「殺し合い」のイメージは誤解だった 古代ローマの剣闘士「グラディエーター」の本当の姿(ナショナル ジオグラフィック日本版) - Yahoo!ニュース
古代の戦いは現代人の想像力を刺激してやまない。数知れない映画や文学作品に、しばしば誤った形で描かれたおかげで、「グラディエーター」としても知られる剣闘士は古代ローマ文化で最もなじみのある、同時に最も誤解された要素の一つとなっている。 紀元前238年に建てられた円形闘技場、剣闘士の戦いを再現ほか、写真を見る
しかし、この20年ほどで新たな史料の発見が相次ぎ、映画などでおなじみのイメージは覆されつつある。これまでは犯罪者や戦争捕虜が罰として戦わされたと考えられていたが、実際はそうした例は数少なく、剣闘士の大半は、今のボクサーや総合格闘家のようなプロの競技者だった。戦いを終えると、妻子の待つ家に帰る者もいた。
残された記録を見ると、剣闘士は腕しだいで実入りのいい稼業ともなり、志願する者もいたようだ。対戦の場であるアリーナで勇敢な戦いを見せれば、民衆の英雄になれたし、囚人であれば、自由の身にもなれた。そして、これが何よりも意外かもしれないが、試合で命を落とす確率はそう高くなかった。10人中9人の剣闘士が生きて戦いを終え、次の戦いに備えたと考えてよさそうだ。
ローマ世界の各地で見つかった美術品には、アリーナの周囲や中で戦いを見守る介添人やファンの姿も描かれている。楽師たちもいて、剣闘士が位置に就くまでの間、音楽を奏でて観客を盛り上げ、ことによると試合の山場でも景気づけの演奏をしていたようだ。試合前には主催者を先頭にパレードが行われ、その間に兜や武器が闘技場に運び込まれた。
試合の公正を期するために、忘れてならないのは審判の存在だ。オランダで見つかった小さな壺の浮き彫りには、試合の途中で一方の剣が折れたため、審判が棒を振り上げて試合を中断させ、助手に代わりの剣を持ってこさせる場面が描かれている。 「武器を失っても、それで負けではなかったのです」と、アルル古代博物館の考古学者アラン・ジュノは説明する。「剣闘士の試合は観客を沸かせるスポーツでした。だとすれば、そこには当然ルールがあるはずです」 剣闘士は娯楽の対象というだけではなかった。文献などからわかるように、勇敢に戦い、時には命を落とす姿はローマ人にとって男らしさや美徳の象徴にほかならなかった。