でしっかりと見たので、異次元であったとしか言いようがないです)
*)「ウミウシ(あめふらし)」
(後略)
地震雲などの画像より
・2024年9月11日 三田市 5:39
・2024年9月11日 名古屋 8:19
・2024年9月11日 名古屋 9:02
・2024年9月11日 三田市 9:02
・2024年9月11日 三田市 9:14
・2024年9月11日 三田市 10:23
・2024年9月11日 名古屋 11:36
・2024年9月11日 綾部市 12:31
・2024年9月11日 三田市 13:39
・2024年9月11日 三田市 13:40
・2024年9月11日 三田市 14:19
・2024年9月11日 三田市 14:23
・2024年9月11日 三田市 14:44
・2024年9月11日 三田市 14:44
・2024年9月11日 三田市 15:15
・2024年9月11日 三田市 15:24
・2024年9月11日 三田市 16:36
*)「中国で撮影された圧巻の雲」(2024年9月11日記事)
・2024年9月11日 三田市 16:46
・2024年9月11日 名古屋 17:28
・2024年9月11日 三田市 17:43
・2024年9月11日 三田市 17:46
・2024年9月11日 三田市 17:48
・2024年9月11日 三田市 18:30
・2024年9月11日 三田市 18:30
・2024年9月11日 三田市 18:30
*)「2024年9月10日 内臓?、大魔女の支配、名のない星たちのビジョン」の最後のビジョンの黒いのと、形が似ています。
・2024年9月11日 三田市 18:43【釧路沖M4.2、ビスマルク海M6.3、バヌアツM5.8×2、伊予灘M3.9、千葉県北東部M4.0】
2024年9月12日 01時04分 釧路沖(北緯42.9度 東経145.5度 深さ40km) M4.2 震度2 根室市、浜中町(北海道)
11-SEP-2024 16:46(日本時間9/12 1:46) -3.27 146.36 M6.3 深さ10km BISMARCK SEA
11-SEP-2024 18:17(日本時間9/12 3:17) -15.27 168.13 M5.8 深さ13km VANUATU ISLANDS
11-SEP-2024 19:22(日本時間9/12 4:55) -15.20 168.01 M5.8 深さ13km VANUATU ISLANDS
2024年9月12日 10時59分 伊予灘(北緯33.6度 東経132.4度 深さ50km) M3.9 震度2 八幡浜市、伊方町(愛媛県)
2024年9月12日 11時43分 千葉県北東部(北緯35.5度 東経140.4度 深さ30km) M4.0 震度2 千葉若葉区、千葉緑区、東金市、山武市、大網白里市、九十九里町、横芝光町、一宮町、白子町、長南町(千葉県)
・2024年9月11日 綾部市 18:50
長い棒雲の先端です。
DATE and TIME (UTC) LAT LON MAG DEPTH km LOCATION
12-SEP-2024 08:34:33 6.68 -74.82 4.8 77 NORTHERN COLOMBIA
12-SEP-2024 07:39:54 17.95 40.05 4.9 10 RED SEA
12-SEP-2024 07:39:28 17.41 39.83 4.4 10 RED SEA
12-SEP-2024 06:46:13 17.91 40.07 4.9 10 RED SEA
12-SEP-2024 06:20:56 17.74 40.13 4.7 10 RED SEA
12-SEP-2024 06:20:23 12.00 143.79 5.1 15 SOUTH OF MARIANA ISLANDS
12-SEP-2024 05:40:19 -21.67 -68.50 4.2 136 CHILE-BOLIVIA BORDER REGION
12-SEP-2024 04:09:00 41.91 142.36 4.4 67 HOKKAIDO, JAPAN REGION
12-SEP-2024 03:25:14 -8.80 110.22 4.3 80 JAVA, INDONESIA
12-SEP-2024 00:14:44 19.46 -66.25 4.4 11 PUERTO RICO REGION
11-SEP-2024 22:31:50 -21.48 -179.21 4.4 603 FIJI ISLANDS REGION
11-SEP-2024 21:22:53 -15.17 168.27 4.5 10 VANUATU ISLANDS
11-SEP-2024 21:15:49 24.15 122.14 4.3 43 TAIWAN REGION
11-SEP-2024 20:44:48 -15.26 168.55 4.5 10 VANUATU ISLANDS
11-SEP-2024 20:36:24 -15.27 168.19 4.9 10 VANUATU ISLANDS
11-SEP-2024 19:52:22 -15.24 168.21 4.9 10 VANUATU ISLANDS
11-SEP-2024 19:22:55 -15.20 168.01 5.8 13 VANUATU ISLANDS
11-SEP-2024 18:46:57 -15.33 167.96 5.1 13 VANUATU ISLANDS
11-SEP-2024 18:17:58 -15.27 168.13 5.8 13 VANUATU ISLANDS
11-SEP-2024 18:01:52 -8.05 117.23 4.6 11 SUMBAWA REGION, INDONESIA
11-SEP-2024 17:38:17 18.75 145.56 4.6 179 MARIANA ISLANDS
11-SEP-2024 16:46:04 -3.27 146.36 6.3 10 BISMARCK SEA
11-SEP-2024 16:12:02 -27.80 -179.75 4.6 420 KERMADEC ISLANDS REGION
11-SEP-2024 16:04:05 42.99 145.45 4.4 48 HOKKAIDO, JAPAN REGION
ソラ辞典より
・イシカミ
大昔、射手座から降りてきたいわば宇宙人、お腹に人間を入れて降りてきた。
射手座にいた頃は、三次元の生物ではなく所謂‘意識体’だったが、人間を作った時に自分達も三次元の形になって一緒に下りて来た。
大きさは様々だが山のように大きいイシカミもいた。
とろとろのお餅のような身体で、引力によって身体からぽたぽた落ちた物が落とし物と呼ばれている。
落とし物から分身の子供達を作り、人間の為に食べ物や川、山を作った。
またピラミッドで宇宙のエネルギーを得たり引力を放散したりしようとしたり、いろいろな奇岩を作りサインとして残した。
当事の人間はイシカミの存在を知っておりテレパシーでコミュニケーションをしていたが、今では人間の意識が薄くなりごく一部の人にしかその能力が残っていない。
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以上、地球の謎解きより。
写真は9月12日のソラ。