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「マスターに出会わなければジャズ界にいなかった」。大阪音楽大学(大阪府豊中市)のすぐそばにある老舗のジャズ喫茶店「ブルーノート」が開業50年を目前に、12月いっぱいで閉店する。多くの学生が来店を機にジャズに関心を抱き、プロのジャズ奏者として育った。そのうちの一人のジャズピアニスト、石井彰さん(55)=大阪音大特任教授=が12日、感謝を込めたライブを開き、集まった常連客や音大生が「ブルーノート」の記憶を胸に刻んだ。
【写真特集】「ジャズの父」ブルーノート閉店へ
元サクソフォン奏者の菅原乙充(おとみつ)さん(81)がブルーノートを開店したのは1969年6月。はじめはレコード、近年はCDのジャズが流れ、その中でサイホンコーヒーを味わう。壁には菅原さんが手描きしたマイルス・デイビス、デューク・エリントンら著名なジャズ奏者の肖像画が掛けられている。アルコール、食事類はなく、ジャズが中心の店だった。
大阪音大の短期大学部に国内の音大で初となる「ジャズ・ポピュラー」の部門が創設されたのは92年度。「ブルーノート」はその20年以上前から音大生にジャズの魅力を伝えてきたことになる。クラシックを専攻する学生が来店をきっかけにジャズ歌手になるなど影響を与えては、学生たちが楽器を持ち込んで「コーヒー1杯で練習できる店は他にない」と「練習場」にもなっていた。
今回のライブを企画した石井さんもその一人だ。大阪音大の受験生だった冬、ホットコーヒーを飲もうと立ち寄った。敷居が高く感じ、勇気を出して扉を開けた。そこには「眼光するどいマスター」の菅原さんがいた。作曲科に入学後、毎日店に通ううちにジャズの道を目指すように。後に国内外で活躍するベースの井上陽介さん、ドラムの岡田ケイタさん、小島勉さんたちと店で練習した。口数の少ない菅原さんは直接的なアドバイスはしない。演奏がつまらなければ居眠りし、良くなるとカセット録音、ビデオ録画をしてくれた。
その後、仲間が大きな舞台を目指して、次々と上京。大阪にとどまっていた石井さんには母校の大阪音大から「ジャズ・ポピュラー部門」の教員となる声がかかった。仲間の活躍が気になる一方、結婚をして「安定した職」にも心が揺れていた。そこで「守りに入っとるんちゃうか」と東京行きを勧めたのが菅原さんだった。「マスターの一言で決心できた」。91年から東京に拠点を移し、新たな仲間に恵まれ作曲などの活動の場も広げた。そして、大阪に通いながら母校の教員も務めた。今では世界的トランペッター・日野皓正さんのクインテットなどで活躍する石井さん。「私にとってマスターはジャズの父」と慕い、37年間通い続けてきた。
そんな菅原さんは昨年から体調を崩し始めた。認知症もあり今秋に閉店を決め、喫茶店としての営業は既に終了。年内にプロ奏者が練習に使うなどして、年末に正式に廃業する。
12日のライブには、現役音大生やプロ奏者ら約30人が集まり、居合わせたメンバーでセッションを繰り広げた。十数人でいっぱいになる店舗に入りきれず、店外には人だかりができた。ライブの締めくくりは、菅原さんが好きなジョン・コルトレーンの「インプレッションズ」。菅原さんは涙を浮かべながら、指でリズムを取って耳を傾けた。「マスターがいなければ、今の自分はない」と石井さんをはじめ、“教え子”でもある常連客が目をうるませると、菅原さんは「みんな可愛らしい顔してんな」と笑わせた