白雲去来

蜷川正大の日々是口実

下級武士の食日記。

2024-02-20 15:00:01 | 日記

2月16日(金)晴れ。

夕方に、下の子供がみなとみらいの歯医者に来るというので待ち合わせた。桜木町の駅前で、どこかの高校生の女の子6,7人が能登の震災の義援金の募金活動をしていた。五時近く、海が近いので風が冷たい。そんな中で、コートも着ないで声を挙げて震災の義援金のお願いをする姿を見て、頭が下がった。少ないけれど、お金を入れて激励させて頂いた。子供と合流した後でも、まだその子たちは頑張っていた。日本人も捨てたものではない。

子供と二人で、久しぶりに「たん右衛門」へ。子供は、初デビュー。お店のオヤジもスタッフも皆、30年以上いる人たちばかりで顔なじみ。馬刺し、さがり、牛タン、テールスープで〆、というのが私のフルコースだが、最近は、それほど食べられなくなった。食後に、サリーズバーから「ラッキー」の店に転戦して帰宅。

今読んでいるのが『幕末単身赴任ー下級武士の食日記』(青木直己著・筑摩書房)というもの。井伊大老の暗殺事件の三か月後に、紀州和歌山藩の下級武士が江戸藩邸勤務を命ぜられ、故郷に家族を残して単身赴任で江戸に来る。名前は酒井伴四郎。この人がいわゆる「筆まめ」で、一日の食事はもとより、何処へ誰と行ったかを克明に記録している。彼の日常から幕末の江戸の風俗や日常が分かり、面白い。江戸時代は、「四つ足」の物は食べないと聞いていたが、彼の日記には、豚鍋や牛鍋を食したとあり、そういった肉を売る専門店もあったと書かれている。

面白いのは、今日ポピュラーな食べ物である「鶏」は、当時は、全く人気がなく「鳥」を扱う店では最下位にランクされていた。引用をしてみる。日本で最初に印刷された料理書『料理物語』(一六四三年刊)では、十八種の鳥の名をあげており、それは鶴、白鳥、雁、鴨、雉子(きじ)、山鳥、鸞(ばん)、けり、鷺(さぎ)、五位、鶉(うずら)、雲雀(ひばり)、鳩、鴫、水鶏(くいな)、桃花鳥(つぐみ)、雀、鶏の順番でした。現在、もっとも一般的な鳥料理の素材である鶏が最下位の十八番目です。日本では古くから鶏を食用とする習慣があまりなかったのですが、徐々に広まって江戸時代の料理書にも登場するようになりました。それでも鶏の肉が嫌いな人も多かったとあります。

雀より人気がなかったとは意外でした。面白かったので『江戸おかずー12カ月のレシピ』(車 浮代著・講談社)と、産経新聞の書評にあった『死刑囚になったヒットマン』(小日向将人著・文藝春秋)を取り寄せた。

 

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