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袴田事件 再審決定・釈放 鑑定進歩、希望つなぐ

2014-03-29 | 日本問題

なんと免罪の多いことか。

袴田さんもぶどう酒事件の奥田さんも、PC遠隔操作の人も、泣けてくるよね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140329-00000109-san-soci

袴田事件 再審決定・釈放 鑑定進歩、希望つなぐ

産経新聞 3月29日(土)7時55分配信

 ■死の恐怖46年間「心たとえようもなく冷たく」

 「死刑執行という未知のものに対するはてしない恐怖が、私の心をたとえようもなく冷たくする時がある」

 元プロボクサーの袴田巌(はかまだ・いわお)さん(78)が昭和48年、獄中から兄に宛てた手紙には死刑に対する言いようのない恐怖がつづられていた。

 「死刑囚にならないと分からない恐怖がある」。こう語るのは、昭和29年の島田事件の死刑囚として35年間にわたり独房で過ごし、再審で無罪を勝ち取った赤堀政夫さん(84)だ。

 収監されていた仙台市の宮城刑務所仙台拘置支所。ある朝、約10人の刑務官の足音が自分の独房の前で止まった。絞首台への導き。「どうして自分が…」。腰が砕け頭が真っ白になった。扉が開き、両腕を引っ張られ、房から出されようとしたときだった。別の刑務官が鋭い声で「違う、隣だ」。隣の房の死刑囚が連れて行かれた。

 「殺されるくらいなら自分から死のう」と何度も思った。でも、あきらめなかった。面会や手紙で「あなたはやっていない」と言い続けてくれた支援者の顔を思い出したからだ。「巌君にとっても支援者の存在は大きかったはず」。赤堀さんは袴田さんが1審で死刑判決を受けてからの46年間を察した。

 ◆はけないズボン

 事件が起きた41年6月30日未明は、ビートルズが初来日した翌日だった。世の中が沸く中、袴田さんの苦難は始まった。

 1審判決後、希望の光が差したことがあった。控訴審の東京高裁法廷で46年、犯人のものとされる「5点の衣類」のうちズボンの装着実験が実施され、袴田さんには小さく、はけないことが判明したのだ。だが、控訴審判決は「ズボンはみそに漬けられて縮んだ」と認定、1審判決は覆らなかった。

 55年に死刑判決が確定すると、弁護団が結成され、袴田さんと二人三脚の闘いが始まる。逃走経路の裏木戸の出入りは不可能、衣類を発見場所のみそタンクに隠せない、刃体と傷が不一致…。第1次再審請求審で独自に鑑定や実験を重ね、次々と手を打っていった。

 1次請求棄却に対する即時抗告審では、衣類に付着した血液のDNA型鑑定を求めた。平成12年に出た結果は「鑑定不能」。村崎修弁護士(61)は「最高の証拠になると期待していただけに落胆した」と振り返る。

 2次請求審では技術の進歩に期待し、再度の鑑定実施を要請。24年4月、袴田さんのものと「不一致」の結果が出た。村崎弁護士は「再審の道が開かれたと思った。10年越しの鑑定結果にとても勇気づけられた」と語った。

 ◆弁護側の武器に

 再審開始の重要な根拠となったのが、この鑑定結果だった。ここ数年で飛躍的に向上した鑑定精度は時に「真犯人」の痕跡を浮かび上がらせてきた。弁護側にとって強力な武器となる可能性を持つ。

 平成元年にDNA型鑑定が導入された当時、同型の人の割合は「200人に1人」と精度が低かった。15年に各都道府県警が導入したSTR型検査法はDNA型の配列を複数箇所で比較するもので、「1100万人に1人」に。現在主流とされる改良版のSTR型は「4兆7千億人に1人」まで上がった。

 鑑定結果が司法手続きの中で重要な位置を占めつつあるのは確かだ。ただ、今回は袴田さんと一致するDNA型が検出されなかったのに対し、検察側は「試料の劣化」などを理由に鑑定方法の信用性自体を争った。

 東京電力女性社員殺害事件の再審請求審を担当した元東京高裁部総括判事の門野博法政大学法科大学院教授(69)は「証拠物の保管方法や、どのような鑑定方法を選ぶかなど、多くの課題があることを明らかにした」とみる。

 「国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、刑事司法の理念からは到底耐え難い」。証拠捏造(ねつぞう)の疑いにまで踏み込んだ今回の決定は、自らを含めた関係者を戒めるような言葉で締めくくられている。

 谷垣禎一法相(69)は28日の会見で「相当な環境の激変になると思う。うまく乗り越えていただきたい」と袴田さんをおもんぱかる発言をしたが、検察側は期限の31日までに即時抗告する方針だ。

【関連記事】
◆長期の勾留で拘禁反応
[映像]袴田巌さん しばらく入院へ - 検査の結果、袴田さんは拘禁症と認知症の疑いがあるとの診断で、しばらく入院の必要があるという。日本テレビ系(NNN)(3月29日)
袴田事件再審決定 「ありがとうございます」48年、支え続けた81歳姉の思い - 面会に通ううち、袴田元被告は「痛みを出す電気で攻撃されている」「ごはんに毒が盛られている」などと訴えるようになった。長期にわたる勾留で、拘禁反応が出始めていた。産経新聞(3月27日)
拘禁反応 - kotobank
「刑事司法の理念からは耐え難い不正義」――袴田事件で再審開始&釈放を命じた決定を読む - 江川 紹子(3月29日)

◆釈放について検察側の抗告を棄却
袴田事件再審 東京高裁、釈放取り消し認めず - 検察側は拘置の執行停止を取り消すよう求め、高裁に抗告していた。再審開始決定についても、今後、即時抗告する方針。産経新聞(3月28日)
袴田事件再審 「釈放止められない」検察幹部は淡々 - 産経新聞(3月28日)
[図]再審開始までに想定される主な流れ - 産経新聞(3月27日)

◆袴田事件とは
<袴田事件>再審開始を決定 静岡地裁 - 毎日新聞(3月27日)
50年近く前の殺人事件が「再審」へ・・・ギネス認定もされた「袴田事件」って何? - 弁護士ドットコム(3月27日)
[図]袴田事件をめぐる経過 - 産経新聞(3月28日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140329-00000554-san-soci

袴田事件、遺族の長女が自宅で死亡

産経新聞 3月29日(土)18時49分配信

 静岡県清水市(現静岡市清水区)で昭和41年、みそ製造会社専務の橋本藤雄さん=当時(41)=一家4人が殺害された「袴田事件」で、唯一助かった長女の昌子さん(67)が28日に自宅で死亡していたことが29日、関係者への取材で分かった。清水署では事件性はないとみている。

 市消防局や近所の住民の話によると、28日午後6時過ぎに昌子さんの家族が死亡しているのを発見し、119番通報した。すでに心肺停止状態で、消防は病院に搬送しなかったという。遺体は清水署で検視が行われたとみられる。

 昌子さんは事件当時19歳で、祖父母の家にいたため難を逃れた。4~5年前に病気で夫を亡くしてから事件現場近くで1人暮らし。ときおり買い物に出掛ける程度で、近所付き合いはほとんどなく、市内に住む家族がたびたび様子を見に訪れていたという。

 事件で逮捕され、強盗殺人などで死刑が確定していた袴田巌さん(78)は、静岡地裁が27日に再審開始を決め、釈放された。

転載終了

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