ソラの記録

このブログは「地球の謎解き」(https://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

ソラの古墳と遺跡横穴、水道橋、土坑型遺跡、配石遺跡、ツチジン、イシジン、イシカミはクラゲや粘菌のように増殖する、パレスチナ人=ナザレ人?

2024年08月02日 23時59分55秒 | 「地球の謎解き」の情報

皆様からのお便り+情報まとめより
2024年7月5日
【ソラの古墳と遺跡横穴】製作途中

ソラから知らされた古墳の謎の答えはあまりに多くてまとめることにしました。
皆様のご協力をよろしくお願いします。

洞窟、横穴、土坑、配石遺構、ストーンサークル、石室、ピラミッド、地下遺跡、石箱、立石、石建築、何かを知らせている石、などを分けてまとめてみようと思っています。
以下はザーと取り上げただけです。

・・・・・・・・・・・・・

1998年から宇宙(ソラ)からユダヤ人とパレスチナ人は同じ先祖だったということを知らされてきましたが、これまでの思い込みによりいまだに争いが絶えないので、人間が知りえない古墳と遺跡の謎について知らせてきたことで、知らされた内容を日本国内はもちろん海外も検証してきたこと。
その前に、地球の成り立ちが、その後の遺跡と大きくかかわっていることで次の事に続いている。

*)【宇宙物語
*)【地球物語
*)【イシジンと人間の物語

すなわち地球が形成されたごく初期には、その物質は意識を持っていること、今は固くなっているが柔らかかったこと、粘菌やキノコのように自らの意思で増殖できた、ということであらゆる遺跡の謎が解けていく。

最初は地球を形成している今でいう土は、思いを持った原子たちの集まりで、やわらかかったが動けなかった。
それで自由に動けるモノになりたいと思い、長い年月をかけて、植物プランクトンから動物プランクトンを経て、宇宙中の星たちの知恵で、いろいろな生物を地球上に発生させた。

そして人間の元となる思いを持ったモノ、ツチジンが発生するが、およそ人間とは縁遠い異様な姿であったのは、岩絵などで残されている姿である。

日本では早くから人間の形をしたツチジンがいて、1万年以上もの縄文時代を過ごす。
何からツチジンが生まれたかというと、横穴や土坑からで、土の成分と同じで移動できる形であった。

横穴や土坑から骨が出てくるのは、その中で直接に人間として肉体を形成しようとしたが、できなかった場合は骨が残るのと、後年にお墓の代わりに死体を入れる場合もある。
意味の分からない土坑があちこちからたくさん現れるのは、穀物の保存には決して適していない。
竪穴式住居というもの、今と同じような天候なら、雨が降ると池になるので、屋根を創っても決して住居としては適していない。

土坑など穴がたくさんあるのは、初期のころの地球の成分は、暖かく、おまけにわらび餅のようにおいしかったということで、食料にもなっていた。
それを当てはめると、洞窟や横穴は簡単に開けられた。

#)同じ思いを持ったいて座の原子の集団は、大きな塊で地球に降りようとしたが、途中でぼたぼたと分かれて降りたとも。
それで離れていても同じ成分の土や石質がある。
又、大きな塊は大陸となったが、途中で降りたのは島になったりした。
陸の降りた大きな塊は山となったが、ごく小さな塊は塚となったりもした。
地球に降りてきても、ジーと動かないでいるのが嫌になった思いを持った原子の集合体が、横穴となって親から離れた。
そこから出た集団が、親の思いを持ったツチジンやイシジンとなった。

【横穴特集】
*)「謎の古代人類デニソワ人、チベット高原海抜3280メートルの白石崖溶洞で10万年あまり生存」(2024.7.6記事)
*)「驚異の190メートル。ヨーロッパで最長級の5300年前の墳墓(ふんぼ)が発見される」(2024年7月3日記事)
・・・チェコ、ヨーロッパ最大級の長さの先史時代の長墳墓・・・
*)「アスワンの丘に膨大な墓、30以上の古代エジプトの墓が発見される」(2024年7月4日記事)

*)「横穴特集
*)「2020年7月16日 横穴特集」より
*)「横穴 名所

シチリア島のパンタリカ
*)「パンターリカの岩壁墓地遺跡
*)「2012年1月7日 パンタリカの岩穴

日本の横穴群
*)「柏谷横穴群(静岡県田方郡函南町)
*)「2005年8月4日 函南横穴
*)「中根十五郎穴横穴墓群(茨城県ひたちなか市中根)
*)「滝尾百穴横穴古墳群(大分県大分市羽田)
*)「黒岩横穴墓群(埼玉県比企郡吉見町)
*)「長岡百穴古墳(栃木県宇都宮市長岡町)
その他、松島市の道安寺横穴古墳群、静岡県掛川市の大谷横穴群など。

*)「吉見百穴(埼玉県比企郡吉見町)
読売オンライン
*)「吉見百穴(埼玉県吉見町)」(2020/10/26記事)
吉見百穴は明治時代までは土蜘蛛の住居とされていたが、大正時代の発掘によりお墓とされてしまっています。

ナイカ洞窟とルシファー
*)「クリスタルの洞窟(ナイカ洞窟)
*)「2024年7月7日 ナイカ洞窟とルシファーについてのまとめ

【イシカミはクラゲや粘菌のように増殖するというので、あてはまる遺跡】
*)「万里の長城
複数の長城が並行してあるのは、競争して増殖していった。
末端へ行くほど簡単なモノになるのは親から離れるから。

*)「カルナック列石
同じく何列にもなって同時に増殖を始めて次第に小さな石になるのがよくわかる。

*)「ピラミッド
これは四角に並べたモノから、中央に向かって増殖した。
途中の部屋などは、その部分の原子たちが話し合って創ったので、あまり意味のない空間になっている。

*)「スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ(ヌラーゲの遺跡)
*)「2013年1月8日 サルディニア、スーヌラージ3
これも最初は大きな丸い部屋であるが、増殖して行って末端になると、配石だけの石になるので、粘菌が増殖したように増えて行ったと知らされた最初の遺跡。

*)「生きている石。ルーマニアの成長する奇石「トロヴァント」」(2023年2月3日記事)

【水道橋】
水を得るためなら川の傍に住めばいいのに、巨石を積み上げて水路を創るでしょうか?
一夜にして橋ができたという説も、人間のために水を引こうと足をあらわす巨人がクラゲのように増殖して固まった。

水道橋
*)「キプロス、ラルナカ カマレス水道橋
*)「2014年12月1日 キプロス、ラルナカ カマレス水道橋
*)「2014年3月13日 クロアチア・スプリト 水道橋
*)「ヴァレンス水道橋(トルコ イスタンブール)
*)「2006年5月7日 トルコの水道橋
*)「ローマ水道
*)「2006年1月5日 ローマの水道橋
この他フランス、スペイン、チュニジア、アルジェリアなどにもある。

【土坑型遺跡】
*)「2013年1月13日 サルディニア、アルゲーロ地下墳4
*)「2023年2月5日 神戸市埋蔵文化財センター、吉田南遺跡(神戸市西区森友)
*)「鷲ノ木遺跡(北海道茅部郡森町鷲ノ木町)
*)「2022年12月17日 鷲の木古墳5
*)「標津遺跡群(北海道標津郡標津町字標津)
*)「標津遺跡群伊茶仁カリカリウス遺跡
*)「2022年8月28日 北海道紋別郡湧別町 シブノツナイ遺跡3
*)「イギリスで8000年前の穴25個を発見 リンメア遺跡…大きさ、配置からして「信じられないほど重要なもの」」(Jul. 29, 2023記事)
イギリス/スコットランド諸島の遺跡巡り
*)「2013年イギリス/スコットランド諸島部調査
*)「ケアンパップルヒル(エジンバラ)外周部の穴と配石

【配石遺跡】
*)「2006年6月3日 カルナックのドルメン
*)「2004年8月13日 西崎山ストーンサークル
*)「イギリス、エーブベリーのストーンサークル
*)「ストーンヘンジ
*)「ロクマリアケールの遺跡
*)「フランス、カルナック遺跡
*)「アイルランド、タラの丘
*)「アイルランド、キャロウモア遺跡
*)「アイルランド、クリーヴィキール遺跡
*)「Beaghmoreストーンサークル群1、アイルランド
*)「Beaghmoreストーンサークル群1、アイルランド2
*)「サルディニア島、リ・ロルギ 巨人の墓
*)「サルディニア島、リ・ムーリ ネクロポリ
*)「サルディニア島、ドルメンとストーンサークル
*)「カラニッシュ立石遺跡(ルイス島)
*)「Steinacleit(ルイス島)
*)「スコットランド、ケアンパップルヒル
*)「Broch of Gurness、スコットランド
*)「Tomb of the Eagles(オークニー島)
*)「シェトランド島、ブロッホ・オブ・ムサ1
*)「シェトランド島、ブロッホ・オブ・ムサ2
*)「シェトランド島、ヤールショフ1
*)「シェトランド島、ヤールショフ2

【古墳型遺跡】
*)「オークニー諸島
*)「Unstan Chambered Cairn
*)「オークニー諸島、アンスタン石室墳墓
*)「スカラ・ブレイ(オークニー諸島 メインランド島西岸 スケイル湾)
*)「オークニー諸島、スカラブレイ
*)「スコットランド、ケアンパップルヒル
*)「フランス六マリアケール円墳
*)「アイルランド、ニューグレンジ遺跡
*)「アイルランド、ナウス遺跡

*)「丹後風土記残欠

今も飢饉の時など土を食べる風習も残っていたり、動物もミネラルをとるために土を食べるのもいる。

*)「2011年3月11日 【宮城の地震、地球の変革計画の警告】」より
「石器時代は雨は降らなかったのです。
そしてイシカミは柔らかく、又、暖かかったので土地をくりぬいて住んでいたのです。
イシカミは薄く延ばすことができたので、大きな布になりました。
それが薄いジョーゼット、羽衣、タペストリーになりました。
そしてパオのような天幕にもなり、太陽の光から乾燥をふせぎました」

*)「イタリアの岩に突き刺さった中世の剣は本物だった!化学分析で判明」(2023年5月16日記事)

「まるで、岩がバターになってしまったかのように、簡単に剣が刺さった」と伝わっている。
これはソラから知らされている、山や岩はいて座から来たイシキを持った原子たちが集合結合して具現化したイシカミであり、初期のころはわらび餅のようで、甘くて柔らかかったと伝えられていることを証明できます。
日本にも剣山や霧島連峰の天の逆鉾として存在します。

「ヘリウムはHeとは違います。
ヘリウムは原子が並んで山型の“へ”になったものです。
それが爆発して半分になって曲がったのが スモールe です」

仁徳稜のイシカミより。
「丸いものが降りています。
昨日の昼間に降りてきたものです。
大山のイシカミです。
お約束の大阪に行くことになりました。
塩水を飲みに行ったのです。
それが仁徳稜となったのです。

当時は日本海はありませんでした。
大陸とつながっていたのです。
それで粘菌となって大阪の海に向かったのです。
瀬戸内海はまだなかったのです。
後から来た(イシカミ)が、瀬戸内海に向かいました(造り山古墳や、五色台古墳など)

海水を飲んで大きくなりました。
(前方後円墳の形は)星の形をあらわしています。
丸はいて座、四角はシリウスです。

石箱はイシカミの原子が変化しました。
その中でミナシゴたちが集まって、星の力をもらってイシジンになりました。
ミナシゴの集まりで何も知りませんでした。
それが弥生人です。
それで埴輪や銅鏡で指導したのです。
石箱の取っ手は蓋を開けてイシジンを出すためでした。
蓋を開けるのはミナノコが開けました。
ミナノコは絵に描かれたものたちで、星から来ていました。

それに対して、それまでは縄文人でした。
縄文人はイシカミの分身でした」

*)「2015年11月27日 昭和天皇の神話、ツチジン、二つのクモ、土蜘蛛、円墳、三瓶山、クシ・ラ」より
「大山から抜け出て仁徳陵になるために(堺に)行きました。
その時ついてきたのが大山の親である三瓶山のイシカミでした。
大山の分身が仁徳陵となり、三瓶山の分身が隣の(石津ヶ丘)古墳となったのです。
途中に三瓶山の分身が広島の帝釈峡、小豆島、沼島になったのです。
仁徳陵の分身は、蒜山、岡山でオニが城、加古川の闘龍灘、生石、淡路島になって堺にたどり着いたのです」

「ヤマトのモノが槍でもって倭の国を滅ぼしたのです。
倭の国は縄文(文化)だったのです。
円墳は地下のイシカミが外に出てきたのです。
皆平等だったので、同じようなモノでした。
けれどもヤマトが倭の国を滅ぼしたので、大きなモノになってやってきたのです。
それが大きな(仁徳陵など)古墳になったのです」

「須恵器はその上に食べ物が現れたのです。
その上に食べ物になろうとするアトたちが集合し結合して食べ物になったのです。
それが円墳のそばでなされたのです。
人間がイシカミの分身の円墳に頼んだのです」

*)「2024年1月23日 竹の籠、白いボンボンのビジョン、M18など」より
《イメージ》
“こげ茶色の細長い楕円の麻袋のような形”
その後
「竹で編んだ袋で、それを横穴に入れて置くとその中で子供が生まれた」と浮かぶ。

「仕事をしてほしいのです。
穴に入ると子供が生まれたのです。
竹で編んだカゴには、シリウスと木星の知恵で、イシカミがツチジンになることができたのです。
ツチジンの子供でした。
それがストーンサークルの中で分解して、記憶を持った原子たちが人間になったのです。
人間の前に、ツチジンがいたことを知らせてきましたが、全く受け入れられません。・・・」

*)「2020年12月9日 ORC、宇宙の意識体、陸を行進するエビ、絹、ベガ、レムリア、ぬかたのおおきみ、日本書記」より
「(イシジンの)最初は山となった親の横穴から出てきたのが始まりです。
その後は後から降りてきたモノたちが、山となってそれが石の部屋(古墳)となったのです。
そしてその中で(イシジンが)生まれていました。
(右手首にサインあり)
けれども次第に形にできる力が少なくなってきたのです。
沢山降りすぎたからです」

*)「2018年9月20日 石室と巨人のイシジンの出来方」より
ごくごく小さなイシジンのようなのが、いろいろな動作をして仕事をしているようでした。
そして壁になるモノ、巨人のイシジンになるモノは、それぞれいて座の原子たちが自らその仕事をするようでした。
そして外に出た巨人は、すでに倭の国では人間になっていたので、その姿を真似て、鎧などもイシジンの原子が具現化したようです。
それらの知恵は、石室の奥のシリウスの磐が中心になって教えていたようです。

*)「2018年9月26日 【2023年10月14日追記】イスラエルの行く末、木曽義仲、石舞台と物部氏、竜神の化身の聖徳太子、スプライト、石棒」より
「石舞台で生まれたモノです。
石箱はなかったのです。
周りの壁になったモノから離れて、(イシジンの)形になりました。
そしてそこから生まれたことを知らせるために、(もう一人を?)上にも乗せておいたのです。
大きな人型になりました。
そしていろいろなモノを創りました。
三尾山から別れた天の香久山の分身でした。
柔らかかったので、(葺石は)後から並べました。

他のイシカミたちも石室からイシジンとなっていました。
(右頬にサインあり)
いろいろなモノを創って遊びました。
そして一部のモノが(ストーンサークルで)人間となりました。
それが分身でした。
(右薬指と手首にサインあり)

(星原の)ホシノベの所へ行きました。
そしてホシノベの子孫と共に食べ物を創りました。
豊かで平和な暮らしでした。
山彦の子孫もいました」

「長い石棒で(柔らかなイシカミを)平らにしたのです」
(文殊院遺跡の石室が浮かぶ)

「そして端は石の包丁で切断したのです。
そして硬くなってから積み上げたのです。
隣の水の湧き出る石室のイシジンがしたのです。
池から抜け出た(ドーナツ型の)長いモノが、それになったのです。
そして抜け出した跡が池になったのです。
そこに水が溜まり、リュージンが降りてきたのです。
そのリュージンが支配するようになったのです」
(水面に光るモノがこちらに来る)

*)「2016年11月11日 新潟県岩船群朝日村 縄文の里 奥三面歴史交流館 石棒、石刀
*)「石の包丁

パレスチナ人=ナザレ人?
*)「2018年8月10日 穀物模様、ソラ画像、ゴン・ド(ワ)ア・アナ大陸、イスラエルの暴走、周提墓、パラレルワールド、お便り紹介」より
「ナザレ人がやられたのは、家を売ることをしなかったからです?
ナザレ人の家は岩の穴でした。
それでパリサイ人は(イエスの活動?)をやめさせようとしたのです。
家がナダレを起こすようになったからです。
それでナダレ人と呼んだのです」

イスラエル、ガリラヤ湖付近、1800年代 ストーンサークル、岩山の住居
*)「The Valley of Pigeons
*)「Nazareth, general view
いずれも明らかに、アラブ人が住んでいたようです。

*)「2017年2月23日 会津、ソラの異変画像、魚の大量死、モール温泉、森友学園、慎太郎、サランラップ」より
北海道へ向かう機内で大きくて楕円のエメラルドグリーンのビジョンで知らせてきました。
そしてそれは「イシカミのシ・ワ」で知らせていると。
すなわちストーンサークルは、イシカミの“死の輪”であることを、秋田の大湯環状列石の上あたりで知らせてきました。

ツチジン、二つのクモ、土蜘蛛
*)「2015年11月27日 昭和天皇の神話、ツチジン、二つのクモ、土蜘蛛、円墳、三瓶山、クシ・ラ」より
これまでイシジンと言ってきたのは、ヨーロッパなどの石像がかっては動いていたことを知らせるためだったようですが、日本の場合は“ツチジン=土人”と呼んでほしいそうです。
日本にたくさんある円墳から、人間のような意識をもった胴が短くて手足の長いツチ人がまず出てきて、それらが分解してストーンサークルで人型に具現化したようです。
けれどもその後大陸から来たリュージンの化身のヤマト一族に土着民でありながら土蜘蛛など言われて滅ぼされたそうです。
その分解したのが、土や食物になり、それが分解されて意識を持った原子の雲となったので同じ名前“クモ”と呼ぶそうです。

洞窟内のストーンサークル
*)「初期ネアンデルタール人、複雑な地下構造物を建造 研究」(2016年5月27日記事)
洞窟内のストーンサークルで、顔を表している遺跡が17万6500年前仏南西部ブルニケル洞窟の入り口から300メートル以上の奥深い場所で見つかりました。
真っ暗な洞窟で作業ができるのは、人間以外の岩の成分の意識体のイシジンがいたということです。

ストーンサークルとお墓の石
*)「2002年2月17日 ストーンサークルとお墓の石の関係」より
大昔はイシカミをストーンサークルの形であらわし、イシカミが食料を与えてくれたものとして拝んでいたそうです。仏教を推し進める時の権力者に、その石を拝む事を禁止され、お墓の上に石を置くように、そしてそれを拝むように言われたと伝えられたのです。

ソラ辞典より
イシカミ
大昔、射手座から降りてきたいわば宇宙人、お腹に人間を入れて降りてきた。
射手座にいた頃は、三次元の生物ではなく所謂‘意識体’だったが、人間を作った時に自分達も三次元の形になって一緒に下りて来た。
大きさは様々だが山のように大きいイシカミもいた。
とろとろのお餅のような身体で、引力によって身体からぽたぽた落ちた物が落とし物と呼ばれている。
落とし物から分身の子供達を作り、人間の為に食べ物や川、山を作った。
またピラミッドで宇宙のエネルギーを得たり引力を放散したりしようとしたり、いろいろな奇岩を作りサインとして残した。
当事の人間はイシカミの存在を知っておりテレパシーでコミュニケーションをしていたが、今では人間の意識が薄くなりごく一部の人にしかその能力が残っていない。

地球
星達が並べられる不満の固まりが鉄などの元素を引き寄せ、真っ赤に熱せられて宇宙をさまよっていたが、水星が水で地球を冷やしてくれ、土星が土を、木星は木をプレゼントしてくれ、またそれぞれの星が動物、花、魚などを送り込んでくれた。
モーリタニア、サハラ砂漠に地球の目、エルサレムが地球の心臓などと知らされる。
地球の最初は亀のようであったが、4世紀?に丸くなったと。
丸くなることで余分の原子たちは一旦分解して、再び地球に降りてきて山などになった。

宇宙の大元(おおもと)
《大元》とも言い、宇宙で初めて思いを持ち、原子や星を創りだした根源。
宇宙の最初は真っ暗闇であったが、最初に「誰かいないか?」という意識があらわれ、捕まえようとしたとビジョンで知らされた。
次に捕まれまいとする思いがあらわれ、大元が捕まえる、弟が逃げるという追いかけっこになったので渦巻きが現れる。
渦巻きが極限まで達すると、パンとはじけて光と原子があらわれた。
それの繰り返しで次々と原子があらわれ、同じ思いを持った原子が集合し、星になったり、意識だけの集合体になり、宇宙中に満ち溢れた。
これから原子には意識があると言われる。

超紐理論ではヒモのようなクォークの振動が全ての始まりといわれているのも間違いと。

2002/9/3
最も高次元に存在する全宇宙の元となる意識体。すなわち神の大元とも言える。人間の言葉では宇宙全体を表すことができない。

ホシノミナ
宇宙の大元の分身と言われる。
大昔恐竜ばかりの争いの地球になったため、宇宙の大元の命令で地球に降りてきた。
その時、稲妻で一気に地球を掃除し、恐竜を滅ぼしたと伝えられる。
掃除をした後京都府綾部市星原で眠っていたが、1998年秋に目を覚まし、著者とコンタクトをとっている。
この場所に星の宮神社がある。

ホシノミナは地球を掃除した後眠っていましたので、その後の横向きの稲妻は、稲妻を支配星が真似して人間を脅かしていました。

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以上、地球の謎解きより。
写真は8月2日のソラ。