辰砂は、日本画の岩絵の具にもありますが、指で膠と溶いたりするので、赤を好んで使用する画家に病気で早死にするとか訊いたことがありますが。
途中から、岩絵の具を量り売りしているお店でも、絵の具ごとに袋に貼るようになって、それを観て危険度も分かるようになったのか、ネットでの販売もあったのか、そこの日本画の画材店はなくなりました。
陶芸でも、顔料に危険なものがあったり、身近に存在します。
https://nazology.net/archives/63561
古代マヤ文明の都市ティカルは、政治・経済の中心地であり、ピーク時には人口が10万人を超えていたと推定されている大都市です。
この都市は2世紀から9世紀まで、およそ700年以上も繁栄を続けていたと考えられ、まさに千年王国と呼べる都でした。
東京が江戸から数えても400年の都と考えると、その凄さがよくわかります。
しかし、このティカルは紀元9世紀後半に放棄され廃墟となってしまいました。
これほどまでに発達した都市が、人々に捨て去られた原因はなんなのでしょうか?
新たな研究はこの都市の貯水池をを調査し、ティカルでは飲料水が飲めなくなるほど水源が有毒物質で汚染されていたという発見を報告しています。
アオコ(青粉)の大発生
ティカルは現代のグアテマラ北部で栄えた古代都市です。
ティカルの周辺は肥沃な土地ながら、激しい干ばつが起こりやすく、湖や川からも遮断された地域でした。
こうした都市で重要な機能を果たしていたのが、雨水を貯めて人々に飲料水を提供していた貯水池です。
シンシナティ大学の生物学者や化学者、植物学者などを多様な研究者を含むチームは、この都市にあった10の貯水池を調査し、都市の給水システムが人口を維持できたかを探りました。
その結果、4つの貯水池の堆積物からシアノバクテリア(藍藻:らんそう)のDNAを発見しました。
シアノバクテリアとは、アオコ現象の原因とされるもので光合成をする細菌です。
アオコは青い粉を撒いたように水面が藻類で覆われる現象です。現代の日本の湖沼でも見られることがあり、水質汚染の代表的な例とされています。
ティカルの貯水池からは有毒な化学物質を生成する2種類の藻類―プランクトスリックス(水道水のカビ臭の原因)とミクロキスチス(神経毒を生成)―が見つかりました。
これらの藻類の問題点は沸騰に強いという点です。水を沸騰させても、飲んだ人は病気になっただろうと研究者は語ります。
ただ、これは見た目からして貯水池がひどい状態だったことを示しています。おそらく誰もそんな水は飲もうと思わなかったでしょう。
猛毒水銀の混入
さらに都市の宮殿や寺院に近い2つの貯水池には、高レベルの水銀が含まれていたことがわかりました。
これは地下の岩盤から浸透してきた可能性や、この地域の肥沃な大地を支えた火山灰の降下からもたらされた可能性もあります。
しかし、火山灰が降ったと考えられる他の貯水池に水銀の汚染が確認できなかったことから、研究者たちは別の可能性を考えました。
それは、マヤ人自身が水源に毒を持ち込んだという可能性です。
古代マヤでは色彩が重要な意味を持っていました。彼らは建物の壁画から陶器の模様、その他に埋葬の際にもさまざまなものを飾るために赤い顔料を使用しました。
赤い顔料は酸化鉄との組み合わせでさまざまな色合いを得ることができます。
そしてこの赤の顔料には、赤い鉱物「辰砂(しんしゃ)」を使用していたのです。辰砂は硫化水銀の鉱物です。
辰砂の毒性については、マヤ人も知っていた可能性があります。しかし、どんなに注意深く取り扱っていたとしても、時間が経てば雨水が壁画などの塗料を流し、貯水池へ毒をもたらすことになります。
これは特に塗料で飾られることの多かった神殿や宮殿近くの貯水池を汚染しました。
このため都市の支配者層が毒で汚染された水を毎日飲むことになり、結果的に都市の指導力を低下させた可能性が考えられます
大規模な干ばつと水質汚染のダブルパンチ
運の悪いことに水質の深刻な悪化と、大規模な干ばつが9世紀後半、同時期にティカルを襲ったと考えられます。
新鮮で清潔な飲料水の不足と、干ばつは都市に耐えられない負荷を与えたでしょう。
信心深い古代の人々は、こうした厄災に対して、指導者たちがマヤの神々をなだめることができなかったためだと考えたかもしれません。
これは彼らが住み慣れた都市を放棄する十分な理由になったでしょう。
こうして1000年続いた古代の都は滅びることになったのです。
この研究は、シンシナティ大学の生物学者David L. Lentz氏を筆頭とした研究チームより発表され、論文はNatureから刊行されるオープンアクセス学術雑誌『Scientific Reports』に6月25日付で掲載されています。