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『哲学書簡』ヴォルテール

2009-12-29 05:44:52 | 読書
私が岩波文庫版の『哲学書簡』を購入した理由は、既に中公版で所有していましたが林達夫訳で読みたかったこと、ポケットに入れて持ち歩きたいと思ったからでしょう。林との出会いは学生時代の終わり頃読んだ久野収との対談『思想のドラマトゥルギー』です。
今では「吉本」と言えば「お笑い」か「ばなな」ですが、1970年代の学生には「吉本隆明」しか意味していなかったのです。吉本の文章に惹かれながらも、最後のところで感じる隔靴掻痒は何だったのだろうか。「大衆の原像」というようなスローガンを論理ではなく、メタファーで次々に重ねて行く、詩人の力量だったのだろう、と今は思うのです。
こんな時に出会ったのが『思想のドラマトゥルギー』でした。林の語り口には吉本のような曖昧さがなく、私には心地よかったのです。そして林の著作を戦前の作品にまで遡って読むことになります。一連の読書で私は林の文体がすっかり好きになってしまった。そしてそれをふっと思い出して、記事にしてしまったこともありました。
さて70年代の学生もヴォルテールを読もうという手合いは仏文科の学生に限られ、現在でもその事情はあまり変わっていないはずです。しかしこの『哲学書簡』こそは理系の人が読むと楽しいのです。

ヴォルテールは絶対王政のフランスを逃れて、1726年から1729年まで英国で亡命生活を送っていました。ここで彼は自由の風にあたり、帰国後この地の宗教、政治、思想、科学、文芸に関するレポートを書きます。これが『哲学書簡』で1734年に出版されましたが、即刻その破棄と焼却が命じられたのです。
同書の最初は英国の宗教に関する話で、特にクエーカー教徒について詳しく書かれていますが、キリスト教徒でもない私には理解できない部分です。次いで議会、政治、商業に関する書簡が続きますが、俄然面白くなるのは書簡14「デカルトとニュートンについて」からです。ヴォルテールが渡英した頃はまだニュートン存命中で、ヴォルテールはニュートンの葬儀を目撃しているはずです。(1727年)
ジャーナリストとしてヴォルテールはニュートンの理論を分かりやすく解説し、大陸に広めた功績が極めて大きいのです。書き出しはこうです。

ロンドンに到着するフランス人は、他の諸事万端と同様、哲学についても勝手が大分違っていることに気がつく。彼は充実した世界を去って、今やそれが空虚であることを見出す。パリでは微小物質の渦動からなる宇宙が見られるが、ロンドンではそういったものは何も見られない。我々の国では、月の圧力が満ち潮を引き起こすのであるが、イギリス人の国では、海が月の方へ引力で引かれるのである。

フランス人=デカルトで、イギリス人=ニュートンと思って良いのです。デカルトは合理主義者で解析幾何学の発明者の一人ですが、彼の自然哲学はアリストテレスのそれの近代版と言って良いのです。彼にとって物体は延長と同義であって、何も無い真空を拒否したのです。それに対してニュートンは物質とそれが存在する空間とを区別し、何も無い真空を認める原子論の立場にありました。このことは彼の主著『プリンキピア』の冒頭で物質の量を密度×体積によって定義していることから分かります。つまり密度とは単位体積中に存在する素粒子の量だからです。

また合理主義者のデカルトは魔法(スコラ哲学の「隠れた性質」)が嫌いですから、引力のような遠隔力を否定し、全ての運動を力の直接的な伝播(押し引きの力学)によって説明しようとするのです。必然的に力が伝わるのを微小物質の渦動という流体のイメージで捉えるのです。
このような力学モデルはデカルトの専売特許でもなく、過去の遺物でもありません。宇宙戦艦ヤマトの「波動砲」にその現代版を見ることが出来るのです。


道具立ては未来ですが、自然哲学は近代以前ですね。スターウォーズもSFですが、内容が中世の騎士物語と同じです。ついで言えば、鳥山明の「かめはめ波」も同じ流体モデルです。



ニュートンの理論が当時のヨーロッパでどのように受け入れられていたか、これを彼は皮肉を交えてレポートしてくれます。
「ロンドンではデカルトを読む者は殆どいない。事実、その著作は今では用のないものになっているのだ。一方、ニュートンを読むもの殆どいない。彼を理解するにはよほどの学識を具えていなければならないからである。にもかかわらず、誰もが二人を話題にしている。」

帰国したヴォルテールはエミリー・デュ・シャトレという才媛と愛人関係を結び、Chateau de Cireyで同棲生活に入ります。5年間!羨ましい!ここでニュートン理論の解説書を共同で執筆して大陸にこの理論を普及させたのです。エミリーはヴォルテールより数学の才能があって、クレーローの助けも借りて『プリンキピア』の仏語版を出版するのです。
フランス革命後、ラプラスやラグランジュのような人々が活躍するのはヴォルテールとその愛人のお陰に違いありません。

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