白雲去来

蜷川正大の日々是口実

人生意気に感ず。功名、誰か復(また)論ぜんや。

2015-04-24 09:42:17 | 日記
四月十八日(土)晴れ。

お世話になっている維新派の実業家、松本洋三氏に食事会にお招き頂いた。まず松本氏の会社を訪問、そこで元衆議院議員の松田学先生をご紹介される。育ちの良さと聡明さが一目で分かる人だ。身体も大きく古武士のような風格があり、若い頃に柔道かラグビーの選手かと思えば、剣道に精進していたとのこと。古武士の風格があると感じたのは間違いがなかった。松田先生は、

1957年 京都府生まれ。
1981年 東京大学経済学部卒業後、大蔵省入省。
1983年 ボン大学社会経済学研究所留学。
1987年 洲本税務署長。
1995年 大阪国税局査察部長。
1997年 大蔵省大臣官房企画官。
2006年 東京医科歯科大学教養部教授。
2008年 郵便貯金・簡易生命保険管理機構理事。
2009年 預金保険機構金融再生部長。
2010年4月27日 財務省大臣官房付を最後に財務省を退官。 7月 第22回参議院議員通常選挙で神奈川県選挙区にたちあがれ日本から出馬し落選。2012年 第46回衆議院議員総選挙で日本維新の会から比例南関東ブロック(比例単独2位)に出馬し初当選。日本維新の会国会議員団副幹事長、衆議院内閣委員会理事などを務める。
2014年 日本維新の会分党にあたり次世代の党結党に参加。党政調会長代理に就任した。第47回衆議院議員総選挙では神奈川7区から出馬するも落選。

政策
憲法9条の改正に賛成。
集団的自衛権の行使に賛成。
「道徳」を小中学校の授業で教える事に賛成。
カジノの解禁に賛成。
原発は日本に必要としている。
首相の靖国神社参拝を問題ないとしている。
「村山談話」及び「河野談話」を見直すべきとしている。
特定秘密保護法を必要としている。
負担増が耐えられないため、年金の給付水準が下がるのはやむをえないとしている。
ヘイトスピーチを法律で規制することに賛成。
選択的夫婦別姓制度導入に反対。
女性宮家に反対。(Wikipedia)

私が常日頃から思っていることとほとんど変わりがない。何でこういう方が落選したのかと思うと残念で仕方がない。「次世代の党」には期待していたので昨年の選挙の結果は信じられなかった。

今日の食事会にはもう一方が徳島から駆けつけて来てくれた。八幡和郎先生である。八幡先生の経歴は、
1970年(昭和45年) - 滋賀県立膳所高等学校卒業。
1975年(昭和50年) - 東京大学法学部卒業。
1975年(昭和50年) - 通商産業省(現、経済産業省)入省、生活産業局総務課配属。
1978年(昭和53年) - 国土庁地方振興局総務課企画係長。
1980年(昭和55年) - フランス国立行政学院 (ENA) 留学(人事院在外研究員)。ジュルス県庁、工業省、フランス電力、クレディ・リヨネ銀行にて行政研究。
1982年(昭和57年) - 通産省立地公害局工業用水課長補佐。
1984年(昭和59年) - 生活産業局住宅産業課長補佐。
1985年(昭和60年) - 沖縄総合事務局企画調整課長。
1987年(昭和62年) - 通産省大臣官房法令審査委員。
1988年(昭和63年) - 工業技術院国際研究協力課長。
1990年(平成2年) - パリ・ジェトロ産業調査員。
1993年(平成5年) - 通産省通商政策局北西アジア課長。
1994年(平成6年) - 国土庁長官官房参事官。
1996年(平成8年) - 通産省大臣官房情報管理課長。
1997年(平成9年) - 退官。
2000年(平成12年) - 大津市長選挙に出馬、落選。
2004年(平成16年) - 大津市長選挙に再度出馬、落選。
2004年(平成16年) - 徳島文理大学教授に就任(現在に至る)。

八幡先生の主張は、

アベノミクスついては成否の可能性半ばの「賭け」だとし、「とりあえず、やってみるという真珠湾攻撃と同じ」「世界の常識に反した一か八かにかけてみるというのは、わが民族が好きな思考」と述べている。
TPPについては、日本人は玉砕が好きだから「負けて勝つ」交渉をTPP反対派が認めないと批判している。コメの聖域化にも否定的である。「日本は農業などのことばかり気にして乗り遅れてしまい、それが経済弱体化の一因」だと述べ、農産物関税が経済連携交渉の足手まといになってきたという立場である。また、ISDS(投資家対国家間の紛争処理解決)条項を米国と結んでも問題にはならないと考えている。
江戸文明の再評価(およびそれと結びついた近代文明への問題意識)を否定し、『本当は恐ろしい江戸時代』などで「江戸時代の日本は現代の北朝鮮と同じ」という「江戸暗黒史観」を主張している。(Wikipedia)

東京大学を卒業しているお二人と「知」の食事会。場所は新横浜のプリンスホテルの二階の「きじま」という料理屋。松本社長と松田、八幡の両先生という国士と酒酌み交わす店の屋号が「きじま」とは・・・。玄洋社社員で大隈重信の条約改正案に反対、明治22年10月、外務省からの帰路にあった大隈に、彼の乗る馬車ごと爆弾を投げつけ、その後自決した来島恒喜烈士と同じ読みとは。(本来は来島・くるしま)東大の法科、経済を卒業した元官僚のお二人の前では私の出番などある訳もない。しかしながら天下の素浪人を自認する私としては人生感意気、功名誰復論。

人も、酒も、肴も議論もすべて良しで当然大破轟沈の夜だった。松本社長に感謝合掌。帰宅しても興奮冷めやらず、しばらく寝つけなかった。
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