人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神は一なるもの

2022-11-25 09:47:56 | 
神については、様々な観方があります。
一神論、多神論、汎神論、理神論...そもそもそれが実在するかどうかを巡って議論があったりします。
私は神を信じるかどうかと言ったら、勿論信じますよ!
だけど、それが果たしてどういう実体を持っていて、どういう有り様で働いているか、ということは分からないのです。クドいようですが、それは、私の思いを超えたものなので!...
しかし、そういうものを感じることは毎日のようにあります。というより、それは感じるしかないものでしょう?...神とは、信じるとか信仰とか言うよりも感じるものなのです。
そして、それは一神論で言われているようなこととは違う意味で、一つのものと言う他ありません。
ヤハウェ、キリスト、アラー、梵天、阿弥陀如来、スサノオ、守護神、ハイヤーセルフ...何と呼ぼうと...
例えば、多神教と言われている神道では、天照大神とかスサノオとか、色々な神の中の一つを自分に所縁の神として崇敬してます。
だけど、私なんかは、そういう風な自分のルーツへの帰依の念も勿論ありますが、どっかで”何の神だろうと神は神...一つのもの(これは、私のルーツは一つということでもあります)という思いが横たわっているようなのです。
これは、意識的になり、もっと深い段階に入ると、そういう感じが強くなってきます。
要するに、何の神であるとか、それは何次元の存在だとかといった、小賢しい分別心が超えられるということです。思いを超えた一なる神によって!...
本当に神に祈るということは、こういう世界に導かれるということではないですか?
それは、自己実存に目覚めるということでもあります。
神と実存は切り離すことが出来ない!
神は一なるものである!...それは、自己実存は唯一無二なるものだから!...
もし、唯一神論というものが、”実存的神しか存在しない”、という観方をするのであれば、首肯されるものもあるかもしれません。しかし、そこから宗教対立など起こり得ようはずがないではありませんか?!
このことは神の現臨によって示されることなのです。現臨にあって諸々の神についての議論は消えてゆかざるを得ない!、現臨にあって神は一つ!
そして又、このことからその神と一つになることが重ねられて来るでしょう。
現臨にあって神と一つ!...
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