スカーレット手帖

機嫌のいい観客

アレはどこへ行った

2012-09-29 | わたくし
大学生のころから、何個かブログを書いてはつぶし(放置も有)、
あのころ書いたテキストをどっかに置いておいたらさぞ良い成長記録となっただろう
と思うことがしばしばある。


大体、中学時代からポエムをノートに書いているようなタイプだったので、
(リアル中2病である。いい言葉ができたもんだNE!)
日記のような妄想のような書き物のためのノートは常時ベッドサイドに置いてあった。
それが電子化の動きを見せたのが2004年頃だったかと思う。
ブログというものが出現したのだった。
さっそく作るよね。
で、友達に教えまくりました。
そしてアクセスを稼ぐべく日記のようにして書いていたんだけど、
毎日は続けられないし、あたりさわりのないことしか書けないのですね。
自然、過疎化していきます。

そのあとトレンドに乗っかってmixiに移動し、内輪受けのような内容を書いていたのだけど、
再読に耐えられず半年に一回ぐらい消していた。
自意識があふれかえるのにもたまらなくなっていた。
やっぱ、コメントもらおうと思って書く内容と、じぶんの考えを整理するために書く内容って
違うのよね。

こういう感覚って、小学生のころから読書感想文を書いていても思ったことだった。
「宿題の返答としてあるべき範囲内」での完成度を高めるために
作文するのってすごく苦痛でございました。
(でもそういう考え方が日本の会社員としてみごとに本音と建前を切り分けながら生きていくための
 思考訓練になっていたような気もせんでもない それっていいかどうかは別としてな!)


でも、まあ、そういうよそからみたらどうでもいい葛藤により
着飾ったり丸い表現に直したりしたこともスウィートメモリーだったかもしれないな
とか思いますね。今は。


一方で、自分がかたちとして残した文章に生き様を左右される
ということも若き日にはおうおうにしてあったため、
自ら退路を断つ という意味合いで消していたところもあったわ。そういえば。

だからしょうがないな。



という、












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